7、≪≪注意≫≫この話は残酷・ショッキングな描写があります≫≫
好奇心、ではなくて、これはきっと祈りや願いに近い。
「……」
「……はぁ」
私がじっと見つめると、兵士さんは溜息をついた。思案する瞳が何度か瞬きを繰り返して、一度ぎゅっと、目を閉じる。
ゆっくりと三十秒ほど数えられるくらいの沈黙の後に、兵士さんは口を開いた。
「アグドニグルの皇子は、皇帝陛下のご子息は現在六名いらっしゃいます。ですが、皇帝陛下との血の繋がりはなく、全員が有能な家門の子息、あるいは属国、同盟国からの人質が才能を認められ養子となりました」
ヤシュバル殿下もギン族の族長のご子息です、と兵士さんは教えてくれる。
皇帝陛下の生い立ちについてはいずれアグドニグルに行けば、詳しい者から話が聞けるだろうと省略された。
ただ陛下はもう五十年は生きている方で、その見かけがお若いのは竜の血を引いているからだと言われていると、その説明。
「陛下はご自身の御子を持つことは諦めておられました。しかし、丁度……昨年の春、陛下のご懐妊が、発表されました」
国中が祝福し、お祭り騒ぎになったという。まだ生まれる前から、国民に望まれ誰も彼もが祝福した御子。
「御子が生まれる前に『もっとあっちこっちの国を吸収しておかねばな!』『目指せ統一!』『恨みを買わないように半殺しに!』『滅国ダメ、ゼッタイ!』などと、陛下は多忙にされていましたが……それはそれは幸福そうでした。自分のような、一介の兵士にも、陛下や、城中の喜びが伝わってきました」
私も想像する。
目に浮かぶようだった。
赤い髪を靡かせて、赤ん坊の誕生を待ち望み笑う皇帝陛下。
ヤシュバルさまや、イブラヒムさんも皇帝陛下のお側でその日を楽しみにされていたのだろう。
「何もかも、順調に行っていると誰もが信じて疑いませんでした。皇帝陛下の直系がお生まれになれば、それが皇子であれ皇女であれ、属国にとっても、同盟国にとっても、喜ばしい事です。六人の王子の内のどなたかが皇帝となり、どこかの国が贔屓されると恐れることもありませんから」
皇子であれば自分たちの娘を、皇女であれば息子を差し出せるという打算。アグドニグルの皇帝の長子の価値。
降るように、アグドニグルへは懐妊祝いの品や祝辞が届けられた。
竜の血を引く皇帝クシャナ陛下の御子。
誰もが待ち望んだ、祝福された御子。
「……陛下がご懐妊され、半年ほど経った頃。レンツェがいくつかの問題を起こしました。自国の周囲に魔物が現れないよう、故意に他国へ魔物を誘導したり……疫病が発生したレンツェの街の住人を救おうと街に入ったアグドニグルの医師夫妻を『お前達が無能だから家族が死んだ!』と暴行し死亡させた事件……レンツェの人間は元々自分たちは『神の血を引く民』だという選民意識があり、小国でよくそこまで傲慢になれると思うほどの振る舞いがありましたが……」
二つの事件はアグドニグルにとって、小さくはなかった。
安定期に入った事もあり、皇帝陛下は直々にレンツェを訪問されたと言う。当然、レンツェの王を断罪するための訪問だった。
「レンツェの王は、皇帝陛下の訪問に徹頭徹尾謝罪し、アグドニグルの要求を全て受け入れると約束したそうです。大国の皇帝直々の訪問の威力だと、誰もが思いました。レンツェ王は皇帝陛下のために晩餐会を開きました」
……私は、陛下のお気持ちを考えながら聞いていた。
……陛下は、素直に謝罪すれば、きっと許そうとされていたのかもしれない。
それに、レンツェの王族は数が多かった。私の父も、多くの妻を持ち、子も多い。皇帝陛下は、これから自身も子を産み育てる。レンツェは王族としてどう育てているのか、母親の話や、子供の話を聞きたいと、そうお考えになったのかもしれない。
「……」
淀みなく話してくれていた兵士さんが黙った。
「……」
「兵士さん?」
私が声をかけると、兵士さんはハッとして、一度首を振る。もしかしたら、兵士さんもその時一緒にレンツェに来ていたのかもしれない。その時のことを思い出すような顔。沈んだ色を浮かべる瞳には、レンツェへの憎悪が湧き上がっていた。
それでも兵士さんは私に聞かせようと、再び口を開く。
「晩餐会は滞りなく。王族が王族をもてなすに相応しい豪華、優美、まことに素晴らしいものでした。もちろん、陛下の口に入る物は一度毒見をされてから陛下の口に入ります。他国でのことですから常以上の警戒は怠りませんでした」
それはそうだろう。
「謝罪の証にと、レンツェの王が名酒を差し出してきました。ご懐妊されている陛下はそれを理由に断り、レンツェの王は謝罪しました」
兵士さんの口調が段々と淡々としたものになっていく。事実をただ語る、ということに集中しなければ憎悪が溢れ怒鳴り散らしてしまいそうなのかもしれない。
「代わりにと用意されたのは酒気のない飲み物でした。果実を絞った飲み物は口当たりもよく毒見の五人も何の異常もなかったため、陛下は口にされました。そして、血を吐かれました」
「……え?」
「戦場で深手を負ってもうめき声一つ上げない。軍神とさえ称えられる皇帝陛下が、もがき苦しみ、下血されました。レンツェの王は叫びました。『神の御意思だ』と叫び、皇帝陛下を罵りました」
淡々と、淡々と、兵士さんは語る。
ただ、瞬きすることを忘れ見開かれたその目は真っ赤に腫れて、涙が流れ続けていた。
「十日間、陛下は苦しみ続けました。断罪とはいえ元々武力行使の予定はなく、アグドニグルの人間は少数。皇帝陛下が倒れ、混乱しながらも陛下の御身を守り帰国する為に多くの騎士や兵士が命を落としました。……本国にたどり着く前に、陛下は自らの腹を裂き子を救えと、お命じになりました。ご自身が、死しても……子は救えと……ですが、既に御子は」
兵士さんの唇は震え、それ以上続けられなかった。
死産。
誰もが待ち望んだ赤ん坊。
愛され大切にされるはずだった赤ん坊が、腹の中で殺されていた。
息をしない、目を開かない、冷たくなった我が子を、自身も瀕死の状態で皇帝陛下は抱きしめたという。
「陛下は、ご自身を……責められました。我が身の内にいたのに、と……守ってやれなかった、と、腹の中でどれほど苦しく恐ろしかっただろうと……責められ、その慟哭は、天蓋の外まで響き渡りました」




