2、人徳とくとく
「痩せすぎ、発育不足、栄養不足、上げれば切りがありませんがとにかく……本気でこの幼じ、いえ、姫君を本気で?」
上から下までじっくりしっかり健康診断をされました!
身長体重、視力聴力、血液検査に尿検査、驚いた事に心電図のようなものまであって、どうやら魔法や魔術の治療とは別に医学も発展している世界のようだった。
そうして予防接種も終えた私の前に、どーんと立ちはだかるのは黒い髪を高く結い上げた中年の女性。唇には紅を差し、すらっと背が高い。
アグドニグルの女性を陛下やバルシャさん以外で見るのは初めてだった。
シーランと紹介されたその女性……私の教育係だそうです。
黄金と朱で彩られた、アグドニグルの首都ローアンが誇る朱金城は広く、城門から馬車を使って連れてこられました、ヤシュバルさまのお家。
お家、というか、宮?私の目には、でっかい中華な宮殿にしか見えないけれど、アグドニグル、中華なのかインドなのかギリシャなのかよくわからない。さすが異世界。
シーランさんは私を見るなりがっかりした様子を見せた。失礼じゃない?と思うけど、ヤシュバルさまを前にしてその態度が許される方、ということだろう。それに、このあからさまな感情の表現はわざとで、警告のようにも感じられた。
「……」
「大丈夫だ、レンツェの姫。彼女は、シーランはスィヤヴシュの母君でこの宮を取り仕切ってくれている優秀な女官だ」
歓迎されてないのが明らかな態度に私が怖気づいていると、ヤシュバルさまが優しく頭を撫でて下さる。が、何を以て大丈夫なのか全くわからない。めちゃくちゃ睨んでくるじゃないですか。え。そんなに口を強く引き結ぶ必要あります??
「では、私は公務に戻る」
と、薄情にも(いや、お忙しい中態々私のために来てくださったのだ、とは理解しているが)ヤシュバルさまはさっさと出ていってしまわれ、豪華なお部屋に残されたのは私と気難しい顔をしたシーランさん、それに、私の専属メイドと紹介されたアン。ヤシュバルさまはメイドは最低でも八人置きたいとお考えになられたそうだが、見知らぬ大人に囲まれて私が怯えるかも知れない、と、徐々に人数を増やして行こうとおっしゃっていた。
「さて」
見送って早々、パシン、とシーランさんは手に持った扇の柄を手の平でパシン、と叩いた。
「アン、貴方は湯の用意を。まずは紫陽花宮に相応しい装いをして頂かねばなりません」
「畏まりました」
シーランさんの言葉にアンさんは一礼して出て行く。お辞儀の仕方が聖女のバルシャお姉さんとは違う。イブラヒムさんも違うし、性別や階級とかで色々あるのかもしれない。
「……さて」
じろり、とシーランさんの鋭い目が私に向けられる。
容赦なく、他人に厳しく出来る人の目だ。
いじめか!?いびりが始まるのか……っ!?
神殿で甘やかされていたので、忘れそうになるが……私はアグドニグルに喧嘩を売ったレンツェの人間。それも憎悪の対象王族だ。
そんな人間を、アグドニグルの王族に仕えている人たちが歓迎してくれる、わけがない。
…………ある程度の、冷たい態度は、仕方のないことだ。
こちらに手が伸びて来たので、私がぎゅっと目を閉じる。が、殴られたり、髪が引っ張られることはなかった。
「はぁ~~~~、かわいい~~!!」
「……はい?」
ワッツハプン。
シーランさんの手は私の頭に伸びて、髪を優しく撫でる。そしてうっとりとした声で「かわいい」を連呼し、もう片方の手は私の頬っぺたをプニプニとつつく。
????
……?? あ、あれかな?? カワイイって何か別の、意味の言葉かな!?それにこの、つついてくる指は、触診かな!?さっきも発育不良とか言ってたもんね!!
健康診断の続きかな!?
