7、ケチャップが欲しい
丸く整えられたピザ生地を三角にした手で徐々に平たくし、左右の掌で交互に持ち替えていく。
指を四本そろえたまま優しく両手の間で回していくと生地がどんどん伸びていく。伸びきって両手から両手首、両腕までの大きさに広げて、ひょいっと、回せば薄いピザ生地の完成。
「と、いう感じでございますね。これなら誰にでもできやすでしょう」
「……どこが????」
ふぅ、と一息ついたマチルダさん。思ったより単純でよかったと安心したような笑顔と言葉に、私は思わず突っ込みを入れてしまった。
材料を混ぜ合わせ発酵させて暫く、用意が出来たと私の寝室にテーブルや道具が揃えられ、まずはマチルダさんが「こうしたら出来るだろう」と考えてやってくださったピザ生地伸ばし。
派手なピザ回しというわけではない。手元で地味にゆっくり行われた動作だが、丸いもっちりとした塊がどうしてあんな一瞬で平たくなっていくのか。
「うーん、べちゃべちゃするなぁ……」
「……粉を沢山付ければいいのではないか?」
「それだとパサパサして美味しくないんじゃない?うーん、簡単そうに見えたんだけどなぁ」
スィヤヴシュさんやヤシュバルさまは早速トライされているようだけれど、見た目があんなに簡単そうだったピザ回しの難易度の高さを私はよくわかっている。
「もう一回、やってみせてください」
「?はい、シェラ様」
真剣な顔でお願いする私と対照的に、マチルダさんは「どうして?」という顔だ。
……マチルダさん。パン屋の息子と仰っていた。ということは、生まれてからほぼゼロ距離で小麦やパン作りに接してきていて、生地の扱いはお手の物。あまりに身近にありすぎて、自分にとっては当たり前すぎて……それがどんな価値のあるもの、他人にとっては難しいものか理解してないタイプですね!!
「ですからね、シェラ様。これは、こうして、こう、で、こう、すればよろしいのですよ」
「ワッツハプン」
「?」
「いえ、なんでも」
ちょいよい、ひょいっと、と、また一瞬で広げられるピザ生地に私の顔は前世の記憶にある「宇宙猫顔」になっているだろう。
「あ、もしかすると、難しいかもしれやせん」
「やっとわかってくださいました!?」
「気付かず申し訳ない。シェラ様の手は小ェからなぁ。この半分くらいの大きさがよろしいでしょう」
「そうだけど違う!」
確かに幼女の手にマチルダさんが伸ばしたのと同じ大きさの生地の塊は大きいが、問題はそういうことでもない。
しかしニコニコと生地を半分に割って「どうぞ」とこちらに用意してくれるマチルダさんにこれ以上突っ込みを入れられるだろうか。無理だ。
「……なんだ。確かに、簡単ですね」
「イブラヒムさん!?」
悪戦苦闘する私たちと違い、端っこのテーブルでいつのまにか生地をまんべんなく伸ばしていたのはイブラヒムさん。
一番不器用そうだと思ったのに!
「なんです?」
「いえ……なんていうか、手慣れて?いらっしゃいますね??」
次の生地にと取り掛かるイブラヒムさんの手つきはとても、ピザ生地初心者には見えない。ひょいひょいっと扱う。マチルダさんほどではないにしても、その手つきには迷いがなかった。
もうすっかり、ピザ生地がべちゃべちゃになり心が折れかかっているヤシュバルさまたちとは正反対だ。
「……当然です。私は賢者として塔に迎え入れられる前は孤児でしたからね。物乞いをするために……いえ、この話はいいでしょう」
途中で話を切り上げるイブラヒムさん。
……そう言えば、ギン族のヤシュバルさまや、シーランさんと同じくアグドニグルの人間であるスィヤヴシュさんとかは身元がわかってたけれど、イブラヒムさんはどこの生まれとか、どこの部族の方とか、そういう話は聞いた事が無かった。
物乞いをするために大道芸を覚えたのか、それともパン屋の手伝いをしていたのかはわからないけれど、イブラヒムさん、苦労された時代があるようだ。
さて、いくつかのピザ生地が良い感じに伸ばされたところで、私は生地の発酵中に作っておいたピザソースをたっぷりと塗りたくる。
「……それは?赤唐辛子、ではなさそうだが……そんなに塗るのか?」
「赤茄子です。玉ねぎとか色々みじん切りにして、お砂糖と胡椒と香草とか……混ぜて、煮詰めたものです」
ケチャップとかあれば簡単なのだけれど、残念ながらアグドニグルにケチャップはない。
「その上に、お肉とか野菜を沢山載せます。どうぞ。キノコなんかもいいと思います」
「……これなら私にもできるだろう」
ピザの上の具はシーランとアンがあれこれ切って用意してくれていた。
