コルヴィナス卿と海鮮料理【後編】
と、いうわけで満を持してというわけではないけれど、様々な思惑葛藤あれやこれやを内包してやってきました千夜千食の一夜。
偉大なる皇帝陛下のおわす瑠璃王宮の上空には美しい満月が輝き、雲ひとつない見事な夜。
「ふふん、ふふ、ふっふっふ。寿司。いいな、寿司。ふふふ」
ウキウキと自身の寝所へ向かう皇帝クシャナの足取りは軽く、追従するニスリーンもついつい微笑を漏らした。
常であれば寝所にてシュへラザード姫を待つのであるが、今夜は「寿司」であるので、陛下は「こう、ひょいっと、私が寄って入る感じがいいな」と、そこから拘った。
「大将、開いているか」
と、開いているも何もここは皇帝の寝所であるのだけれど、気安くそう、普段ならない入り口の暖簾をくぐってクシャナが言うと、明るい幼女の声がすぐに答えた。
「はい、ご予約頂いております。陛下、じゃなかった、クシャナさま、二名様。どうぞカウンターのお席へ」
ちょこん、と部屋に入ってすぐに近づいてくるのは白いほっかむりをした褐色の肌の幼女、シュへラザード姫である。真っ白い、腕まですっぽり入ってしまう前掛け、すなわち割烹着をまとってニコニコと応じた。
「うんうん、様式美であるな。うむ」
いそいそとカウンターの前の椅子に案内され、ここまでは百点満点だと大変ご満悦の皇帝陛下。ニスリーンも勝手はよくわからないながらも、教養のある人間というのはどんな場所であっても洗練された所作が行えるのだという手本のような動作で椅子に座り、シェラ姫が「どうぞ」と渡してきたおしぼりを受け取る。
「ふふん、この暑い夜にこの熱いおしぼり、いい感じだろう。ニスリーン」
「はい、母上。暑さを感じている際に熱気のあるものは汗を引かせることがございます。こうして食事の前に頂きますと、手を清潔にするという意味だけではなく、さっぱりして食欲が出てくるということでも良うございますね」
「この布でこう、全力で顔を拭いてもいいのだぞ。まぁ、私は化粧が落ちるからやらんが」
「誠に残念ですが、私も仮面を外さなければならないので遠慮しておきます」
「なんだ、やらんか。白夜あたりは絶対やらんだろうがそなたならやってくれるかと思ったんだが」
「と、いうことは母上、その動作はあまり、お行儀のよい行動ではない、ということですね」
騙されたことをすぐに理解するニスリーンはにこにこと微笑んでいる。対するクシャナも悪びれた様子がない。
「さて、それじゃあ大将……ではなく、なんだ。握りはそなたではないのか。シェラ」
板場に入らないシュへラザードを見て、クシャナは目を細める。
「私の手で握るとおままごとのようなお寿司になってしまいますので、やっぱりお寿司を握るなら大人の手がいいなと思いまして」
「と、いうことはコルキスか」
あいつの握る寿司は嫌だが、と、クシャナは真顔だ。
「第一、あいつの手だとネタが焼けるだろ」
「おっしゃるとおりです。ですので、ここは白梅宮が誇る料理人の……雨々さんでーす!」
「……誰だ?」
じゃーん、とシュへラザードが板場に引っ張ってきたのは、今にも死刑宣告を受ける被告人のような悲痛な顔をしている、黒い髪に一般的なアグドニグル国民の顔立ちの青年だった。
*
「じゃあまず玉子」
雨々さんの登場に対して反応するわけでもなく、陛下がさらり、と言い放った。
お寿司を心待ちにされていたらしい皇帝陛下。その握り手が大して記憶にない下級間官であっても、この場に立っているのだから資格あるいは覚悟あってのことだろうと判断されたご様子。
ちらり、とカウンターの中の雨々さんが私に視線を向けてきた。
……えぇ、えぇ、打ち合わせでは……えぇ、ここは陛下におまかせコースと言って頂いて、こちらの都合の良い品をいい感じにお出しするはずだったのですが……さすが陛下。やっぱり陛下。
「はい、もちろんご用意してありますよ。厚焼き玉子、ではなくて。えぇ、玉子のお寿司」
寿司屋に行ってまずその店の腕前がわかるのは厚焼き玉子である、というのは有名な話。フレンチもイタリアンもスペイン料理も、必ずある卵焼き。面白いことにこと、どんな料理でも「焼いた玉子料理」こそその料理人、店の味と腕、あるいは格が推し量れるというのだから卵は偉大である。
当然私も、えぇ、用意してありますとも厚焼き玉子!!の、お寿司の方!
