10、踊る人形
「……これでもまだ君は……アグドニグルへの忠誠を拒絶するか」
ふらふらとおぼつかない足取りで立ち上がり、レイヴンの側に寄ったヤシュバルは声だけは冷酷に言い放った。
おい、大丈夫か。
顔真っ青じゃないか。
なに恰好つけてんだ。
という突っ込みが出来る者は(地位的に)この場にはおらず、唯一傍若無人に振る舞えるだろうレイヴンもこれまで繰り広げられた非道な精神攻撃にすっかり心をやられている。
映像はレンツェの末姫が『あとはオーブンで焼くだけです!』と、鉄製のプレートを熱した窯の中に入れて終了した。(ヤシュバルとレイヴンは『熱風で肌がッ!』と大騒ぎした。小さな椅子を踏み台にして一生懸命足を伸ばしてオーブンに焼き型を入れる姿は涙なしでは見られない)
「……この、外道どもめ……あんな、あんなに小さな子供に……よくも、あんな真似を……」
「……彼女は、あの姫は、君だけではなく、レンツェの民を救おうとしている」
「……なぜ、そんな馬鹿なことを……」
レイヴンはヤシュバルを睨み付け罵倒したが、語られたのは思いも寄らない事。
第十三王女に優しさの欠片を見せて自分を庇うように、仕向けたのはレイヴン自身だ。それだから、あの幼く心優しい姫のこと、レイヴンの命を脅されてあんな苦役につくことを選択したのだろうと、そう思った。
だが、アグドニグルの氷の皇子の言葉が本当であれば、あの無力で無知な愚かな姫君は……折角アグドニグルの人間に保護されたというのに、あえて苦難の道を進もうとしているのか?
「我らが皇帝クシャナ陛下は彼女に『千の料理を千日』奉げることを条件とした」
「……千の、料理?」
「……君は、レンツェがアグドニグルに対して行った事を知っているだろう」
「……」
「アグドニグルの者たちが、レンツェの民の為にあの姫に協力すると思うか?」
「……ッ!」
するわけがないと、レイヴンの唇が震える。
一体なぜ、千の料理などという話になったのか想像もつかない。が、千日、ということは毎日一種類何か皇帝の気に入る料理を作らなければならないのだ。
……あんなに小さく、何もできないような子供が……遠い国で、それも、自国を憎む者たちに囲まれ……材料を調達し、調理も……先ほどのような苦役を……一日の休みもなく、千日も……?
無理に決まっている。
先ほどの映像の、実況解説だという軽薄な男を思い出した。小さな子供が懸命に働いているのに手を貸そうともしない無情な人間。
アグドニグルの人間がレンツェの者に、たとえそれが子供だろうと情けをかけることはないのだ……!
皇帝がどういうつもりか、レイヴンは察した。
苦しめているのだ。
自身が子を産めなかったから、幼いレンツェの姫を苦しめて、楽しんでいるに違いない。
最初からレンツェの民を解放する気などないくせに、希望を持たせて、無知な子供が縋るのをほくそ笑んで眺めている悪魔だ!!
「……俺に、俺に、何をさせたい……ッ!」
ギリッ、と悔し気に歯を食い縛るレイヴンに、ヤシュバル皇子は冷たい目を向け、口を開いた。
*
「レイヴン卿!!」
食堂に連れてこられたレイヴン卿の姿を見て、私は駆け寄った。
あちこち怪我はしているようだけれど……よかった。手当をして貰えてる。
「……姫君」
「……その、申し訳ありません」
幼いエレンディラの感情から、思わず抱き付いてしまいそうになるけれど立派な騎士の方が敵に囲まれながら幼女に抱き着かれるなんてきっとお嫌だろうと踏みとどまる。その代りに、私はレイヴン卿の数歩前で止まり、頭を下げた。
「……何を」
「……レイヴン卿は、騎士として……マルリカに、王女としての最後を……与えてくださろうとしたのに、私はそれを……邪魔しました」
ただの我がまま。嫌だ、という感情。優しいレイヴン卿が……追い込まれて、もうマルリカを守れないと判断して、敵国の手に渡すならと王女として死なせようとしてくれたのに、私はそれを邪魔した。
「……何故です?」
その問いは何に対してだろうか。
私は必死に考えた。邪魔した理由。レイヴン卿に、主君殺しをしてほしくないと思った理由。私を虐めてきたマルリカの命を助けようとした理由。あれこれ考えて、わからない。
「……姫君、あなたは……あまりに甘すぎる。愚かで愚かで……折角アグドニグルの人間に取り入れたのに、ご自分の評価が下がる事を、なぜ考えなかったのです?」
「……」
「マルリカ王女と私を助けようなど、そんなことを願うなど、あまりに……馬鹿だ。姫君はレンツェの民を救うために皇帝と取引をしようとしている。その取引自体が、こんなことのために取りやめになるかもしれないとなぜ、考えなかったのです?放っておけば、姫君の見えないところで、私たちは勝手に消えた、それだけでしょう?」
「……」
「多くを救おうとなさっているのなら、小を切り捨てることを、どうか覚えてください」
責める言葉は、強い怒気を孕んではいなかった。言葉は強いけれど、口調はどこまでも私を憐れんでいる、仕方のない子供がいると、どうしようもないと、悲しんでいるようだった。
「……でも、レイヴン卿にも、生きてて欲しいです」
私は滲む視界をごしごしとこすりながら、首を振った。
王族は、私にとって血の繋がる「家族」だろう、あの人たちはもうどうしようもない。死んで当然、とまでは思わないが、王族として処刑されるならそうされるべきだと思う。
けれど護衛騎士は、ただ命じられて王家に仕えて来ただけだ。王家の名誉のために主君殺しなんて騎士として最も不名誉な行いをして、そして、王家の血の誓いにより殺されてしまうなんて、そんなのあまりにも……あまりにも。
「余計なことをしてごめんなさい……ッ、強くなくてごめんなさい……ッ、何も出来なくてごめんなさいッ!」
子どもの体。いろんなことを考えて、抱えて、ついに堪えきれなかった。べしょべしょとあとからあとから涙が出てきて止まらない。しゃくりあげて、段々と呼吸が苦しくなって肩で必死に息をする。
「子どもを泣かせるとかサイテーだな!レンツェの騎士!見損なったぞ!」
私が大泣きしていると、ひょいっと、私の体が抱き上げられた。薔薇の花の匂い。
「へ、陛下!」
「うむ、皇帝陛下である。よしよし、可哀想になぁ。折角一生懸命お願いして助けたのに、お礼を言うどころか詰られるとはなぁ。可愛そうに、よしよし」
ぽんぽん、とクシャナ陛下が私の体を軽く叩く。安心させようとしてくれている。そのお優しさがまた嬉しくて、申し訳なくて、私なんかが陛下に慰められるなんて、あまりにも烏滸がましいというのに、嬉しくなってしまって、また泣き出してしまった。




