8、恋に~落ちる~音~が~し~た~
(こんなことに、こんなことになるなんて、誰も教えてくれなかったじゃないか)
なんで自分が。
ローアンの朱金城で最も高貴な子供である自分が、敗国の、それもレンツェの王族の顔色を窺わなければならないのか。
紫陽花宮の茶室。色硝子がはめ込まれ差し込む光を受けてキラキラと色付きの影を落としていた。
「へぇー、こんなお部屋があったんですねぇ」
それらを興味津々と、阿呆のように口を開けて眺めているのは死にかけていたなんて嘘に違いないほど顔色の良い少女。カイ・ラシュと同じ歳のシュヘラザードというレンツェの奴隷だ。
部屋の隅には女官が控えている。カイ・ラシュの発言が何か「相応しくない」ものなら即座に父の耳に入るのだとカイ・ラシュは緊張した。
(……母上の為だ)
ぐっと、カイ・ラシュは拳を握りしめ、湧き上がる感情をなんとか堪えようとした。
カイ・ラシュは金獅子の父と、白兎の母の間に生まれた「混血」の獣人だ。
*
獣人族の中で、白兎族は所謂「最弱の一族」と蔑まれてきた。弱く何も出来ず、平原に逃れて草を食べて羊や馬を世話して、何かあればすぐに逃げ出せるように、布の家で暮らしている臆病な民族。
アグドニグルの皇帝クシャナが最初に下した異種族は金獅子だった。最も苛烈に抵抗し、最も脅威であると考えられたゆえと言われている。皇帝は金獅子族を十分の一まで減らし、アグドニグルに忠誠を誓わせた。
獣人たちは恐れ慄いた。あの最も誇り高く最も強い黄金の獅子たちが、獣人たちにとって取るに足らない異種族、白兎族よりも「弱い」という認識だった「人間」種の国に食いつくされた。
抵抗する部族は悉く制圧された。アグドニグルの先陣に立っていたのは黄金獅子の戦士たちだった。金獅子の戦士たちは、アグドニグルに下りながら獣人族の王となるために戦って、いや、本当に「下った」のかと、獣人たちは疑った。
猛威を振るい増えすぎた金獅子たちは自分たちで自分たちの一族を養いきれなくなっていたのではないか。アグドニグルの皇帝を凶器として、自分たちが、いや、自分が獣人の王となるために全て企んだのではないか。
ジャフ・ジャハン。黄金のたてがみを持つ恐ろしい獣人。通常の獣人の二倍は大きく、咆哮は竜をも怯ませるという。猛々しい武人で、そして頭もよかった。元は金獅子の下位の戦士の側女の産んだ子だった。
それが、どう上手くやったのか、アグドニグルの皇帝と結託し「養子」となって瞬く間に獣人界を制圧した。
嵐のように他の部族を平らげていく金獅子の牙を、獣人たちはただただ恐れた。次々に送られていく人質という名の子供や女たち。それでも金獅子の勢いを止めることに、それほど役には立たなかった。
白兎族が狙われた際、誰もが一晩も持たないだろうとそう考えた。
しかし攻め込んだジャフ・ジャハン。白兎族たちが観念し、居住のゲルの中で家族と抱き合い最後の時を待っていた。
その中の一つに、春桃がいた。
真っ白い雪のような白い耳に白い肌。赤い瞳の兎の獣人。
結果、ジャフ・ジャハンは白兎族を金獅子族唯一の「同盟者」とした。麗しく大人しい、春の花のように可憐な春桃をお気に召して、それからすっかり、金獅子の苛烈さは収まったという。
最強の獅子は、最弱の兎を妃として側に置きたいそう大切に大切に、愛された。
そうして生まれた子供が、獅子ではなく狼の耳を持っていたとしても、春桃妃への愛は変わらない程。
*
「…………」
「……無理しないほうがいいと思いますけど」
一緒にいるのが嫌なんだろうなぁ、とさすがに私もわかる。カイ・ラシュ殿下。可愛いお顔をぎゅっと歪めて、一生懸命耐えているお姿。
「……無理なんかしてない」
返ってくるのはぶすっとした声。
ヤシュバルさまに縋りついた言葉に嘘はなかったんだろうけれど、それはそれとして、子供らしい「不承不承」はどうしようもないものだ。
まだ八歳とかそれくらいでしたっけ?