「ほう」
それはちょっと意外だったのか、陛下が口元を釣り上げる。
「母上、卵のお寿司、とは。今回は魚料理と伺っておりましたが」
「寿司の通は玉子焼きから頼むのだ。よし、ではそれを貰おうか」
陛下のことだからちょっとこう、試してくるだろうとは思っていたので想定内です。
私は雨々さんに目配せをして、焼いて冷やしておいた玉子焼きを厚切りにして握っていただく。
「ほう、手際の良いことだな」
ぽんぽん、くるっ、ぽん、ひょいっと、五手で握っていく雨々さん。
素晴らしい習得っぷりです。えぇ、涙なしには見られませんね、少しでも間違えるとコルヴィナス卿が雨々さんの目の前でマチルダさんに話しかけて北の地に連れて行こうとするので、えぇ、必死に習得してくださいました。
やっぱり人間、自分のことをろくでなしと思っている人ほど、自分の命より人の命がかかっていた時の方が一生懸命輝くんだと思います。
目の肥えた陛下もお褒めくださったので、真剣な顔つきだった雨々さんの顔が紅潮する。
お出ししたのは厚焼き玉子のお寿司。
何の変哲もないと言ってしまえばそれまでの、ただの焼いた玉子をぽん、と乗せたもの。
「うん? 甘くないな?」
「……おや、これは。白身の魚、ですか」
薄口のお醤油を表面に塗ってお出しし、そのまま召し上がって頂く。陛下はきょとん、と小首をかしげて、そしてニスリーン殿下が口元を押さえ確認するように呟いた。
「はい。厚焼き玉子といえばお砂糖たっぷりの甘いお寿司、お子様もにっこりな味か、さっぱり大根おろしの似合うだし巻き卵のどちらか、とも思うのですが。これからお寿司を召し上がる陛下と殿下にお出しするには、ちょっと味が濃くて邪魔かと思いまして」
「邪魔」
お寿司をお出しする順序として、通常は味のたんぱくなものから、というのがセオリーだ。そして人間の味覚というのは、甘いものを食べたあとに薄味のものを食べても感じ難い。激甘な玉子焼きを出した後に白身魚なんか出した日には、醤油の味しかしないが??などと言われても仕方ない。
「こちらの玉子焼きは、白身魚のすり身を入れてふわっと、カステラのように焼き上げたものです」
私の前世ではお寿司屋さんの玉子焼きといえば、卵オンリーであったけれど、そもそも鮨屋の玉子焼はこうして海老や白身魚のすり身を混ぜたものだったはずなので、要望的にはOKのはず!
「おや、これは。これならば、魚の生臭さもなく、骨の心配もない。病人に食べやすく、子供も好んで口にしそうでございますね。卵は滋養強壮に良いもの、おもしろい食べ方もあったものだ」
「ありがとうございます、ニスリーン殿下。はじめまして!」
この場でご挨拶するのも何なのだけれど、ぺこり、と改めて頭を下げると、口元だけ明らかな、仮面の第二皇子殿下は穏やかな雰囲気のままふわり、と、多分微笑まれた。空気がそんな感じ。
「はい。はじめまして、シュへラザード姫。君のことは色々と聞いていたのだけれど、挨拶ができなくてすまなかったね」
「いえ! ニスリーン殿下といえばお医者さん、とても凄腕のお医者さんと聞いておりますので、ご多忙だと存じておりま……」
謝罪され慌てる私はふと気づく。
はっ、つい普通に対応してしまっているけれど、相手は王族!ここに白皇后陛下がいらっしゃったらきっと「なんです、その挨拶の仕方は」と怒られる……!
お行儀良く、いい感じの、お姫様らしい挨拶を……割烹着姿で今更ですかね!!
私が硬直しているとニスリーン殿下から何か、悲しげな雰囲気が漂ってきた。元気溌剌だった幼女が、突然自分を前にびびって萎縮したら……そりゃ、大人は寂しいだろうな……。
ここで本当に小さな子供だったらこのままなのだろうけれど、私は体は幼女、精神的には大人なつもりのパーフェクトなコミュニケーションを取れる空気の読める女である。あとで白皇后陛下に叱られるかもしれないが……六皇子の中でも人格者で「一番まとも!」と名高いニスリーン殿下の好感度は……上げられるだけあげておくべきだと思うし!!
