*閑話*『ジル・レイヴン』
「ぎ、ぎぁあぁあああああああああああああああああ!!!!熱いッ、熱い!!熱い熱い!!!!!!!!!」
レイヴンは足元で転げまわる女を静かに見下ろした。
呻き、もがき、のたうち回るレンツェの王女、マルリカ。
炎で顔を焼かれ皮膚や髪の焼けるにおいが狭苦しい地下道に充満する。レイヴンがさっ、と魔力を消すとマルリカ王女を焼いていた炎が消えた。
叫びは怒号と罵倒に変わる。
「お前!お前……!この……!薄汚い平民のくせに!!この私に……!!!!!!!!この私にこんなことをして、無事でいられると思っているの!!?」
火傷で爛れた顔を掻き毟り血塗れになる女を見ても、レイヴンはなんとも思わなかった。それにしても、この王女は教育を受け教育係たちの評価は高かった筈だが、実際はこんなに頭が悪いのかと不思議に思う。
「この通り、無事ですが、王女殿下」
「……!ど、どうして……!!なんで、なんで……!!」
マルリカが茫然と呟く。
レンツェの護衛騎士は、王族を傷付ける事が出来ない。傷一つでも付ければレンツェの王家を守る神がその力を持って報いを受けさせる。マルリカは幼い頃から、教育の一貫で、騎士たちへの見せしめと神の裁きを受けて焼かれる騎士や、千の刃に貫かれ絶命する騎士たちを何度も見てきた。
死を覚悟で王族に反旗を翻した護衛騎士もいた。
レイヴンも思い出す。
自分と同じ時期に見習い騎士となり、宿舎は同室だった。
家門が王家により潰された騎士だった。復讐のために護衛騎士を目指し、最も王族に近付ける任命式の際、殺意を堪えきれず剣を抜き、振り下ろす前に四肢が千切れて絶命した。
殺意を抱いた瞬間に死ぬ呪い。
王家への絶対服従を強いる血の契約は、レンツェの王族を神のように崇めさせ恐れさせた。
「血の契約ですか?あぁ、あれ、効かなかったんですよ」
レイヴンは掌を上に向ける。炎がぼぅっと、燃え上がる。マルリカを焼いたものだ。だがレイヴンの肌を焼くことはなく、不快に思うほどの熱も感じない。
「……な、なによ、それ」
問われてもレイヴンもわからない。
ただ、外国には『祝福』と呼ばれる、こういった異能があることを聞いた。
「レンツェの神の力が効かなかったので、それより上位の神の祝福かもしれませんね」
嫌味のつもりではなく推測として言ったが、マルリカの逆鱗に触れたようだった。
見下し続けた平民が、顔だけしか取柄がないと思っていたレイヴンが、王族である自分より優れた力を持っていたなど、傲慢な彼女が認められるわけがない。
獣のようなうめき声を上げてマルリカが掴みかかる。
騎士のレイヴンはそれを容易く避けて、マルリカはみっともなく地面に転がった。
「痛いですか、苦しいですか。王女殿下。――俺の妹は、もっと痛かったと思いますよ」
こんな女を痛めつけたところで、レイヴンは楽しくもなんともなかった。だが、必ず殺すと誓い、そのために今まで生きてきた。
レイヴンは王都で暮らす平民だった。王城は彼にとって遠く、美しい景色の一つ。自分に縁のあるものではないと一生そう思いながら生きていくはずだった。
愛らしい妹がいた。小さな妹。大人しい性格で、少し体が弱かった。王都の平民には珍しい綺麗な金色の髪をしていて(母方の祖父が北方の生まれで、あちらは平民でも金髪が生まれるらしい)レイヴンは兄として妹を守り、いつか妹を託せる男が現れるまで、自分が妹の騎士になるのだと、そんな絵本で知っただけの騎士に勝手に憧れて夢見るようなそんな純粋さ。
両親は妹を外に出したがらなかった。
病弱だから、男の子とは違うのだからと、家の中に閉じ込めていて、レイヴンは妹が可哀想だといつも思っていた。
それである日、両親が親戚の手伝いをするために二人そろって家を空けた日。近所の親しい家族に子供二人の食事を頼み、レイヴンには妹の世話をお願いねと、そう言って出掛けた。
