4、第四皇子には内緒だよ!
「そうそう。折角ですから、是非シュヘラザード様にご案内させて頂きたい場所があります」
「嫌な予感しかしませんね??」
屋台で水分補給も済ませ、次はどこへ行こうかと聞いてみるとイブラヒムさんがにっこりと、微笑んで提案してくださりました。私のことを好いていない人間のこの態度は胡散臭くて仕方ない。断りたいところだが、今回のローアン観光の主導権はイブラヒムさんである。
嫌な顔をする私を全く気にせず、イブラヒムさんは歩き出した。
……正直、私の体、体力は戻っていないし背中は痛いしで本調子ではないのだけれど、配慮のない賢者さまである。
「この辺りは治安も悪いですからね、私から離れないように」
「……なんです、ここ?」
「奴隷市場ですよ」
今まで歩いて来たのは舗装された道に、綺麗に清掃が行き届いた街並みだった。それが打って変わって、薄暗くじめじめとした雰囲気のあまり長居したいと思えない場所。
木箱の上に腰かけているのは片脚のない中年男性で、その首には鉄の首輪がついていた。腕には火傷らしいあとがいくつも残っている。私とイブラヒムさんの方を見て「金持ちの家の子供だろう」と判断すると愛想よく声をかけてくる。
「そこの旦那さまにお嬢さま。奴隷をお求めですか?自分なんてどうでしょう。足はこの通りですが、義足を作って頂ければその辺の軍人より戦えますぜ」
また別の、子供連れの女性も私たちに近付いて来た。
「お嬢さまの遊び相手は如何です?この子は我慢強くて、お嬢さまのどんな遊びにも笑顔でお付き合いさせて頂きますよ」
「……え、えっと、あの……」
「一々相手にする必要はありません。行きますよ」
奴隷市場って……こんなにフリーダムなものなのか?私は戸惑った。なんとなくのイメージでは、奴隷は地下とか檻に入れられて、奴隷商人が管理して売りに出されるもの、買い手を見つけられて引き渡されるもの、と思っていたのだけれど……。
「あぁいう連中は自分で奴隷になった者たちです」
「……自分で?」
「奴隷には種類がありましてね。――貴方は、卵や油の特性は知っているのに、こういうことは知らないのですか」
呆れる溜息を一つ。イブラヒムさんは群がってくる奴隷たちを睨み付けて退けると、私をぐいっと、引き寄せた。
「彼らは他国からの流れ者です」
アグドニグルでは自分から奴隷になることを選択した他国の人間は、皇帝陛下の財産という扱いになり最低限の生活を保障されるという。
納税の義務はなく、奴隷市場の区域で衣食住を提供される。そこから国内全域へ奴隷として売られ主に男性は肉体労働、女性や子供なら軽作業用という扱いで、単純な「労働力」として扱われるらしい。
「皇帝陛下の財産であるゆえに、選択奴隷たちに対して不当な扱いをした者は罰せられます。彼らは、そうですね……負傷し、夫や家族を失い、他国では生きられなくなった者、国に見捨てられた者の末路、と言えるでしょう」
「……どうして、自分から奴隷になるんです?」
奴隷という単語は、どう聞いても良い身分だとは思えない。私はレンツェの国民の奴隷化を阻止するためにこの国にいるわけで、自分から望んで奴隷になっているという人たちがいるのは……あまりに、想像を超えた世界だ。
「一番楽だからですよ」
「……楽?」
「わかりませんか?」
楽だから。
……奴隷になるのが?
