聖女さまとお姫さま
溺死&凍死寸前になるのが二度目ということもあって、精神的には落ち着いていた。
(……ものすごく冷たいし、体が動かなくなってくるし、ですけども)
水は綺麗だった。薄っすらと明るく見えるのは水路の明かりのおかげか。
私はバタバタを手足を必死に動かしながら、浮上しようとするけれど、嫌な予感というか……ラルク君の前に現れたら頭を押さえつけられてワンモア奇跡!的な強制を受けそうな気がする。
なので私としては、バタバタと……泳いでここを離れるのが得策だろう。
潜って少し進める所に横穴のようなものがある。なるほど、ここを進むと聖女様のいらっしゃるところに通じるんだろうな、と私の煌めくシックスセンスが働いた。
まぁ、一歩間違えれば幼女殺人事件が起きたわけだが……被害者が私なので、ここはセーフ、セーフ。
カーミラさんが起こした私への無礼をなかったことにしたのだから、ラルクくんたち側がしたこともなかったことにすればこれでつり合いが取れるだろう。うんうん。
「がぼっ……!」
進んで行って、私は混乱した。
ない。
……穴はあった。
横穴はあった、のだが………………………塞がっている。
そりゃそうだろう。
カーミラさんが……外につながる穴を……放っておくわけがない。
そりゃ…………塞ぎますよね。誰だってそうする。私だってそうするでしょう。
そうして、容赦なく私の息継ぎタイムリミットがやってくるし、いくら私でも、あると思っていた出口がなければ慌てて混乱して……パニックになる。パニックになると、これはまぁ、よくない。
「ぼがっ……ごっ……」
私は大量に水を飲み込み、水中で藻掻く。寒くて動かなくなってきた体も必死になれば動くものだ。
パニックになるとどうしようもないもので、私は出られると思っていた先、塞がれた壁をドンドン、と無意味に叩く。よほど分厚いのだろう。水の中でもわかる、分厚さ。幼女の力でどうなるものでもない。
よ、幼女の水死体が……出来上がってしまう…………!!
林間学校二日目にして、まさかのリタイア……!?
こんな北の地で……まさか……死ぬとは。
さすがに予想外。
ガハッ、と……私の体が一度大きく痙攣し、目の前が真っ暗になった。
体が浮上しても、竪穴に入ったせいで天井にぶつかってしまう。どん、と、体の一部が何かにぶつかった感触を最後に、私の意識は途切れた。
*
「…………」
「……ウサギみたいな目」
「きゃ、きゃぁっ!」
目の前に、大きな赤い目があって、真っ白い肌。つるつるとした、真っ白い。肌。
思わず反射的に、頭に浮かんだものを口にすると、私の顔を覗き込んでいた女の子は悲鳴を上げて私から離れた。
「…………い、生きてる……」
「私も言いたいそのセリフ」
「きゃぁああ!」
少し離れた場所で、椅子の裏に隠れてびくびくと私を見ている女の子が呟く言葉は、今まさに私も言いたい言葉だった。
……生きてる?
「…………服も、濡れてない?……まさか、ここは……あの世?」
きょろきょろと当たりを見渡す。
煌々と明かりがついた、広い部屋。真っ白い壁に真っ白い床。たくさんの白い布が部屋中にかけられていて、まるで部屋の中で大量のシーツを干しているような奇妙な光景。
大きなベッドが一つと、椅子が一つ。
私は床に転がされているようで、ふかふかの絨毯の上でもやっぱり、体は痛い。
「……う、動いてる……しゃ、しゃべってる……」
おっかなびっくり、私の様子をうかがっている女の子。
私と同じ位の年齢で、真っ白い服を着ている。
肌は血色が悪いのかと思うほど、青白く、目は真っ赤。頭は……というか、全身の、体毛がなかった。髪だけではなくて眉もない。剃っているというより、生えてこないらしく、つるつるとしている。
「……あ、あなた……あなた、お姫さまね?」
「え」
「……突然、落ちてきたのよ。あなた。わたし、驚いたわ。でも、絵本で読んで貰ったお姫さまとそっくり。金色の目に、雪みたいに真っ白な髪。絵本から落ちてしまったの?大変だわ!」
あら、まぁ!と、女の子は慌てて、私が落ちてきたらしい絵本を探そうとするのだが、その前にゴホゴホ、と咳をした。
ゲホゲホ、ゴホゴホゴホ……ゲホッ……。
ずいぶん長い咳で、最後には何か、吐くような音がした。
「え……あ、あの。大丈夫、ですか?」
起き上がって女の子に近づくと、女の子の手のひらは真っ黒だった。
血?
