7、エレンディラ改め!
「カーン・ティ様というのは?」
「姫君なのですからスジャータ様もよろしいかと」
「紫陽花宮の姫君ですものスマン・ディネイシュ様という選択もどうかしら」
さて、私のベッドの周りには三人の人物。シーランにアンにスィヤヴシュさん。それぞれが口にするのはアグドニグルの女性名、らしい。
あれこれと意見を出し合っては私に「どうです?」と求めてくる。
「うーん、どれも素敵な名前なんですけど……」
いまいちピンとこないので、私は首を傾げるしかない。
さて、なんだってこんな状態になっているのかといえば、私はヤシュバルさまに「何か欲しいものはないか」と聞かれたので「皆が呼べるような名前が欲しいです」と答えた。
エレンディラ。娼婦の子という意味の名は、私を好きになってくれる人ほど呼ぶのを躊躇われて、正直このアグドニグルに来てから呼ばれた覚えが皆無だ。
それで名前が欲しいと言ったので、シーランたちが部屋に呼ばれて、あれこれと私の名前候補を上げてくれるのだけれど。
「気に入った名はないか?」
「うーん……気に入らない、というわけではないんですけど」
「急ぐものでもない。君の名前なのだから、君が一番好きなものにしなさい」
三人が一生懸命考えてくれるのをヤシュバルさまも黙って見ていた。見ている、というかその間も私にせっせとお粥を食べさせたり包帯を取り換えて薬を塗ったり、伸びてた爪を切ったり髪を梳かしたりと、お忙しそうだったが。私はされるがままである。そういうのはアンやシーランの仕事じゃないかと一応言ってみたけれど「私では嫌だろうか」と眉間にしわを寄せて言われれば、断れない。
長く生きるように「アーイシャ」、星の煌めきの「ナジュマ」、宝石の「ジャウハラ」、どれもこれもとても綺麗で私にはもったいない名前だと思うし、素敵だと思う。
私は自分がスジャータとか、ナジュマ、カーン・ティという名前になったらどうかと考えてみた。
ハァイ!私、レンツェの王女のエレンディラ改めてカーン・ティ!前世の記憶もあるちょっぴり変わった女の子!好きなものは特になし!特技は料理!よろしくね!
……なにもよろしくないな??
違和感しかない。
ぐぬぬぅう、と私は頭を抱えた。
名前、名前。これから先、私が皆に呼んでもらう名前だ。
「……そうですよ」
「どうした?」
はっと、顔をあげた私にヤシュバルさまが気遣うように声をかけてくださる。どこか痛いのか、喉でも乾いたのかと先んじて行動しようとしてくださるヤシュバルさまの手を取り、私はじぃっとその瞳を見つめる。
「ヤシュバルさまが付けてくださいよ」
「……なに?」
「だって、そうじゃないですか?これから先、私の名前を一番呼ぶのはヤシュバルさまですよね?だから、ヤシュバルさまつけてください」
「…………」
一番呼ぶ人が呼びやすい、しっくりくる名前にするべきじゃないか?私が自分で自分の名前を呼ぶことなんか殆どないだろうし。
名案!と自画自賛していると、私が両手で手を握りしめているヤシュバルさまは無表情のまま停止した。
「…………」
「ヤシュバルさま?」
「……いや、確かに。……確かに、そう、か。そう、なのだが……」
「御迷惑でしょうか?」
「それはない」
きっぱりと、そこは素早くお答えが返ってくる。
「しかし、私は……これまで名付け親になったことも、そういったことに…………そういうことの、知識がないし、趣味の良いものが……よくわからないのだが」
花鳥風月を愛する者のようなセンスがヤシュバルさまにあったら、それはそれで驚きである。
眉間に皺を寄せて悩んでしまったヤシュバルさまに、私はへらりと、笑いかける。
「ヤシュバルさまが付けてくださる名前なら、なんだって嬉しいです。そして、その名前を呼んでいただけるなら、もっともっと嬉しいです」
これでこの人、もっと私から離れなくなるしね!
さぁ、なんでもこい!と私がにこにこと待っていると、唸ったり、眉を顰めたり、大変悩む様子を見せてくださった。楽しいね!
