10、じっくりコトコト煮込めなかったけどロールキャベツ!
(思えば、憐れな子供ではある)
離れた場所で食事をしている息子を眺めながら、ジャフ・ジャハン、黄金のたてがみを持つ巨躯の獅子の獣人は目を細めた。
少しレンツェの王女が姿を消した。一時間ほどして戻ってきた時には、深めの皿に何か料理を持ってきていて、それを息子が食べていた。遠目からは野菜の塊。大きく眼を見開いて、驚き、そして「美味い」とその口が呟いたのはわかった。
ジャフ・ジャハンの息子でありながら、肉を好まず野菜を口にする軟弱なカイ・ラシュ。厳しく育てようと思ったのは僅かな間だ。素質がない、素養がない、器でもない。牙が違う。あれでは勇猛果敢な武人にはどうしたってなれないと、ジャフ・ジャハンの諦め、いや、切り替えは早かった。
(俺のようなものの元になど、生まれねばよかったものを)
息子に感じるのは憐憫のみだった。
ジャフ・ジャハン。偉大なる獅子の子、というのは、半分だけだ。先代族長の側女が産み落とした、姿だけは立派な獅子。けれど母がひた隠しにした秘密を、母の死に際にジャフ・ジャハンはそっと、自身にだけ打ち明けられ、それ以降ずっと、その事実が暴かれることを恐れていた。
獅子の母は白狼の男に乱暴され、孕んだ。ひた隠しにした母の事実。母の名誉のために、自身の名誉のために、知られるわけにはいかない。見かけはどこまでも、ジャフ・ジャハンは立派な黄金の獅子なのだ。
己のようなものは他人を愛せず疑い警戒して、乾いて生きるのだろうと、その覚悟。
それなのに、うっかり愛してしまった。
踏み付けて蹂躙されるべき貧弱な一族の、弱々しい女。
春に咲く花のような柔らかな微笑みを浮かべる、麗しい女。
兎の獣人の、春桃。
愛してしまった。
己の牙も爪も、恐れるのに、震えるのに、春桃はジャフ・ジャハンの瞳を見つめて微笑んでくれる。
生まれた子供が狼の特徴を持っていた時、周囲は春桃の不貞を疑った。春桃が自分を裏切るはずもないことは、ジャフ・ジャハンが誰より確信している。周囲の言葉を「違う」とジャフ・ジャハンが一言いえばいいものを、言えなかった。
それらを春桃は静かに受け流してくれて、ジャフ・ジャハンの名誉を守ってくれた。
白い狼の特徴を持つ息子。
カイ・ラシュ。
ジャフ・ジャハンの息子。
愛してはいない。愛するということが、自分はできると思っていた。春桃を愛している。だから息子も愛せると思っていた。
だが、無理だった。疎んでいるわけではない。それはなかった。ただ、家臣の子供と、同じ程度の感情しか持てない。関心はなかった。興味も、持てなかった。
その時の自身の、自身へ対しての失望。
己は結局、まともではない。
春桃だけが特別だったのだ。自分の息子なのに愛せず、しかし、だからジャフ・ジャハンは思考を切り替えた。
第一皇子の息子としての環境は全て与えた。育てて、見守って、そして「王の器ではない」と判じた結果、それならばこの場所はいても苦痛なだけだろうと、そう考えた。
「ジャフ・ジャハン」
「レ=ギン」
呼ばれて振り返ると、血の繋がらない異種族の弟が手に皿を持って立っていた。ヤシュバル・レ=ギン。ギン族の男。皇帝クシャナの懐刀と呼ばれている第四皇子。通常は北部の守護をしているが、コルキス・コルヴィナス卿が皇帝の不興を買ってかの地に送られたので首都ローアンに戻ってきていた。
「シュヘラがこれをお前にもと」
「なんだそれは」
料理だというのはわかる。多くの肉食の獣人は、生肉あるいは少し焼いた肉を主に食べる。しかし族長、王族、身分の高い者は手間をかけて調理したものを食べることが「上品」であるという風潮もあった。
ジャフ・ジャハンは戦場以外は出来るだけ、そうした「料理」を食べるようにしているものの、チマチマとした「料理」が新鮮な肉より美味いと思ったことはない。
「ひき肉に香辛料を加えて葉野菜で包んだ物だそうだ」
「確か、そんな料理は食べた覚えがあるな。サルマ、だったか?」
塩漬けにした葡萄の葉に肉団子を包んだ料理があったはずだ。ジャフ・ジャハンが思い出して皿を見直すと、記憶にある料理とは少し違う気もする。
以前食べた料理よりかなり大きく、そしてスープがたっぷりと入っている。
肉のにおいも確かにするが、殆どが野菜のにおいだ。ジャフ・ジャハンは顔を顰めた。獣人向けの料理ではないな。そう言うと、レ=ギンも頷く。