黒い血って大丈夫な奴だっけ!?黒はまずいんじゃなかったっけか……。私があたふたとしていると、女の子はにこり、と微笑む。
「だいじょうぶ。ありがとう、お姫さま。わたし、いつもこうだから。だいじょうぶ」
「……もしかして、ソニア様?」
小さな女の子。
優しい微笑みを浮かべて、自分の辛さより他人を慮る女の子。
この子が聖女ソニア様でなくて誰が聖女だというのか。
「えぇ、そうよ。お姫さまはなんでも知ってるのね」
*
ソニア様は体が弱いらしかった。
生まれたときからそうだった、と、ソニア様は仰る。
日の光に弱くて、肌が爛れてしまうこと。外の空気を吸っただけで病気になってしまうこと。
「でも、神さまはお優しいのね。わたし、聖女の力を頂いているから……それほど苦しくないのよ」
安静にしてー!と、私の懇願を聞いてくださって、ソニア様はベッドに横になってくださった。
本来なら三つになる前に死んだだろう虚弱な赤ん坊は、聖女の祝福の力を得ていて、自身の治療を行い続けることが出来たそうだ。
だから死なず、こうして生きているとソニア様は微笑む。
……え、でも、それって……。
私はバルシャお姉さんのことを思い出した。
聖女とは、その癒しの力を使い続けることで、黒化してしまう宿命を持った存在だ。
(…………生まれてから今日までずっと、祝福の力を発動させ続けてるってこと……?)
ごほり、ごほり、と、咳をして、吐き出す黒いものは……血なのだろうか?
「ごめんなさい、お姫さま。折角わたしのところに来てくださったのに、おもてなしができなくて」
「あ、いえ。押しかけたのは私ですから……次に来るときは、寝たまま一緒に遊べる愉快なボードゲームを持って来ます。おすすめは人生ゲームです」
「まぁ、なぁに?それ」
「サイコロを振って進めていく双六なんですけど、結婚して家族が増えて生活費がごっそり消えたり、マイホームローンを組んだり、破産したり、楽しいですよ」
「……そうなの?」
今の私の説明ではいまいち楽しさが伝わらなかったようだ。ソニア様が小首をかしげる。
「でも、双六ならしってるわ。頂いたことがあるの。遊んだことは……ないんだけど」
まぁ、双六は一人では遊べないから仕方ないですよね。
私は部屋の中を見渡す。
……色々、物がある。
子供向けのおもちゃや絵本、可愛いぬいぐるみや、おもちゃのようなアクセサリー。
(……この部屋には、悪意がない)
……聖女様は、毒婦に閉じ込められている、とそういう話。
悪女カーミラは、神殿の権力を握るために、哀れな聖女様を閉じ込めて自分の好き勝手にふるまっていらっしゃると、その噂。
だというのに、その悪意の切っ先に晒されているだろう、可哀想な聖女様、のいらっしゃるこのお部屋。
……まるで、大事に大事に、大切に。
宝石箱のよう。
ソニア様はカーミラさんのことも話してくれた。
毎晩、絵本を読み聞かせてくれる優しい大神官様。
ソニア様は、大神官様のことが大好きだとおっしゃる。
(あれ?でも、ならなんで……私の作った、聖女様へのロールケーキは……叩き落とされたんだろう)




