第十夜 後編
「よし……良い感じの仕上がりですね」
コンベクションオーブンはガラス張りで、中の様子がきちんと見える。
私は中に入っているブツを見て満足気に頷いた。
「待ちなさい」
手袋をして取り出そうとする私をヤシュバルさまが制する。
「取り出せばいいのだろう?なら私が」
扉を開ければ温度が下がるとはいえ、二百度以上に熱したオーブンの中に腕を突っ込むのは危ないと、そのような目。私は思わず苦笑した。
「何を言うかと思えば。私は小さなシェラではありませんよ」
背丈もあり、皮膚も幼女よりしっかりしている。可愛い幼女が母親の料理を手伝っているようなものではない。自分が出来ることを、態々やって頂く必要はなく、なんなら私に対して無礼ですらあると感じる。
「君は、」
「はい?」
「シュヘラだろう?」
「この姿を見てまだそうおっしゃいますか?」
私は呆れ、両手を広げて見せる。
美しい白い髪もふっくらとした頬も、黄金の瞳もない、平たい顔の平凡な容姿の女。ヤシュバルさまは小首を傾げた。
「確かに少し背は伸びたが……以前、レグラディカの能力でそんな事もあったのだし、それと同じようなものではないのか」
「あれー、あれー……なんだろうこの人、あれー……?目が悪いのか……?」
約束された勝利の美少女であるシュヘラと日本人の私の姿を似たようなもの扱いされるのはなんだかな!
けれどヤシュバルさまは本気でおっしゃっている。それで私もちょっと自信が無くなってきてしまう。
「わ、私とはいったい……いや、自意識は、私なんですけど、あれー?あれー?」
「ところで、そろそろ出した方がいいのでは?」
「あ、そうでしたそうでした。良い感じの表面パリッパリですよ、最高」
しょうがないのでヤシュバルさまにブツを取り出して頂く。
「って、素手ッ!!!!!!!!?」
「何か問題が?」
「うっそですよね!!?うっそぉおお……素手で、湯気が!!ヤシュバルさまの指先からシュウシュウと湯気が!!!!!!!!」
「あぁ、これは……私の氷の能力で、それほど熱さは感じていないから心配することはない」
「その部分から冷めたらどうするんです!?あぁああああぁああ!やっぱり私がやればよかったッ!!」
ヤシュバルさまが熱さを感じなくても、触れたその部分が氷で冷やされる、またはその能力の方が強すぎて折角焼いたブツが瞬時に凍ったらどうしてくれるのか!?
*
厨房で少しアクシデントがあったけれど、落ち着いて。(ミトンをつけた)私が皇帝陛下の前にことん、と、鍋敷きの上に深皿を置くと、皇帝陛下は首を傾げた。
「……作っている料理は三種類ではなかったか?」
あれこれと、私たちが料理を複数作っていたのを御存知だったご様子。だというのに、出されたお皿は湯気のたつ深皿一つ。
「もしや……ヤシュバルが手伝った所為で失敗したか?」
「そうなのか?」
「ヤシュバルさま一緒に作りましたよね!?」
「いや……思い返せば、君が三種類の料理を一つの皿に入れたのは……私が何か失敗をして、それを取り繕うために急きょ内容を変更したのかと……」
「違います違います!これは元々……そういうお料理なんです……!」
深刻な顔をされるヤシュバルさまに、私はあたふたと慌てた。
こほん、と咳払い一つ。
「それでは、料理の説明を。こちらは伝統的なフランス料理の一つ“カスレ”というものです」
「カスレ」
「煮込み料理の一種です。カソールと呼ばれる土鍋の中に豆とお肉をたっぷり入れて長時間煮込みます。オーブンで焼くので、表面にはった膜がパリッパリに焼き上がり、スプーンでさせばぐつぐつと煮えたお肉と豆がたっぷりの脂と一緒に食べられます」
「ほうほう。ワインとか欲しいのだが。できれば赤で」
「ご用意してあります。ヤシュバルさま、厨房の、ケースじゃなくて、外に出してある棚の中から黒い瓶を持ってきてください。あれ全部ハウスワインなので何持ってきても同じです」
お願いします、と言うと、ヤシュバルさまは頷いて厨房の方へ行かれた。
