【番外】イブラヒムさんとシェラ姫の小話
マンドラゴラは野菜なのか肉類なのか。
ぎょろっとした目が、まな板の上で動き私を視認すると「今から絶叫を上げるが心の準備はいいか」というような視線を送ってくる。ニスリーン殿下の温室で丁寧に育てられたブツだ。今年のものは出来も良く、滋養強壮に良いからと育ちざかりの私に一本……一匹??くださった。さてそれをどう食べるべきかと思案して、食材マニアの雨々さんと議論を交わしたところ「そもそもこれは根菜なのか」という疑問に至った。
「マンドラゴラ……絶叫するし、目があるんですけど、動けないんですよね」
「見かけは根菜でございますからねぇ……」
はてさて、と雨々さんも首を傾げる。
白梅宮の庭師イズモさんに「これは植物ですか」と質問したところ、真っ白いおひげのお爺さんは「どちらでも貴女のお好きなように信じなさい」と、回答を避けた。
「薬として使う時は乾燥させたりすり下ろして使用するようですが……」
「私もイメージ的にはニンジンみたいな感じなんですけど……触るとぐにょっとしてるし……」
まな板の上のマンドラゴラ。俎板の鯉。
やるならとっととやっちまってくれと言わんばかりの覚悟をキメている。
私の前世知識によれば、マンドレイクというナス科の植物は存在するし、幻想上のマンドラゴラも植物に部類されるが……ここは異世界である。スイカが海に生息する異世界である。
「血とか出たらヤだな……」
料理人として、今更血が怖いなどという気はないが、植物だと思って切ってドバっと血が出たら普通に気色悪い。生理的に嫌だ。ならな最初から動物系だと思いたい。
私はスッ、と包丁を握りしめ、マンドラゴラに刃先を向けた。
*
「そうして完成したブツがこちら。マンドラゴラのフルーツグラタンです」
「なぜそれを私に持ってくるんですか貴方はッ!」
「作り方は簡単ですよ。薄くスライスしたマンドラゴラと苺とか果物を耐熱皿に敷き詰めてマスカルポーネ……生クリームを加熱してレモン汁を加えて作ったチーズを乗せて焼くだけです」
イブラヒムさんのいらっしゃる賢者の塔に「おやつですよ♡」と突撃した私は、追い返される前に調理方法を早口で話した。
「……………………また貴方は妙なものを」
マスカルポーネの作り方が興味深かったらしい。私が腕から下げている大きなバスケットと壁掛け時計を交互に眺め、ため息をついた。
「まぁ良いでしょう。丁度貴方に頼みたいこともありましたので……」
珍しいこともあるものだ。
私は頼み事とはなんだろうかと興味津々だが、入口で立ち話というのもなんである。イブラヒムさんに部屋の中に案内され、勝手知ったる賢者のお部屋。応接間のソファに座りバスケットの中のフルーツグラタンを取り出した。
魔法のバスケットは保温効果があり、まだオーブンから取り出したばかりのように熱々だ。果物の甘い匂いに、チーズの香ばしいかおりが混ざる。
「果物ということは茶葉は……」
イブラヒムさんは棚にある大量の茶葉の引き出しを眺めて厳選中。しかし頭の回転の速いイブラヒムさんなので決めるのは早かった。お湯が用意され、手際よくお茶が入れられていく。
「それで、なんです。これは」
「フルーツグラタンです。マンドラゴラを試食してみたら、ナッツっぽかったので、これはもうフルーツグラタンにするのがいいかなって思いまして」
生でスライスしたものは少しえぐみがあったが、加熱してみるとクルミとピスタチオの中間のような味がした。丁度神殿に寄付する予定だった果物の貢物が大量にあり、頂いた手前少しは食べておいた方が良いと思っていたので作りました、フルーツグラタン。
マスカルポーネのすっきりとした味にフルーツの酸味、マンドラゴラがよく合うこと。
「あ、これミントティーですか」
「薄荷茶です」
甘いフルーツグラタンにミントは最高の組み合わせだろう。
ヤシュバルさまは甘いものを好まれないし、とても美味しくできたので私一人で食べるのが惜しかった。そうなると私の知り合いで急なお茶に付き合ってくれる暇人はイブラヒムさんくらいなのだ。眉間に皴を寄せながらも、もぐもぐとフルーツグラタンを食べるイブラヒムさんの動きは早い。しかし途中で残量を確認し、速度が少し落ちる。
「あの、それで、私に手伝って欲しいこととはなんです?」
「見合いをすることになりまして」
「おめでとうございます!」
ついに独身貴族からの脱却か。元々結婚願望があるらしいことは琥珀の姿の時に聞いている。ヤシュバルさまと私が結婚する前に結婚するのかと少し先を越された悔しさはあるが、おめでとう、と寿ぎたい。しかしイブラヒムさんは嫌そうな顔をした。
「私は結婚など考えていません」
嘘つけ。
琥珀に求婚したじゃん。
とはさすがに言えない。人の黒歴史を面白おかしく突いてはいけない。
「私は見識を広め、より多くの知識を得てその知識を特別なものではなく「当たり前」にするという目的があります」
イブラヒムさんは目がお悪い。眼鏡をかけていなければ隣にいる人の顔もぼやけてよくわからないほどだという。路地裏で生活していた少年時代、イブラヒムさんは「馬鹿」「のろまのグズ」と言われていた。人並みのことができない。目が悪いからだ。けれどイブラヒムさんにとって視界が歪んで見えるのは当たり前で、生まれた時からそうだったから他のみんなもそうだと思っていた。