「…………」
長い沈黙。シーランたちもヤシュバルさまがどんな名前を付けるのかと静かに待っている。
「シュヘラ」
退屈になったわたあめが部屋の中でほふく前進の訓練を始めて七周を終えるくらいの時間が経って、やっとヤシュバルさまは口を開かれた。
「シュヘラ・ザードというのは、どうだろうか」
*
「…………先の件、私の未熟な振る舞いにより貴女には酷いことを、」
「貴女、じゃないでーす!いいですか!カイ・ラシュ殿下ー!私は本日よりシュヘラ!愛称はシェラ!シュヘラ・ザードと言うんですー!リピートアフタミー!」
私が目覚めたという知らせを聞いてか、その日のうちに紫陽花宮に第一皇子殿下がヤシュバルさまを訪ねていらっしゃり、ご一緒にカイ・ラシュ殿下もいらっしゃった。
カイ・ラシュ殿下は泣きはらしたのか真っ赤に腫れた目とお顔で、けれど私に近付くと謝罪の言葉を口にしようとしてきた。
いや、駄目だろ謝ったら!
政治的なあれこれが心配で、私は慌てて言葉を遮る。
「は?え、シェ……なんだって?」
「シュヘラザードです。シュヘラ、もしくはシェラでいいですよ!」
「シェ、シェラ?」
「イッツミー!」
ぐっと、私はサムズアップをして微笑む。このジェスチャーがわかるわけはないのだが、なぜかカイ・ラシュ殿下はぐっと顔を歪めて、歯を食い縛り俯いてしまわれた。なんで。
「どうだ、カイ・ラシュよ。紫陽花宮の姫君は、お前の謝罪を受け取りはしないだろう」
「……はい、父上の、仰る通りです」
いや、受け取らないというか、受け取れないでしょう立場上。
子を諫めるような父親の顔の、男性。
第一皇子殿下は黄金のたてがみに黄金の瞳を持つ、どこからどうみてもライオンの獣人でした。
「レンツェの王女よ!」
「は、はい!?」
私を見るなり、大きな体を小さく屈めて「申し訳ない!」と大きな声で謝罪される。豪快なひとだな!というのが第一印象。
「え、あ、あの……謝っていいんですか!?駄目ですよね!?」
おい、こら、親子して何してんだマジで!?
私は焦った。
先の鞭打ちの件、あれは……アグドニグルでの私の立ち位置の明確化のために必要なことだったと、あれはクシャナ陛下の「お考え」の一つだと、私はそう感じていた。
浴場で出会った陛下は、私が王族として振る舞う気があるのか。ヤシュバルさまの庇護下でただ生きる存在として認識すべきかと、そう問うていらした。それに対して、私はこの国でレンツェの王族として人脈を作り財をなすと「できる」と答えた。
「私の息子カイ・ラシュが、私や母親の力の及ばぬ紫陽花宮で傍若無人に振る舞ったことが原因だ。それを理解できぬような愚かな息子であったこと、親として誠に恥ずかしく思う」
「……いえ、いいえ!!あれは……」
あれは、違うと私は口に出そうとして第一皇子殿下の黄金の瞳に睨まれた。いや、睨むと言うほど恐ろしいものではない。視線で他人を黙らせることができる、ただ、そういうことに慣れている人だというだけだ。
……あれは、カイ・ラシュ殿下の暴走だったのか?
そうじゃないだろうと、私は、鞭で打たれながら思い返していたのだ。
カイ・ラシュ殿下は「肉を食べずとも」と、そう言って、嬉々としてわたあめを引きずってきた。
第四皇子殿下のおわす、紫陽花宮。いくら王族。第一皇子殿下のご子息とはいえ、他の王族の宮にいる魔獣を追い立てるのを誰も咎めなかったのか?私の側使えはシーランとアンだけだけれど、紫陽花宮は多くの使用人、それこそ貴族の身分のある者だって王族のヤシュバルさまにお仕えしてここで働いている。
諫める者がなぜいなかったのか。
肉を召し上がられず、春桃妃様が悩まれているカイ・ラシュ殿下。
その御耳は黄金ではなく春桃妃様と同じく真っ白い毛で、そして、どう見ても獅子の耳ではなく、どちらかといえば犬科。狼のようにピン、と上に伸びた耳である。
その方。カイ・ラシュ殿下。
母君の悩み苦しみ、自身の偏食をこれっぽっちも気にしていない、だろうか?
