5、ある意味奴隷として扱ってはいる
「毎度お買い上げありがとうございます。是非今後ともどうぞ御贔屓に」
口ひげが特徴的な支配人さんの丁寧なお見送りを受けて、私たち三人は奴隷市場を後にした。
「いやぁー、有意義な体験でした。社会見学、大切ですね!とっても勉強になりました!」
本当はローアンの有名な商会など訪ねて見たかったけれど、良い収穫があったので今日は(私の体力的に)ここで切り上げるべきだろう。
帰りの馬車の中。私の隣にはイブラヒムさんがぶすっとした顔で頬杖をつき、窓の外を見ている。
私の向かい側にいるのはマチルダさん。戸惑うような顔をして、所在なさげに大きな体をぎゅぅっと、出来るだけ小さくしようと身を縮めている。不自由な片脚は、奴隷市場の支配人さんがサービス、とかで義足をくださった。義足を使っていたことはあるようで、やや不慣れながらマチルダさんの歩行は安定していた。
「……」
「あの……お嬢さま。あっしは、いったいこれから……いや、そもそも、なんだって奴隷を同じ馬車に乗せて……それに、この馬車……金持ちの商人、っていう以上の、貴族の持ち物じゃあ、ございませんか?」
私とイブラヒムさんの間に会話が一切ないので、耐えきれなくなったのか、それとも驚きが薄れて段々と恐怖が募って来たのか、マチルダさんが質問してくる。
「……このお方はさる王国の王女殿下であらせられる。私は彼女の付添人として街に出たイブラヒムという」
「イブラヒム……さま……?もしや、あの……三大賢者の……」
「他国の者であってもそのくらいの知識はありますか」
ふん、とイブラヒムさんが鼻を鳴らした。マチルダさんの同乗を嫌がったイブラヒムさんの態度は冷たい。
「ある程度の頭がある者なら身の程を弁えるくらいして貰いたいものですね。王女殿下は幼くていらっしゃる」
意訳すると、私は世間知らずなので奴隷と一緒の馬車に乗ったり対等に会話しようするだろうが、マチルダさんは奴隷の自覚があって心得ているのなら、未熟な主人が何を言おうときちんと立場を弁えろ、ということである。
「も、もうしわけ、ございません」
サッ、とマチルダさんの顔が羞恥心から赤くなった。頭を下げようとするのを、私が留める。
「マチルダさんの主人は私です。なので、イブラヒムさん、教育的指導はご遠慮ください」
「奴隷を持つ者になったのです。それも貴方が自ら望んで。そうであれば、そのように、相応しい振る舞いをなさっていただかねば困ります」
「マチルダさんには一緒に来て頂いて、早々にやって頂きたいことがあるんです。一緒に馬車に乗って説明をした方が効率的じゃありませんか」
「お嬢さま、賢者さまのおっしゃる通りでございます。あっしは奴隷、奴隷は奴隷らしい扱いってものがございます」
私がイブラヒムさんと口論になると思ったのか、マチルダさんが申し訳なさそうな顔で言ってくる。自分の事で貴方が賢者さまと争う必要などありません、と困ったような笑顔で訴えてくる。
「お嬢さま、ではなく私のことはシェラと呼んでください」
「シェラ様?」
「はい。ヤシュバルさま、これからお会いする、第四皇子殿下がつけてくださった名前です」
「お、皇子様!?」
私が王女だということにも驚いてくれたものの、アグドニグルの皇子様の存在はそれ以上の驚きを示してくれた。大きく眼を見開き、そしてぐっと、膝の上に置いていた両手を握りしめる。
「……お嬢さま、いったい、あっしに何を……?」
「シェラです」
「シェラ様……」
「いいですか、マチルダさん。私のことは、絶対にシェラと呼んでください。私をシェラと呼ぶ人は、私が好きで、そして私のことを好きなひとです。私を好きなひとのことを、ヤシュバルさまは疎んだりなさいません」