「三種類の料理とは?」
と、ここで口を開いたのはヨナおじいさん。ふむふむと興味深そうに深皿を見ている。眺め続けるのもなんなので、私はお二人に取り分けることにした。
「はい。こちらのカスレは三つの肉料理から成り立っています。一つは白インゲンと豚肉の煮物。これはカスレに必要な油脂、ラードがたっぷりと出ます。豆は別に白インゲンにこだわる必要はありませんが、フランスの南西部で広く多く栽培され日常的に食べられていたものなので」
「その煮物一つでも十分に食べ応えのある料理かと思われますが」
ヨナおじいさんはワインを待たず、慣れた手つきでナイフとフォークを使い、取り分けた料理から白インゲンと豚肉の塊を選んで口元に運ぶ。
「これは赤茄子の味ですね」
「はい。トマトベースです。玉ねぎは色がきつね色……金色になるまでじっくり炒めたので甘みがたっぷり出ているかと思います」
「えぇ、やわらかくとろける豆の味に、肉の脂が合わさり……そこへこの赤茄子の酸味、大変美味にございます。陛下も召し上がられてはいかがでしょう」
一応毒見のためもあってかヨナおじいさんが先に口にされたのだろうか?この空間で毒見も何もないと思うが。まぁいいか。
「続いてガチョウのコンフィです。コンフィというのはフランス料理の基本的な調理方法の一つで、油にお肉、ニンニクやハーブを入れて低温で調理するものです。これは元々は油脂で食品を覆い腐敗を防止する、長期保存のための“保存技術”として生み出されたものですが、低温調理により水分が外に逃げることなく保たれた肉はジューシーでホロホロと口の中で崩れる程柔らかくなります」
「はい、質問」
「はい、陛下」
「ならこの白インゲンと豚肉もコンフィにすれば良かったのではないか?その方が美味いんだろ」
「求めるおいしさが違いますね!」
良い質問です、と私は頷いた。
陛下はガチョウのコンフィ部分を口に含み、ハッとして口元を軽く手で押さえる。
「肉が……溶けた……!」
「水鳥ですから、ガチョウ。豚肉とは違いますよね。そして、トマトベースの煮物は、そのトマトスープの中に白インゲンと豚の油をたっぷり出して頂く必要があるので……水分出てOKです。いや、どばどば出たら駄目ですけど、出された豚肉と白インゲンの水分がトマトと混ざって、その三種類の味が混ざった水分が、お肉と白インゲンに浸み込みます」
「水分忙しいな」
「忙しいんですよ、料理の科学って」
コンフィにしたお肉はそのままでも美味しいのだけれど、パリッと両面を焼いても美味しい。何しろ既に中まで火は通っているので、生焼けの心配もなく、表面をサッと油で揚げられるのがいい。
「最後のソーセージはスパイスを入れたものなので、料理の味をがらりと変えてくれます。個人的にはスペインのチョリソ、パプリカやハーブをたっぷり混ぜて干して作ったものなんか良いと思いますけど、今回は干してる時間がなかったので、腸詰にしたものを茹でてそのまま使用しました」
「おいおい、酒が進むな。まだ持ってきてないんだが?」
料理の説明が終わると、ヤシュバルさまが丁度ボトルワインを持ってきてくださった。きちんとグラスも二つ。コルクを抜いて、陛下とヨナおじいさんにお出しすると、陛下は香りを嗅いでから口をつけた。
「高度に発達した化学の世界の大量生産された万人受けする酒の味が染みわたる」
「美味しくないんですか?」
私は未成年なのでお酒の味はわからない。
「いえいえ、大変美味しゅうございますよ。これほど口当たりの良い酒は中々ありませんね。私は葡萄酒は苦手でしたが、これは中々」
「うむ、良いな。ワイン片手にするヨナというのも良いな。目に焼き付けておこう。この記憶が本体に引き継げないのが惜しいものだ」
「本体ってなんですか」
「なんでもない。私は偽陛下である。お肉美味しい」
もぐもぐと、陛下はお肉を召し上がられる。
あ、これはこっちの質問に答える気がないやつですね??
