神の名は
食物アレルギー。
書いて字のごとく、特定の食物に対してアレルギーを持っている、ということだ。
人間という複雑な構造を持つ生き物が、本来自然界では「毒」だっただろう物質に対して免疫を持ったり、抗体を持ったりで、ますます複雑化した。アレルギーと言えば花粉症などもその一つだが……と、まぁ、細かいことは今はどうでもいいとして。
ようは、原因の食物を経口摂取あるいは皮膚などが触れた後に、体に現れる不都合な症状だ。
症状は軽いものから命を落とすものまで様々だが、アレルギーでない人間には全く理解できない。好き嫌いじゃないのか。親の食育が間違っていたのではないか、など、そんな偏見すらあった時代がある。
私はこの神殿の聖女、ソニア様は複雑なアレルギーをお持ちなのではないかと、そう判断したのだ。
カーミラさんが神経質なほどに用意した滅菌された空間。
その中でなら生きていけるというが……例えば何か内臓系の病気の場合、感染症の心配からそうした対応が有効かもしれないけれど、まともに何も口にできない、というのがまずおかしい。おかゆや重湯くらいいけるはずだ。
そして私がこの神殿で最初に料理を作った時。
カーミラさんは明確に私に敵意を示した。
たぶんあれ、あそこで小麦料理を作ったのが完全に地雷だったのではないか。
小麦アレルギーだろうソニア様に、嬉々としてロールケーキを献上しようなどとしたら、そりゃ……はたき落とすしかないだろう。
そして、ソニア様は聖女様だ。
食物を受け付けない、というのは……ルドヴィカ的にどうなのだろう。すべてを受け入れ、受け入れられるはずの聖女様が、食物アレルギー。
……これは、隠し通さなければならない秘密になるんじゃないか。
と、そんなことを私は推測した。
*
「……」
いったい何をしたのかと、どんな奇跡を使ったのかと、疑うような縋るような、そんな色んな感情の入り混じった視線を受けながら私は顔を顰めた。
「スープは魚のすり身を入れているだけです。野菜は下茹でして、味付けにはドレッシングを使っていますが、これはとくに難しい技術は必要ありません」
「……嘘じゃ! そなた……奇跡を独り占めするつもりか!? 聖女は、ソニアは魚とて口にできぬのじゃ!」
「卵や乳製品、小麦だけじゃなくて甲殻類のアレルギーもあるんだと思いますけど、魚は大丈夫そうですよ」
私が今回のお食事会のために作ったお料理、豪華なものは作っていない。
まずはスープに、温野菜のサラダ。
鶏肉は焼いて塩を振った程度のもの。
やったことと言えば単純だ。
簡単だ。なにも特別なことはしていない。
「まな板を変えて、調理台をしっかり消毒して、調理道具も使い分ければできる対策があるんですよ」
「……は?」
「水洗いしたくらいじゃ落ちないアレルゲンもあるので、まぁそのあたりは私は詳しくないんですけど……」
そんなことより、と、私はもぐもぐと食事を続けているソニア様に顔を向けた。
小さな子供。可愛らしい女の子。いろいろ苦しいこともあっただろうに、笑顔をうかべることを止めない健気な聖女様。彼女が私にとって味方だとか、害悪だとか、そういうあれやこれは今は良いとして。
私が料理大好きな幼女と知っていて、そしてソニア様が(おそらく)アレルギー持ちでお食事もままならないとわかっていて、この食事会の場を設けた。
「……」
「……シュヘラ?」
「同罪ですからね、ヤシュバルさまも」
「うん?」
ばっ、と、私はソニア様の手を掴んで駆け出した。
「せ、聖女様!?」
「姫君!?」
「ソ、ソニア……!!」
もちろん病弱なソニア様がすぐにタッタカ走り出せるはずもない。だがここはわたあめの出番だ。小さくても魔獣。わたあめは私の意図を組んで、ソニア様をその背に乗せてポーン、と駆けてくれる。
グッボーイわたあめ!
「レ、レンツェの王女……!そなた……ソニアを……!!!攫う気か!?」
不意を突かれたはずなのに、カーミラさんは即座に追ってきた。必死なご様子。髪を振り乱し、服もぐちゃぐちゃだけれどなりふり構わない、一生懸命な人。
神官さんたちは呆気にとられているし、ヤシュバルさまは「何かしたいのだろうか」とあまり動じていらっしゃらない。
私は祭壇の間の扉に手をかけて、キッ、とのこのこやってくる大人たちや、カーミラさんを睨みつけた。
「こんなところに幼女を置いて置けるかぁあッ!!!!子供は無条件で大切にしろ!!」
私を凶器にしようとした神殿の人たちも、わかっていて些細なことだと、私が料理をして人が死ぬことを、そんなに重く受け止めないだろうとお考えになっただろうヤシュバルさまも……反省して欲しい!!!!!!!!