ヤシュバルさまは、私を奴隷市場に連れいったイブラヒムさんのことを怒るだろうとは私にでもわかること。マチルダさんを連れ帰れば私が言わずともこの事実はバレてしまう。なのにイブラヒムさんは私のためにマチルダさんを買うしかなかった。
なぜなら、買わなければ私は素直に報告するけれど、買って頂ければ、ヤシュバルさまに私が無理を言ってイブラヒムさんに頼んだ、という話をするからだ。
「……皇子様と一緒にいらっしゃるお嬢さま……シェラ様が、あっしのような奴隷を買ったこと、皇子様はお叱りになるんじゃありませんか?」
「それはありませんね」
と、答えたのはイブラヒムさん。
「第四皇子殿下はシュヘラザード様を善良で真心のある保護対象だとお考えになられていますから。貴方のような、見るからに……見目も悪く学もない、買い手もつかなそうな歳のいった奴隷を連れ帰れば、シュヘラザード様が同情されたのだろうとお考えになられるでしょう」
「イブラヒムさんってまず相手を馬鹿にしないと喋れないんですか?」
「人が最も不快に思うのは事実の指摘だそうですね」
流れるような皮肉と悪意のオンパレードである。私にやり込められたのが気に入らないのでしょう。まぁ、お金を出して頂いた身、私に関しての悪口なら放っておきますが、マチルダさんをどうこういうのは宜しくない。
友達いないんだろうなぁ、イブラヒムさん。
*
(一体……なにが、どうなっているのか……)
奴隷の証の首輪だけはそのまま、粗末な服はこれまで故郷にいた頃でさえ着た事のないような上等な服に替えられた。良い服で恐縮していると、着替えを手伝ってくれた女が「それは使用人の服です」と言う。
連れていかれたのは、本当に、王宮だった。
紫陽花宮の、氷の皇子の噂は奴隷であるマチルダとて聞いたことがある。アグドニグルは大陸を征服しようとしている侵略国家ではあるが、反面、北の地の魔族から人間を守る剣であることは子どもだって知っている。
その大陸の覇者の懐刀と呼ばれる皇子。凍てつく氷は吐く息さえ凍らせ、戦場は絶対零度の氷の世界、誰も彼もを物言わぬ氷の像に変え砕いて道に敷き詰めると言われていた。
その皇子殿下の宮に滞在しているという、マチルダのご主人様。白い髪に砂色の肌の、異国の幼女。黄金の瞳をきらきらとさせて、賢者相手に物怖じしない勝気なご様子。
マチルダが紫陽花宮に連れていかれると、宮の入り口に立っていた黒衣の男が駆けて来た。真っ白い顔に、作り物のように整った顔。黙っていれば女どもが黄色い声を上げるのさえ躊躇われるような品の良さのある男が、マチルダの目からも気の毒なくらい狼狽えて駆け寄ってきて、お嬢さま、ご主人様、シェラ様を抱き上げた。
立て続けにおっしゃっていた言葉は、熱が出るとか、まだ歩くのは無理だ、だとか、なぜ自分に声をかけなかったとか、そういうものばかり。腕に持っていた分厚い毛布でぐるぐると、シェラ様を包み込んでしまわれる。
シェラ様の兄君か、それともお若く見えるが父君だろうか。そんなことを思った一瞬、けれどこの、過保護で心配性な男が第四皇子殿下であると知り、マチルダはただただ驚いた。
そうして、自分はそっちのけで皇子殿下はシェラ様を抱えて奥に行かれてしまい、マチルダはシーランという女性に身なりを整えるように言われた。
身支度を終えると、シェラ様が呼んでいるとかで別の部屋に連れていかれる。
「いきなり一人にしてすいませんでした」
「いえ……あっしは別に……」
そこは寝室のようだった。毛の長い絨毯に、煌々燃える暖炉。天蓋付きの大きな寝台にちょこん、と押し込められているのはマチルダのご主人様のシェラ様だ。