「だが、私も食べたが、肉の量の方が多い」
肉料理だが、肉料理らしくない料理だとレ=ギンに言われ、ジャフ・ジャハンは自身もその料理を食べてみた。大きな獣人の口ではひょいっと、一口にできる野菜の包み。
……噛めばじゅわり、と口内に広がったのは肉汁……だが、肉々しくはない。ナッツ類が混ぜ込んであり、きっと肉が「くさい」と感じる者には受け入れられやすい味なのだろう。たっぷり入ったスープは赤茄子の味がした。
カイ・ラシュが食べているものと同じものだろう。
なるほど、肉の苦手な者でもこれなら食べられる。
飲み込みながらジャフ・ジャハンは察し、これを作ったというレンツェの王女のことを考えた。
皇帝クシャナが、あの少女を望まれている。
何をさせる気なのかと、その詳しいことはジャフ・ジャハンにもわからない。ただ、服従か死を他人に選択させることばかりだったはずの皇帝が、まるで恩でもあるかのようにあの王女には特別な配慮をしている。
焦土にするはずのレンツェを保留にしているのもあの王女との約束があるからだそうだ。
千夜料理を作るという。何を馬鹿なことを。そんなことでレンツェを許すのかとジャフ・ジャハンは呆れた。
ジャフ・ジャハンだけではない。誰もが呆れ、だからその裏に何かあるのだろうと疑っている。
「レ=ギン。こうした手間のかかった料理、皇帝陛下は喜ばれると思うか?陛下が美食家であらせられるという話は聞いた事がないがな」
多くのアグドニグルの軍人がそうであるように。食事というものは出来るだけ手早く済ませて他のことに時間を割きたいと考えているはずだ。レ=ギンもそうだろう。ジャフ・ジャハンはこれまで種族の違う弟が何かを美味しそうに食べている姿、食事を楽しんでいる姿を見たことがない。
「陛下の御心はわからないが、少なくとも、この料理を喜ぶ者がこの場にはいる」
弟が目で示すのは、カイ・ラシュだ。
好む好まざるに関係なく、獅子の血を引くカイ・ラシュは肉を食べるべきだった。体の成長、魔力の量に極端に影響する。それを口に出来て、その上拒否反応がなかったことは、当人にとってどれほど喜ばしいことか。ジャフ・ジャハンとて、わかる。
あの王女なら、カイ・ラシュが獅子でなくとも、気にしないだろう。
「お前は本当にあの幼女の婿になるつもりか?」
「……」
「成長するまで見守って、どこぞの男にやるくらいならカイ・ラシュにしてくれ」
ヤシュバル・レ=ギンが国を持とうとしているなどという噂。皇子たちの警戒心。そんなものは無駄だとジャフ・ジャハンは歯牙にもかけていない。
何かを欲することなどない男だぞ。
国なんぞ欲するものか。何かを得ればそのままアグドニグルに献上するばかりの男。レンツェを押し付けられて何を考えているのか知らないが、あの幼女の婿になり一国を支配する欲などあろうはずがない。
ならカイ・ラシュに譲ってくれないかとジャフ・ジャハンは言った。
同じ歳に、それなりに気も合いそうな二人に見えるではないか。
カイ・ラシュの未熟さも気にしなさそうな妙に達観したところのある少女。
「アレはこの国も、金獅子の重責も背負えぬ小物よ。他所へ行けるのなら行かせてやりたい」
「親とはそういう考えが出るものか?」
レ=ギンに問われジャフ・ジャハンは首を傾げた。
「どうであろうな。俺は親として「どう振る舞うべきか」というのはわかるが。親心から言ったわけじゃない。自分の部下が、合わぬ場所にいるのなら、別の場所をすすめるだろう」
*
「……美味いな」
「知ってます」
三つ目のロールキャベツを平らげたカイ・ラシュの呟きに私はフフン、と鼻を鳴らした。椅子の上ではわたあめも「キャワン!」と口のまわりを真っ赤にして、大変喜んでいる。
ロールキャベツ。
手間がかかって、一人暮らしが絶対に作りたくない料理ナンバーワン、ではないだろうか?ひき肉にあれこれナッツやら刻んだニンジン、玉ねぎ、塩コショウやら好きなブツを加えて俵状にするのはまだいい。
まずキャベツの下ごしらえ。
芯が硬く包みにくいので厚みが均等になるのように不要な部分はそぎ落とす。そして茹でて柔らかくする。これが、とても……面倒くさいものだ。
お店のメニューなら良い。だが自分自身だけのためにこの手間をかけるかと言われば……既製品を買う者が多いのでは?というか、それなら別にロールキャベツなど食べず他の御惣菜を買う。わざわざキャベツ巻きにした肉団子を食べる必要性がどこにあるのだろうか?