「あ、あのぅ……」
「スィヤヴシュから聞いてた通りねー!まぁー!可愛らしいこと!まんまるほっぺに、飴みたいに綺麗な目!髪の毛は雪みたいに真っ白……!妖精?あなたもしかして妖精じゃない??」
「ち、違います」
「あたくしは殿下の子供のお世話がしたくてこの宮に入りましたのに……殿下はご結婚なさらないし、宮にどこぞの姫君をお迎えすることもなく……あぁ、でも、今からは違いますのね!愛らしい姫君がこの宮に!あたくしのものに!!」
違います。
なんだこの人、さっきと全然態度が違くない???二重人格??
「あ、あのぅ……シーランさ、」
「あぁ、姫殿下。あたくしのことはどうかシーラン、とお呼びになって」
「は、はい。で、では、シーラン」
「なんでございましょう、姫殿下」
「……シーランは、私のことが嫌じゃないんでしょうか?」
ぴたり、とシーランの動きが止まった。
「……息子の手紙にもございましたが、姫殿下。いえ、レンツェの姫君。なぜ、他人に優しくされることに疑問を感じるのです?」
「……アグドニグルの人たちが、道徳心から私に、子供に親切にしてくださるのは、本当にありがたく思っています。ですが、普通は……そう、割り切れるものじゃ、ないと、思うんですけど……」
頭でそうすべき、と思っていても感情がついてこないことはあるだろう。
単純に『嫌』という感情。それは、こびり付いてそうそう拭えるものではないはずだ。
「これまで、アグドニグルの人間は貴方様に何か、心無いことをした者がおりましたか?」
「いいえ!いいえ……!皆さん、親切にしてくださいました。中には、命をかけて私を守ってくださった方もいます。イブラヒムさんはちょっと意地悪ですけど……」
「賢者さまはお根性が少々ひねくれていらっしゃいますものね」
「あ、でも、基本的に悪いひとではないというのはわかります!」
慌てて言うと、シーランは微笑んだ。私をそっと自分の膝の上に乗せ、頭を撫でる。
「あ、あの……?」
「もちろんレンツェの屑どものことは今でも腸が煮えくりかえるほどに憎く思っていますよ。レンツェの土地全てに塩を撒き、連中が二度と大地の実りを得られないようにと願うほど、憎んでおりますよ」
「……」
「ですが、レンツェの姫君。あたくしたちはこうして、貴方のお顔を見て、貴方のお声を聞いて、そして触れてしまいました」
顔も知らないレンツェの人間なら、憎い。ただレンツェの者、というだけで括って、死と不幸を願う。
けれど、どんな人間か、どんな顔か、どんな様子か、知ったのだ。
「皆が貴方に親切にしたのは、皆が、貴方を好きになったからですよ」
自分の目で見て、触れて判断。
良い子だと、守ってあげるべき子供だと、そう思ったから、そうしてきた。道徳心というばかりではなくて、子供というくくりだけではなくて、エレンディラという子供を見て知って、そうすべきだと決めたからだと、シーランは言う。
「全て、貴方さまのお人柄、人徳ゆえにございます」
「……そうでしょうか」
ぽつり、と私は呟く。
前世の記憶、今の自分。はたして私は、人に親切にして貰えるような『良い人間』だろうか。
暫くの沈黙。
部屋の外で、アンが湯の準備が出来たことを告げる声がすると、シーランはばっと立ち上がり、膝の上にいた私は床の上に転がる。
「っ、い……」
「何をしているのです、立ちなさい」
「……シーラン様、あの……これは」
転がる幼女に、それを見下ろす女官をアンは驚いたように見たが、シーランに睨まれ俯く。
しかしこの恐ろしい女官と二人きりにしてはならないと思ったらしく、アンは私を湯殿に案内したいからと庇うように進み出た。私の手を取り、立ち上がらせようとしてくれる。
小さな声で「大丈夫ですか?」と案じてくれる、良いメイドさんだ。
しかしなぜシーランはアンの前ではこの態度なんだろうか?