「私、人見知りとかしない幼女なので大丈夫です!」
「うーん?なんだか色んな計算をされた感じが……シュヘラザード姫の表情はとてもわかりやすくクルクル変わるねぇ。でもこれは、私の容貌に……あまり、影響されてないのかな?」
「容貌……?」
にこにこと仮面をつけたままなのに笑っているのが声でわかるニスリーン殿下。
容貌。顔が見えないのに……影響も何もないのでは??
「私の顔は人をおかしくさせてしまうからね」
「え、それ……あんまり、人前で……ご自分でおっしゃらないほうがいいと思いますよ……?」
突然何を言ってるんだ、この人……。
ニスリーン殿下といえば、ヤシュバル様より上の皇子なんだし、お歳はいっていらっしゃるのだろう……え、この人……そんな、若い青少年が仮面とか眼帯をつける理由で……顔を隠していらっしゃるんですか……??右目がうずく……とか、自分の顔が美しすぎて周囲を狂わせる、とか……?
……やっぱり、アグドニグルの王族にまともな人はいないのか……?
「……いや、そうでなくてね?私は、」
「そなたの自意識過剰な話など今は良い。さて、姫。それでは次のものと行こうか。ここら先は“おまかせ”でいこうかな」
「あ、はい。陛下。それでは……」
私が雨々さんに目くばせすると、雨々さんは神妙にうなずいて次の寿司を握り始めた。
「……ほう、これは……白身魚か」
「はい。鯛に似たほんのり甘さのあるお魚を……湯引きしました」
正確には「皮霜造り」と呼ばれるのだけれど、まぁ、今は細かいことはいいとして。
寿司ネタに白身魚を使う場合、熟成させたほうが良いというのはわかりきっていることなのだけれど、それはそれとして、できないのだから、代わりの旨み成分をなんとか作り出せばいい。
魚の多くは、皮はそのまま食べるのは難しい。食感が悪いし、美味しいものではない。けれども、不味いと感じるのは堅いからで硬さをどうにかすればいいわけでもある。
「魚の皮や、身の部分の間に特別なうまみがあります。湯引きというのは、魚の皮だけにお湯をかけて、加熱したことで皮が柔らかく、旨みが強くなります」
「……ほう」
陛下は前世で召し上がったことがあると思うので「あれはそういう意味だったのか」的な頷きをされた。
「だが、身の部分には……熱が通っていないようだが、そううまく、皮のみ熱を与えられるものか?」
「布巾をかぶせまして、ゆっくり、さっと、お湯をかけます。それで、すぐに氷水で冷やせばいいだけです」
さらり、と、言ってしまえば簡単なのだけれど、私もこの異世界の魚の適正温度は知らなかったので、雨々さんやコルヴィナス卿と……頑張りました、温度管理。熱すぎるとすぐに魚全体に熱が通ってしまうし、氷水につけすぎてもうまみが全部水に溶けだしてしまう。
失敗したおさかなは、白梅宮のみんなでおいしくいただきますので無駄にはしません!
しかしまぁ、そういう苦労は、お客さんには関係のないことである。
私たち料理人は「そういう技法があって、美味しくできるんですよ」と伝えればいいだけのこと。
ちなみに栄養学の話をすると、身より皮のほうにより多く、コラーゲンとかビタミンAとかB1とか含まれているので美容と健康にもいいよ!!
「うむ、うむ……ふむ、どんな寿司を出してくるかと思ったが……ふふ、こう来たか」
「……」
「良いな、寿司。やはり、こう、米と、魚の組み合わせは最高だな。生魚を食べる文化を発生させようと百年ばかり手を尽くして駄目だったが……やはり、寿司だな!」
……まぁ、アグドニグルの皇帝陛下であるクシャナ陛下が……この国で一番長生きされている陛下が、このお城の中には白身魚しか運ばれてこないの……知らないわけが、ないですよね。
「さぁ、どんどん持ってきてくれ。ニスリーン、酒を清酒を用意しているが、そなたもそれでよいな?」
「はい、母上」
さて、それではどんどん、と、皮霜造りの他に、白身魚のあぶり焼き、タタキ、カルパッチョ仕立てなど色々お出しする。
「うんうん。淡泊な味気ない魚とばかり思うていたが、こうしてじっくり、味わうと白身魚と言っても甘さや触感が異なるな」
「はい。焼いた魚しか食べたことはございませんでしたが、なるほど、こうして生食すると魚の味がより感じられておもしろうございますね」
好評で何よりですね。あの手この手で奮闘し……私は恐る恐る、と、陛下にお伺いを立ててみた。
「ちなみに……江戸前ではないし、邪道かもしれないのですが……マヨネーズとか、チーズを……陛下は、お好きですよね?」
白身魚だけではなく、陛下の食卓にあげてもOKとされる海鮮は……まだある……!