そんな子どもが、何か背負ったように思い詰めてじぃっと、こちらを見ている。
私は息を吐いて、部屋の隅に控えているシーランに下がって欲しいとお願いした。
「しかし」
「子ども同士で遊びたいのに、大人の目があったら、のんびりできません」
「……しかし、シュヘラザード様」
シーランは当然難色を示した。私を心配してくれている人の気遣い。
「わたあめ!」
「キャン!」
私が呼ぶと、ぽんっと虚空からわたあめが現れた。一瞬カイ・ラシュ殿下を見て「げっ」という顔をしたようだが(表情豊かな魔獣である)直ぐにキャンキャンといつものように元気よく鳴く。
「わたあめがいますし、何かあったら呼びますから」
こう何度も主人である私が言えば、シーランは譲歩するしかない。扉の外に控えていますからね、と念を押され、私は不貞腐れているカイ・ラシュ殿下にお茶をすすめた。私が煎れたのではなくて、毒見やらなにやらちゃんと検品済みのものである。
「……いらん」
「私と仲良くなりに来たんですよね」
「……お前、僕を騙したな」
「と、言いますと」
「死にかけたって聞いたんだ!お前が、鞭打ちにあって、何もかも、お前の所為で!母上は倒れたんだぞ!」
ちゃんと順序良く話して貰いたいが、監視の目がなくなった途端、大変お元気でいらっしゃる。
「春桃妃様が……それはそれは」
心配だなぁ、とは思う。私が神妙な顔をすると、カイ・ラシュ殿下は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「お前の所為だ!お前が、紫陽花宮にいたから全部おかしくなったんだ!鞭で打たれたあの姿、何か妙なまじないでも使ったんだろ!幻覚か!?白状しろよ!あんなに血が出たやつが、三日で起き上がれるわけがない!」
そこは、私が無事でよかったと安心してほしい~。
まさかのヤラセ容疑を吹っかけられて私は呆れる。
あれ本当に痛かったんですけど~。
しかしまぁ、私に今カイ・ラシュ殿下を苦しめているものがわからないように、カイ・ラシュ殿下に私の痛みがわかるわけがない。
腹は立たなかった。
今も昔も、他人に感情をぶつけられることには慣れている。
『なんにも出来ないんだから、サンドバッグにくらいなりなさいよ』
頭の中に聞こえてくる声。
今生のものではない。前世の、もはや他人のものだ。私はそっと蓋をしておいて、今聞こえるカイ・ラシュ殿下の声に集中する。
「お前が……お前なんかの方が王族らしかった、なんて……そんな、そんなばかなことあるもんか!僕は最強の黄金獅子ジャフ・ジャハンと、最も父に愛された春桃のたった一人の息子なんだ!」
どうも、あの鞭打ちの一件後、心無い者たちが私とカイ・ラシュ殿下を「比べて」いらっしゃるよう。
レンツェの王族、あの姫は身の程を弁えている上に、健気で自ら鞭打ちを受け入れた。粛々と刑を受け、命乞いもせず、他人に頼らず、幼い身ながら八つの鞭を見事に耐えた。
それに引き換え、カイ・ラシュ殿下の不甲斐無さよ。
と、そのように。
そう言えば、シーランが「お見舞いの品が、あちこちから届いていますよ」と言っていた。ヤシュバルさまは無表情だったが「シュヘラの気に入った物があるのなら、その送り主に礼の文をしたためておこう」とおっしゃっていた。
……王宮内で、私の味方、あるいは印象を良く思ってくれている(あるいは、ヤシュバルさまと懇意にしたいと考える)人たちの存在。
「なのでここで、男を見せて私と仲良くしてイメージ回復しないとまずいんですよね??私を怒鳴りつけてる場合じゃないですよ」
「キャンキャン!」
仲良くすごろくでもやります?追いかけっこは無理ですけど、だるまさんが転んだとかならできそうですよ、私が鬼やるんで。
あれこれ提案するが、カイ・ラシュ殿下は嫌がった。
「お前が謝れ!」
「なんで」
「皆の前で、おばあさまの前で!全部自分が悪いって、僕は何も悪くないって謝れよ!」
それやったらますますカイ・ラシュ殿下の株は下がるが。
この子、どうして私に謝りに来たはずなのに私に謝らせるのか……。
「うーん、うーん……とりあえず、鞭打ちは本当なので……あ、見ます傷??」
「は?」
「痛みは大分マシになってるんですけど、まだ皮膚がなくって、ちょっと、あ、べちゃべちゃなんですけど~」
「キャッ!?キャワン!!!キャワワン!!」
あのめちゃくちゃ痛かったやつを嘘扱いされるのはさすがの私も「ふざけんな」と思うので、いそいそと服を脱いで包帯をとく。
「…………………………は?」
包帯の下の布には薬がたっぷり塗られているので、剥がす時にぺりぺりっと、ちょっと手間取った。背中は自分からは見えないが、上手く剥がれたかな?