「シェラ様、あっしにはこのような場所は……あまりにも場違いすぎます。何のお役にも立てないでしょう。どうか、あっしを元の場所に戻してください」
「まさかの辞職希望……せ、せめて……試用期間を……」
マチルダの申し出にシェラは困ったような顔をした。
シェラの枕元に椅子を持ってきて座っているのは第四皇子殿下。奴隷が主人の寝室に入ってきたこと、直接言葉を交わしていることを、皇子殿下はどのように思っていらっしゃるのか。先ほどとは打って変わり、無表情であるので何もわからない。
マチルダは恐ろしくなった。
なぜ、なんだって自分が王宮に住んでいる王族を主人に持つことになったのだろう。奴隷市場にひょっこりとやってきた身なりのよさそうな男女。本気で買って貰おうと思って声をかけたわけでもなかった。奴隷を初めて見るかもしれない少女が、奴隷市場に悪い印象を持たないように気安い言葉を投げただけ。緊張していた顔が笑顔になるのを見たかっただけ。子供は笑っているべきだと、そう思っただけ。
王宮に住んでいる人間に自分がしてやれることなんか何一つないだろう。
マチルダは故郷でのことを思い出した。
役に立たない、居場所のない惨めさをよく知っている。
ただ息をするだけの、ものを食べて下から出すだけの肉の袋に成り下がった、あの気持ち。
最初は好意的に接してくれている人たちが、自分を無能無価値厄介者と、疎んでいくあの変化がどれだけ恐ろしく、苦しいものか。
(賢者さまは最初から、あっしを無能で無価値と、そう、思ってくれていらっしゃった)
あの視線こそが正しいのだ。
マチルダは奴隷市場でそれなりに上手くやっていた。
買い手はいなかったが、あの区域の雑用や相談事なんかを聞いて、そこそこ、上手くやっていたのだ。
王宮で、王族に気紛れに買われるより、あのままあの場所にいた方が良い。
「どうか、お願いいたします。シェラ様、いいえ、お嬢さま」
必死に頭を下げて懇願する。
皇子殿下も一緒でいらっしゃるのだ。きっと自分の訴えは「当然」だとそうご判断いただけるに違いない。マチルダは答えを待った。
「あの……とりあえず、パン……焼いてくれませんか……食べたいので……そもそもその為に、買ったわけですから……」
暫くの沈黙の後、返ってきた言葉はマチルダの劣等感もなにもかも、まず一旦置いておこうという、あまりにも配慮のない言葉だった。
読者様の蒟蒻知識がすごいな、と思いながら前回書いててあとがきで触れるの忘れてたんですが……蒟蒻芋ってそんな……家庭菜園でメジャーな植物だったんですか????プチトマト感覚で書かれてて「???」ってなりました。感想欄が本編より面白いという悩み。
マチルダさん妹について。
余裕があったら小話で書くかもですが、書かないかもなので。
→ マチルダさんは近所でも評判の気の良い人で、戦争で負傷して近所の人たちも心配していました。妹婿たちが家に入って「これでマチルダさんも安心だ」と思い、パンの味が変わってもマチルダさんを助けようとパンを買ってくれていました。
パンの職人組合もマチルダさんが職人として登録されてて、婿さんはその弟子扱いでした。店で姿を見せなくなっても「パンを焼いてるんだろう」「人前に姿を見せるのが、まだお辛いんだろう」と思われていました。
しかしマチルダさんの姿があまりに見られなくなり、近所の人たちが不審がります。
マチルダさんが人買いに売られてひっそり街を出たことが発覚し、妹夫婦は街の人達から責められます。
→ その上マチルダさんがいると偽って商売をしていたので、組合も大激怒、すぐにお店は商売禁止になりました。
つまり、マチルダさんがアグドニグルにいる現在、とうに潰れてるよ!