「ほう、それはつまり……?」
「えぇ、そう……エビ&マヨネーズinチーズ!!」
散々淡白な白身魚ばかりで、お待たせしました!!
マグロは無理でしたが、えぇ、このあたりで、味の濃いものを……召し上がりたいことでしょう!!
開いた茹でエビに、味醂とお砂糖と醤油と……あと、アグドニグルのお肉料理で使うおソース……前世でいうところのウィスターソースのような、野菜や果物のピュレに調味料を加えて調整した液体調味料……を混ぜて作った、即席バーベキューソースを……!塗って!マヨ、チーズ!
「これは美味いに決まってる。反則では?」
江戸前じゃないし、カウンター式のお寿司屋さんで出すとか本当に、職人さんたちに怒られそうな一品なのだけれども、美味しいから……!!
「私も真面目に、粛々といい感じに終わるお寿司屋さんをやろうと思ったのですが……!コルヴィナス卿に……あぶり焼きをしていただいたところ……とても、その、火力調整がお上手だったのと……その」
「……コルキスがなんだ?」
ちらり、と、陛下はずっと黙って彫像のように立っているコルヴィナス卿に視線を向けた。陛下の食事の邪魔をしてはいけないと、気配さえ消している卿は視線を向けられてもぴくりとも動かない。
私は苦し気に顔をしかめ、声を絞り出した。
「美味しいんです……普通の火であぶるより……たぶん、普通の火が何かを燃やして燃えてるっていう分……不純物?酸素さえ燃やしてない魔法的な、奇跡?祝福の火で……調理すると、美味しいんです……!!」
そこでワァッと、私は泣き崩れた。
むごい……あまりにも、知りたくなかった事実だ……!!
便利すぎる……神の祝福……!炎の能力者……!
私のなんかふわふわした祝福2種類より、どう考えたって良い……!!
「……母上、彼女は確か……コルキスの炎により大けがを負ったのですよね。なるほどかわいそうに……調理のためとはいえ、自分を傷つけた炎を見て恐ろしかったのでしょう」
「絶対に違うと思うぞ」
気の毒そうにニスリーン殿下が私に同情するような視線を向けてくるが、さすがは陛下はよくわかっていらっしゃる。
「ふふ、ふ」
「……!」
陛下はそこで、コルヴィナス卿の顔を見て、たまらず笑い声を漏らした。
「……母上……!」
「……陛下?」
「ふふ、ふふ、ふはは。面白い、面白いなぁ。コルキス」
片手に清酒の杯を持ちながら、クシャナ陛下はコルヴィナス卿を見て微笑む。その視線に、石のようだったコルヴィナス卿が目を見開き、わずかに震えたのが私にもわかった。
「数々の命を焼いてきたお前の炎が、世に苦しみや憎しみ、怨嗟しか生まなかったお前の炎が、この姫にとっては、自身を焼こうがなんだろうが、ただの火だと。お前の能力の強さを身をもって知っていて、調理に採用すべきが最であると、羨んでおるぞ」
いや、戦争はダメだけれども、別に「おいしく焼く」という目的がないのなら、そっちの火はほかの火で代用していただいて、おいしく焼ける炎は食文化に生かしていただきたいのですが。
さて、このお食事会。お寿司パーティ。私と陛下にとっては千夜あるうちのただの一夜。これにて平和に……?終わったのだけれども。
前代未聞。あの皇帝陛下がコルヴィナス卿に笑いかけたと、それはもう、翌日大騒ぎになりまして、陛下が生のお魚を召し上がったことなど吹き飛ぶ大ニュース。
英雄卿と名高いコルヴィナス卿がご自身の祝福の炎を使って陛下に献上した料理はまさに「陛下だけが口にすることを許される」至高の一品だと、卿と陛下への敬意をもって扱われ…………
……アグドニグルで、お寿司文化が花開くことはありませんでした……。
っちぇ。