こんな感じです、と見せると、カイ・ラシュ殿下が真顔になった。
「おまっ!!!!!なんで、取ってるんだよ!!」
ぐいっと、私が剥がした布をカイ・ラシュ殿下が素早く取って背中に当てる。
「あの、ちょっと優しく……痛いです」
「あっ、ごめ……じゃなくて……馬鹿なのか!?」
「いや、だって、殿下が嘘だって言うから」
慌てて私の体に包帯を巻きつける殿下のお顔は真っ白だ。
……さっきまで疑っていたのは本当だろうに。
「なんで生きてるんだ……こんな傷、お前は、人間種だろ」
茫然と呟く殿下。何かショックを受けたようなお顔だが、私の鞭打ちの所見てましたよね?と、思うけれど、どうやら途中で春桃妃様が倒れたので一緒に出て行ったらしい。その上、護衛の方々が「殿下のお目に入れさせるわけには」と体で塞いでいたようで、音しか聞いてないとか……。
なるほど、それはまぁ、疑いたくもなる、か?
言葉ではっきり言えずとも、なんとなくカイ・ラシュ殿下も気付いているのではないか?あれらが完全にただの不幸な事故、邂逅ではなくてそれとなく仕組まれたこと。王宮で八つまで生きてきて、肌で感じられていないのなら、それはそれで頭がお花畑でいらっしゃる。なんとなく「おかしい」と思っていて、けれど疑う先が、アグドニグルの王族であるから定められず、そうなれば私に向くのも自然だろう。
「……なんで」
「はい?」
「……なんで、お前は、僕を恨まないんだ?」
「と、おっしゃいますと」
「……僕の所為で、こんな目にあったんだ。僕はお前に謝る所か、謝れって言った。お前はどうして、僕に言い返さないんだ」
眉間に皺を寄せて問われる。
なんで、と言われましても。
「殿下の所為じゃありませんから」
実際、こういうことは慣れている、としか言えないのだが、それを言うのもなんだ。私が小首をかしげて答えると、カイ・ラシュ殿下は息を呑んだ。
「っ……!」
まるで自分が殴られたかのような顔をして、一瞬泣きそうな表情。そして、ぎゅっと、唇をかみしめ、顔を伏せる。
「……僕の所為だ」
「…………殿下?」
「僕の所為だ!僕が……肉が食べられなくて、嫌で、母上を悲しませたくなくて……ッ!叔父上の宮で勝手をして……!お前に蹴られたのなんて、痛くもなんともなかったんだ!でも、僕は父上の子だから、金獅子の子だから!僕を害した奴は裁かれないといけないって!そう、お前に、僕が……何もかも、押し付けたんだ!」
ごめん、と、ごめんなさい、と、ボロボロと涙をこぼしてカイ・ラシュ殿下が謝ってくる。
自分の所為だと。
自分が未熟で、考えが足りなくて、そして、心が弱かったから、とそう、しゃくりあげながらもはっきりと、おっしゃる。
「え、え、え……」
「クゥン、クン……」
突然の少年の大泣きと懺悔に、私とわたあめは狼狽える。
おろおろと私たちはカイ・ラシュ殿下を慰めようと頭を撫でたり、服の裾を引っ張ったりするのだが、ますますカイ・ラシュ殿下は泣いてしまった。
「ぼ、僕に優しくするなよ……!僕は、な、なんにも、返せないんだ……ッ!」
「えぇえええぇええ……」
大丈夫この子、色々追い込まれてない?大丈夫??
アグドニグルの王族の子育て、大丈夫?
よそのご家庭の育児に口出しはしたくないが、心配になるぞ……。
「え、えぇっと、えぇっと……」
わたあめのもふもふボディでもカイ・ラシュ殿下を落ち着かせることはできなかったッ!
優しくするな、と泣く殿下に、私は頭を悩ませ、あ、と思いついた。
「優しくしますよ!だって私、カイ・ラシュ殿下のこと好きだし!」
好きなひとには優しくなれる。
シーランが言っていた。
私も、アグドニグルの人たちに優しくして貰って戸惑った。どうして、なんで、私はレンツェの人間なのにと、戸惑った。
「カイ・ラシュ殿下はこうして……謝ってくれましたし、私の傷のために泣いてくれて……嬉しいです。だから、私、殿下のこと好きですよ」
「……っ」
だから頼む泣き止んでくれ。なんか私が泣かしたような感じで嫌だというとても自分の為の説得なのだが、カイ・ラシュ殿下はなぜか顔を真っ赤にして、黙ってしまった。
「……お、お、お前……」
「シェラです」
「…………シェラは、僕のことが好き、なのか?」
「好きですよ!」
敵じゃないよ!友好的な関係を築きたいと思っているよ!
全力で友愛オーラを出して両手を広げフリーハグ!とアピールする。
「…………父上に、話してみる」
おっ、仲直りできたってご報告かな??いいんじゃない???
よしよし、と私は頷いて、なぜだか「え」という顔をしているわたあめの前足を取ってハイタッチした。