「メルザヴィア!メルザヴィア!!神殿の主たる、神メルザヴィア!!いる気配を感じるんだから、ここは助けてください!具体的には神域に……!!連れて行ってプリーズ!!!!!!!!」
ばっ、と、私は両腕を伸ばして、この神殿の神に救いを求めた。
*
「……………」
「君!そりゃああんまりに周りの人に悪いぜ!彼らだって、考え有ってのことだろう!?」
まばゆい光、そしてふわりと暖かな風をほほに感じたと思ったら、私はぺんぺん草一本生えない荒地に仰向けに倒れていた。
私を見下ろす……覗き込んできているのは、紺色の髪に金色の瞳の男の人。青年、にも見えるけど、ご年齢はよくわからない。
「メルザヴィア様?」
「あぁ!そういう風に呼ばれることもあるぜ!」
「……なんか思っていたのと違うような……」
なんかこう、思ったより爽やか……。
あのさびれた神殿に相応しからぬ、好青年。休日はサッカーかフットサルでもしていそう……。
メルザヴィア様。神名は当然のことながら教えてくださらない。
「君がおれをメルザヴィアと呼んでおれはそれに答えたんだ。だからおれが君に対して向ける顔はメルザヴィアという名の顔のままでいいだろう?」
「なぜ助けてくれたんですか?」
「助けを求めたのは君だぜ?」
それはそうだ。
私はあたりを見渡した。
「ソニア様は?」
「あの聖女はこの神域に耐えられないから、耐えられる程度の場所に隠しておいてある。祝福の力を使わないように休眠状態にもしてあるから心配ないぜ」
「そうですか」
私はほっとした。
「で、君は。自分たちを利用した大人に復讐したいのか?」
「ちょっとした家出程度の効果しかありませんよ。その上、私のこれが可愛らしい家出扱いされるにはヤシュバルさまが私に甘い、お優しい、という前提が必要です。私の本来の立場では、謀反だの契約違反だのと、逆にこちらが罰せられておかしくないものですからね」
「なるほどな。ちょっとしたお芝居をした、というわけか。きみがこうして怒った姿を見せたのだから、レ=ギンは君が嫌なことがあるとちゃんと怒れる感情を持っているんだと安心できるからな」
「会って早々、幼女の腹の内を読めると開示するのはどうなんでしょう神様」
「はははは!神なんて便利なしゃべる葦くらいにしか思っていないだろう!はは!」
豪快に笑い飛ばしてくるメルザヴィア様。
それなのに助けてくださったのか。祈る声は全て聞くタイプ……なら、神殿メルザヴィアはもっと栄えていたと思う。
「うん?おれは可能な限りは助けるさ。ただ、この通り、おれは力のない神でね。君みたいなのが手を伸ばしてくれるなら掴めるが、両手を塞いで祈って目を閉じる者を引き上げる力はない」
「そこをなんとか」
「おかしなやつだなぁ、君は。なんとかできるわけがないだろ?」
「神殿メルザヴィアの神様パワーが強くなると、コルヴィナス卿的にも防衛とか楽になるかもしれないし、恩を売っておきたいです私」
正直に申告すると、メルザヴィア様は笑った。笑うと子供のような人だ。
あんまり神様っぽくない。どちらかといえば人間臭い。
「あ、それじゃあ、ソニア様の体を丈夫にするとかはできませんか?無理ですか」
「それくらいならできなくはないが……それなりに条件があるぜ?」
条件。
メルザヴィア様の条件、というよりは、その願いをかなえるために達成しなければならないミッション、といったところか。
「と、言いますと」
「神事を行うんだ。もうずいぶん長く行われてないから、やり方を覚えている者がいるのか心配なんだが……北の山の祠に聖女が祈りを捧げ、舞を踊る。一年に一度。それでおれはその返礼として、願いを一つ叶えることができるんだ」
……なんて手軽なドラゴ〇ボール。
千夜千食物語3巻が5月1日に発売されます!
残念ながら……今回で最終巻、打ち切りではございますが……ぜひ、美しいイラストを……お手に取って見てくださいませ……。くっ……。