私はもう一度、周りにいる奴隷だという人たちを見る。
誰もが首や手足に鉄の拘束具をつけている。服は私がレンツェで着ていた物よりマシだけれど、お世辞にも上等だとは言えない、簡素なもの。
年齢や種族様々、性別も男女どちらも同じくらいの人が奴隷になっていて、管理職だと思われる身なりの良い若者たちに必死に頭を下げ、短い言葉で軽く扱われている。
「……楽な生き方には、見えませんが」
「貴方にはそうでしょうね。しかし、世の中には、自分から仕事を見つけ、居場所を作り、他人と関わって生きていくより、奴隷になることを選ぶ者もいるのですよ」
「……」
皇帝陛下の御名により、命の安全と最低限の生活は保障されている。主人に仕え、望まれることをただ行えば、生きていける。
「片脚を失った者が人並の生活を取り戻そうとすればどれほどの努力が必要か。夫のいない女が子供を育てるのに、どれほどの苦労が必要か。それをするより、奴隷になったほうがマシだと、そういう者が、アグドニグルで奴隷になることを選ぶのですよ」
「……普通、国の支援とか、あるのでは?」
「えぇ、もちろんです。国家とは、国民の生活を守るために存在する機能であるべきですからね。たとえば我が国は職業軍人が負傷した場合、恩給が支払われます。軍内あるいは国の機関での再就職、仕事の斡旋も行い、生活支援に関してかなり力を入れているつもりです。寡婦や戦争孤児に対しても同様に遺族年金制度もあります。しかし、彼らはアグドニグルの民ではありませんからね」
他国にはそういった支援制度がなかった。あるいはあったとしても、彼らはそれより、アグドニグルで奴隷になる事を選んだと、イブラヒムさんは再び言う。
「そして次に、あぁ、彼らと目を合わせないように」
イブラヒムさんが入ったのは大きなお店だった。体躯の良い人が何人もいて、イブラヒムさんに頭を下げる。支配人らしい人が慌てて出てきて、挨拶をした。
「これはこれは……当店に、何かお求めで?」
「犯罪奴隷というものはどういうものか、妹に教えてやりたいと思いましてね。見学だけで申し訳ありませんが」
そっと、イブラヒムさんは掌ほどの大きさの袋を支配人さんに渡した。金属のぶつかる音。賄賂ですね、と私でもわかる。
支配人さんは袋の中身を確認することなく、にっこりと微笑む。
「えぇ、えぇ。妹様思いでいらっしゃいますね。当店の商品は安全性と品質に関して間違いはございません。ぜひ、えぇ、ごゆっくりとご見学ください」
*
犯罪奴隷、というのはその名の通り犯罪者が刑罰として奴隷になった場合を指すそうだ。
犯罪者全てが奴隷になるというわけではなく、それ相応の裁判を経て、とのことだけれど、主に殺人者や重罪人が多いという。
案内されたのは私が想像した通りの、地下室。牢の中に鎖で繋がれた人たちが入れられていて、私たちが降りて来たことにこれといって目立った反応は示さない。
無気力、と言っていいだろう。
「犯罪奴隷を買う者は単純に消耗品として「命」を欲する場合です。使い捨ての肉の盾とかですね」
「……使い捨て、ですか?」
「鉱山の肉体労働などにも送られることもありますが……我が国では労働法がありますので、他国のように苛烈過酷な環境ではないのです。むしろ単純労働なので学のない選択奴隷に人気なんですよ」
「えぇぇええ……」
「それに考えてください。シュヘラザード様でしたら、犯罪奴隷と先程の上の選択奴隷、どちらを雇用したいですか」
え、お給料出るの?と驚きだが、出るそうだ。もちろん正規の金額よりずっと少ない。(奴隷の主人は奴隷の購入費と、年間使用料を国に収める代わりに、奴隷の賃金は正規の雇用の十分の一以下で良いということになっているそう)
雇用主として、犯罪者は扱いづらい。
上にいた人たちは皆わけありだそうだけれど、犯罪者よりマシな気もする……な?