イブラヒムさんに眼鏡をくれたのはモーリアスさんだった。目が見えるようになって、視界に入った情報をイブラヒムさんは何もかも吸収した。見ただけで文字を覚え、自分が話している言葉と合わせて考えて独学で読み書きができるようになった。文字が読めればそれだけで得られる知識も倍以上に増えたという。
イブラヒムさんはアグドニグルの賢者の地位につき、眼鏡や補聴器の普及を第一に行ったという。それまで貴族や裕福な者しか手に入れられなかった高級品をだ。
知識とは平等でなければならないと、そのようにイブラヒムさんは言う。
列車を作ろうとしているのも、地域によっての格差を可能な限り無くすためだろう。
まぁ、それは今はどうでもいいとして。
「今回の見合いは私の恩師の紹介なのです」
「恩師……」
「学問の塔はご存じですね?」
「あ、はい。ルドヴィカが宗教の総本山なら、学者さん、研究者さんたちの最高峰がある場所ですよね」
世界各国から有能な人たちが集まり、日夜様々な分野の研究が行われている場所だ。
イブラヒムさんがモーリアスさんと一緒に脱浮浪児をして修行した場所でもあるそうだ。
その時にお世話になった方が、今回アグドニグルにやってきてイブラヒムさんにお見合いをすすめてきたらしい。
クィントス博士。賢者の祝福こそ得ていないが、大変な人格者でイブラヒムさんが「まっとうに」なれたのはこの方のお陰だという。
……こ、断れないな……それ。
私でもそのお見合いが下手をすると国際問題に発展しかねないことが想像できる。
「ちなみに釣書とか……」
見せてくれないだろうなと思いつつ聞いてみると、スッと出してくれた。
「…………よさそうな方では??」
ご出身はストラ国という小国で豪族のお嬢さん。親族がローアンで商家をされている。詩作が得意で名人の称号を頂いている貴婦人だ。ご年齢はまだ十五とお若いがこの国の結婚の平均年齢を考えれば適齢期だろう。肖像画は線の細い美少女だった。
「頼みというのは他でもありません。この見合いを破談にして頂きたいのです」
「自力でやってくださいよ」
「恩師が……ッ、私のためにと本気で考えて設けた席ですよ……!!」
イブラヒムさんにもそういう感情があったのか。私は驚きである。
作戦としてはこういう感じらしい。
まぁつまり、琥珀の方に変身してイブラヒムさんとその恩師の方のところにご挨拶に行く。琥珀の身分はシュヘラザード姫の侍女。春桃妃がご紹介してくださったシュヘラザード姫のお母さまと同郷で、身分は没落貴族。天涯孤独の身だがシェラ姫が姉のように慕っている女性で、彼女とイブラヒムさんはその縁で交際することになったと………………。
「こういう世界線が本当に存在していたらよかったですね」
「ぐっ!!」
イブラヒムさんの考えた打ち合わせ用の台本を読み、私は心底同情した。
こういう女性が本当に存在したらよかったのにな……なんでいないんだろうな、私だからか。同情を禁じ得ない。
「と、いうわけで本番は三日後の……」
「だが断る」
「は……?」
「どうしてこんなに面白そうなイベントを……わざわざ私が邪魔しないといけないんですか!?」
陛下だって知ったら全力で見守ることだろう。
イブラヒムさんのお見合い。
「黄月さんのように破談確定演出が決まってるわけじゃないんですから……お会いしてみればいいじゃないですか!」
肖像画の感じだとイブラヒムさんの好みかどうか微妙だが、肖像画というのはちょっと実物とズレていることはよくあるらしい。
初恋が陛下、次が琥珀の君と惨敗続きのイブラヒムさんに今度こそ春が来るかもしれないじゃないか……。
「へ、陛下には……」
「言ってないんですか」
こんなに面白そうな話を!?
どうせすぐにバレるだろうが、イブラヒムさんとしてはこんなことで陛下の貴重なお時間を消費させたくないと、自分のお見合いがコンテンツとして消費される予想はしているらしい。
「…………りますよ」
「はい」
「……作りますよ、貴方が前から欲しがっていたデンシレンジ」
私が「協力するより笑い倒した方がいい」という選択肢を取ると、イブラヒムさんは苦渋の決断とでもいうように、言葉を絞り出した。
「え!!?作れるんですか!!?」
「現在の技術速度にあまりに合わないので……大変不本意ではありますが…可能です。モーリアスの知恵を借りれば……ですが……あの男が手伝うか微妙ですけど……」
いや、モーリアスさんに「手伝って欲しい」と手紙を出せば、あの糸目の黒キノコは喜んで応じると思いますが……そこまで……!!?
この決断。
例えるならあれだ。陛下がコルヴィナス卿をデートにお誘いするレベルの珍事だ。
そこまでお見合いしたくないのか……。
私はイブラヒムさんの決断に心を打たれ、「それならば」と快諾することにした。
しかし本番当日。
うっかり前日に気合を入れすぎてヤシュバルさまにバレた。
『君は私の妻になるのではなかったか……』と、あまりにも悲しいお顔をされたため、急遽私ではなく、代役の代役ということでスィヤヴシュさんが女装することになって、それはそれで面白いことになったのだけど、それはまた別の機会に語るとしよう。