「まぁ、そもそもこの料理……手間をかけるために生まれた説があるんですよね……」
「うん?なんだ、それは」
「いえね。一般家庭……平民の人たちは、使用人とかいないで家のことは全部女の人がやるじゃないですか」
「そういう話は聞いた事があるぞ。男が外に働きに出る、女は家を守るのだな」
「はい。で、家事は昔と比べると便利な道具が沢山発明されて、時間がかからなくなっていくわけじゃないですか」
この世界に洗濯機や掃除機があるか知らないが、まぁ、人間は「楽をするために進化する」生き物なので、家電製品はなくとも生活の知恵はあるはずだ。
「科が……技術の発展によって生活が「便利」になります。そうすると、これまで時間を取られていた分が「空き」ます」
日本は戦後、高度経済成長期。インフラが整い、家電製品の一般化が進んで、洗濯や掃除の一部を人力以外で行えるようになった。そうなると、急激に進化したのが「家庭料理」だ。
「家族に「美味しい物」を食べて貰おうと、手間をかけることが出来るようになったんです」
外食に行かずとも、家庭で手のかかった美味しいものをハレの日でなくても食べられる。家族に食べさせてあげられる。
ロールキャベツはそのうちの一つと言えるだろう。
「……そうか」
私の説明に、カイ・ラシュ殿下は少し照れたようなお顔をされた。
「……家族、か。シェラは僕をそう思ってくれているんだな」
違いますが、違うと言えない雰囲気ですね。
「うん、これなら……僕でも、肉を食べられる。シェラ、他にはどんな、お前の知ってる肉料理があるんだ?」
「色々、まぁ、ありますよ」
野菜が好きで肉があまり好きでないなら、チキンライスとかもいいだろう。卵を載せてオムライスにすれば視覚的にも華やかで楽しいはず。グラタンなんかもいいかな。あれこれ、思い浮かぶものはあるけれど。
「また作ってくれないか。こうして、肉を食べ続けられれば、背も伸びるし力も強くなる。シェラを守れるくらいの男にはなれるはずだ」
「あ、すいません、無理です」
断るとカイ・ラシュ殿下が傷付いた顔をして、そして苦笑する。
「そ、そうか。そう、だよな……僕など、」
「私これから忙しいんですよ。カイ・ラシュに作るのが嫌っていうわけじゃなくて……」
私は皇帝陛下との約束をカイ・ラシュに話した。
「……それは、大丈夫なのか?」
「料理の品数なら、そんなに心配じゃないんだけど……」
「そうでなくて、おばあさまの仰っているのはつまり、商会の確保ということだろう?」
この辺り、しっかり教育を受けているカイ・ラシュの頭の回転は速かった。
食材の確保と納品を引き受けてくれる商会を見つければひとまずの課題はクリアになる。
支払いに関しての問題もあるが……。
「ローアンの大商人は皆、父上や叔父上といった王族の誰かしらの「御用達」だ。ヤシュバル叔父上も懇意にされている商会があると思うが……」
その商会が食材に関して詳しいか、というのはあまり期待できないだろうとカイ・ラシュは言う。ヤシュバルさまは食に拘りがなさそうだし……お付き合いのある商家の強みが食材、という可能性は低いだろうな。
「……やはり、僕を側室に迎えるという約束だけでもした方がいいんじゃないか?」
カイ・ラシュは今度は私の身を案じて提案してきた。
父親に認められていなかろうと、カイ・ラシュはアグドニグルの王族で彼が望めばある程度の商人を呼べるだろう。
それに。
(この焼肉パーティーにしても、単純に、狩りによる獲物の入手として考えれば第一皇子の持つ軍事力の高さを。肉を“商品”として入手したのであれば財力と、この量が「たいしたことではない」と、常時から大量消費できる量の確保ができるルート、商会の存在を、察することができるんですよねぇ……)
“レンツェの王族の生き残り”には必要なものだ。
「……いえ、大丈夫です。カイ・ラシュの心配してくれる気持ちはすごくうれしいんですけど……長期的なことを考えると、それはちょっと」
第一皇子の派閥に依存することになる。
「しかし、」
「考えがないわけじゃないんですよね。残り一週間ちょっとでどこまで出来るかって話なんですけど、まぁ、やってやれないことはないと思います」
鞭打ちで寝込んだ期間がもったいなかった~、と言えばさすがにカイ・ラシュが気にするのでそこは言わず。私は頭の中でやるべきことをリストアップした。
二週間くらいでサクっと終わらせる予定だった千夜千食物語がもうすぐ一か月経つんですね……他の連載もあるので「早く…早く終われ!」と思いながら書いてはいます。