単純な、安全な労働は全て選択奴隷の人たちが担うのなら、犯罪奴隷に割り振られるのは命の危険の高い仕事ばかりになる。それは、当然だろう。
いかん、感覚がマヒしてきた。
私はくらくらとする頭を押さえ、もう一度牢を眺めた。
牢の隅で無気力に縮こまる犯罪奴隷たち。全員が男性だった。女性は犯罪奴隷になるまでの犯罪を犯すことがほぼなく、また稀にいたとしても「何をしてもいい女」として金持ちが即座に購入するそうだ。
牢の中の犯罪奴隷たちはただ何をするわけでもなく、何の役目もなくただ生かされているだけの日々。いずれ買われて、消耗品とされる。死ぬ事しかもう目的のない者たち、というわけだ。
「……レンツェの人たちは、犯罪奴隷になるのですか?」
「いいえ、貴方の国の者たちは戦争奴隷。戦利品として、人権のない無給で酷使してよい「物」という扱いになります」
選択奴隷のように最低限の生活を保証されることもなく、犯罪奴隷のように裁判を経て「自業自得」の末に奴隷になった者たちとも違う。
ただ国の選択に巻き込まれただけの者たちが、容赦なく「物」として扱われる。
イブラヒムさんが私をここに連れて来た理由。
奴隷というものがどういう扱いを受けるのかを、言葉ではなく実際に見せて教えようという意図なのだろう。
「戦争奴隷は市場に出回ることはありません。国の労働力として各地に派遣、あるいは元の場所での肉体労働につかされるでしょう」
私はこれまでぼんやりと、国民が奴隷化する、というおぼろげなイメージを持っていた。
イブラヒムさんはそれをはっきりと形にする。
レンツェの管理はアグドニグルの役人たちが行い、レンツェの人々の財産は全て没収され、レンツェの人間に求められるのはただ「労働」のみ。農耕用の家畜のような、そんな存在になる。
私はあの城の外を知らない。
けれど、レンツェの人たちにだって想像した未来や、願いや夢があったはずだ。生活があって、たとえば将来どんな仕事に就きたいか、考えて努力していた人。誰かと結婚しようと用意をしていた人もいただろうし、懸命にお金を貯めてどこかへ行こうとしていた人もいたかもしれない。
そういう人たちの「人生」が全て、レンツェの始めた戦争で。レンツェの王族のしたことの結果で、全て、何もかも台無しにされてしまったのだ。
*
俯く私を黙って地上に連れていったイブラヒムさん。私が落ちこんでいる、あるいは悩んでいるとでも思ったのかイブラヒムさんにしては歩調がゆっくりだった。
支配人さんたちにもてなされ、歓談している間も私はずっと黙り続けていた。
そして、支配人さんに丁寧に送り出されたところで、私はイブラヒムさんの服の裾を引っ張る。
「とりあえず、最初に売り込みにきたおじさん、おいくらですか?」
「買うんですか!?」
「え、だって……ひやかしはよくないですし……」
折角来たんだし……誰か買っておかないと……。
「……貴方これから、奴隷を解放するために陛下とやりあうんですよね?」
「そうですけど?」
「なのに奴隷を買う、と?……彼らに同情したのですか?」
「え、選択奴隷の人たちは自分たちで選んだわけですし……そもそもレンツェの人間じゃないので、私の救済対象外ですけど……?」
私の事、慈悲深い聖女かなんかだと思ってるんですか、まっさかー、という顔をするとイブラヒムさんがひくり、と目じりをひくつかせた。
何やらぶつぶつ文句を言っているイブラヒムさんを放って、私は木箱の上に腰かけているおじさんに話しかける。
「こんにちは」
「こんにちは、お嬢さま。良い奴隷はいましたかい?あんたくらいの歳の子なら、遊び相手を選びにきたのかねぇ」
スキンヘッドの中年男性。片足は膝から先がないけれど、その他の体には筋肉がついている。まだ選択奴隷になって日が浅いのか、それとも鍛錬を欠かさなかったのか。
「私はシュヘラザードと言います。おじさんは?」
「マチルダだよ」
「マチルダさん。あなたの購入を検討しているのですけれど、少しお話よろしいでしょうか?」
「…………は?」
ごつごつとした顔に似合わぬ可愛らしいお名前の、マチルダさんは目を見開き、そして渋い顔をした。
「お嬢さま、大人を揶揄うもんじゃありませんよ。そういうことを、ここで言っちゃ、いけません」
「本気です」
「……なんであっしなんで?」
「最初に声をかけてくださったので、ご縁ですね」
「……」
不審がられて警戒されている。無理もない。私はできるだけニコニコと、人畜無害な幼女の顔で話をする。
「利き腕は左手ですか?」
「……そうですが」
「もしかして、以前は何か……火を使うお仕事をされていたのでは?それも、随分長く」
「……どうして、それを」