レイヴンはこっそりと、妹を外に連れ出した。
折角王都に住んでいるのに、王都の美しさを窓から眺めて知るだけなんてもったいない。
妹は喜んだ。買ってくるのではなく、その場で食べた屋台の料理や、大きな噴水。着飾った女の人たちが馬車でやってくるドレスを売る店をこっそり眺めたり。妹は体が弱いというけれど、ちゃんと見ていたら大丈夫。何も問題ないと、レイヴンは妹の笑顔を見て「連れ出して良かった」と、そう思った。
そして、妹が死んだ。
少し疲れたので、噴水の前で休んでいた。
馬車で通りかかったマルリカが妹を見て、『平民の分際で金髪?』と、そう言ったらしい。
妹はマルリカの連れていた護衛騎士たちに殴り殺された。
レイヴンは妹のために冷たい飲み物を買いに行っていた。
戻ってきた時、妹の顔は倍以上に大きく腫れて、髪は引きちぎられて数本しか生えていなかった。
*
「なるほどなるほど、つまり貴様は妹の復讐のために、これまで従順な騎士のふりをしていた、と」
まぁ、予想通りだな、という声が聞こえたのは、マルリカが怒鳴り散らさずぴくぴくと痙攣するだけになった頃だった。
狭い地下道の、レイヴンたちがやってきた方向から気配がすることは気付いていた。だがこちらに姿を現そうとしてこなかったので放っておいた。
「……」
「アグドニグルの皇帝クシャナ・アニス・ジャニスである」
現れたのは魔法の灯りの下に輝く赤い髪の女。唇は血のように赤く、瞳はレンツェの王族の誰よりも美しい青だった。
噂に聞く、アグドニグルの怪物。化け物。竜の魔女。頭の中にそれらの言葉を思い浮かべながら、レイヴンは膝をついた。
「御恩情、感謝いたします。この通り、復讐を果たした私はもはや生きる意味がございません。レンツェの者として、陛下の裁きを受けます」
「ははっ、ハッ!心にもない事をぬけぬけと、よくほざく」
粛々と頭を垂れたレイヴンをアグドニグルの皇帝は一笑にした。
「小賢しい男よ。貴様、ここで死ぬ気など欠片もないくせに」
イブラヒム、と、皇帝が傍の男に声をかけた。眼鏡をかけた痩せた男は恭しく頭を下げ、前に進み出るとレイヴンを通り越す。
何をするのか。
一瞬判断に迷い、振り返れば、動かないマルリカ王女に何かガラス瓶に入った水をかけている男。
「……!!それは」
「聖水だ。高いんだぞ。お伽噺の奇跡のような力があるわけでもなく、ちょっと傷が治せるくらいなのに、高いんだぞ」
ふふん、と自慢げにする皇帝。
「ちょっと、ではありませんよ、陛下。傷は少ししか治せませんし、痛みを消せるような効果もありませんが、確実に死が退けられます」
聖水。
神聖ルドヴィカの聖女のみが作り出す事が出来ると言う奇跡の水。そんなものをなぜ持っていて、そしてマルリカに使うのか。
……マルリカを救う気か。
レイヴンは炎を呼び起こした。周囲の酸素を焼き、マルリカ共々この場で殺せばいい。
「ろくに鍛錬のされていないその力など、何の脅しになると?」
だが、レイヴンの炎はあっさりと消えた。
「……」
皇帝とレイヴンの間に入ったのは、背の高い黒髪の騎士。
……アグドニグルの皇帝の、六人の息子の一人。銀灰、黒狼、凍てつく氷の世界を支配する残忍な皇子の話は、レイヴンも聞き及んでいる。
レイヴンの炎は氷の中に封じられた。炎は氷を解かすはずだが、力の差。皇帝曰く鍛錬の差というのか。
ここで自分は死ぬらしい。
第十三王女エレンディラが上手く自分の命乞いをしてくれないかと賭けはしたが、あの姫にそんな力があるわけもない。
せめてマルリカは殺すと剣を振り上げるが、レイヴンの両腕は凍り付いた。
コロコロと、笑う皇帝の声が響く。
「第二王子が生きているのであろう?で、あればこの女はまだ使い道がある。愚かな女というのはな、面白いくらい男の集団を内から崩壊させてくれるのだ」