誰かにそっと、あの魔獣を捕らえれば、だなどと、誰かが唆してあっさりと、他所の宮で無礼を働いてしまわないだろうか。
その可能性。そのことを、告げようとして第一皇子殿下に制された。
(……)
「誠に、我が息子がすまないことをした」
一石二鳥。
ふと私の頭の中にそんな懐かしい四文字熟語が浮かんだ。
子どもの躾。
敗国の王女の立場と印象の、再構築。
皇帝陛下は「レンツェの王女」を使って、何をされようとしているのやら。
思えばただ、レンツェが得するだけの千夜千食になぜ乗ってくださったのか。
(……ヤシュバルさまが、苦しまれるわけだ)
私が黙って、瞳に理解の色を浮かべると第一皇子殿下はにこりと笑みを浮かべた。
「レ=ギン。どうだろうか。少しの間、君にとっては甥になるカイ・ラシュに機会を与えてくれないか?他人に許されるにはどうすればいいか、学ぶ良い機会だろう」
「我が姫は貴卿やその子の利のために存在しているわけではない。ジャフ・ジャハン、彼女には休息が必要だ」
にこやかに私のレンタルを申し込んでくる第一皇子殿下。ヤシュバルさまは大変冷ややかな目と声音で却下された。
うんうん、死にかけた幼女(病み上がり)に何させる気だよ。
私の中で第一皇子一家の評価は下がるばかりだ。
「…………お、叔父上」
しかしそこでおずおずと、カイ・ラシュ殿下が口を開いた。
目にいっぱいに浮かべた涙は零れ落ちそうだが、なんとかそれを耐えている、という様子。
「……あの、シェラと……シェラに、ちゃんと謝って……いや、違うんだ。謝るのは、僕が許して欲しいからで……それは、シェラは望んでなくて、だから、シェラと話して、僕が、僕は、何をできるか、知る時間が……欲しいんです」
「…………」
甥っ子ですものね……。
さすがにヤシュバルさまも「不要だ」と一蹴には出来ないご様子。しかし私の体調をとてもご心配されていて、ぐっと、拒否しようと拳を握られているのが私の位置からよく見えた。
ので、仕方ない。
「ヤシュバルさま……あの」
「シュヘラ」
「……つまり、その、カイ・ラシュ殿下は……私の、お友達に、なってくださるって、ことですか?」
おずおずと、ヤシュバルさまの服を掴みながら上目遣いに見上げる。
気付いてヤシュバルさま!
私!シェラ!シュヘラザード!友達がね!今のところわたあめしかいないの!!
子供の情操教育に必要じゃないかな!同年代の友達!気付いて!ねぇ!
まぁ、相手は私が鞭打ち八回仕掛けツアーに参加するチケットだったけど!
「……君はなぜそう、他人に優しくできるんだ?」
辛そうなお顔をされるヤシュバルさま。
うん、そうですね。
表面上の情報だけで考えると、私は自分を傷付けた男の子を今は許せないけど、頑張って許そうとしている健気な幼女ですよね。
違うんだけれど、まぁ、違わない。
「カイ・ラシュ殿下の所為じゃないですから」
私がドロップキックかましたのが悪いんだよ、と本気で思っている目で微笑めば、ヤシュバルさまが片手で両目を押さえ横を向いてしまった。
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読者の方の存在が認知出来るたびに「私が携帯で見まくってる所為で閲覧数が上がってるわけじゃないんだ!読者さんいるんだ!本当にいるんだ!」ってなります(/・ω・)/トトロ!
ところでクシャナ殿下の元ネタというか下書きになったのは、なろうに置いてある「転生した薔薇の剣帝は英雄狂の愛娘」なのでご興味あれば暇つぶしにでもお読みください。更新止まってますけど……。