不信感が、素朴な疑問に変わってきた。瞳に、私に対して「揶揄ってくる金持ちのガキ」から「自分のことを知っている?不思議な子供」という興味のある色が浮かんでくる。
「……生まれはフランク王国の、パン屋の倅でした。父親の後を継いでパン職人になりましたが……」
「マチルダさんの腕の火傷の後は、戦闘や拷問でつくものとは違います。同じ場所ですから、窯や、熱した鉄板が触れたりしてついたのではありませんか?」
「……なるほど、腕を突っ込むのは利き腕だ。左腕に多くついてりゃ、左利きだとわかるわけか」
パン職人がなんだって片脚を失うことになったのか。フランク王国は徴兵制で他国との戦争が起きた時に、マチルダさんも兵士として参加し、そして負傷した。
お店は妹とその婿がやって行くこととなり、最初はそれなりに頼られて「兄さんはここにいていいのよ」と言われていたそうだ。
「……いていい、だなんて、そもそもおかしな話でしょう?あっしの店で、あっしの……いや、これは、お嬢さまに言うようなことじゃ、ありませんね」
「嫌なことがあったら吐き出していいと思いますよ」
「……奴隷相手に妙なことをおっしゃる」
へらり、とマチルダさんが笑った。笑うとえくぼができる。
「妹夫婦が店をきりもりできるようになりますとね、あっしは邪魔ものですよ。平民の買える義足は手入れも大変ですし、あっしもまだ片脚に慣れねぇで、夫婦の手を借りなきゃ着替えやしょんべんもできやしねぇ。そりゃあ、お荷物だったでしょう」
妹に子供が出来て、生まれて『兄さん、悪いんだけど……』と、言いにくそうに言われたのは使っている一階の部屋を明け渡して欲しいということ。
マチルダさんは階段の上り下りが出来ないから、一番広い一階の部屋を使っていた。そこを出産した妹と子供が使いたいという。
マチルダさんは黙って明け渡した。既に、居候は自分だったと言う。
二階の部屋で、一日中閉じこもっていたそうだ。
物音をたてて赤ん坊を起こしてしまわないように、迷惑をかけないように、邪魔をしないように、息をひそめて、排せつは壺の中に。食事は売れ残ったパンが夜になると部屋の前に置かれるので、そっと部屋に持って行く。
「で、こりゃ駄目だと思いましてね。アグドニグルっちゅう外の国、あそこなら奴隷であってもそう酷い目にはあわないと、そう聞いてツテを使って、人買いに身を任せたわけですわ」
自分を売ったお金は妹の出産祝いに渡したと、マチルダさんは笑って言う。
「妹にまとまった金を渡してやれてよかったよ」
「……」
潰れないかなー、そのパン屋ー、潰れないかなー、と私は話を聞きながら心底思っていたけれど、マチルダさんは気にしていない様子。
でも、潰れないかなー。
「こっちに来る間に、アグドニグルの兵士は待遇も良いと聞きやしてね。選択奴隷が兵士になれるのかわかりませんが、体も鍛えて置いて損はありませんから。しかし、まさか、お嬢さまのような子供に声をかけて頂くとは……本当に、ひやかしじゃないんで?」
「いけませんよ、シュヘラザード様」
「あ、イ……お兄さま」
マチルダさんと私の会話に割って入って来たのは、当然イブラヒムさん。
「そもそも貴方、お金なんて持っていないでしょう」
「ほら、お嬢さま。お兄様のおっしゃる通り。さぁさ、早く家にお帰りなさい」
「今の話を聞いて、ハイさようならはちょっと……」
「どうせ同情を買うためのでまかせ、作り話です。選択奴隷にはよくある嘘ですよ」
憐れませて買わせる。同情するような主人は人が良いから、待遇も良いだろうと言う打算で作り話をすることはよくあるそうだ。
「作り話ならいいんですよ……潰れるべきパン屋はなかった、ということですから」
「潰れ……いやいや、あっしの妹の店を潰されちゃ困りやすが……」
多分本当の話だろうと私は思う。
そもそも幼女に嘘を言ってどうなるのか。揶揄っていると思ったから揶揄い返した、というのもあるにはあるが、マチルダさんはそういうタイプではなさそうだ。
「イブラヒムさん買ってください」
「嫌ですが?」
「そこをなんとか、したほうがいいと思います」
お高いんですか?と聞いてみると、マチルダさんは「働ければいい」タイプで、金額は一番安い価格帯だそう。お値段、なんと屋台の焼き鳥十本と同じくらいのお値段。
「貴方に私を脅せるのですか?」
ふん、とイブラヒムさんが馬鹿にするように鼻を鳴らした。
この場の決定権、主導権は自分だという高圧的な態度。
私は困ったように頬を片手で押さえ、小首をかしげる。
「具体的にはヤシュバルさまに『イブラヒムさんが犯罪奴隷のいるところに、まだ鞭打ちの傷も心の痛みも回復していない私を連れて行って、レンツェの奴隷化についてご教授してくださいました』って報告します」