みじん切りなどもそうだけれど、私も手伝いたかった。しかし、ヤシュバルさまが「シュヘラに刃物を持たせた者は処罰する」と、紫陽花宮の皆さまに厳命されているそうだ……。
私の年齢は小学校低学年として考えて……包丁くらい、使えるはずなんだけれど……。
お皿の上に並べられたトッピングの野菜や肉を、ヤシュバルさまは隣の私のピザを見ながら見様見真似で並べていく。
「……あまり重ねない方が良いのではないか?焼きムラが出来る」
「はい、そうですね。でも具の時点ではそう難しく考えなくて大丈夫です」
「?そうか」
「見て見て!シェラちゃん!ねぇ、これ、僕、才能あると思わない?」
ほらほら、と得意げにスィヤヴシュさんが見せてくるのは野菜を使って花の絵のようなものを作ったピザ生地。
「わぁ!すごい、綺麗ですね!」
「でしょう!」
「でもこの上にチーズをかけるのでほぼ見えなくなります~」
「えぇええ!!?え!?や、やめてー!?」
「チーズをかけないピザはちょっと……」
それにチーズを載せて焦げないように調節するので……と、私が説明するとスィヤヴシュさんは真面目な顔になった。
「……よし、待ってね!僕、必死で……計算するから……この僕の絵が崩れない……最適な量を……!」
「チーズはいっぱいかけた方が美味しいんですけど……」
「シェラちゃんはヤシュバルの方のピザに好きなだけかけたらいいよ!僕の子には触らないでー!」
そこまで言う??
ドントタッチミー、とばかりに私からピザ生地を守るべく体を使うスィヤヴシュさん。
「シュヘラ、あれは放っておくように。私は構わないから、こちらには好きなだけチーズをかけなさい」
「あ、はい」
じゃあ遠慮なく、と私はヤシュバルさまのピザ生地の上にチーズを載せていく。
といって、アグドニグルにピザ用のとろけるチーズがあるわけではない。そもそもあまりチーズを召し上がる文化はないようで、どうやって手に入れたのかというと、ヤシュバルの一族であるギン族は遊牧民族に部類する一族で、ご実家からの贈り物(仕送り?)として定期的に送られてきている。
ヤシュバルさまは「子どもには乳製品を与えるべき」という発言をされていたが、ギン族に常食する習慣があったゆえかもしれない。
チェダーチーズのような風味のチーズ。丸い塊を刻んで頂いて、それをピザの上にたっぷりとかける。
……ヤシュバルさまがチーズ特盛許可をくださったの、私が乳製品を食べるのを良しとしているからだろうな。
「ヤシュバルさまのご実家にチーズがあってよかったです」
「親族が……何種類かのチーズを作っていたはずだ。これまで興味がなかったが、いくつか取り寄せてみよう」
何種類ものチーズ!?
なんという魅力的な……。
「もしかしたら、ローアンには距離的に持ってこれない、フレッシュ……現地でしか食べられないチーズもあるかもしれませんね……!ヤシュバルさま、帰郷のご予定とかあります?」
「……行きたいのか?」
「ヤシュバルさまの一族(の作るチーズ)に興味があります」
「……そうか」
ふむ、とヤシュバルさまは少し考えるように目を細めて黙る。
……ご家族仲がそんなに良くない、という可能性もあるが……チーズを定期的に送ってきてくれる関係なのだし……大丈夫か?
「……いつでも顔を出すように、と言われてはいる。夏の頃に、一度……君を連れていくのも良いかもしれない」
「前向きに検討して頂きたいです。ありがとうございます」
どんなところなのだろうなぁ、と私が呟くと、ヤシュバルさまは少し懐かしそうなお顔をされた。
「……故郷は、とても美しい場所だ。夏の夕暮れは草原をどこまでも黄金に輝かせる。空は高く広く。夜になれば幾千幾万の星々が煌めき、月の光は眩しく影を作るほどに明るい。日が昇る時間は、世界はこれほどまでに美しいのかと心が震えるほどだ」
「ヤシュバルさまは故郷を愛していらっしゃるのですね」
何気なく言った言葉だが、ヤシュバルさまは目をぱちり、と、まるで驚いたような反応をする。
「……それは、ないだろう」
「そうなんですか?」
「あぁ。私は大半をアグドニグルで生きている。客観的に、美しいと思うが、愛着はない」
あると思うけどな~。
どこで見ても夕陽も朝日も星も綺麗なものだ。けれど、それを感情を込めて言葉にできるというのは、愛がないとできないんじゃないかと、そう思う。
「私にとって、アグドニグル、そしてローアンこそが守るべき尊いものなのだ」
不思議そうな顔をする私に、ヤシュバルさまは、まるでご自分に言い聞かせるかのように仰った。