私が呆れていると、ニコニコと笑顔のヨナおじいさんが細い目をさらに細めて私に顔を向けた。
「手の込んだお料理ですが……異界のお嬢さん、貴方はなぜこの品を?私は貴方に、陛下に差し出すだけの価値のあるものを、とそのように言いましたが」
「……」
「確かに、この料理は陛下の御前に出すに足りる一品であると言えるでしょう。ですが、この世の美食と言えるかどうか。やや、粗野ではありませんか?」
「……」
欠片も洗練されていない、と、ヨナおじいさんはおっしゃる。
私が料理人としての「覚悟」と、技術をもって披露する料理だというのなら、陛下のジャッジが下される以前に、ヨナおじいさんが「不可」とするらしい。
「……フランス料理というのは、世界三大美食の一つとして、伝統があり格式の高い料理です」
「これが?」
「……カスレは百年戦争、14世紀に原型の作られた料理だと言われています。その時代は、後の『フランス料理』と言われるものの源流となる料理が存在していましたが、この頃の料理はカトラリーを丁寧に使うものではなく、おっしゃる通り、聊か粗野なものであったと言えるでしょう」
16世紀頃になってやっと、王室の婚姻等からイタリア文化との交流があり、テーブルマナーがフランスでも取り入られるようになった。その後、フランス革命により、王族や貴族に仕えていた料理人が街で飲食店を開く時代になって、宮廷料理と家庭料理を上手く取り入れ、19世紀頃に「フランス料理」というものが体現化された。
「つまり……貴方の作ったこのカスレは、本来陛下にお出しするような宮廷料理、格式のある料理ではない、ということですね?」
「いいえ、このカスレは“フランス料理”です」
「……」
「価値の提示、覚悟の現れを、そのようにと……おっしゃいましたよね。そう、示せるものとしての、これは……」
私はここで、ぐしゃり、と、自分の顔を両手で覆い、頭を振った。
「ヤシュバルさま、ヤシュバルさま」
「シュヘラ?どうした、どこか痛いのか……気分でも悪いのか……」
私が不調な様子を見せると、途端、おろおろとされるのが気配でわかる。
私は、私は。
ぐるぐると、気持が悪い。ぎゅっと目を閉じれば、ぐわんぐわんと、頭の中がぐちゃぐちゃにかきまわされるよう。
首を絞められる夢をみた。
咳をして歯が全て抜け落ちる夢をみた。
指に髪が絡まって、びっしりと、全て千切れて枯れ果てる夢をみた。
わからなければしぬとおもう。
くびからきえた知人のゆくえ。
出会うことのないひととのかいこう。
夢の虚構が段々と現実に。
(死んでしまえれば逃げられると。生きるより、死ぬことのほうがうつくしいと、そのように。まどろむゆめ。毒を食む)
「ただ、もったいない」
一点。
ぐるぐると回る思考。あれやこれやと、浮かび上がってくる、のは、絡みついてくるのは、無価値だった、あれは、あの、日本人の女の子は。彼女の慕情。彼女の私情。彼女の事情。彼女の、無念、執念。怨念。
「ヤシュバルさま、ヤシュバルさま」
ぐいぐいっと、私は片手で、今度は随分と、低くなってしまった視界から、ヤシュバルさまの服の裾を掴んで引っ張る。
「私は誰ですか」
「……?君はシュヘラ。シュヘラザード。私が後見人となっている、白梅宮の姫君だろう」
「……ははっ」
ぱっと、顔から手を離す。
視界に入る手は、褐色の肌。
夢十夜。
毒に犯され、呪われて、沈んだ心にこびりついた泥。
(……死ぬのが、あんまりにも、もったいないと、思うのです)
自分自身が無価値と思い煩い、死んだ“私”というものが、自分が“死ぬべき”という価値感が軸であるというのなら、今の生を、環境を、自分自身を、私はそれほど、投げ捨てられない。
意識が引っ張られた、姿も黒い髪の日本人のものになった。それでも、その姿になっても。
(フランス料理が作れるのなら、それはもう“私”ではないのでしょう)
死んだ“私”は無理だった。震えて吐いて、フラッシュバックして混乱するほどに無理だった。
それが作れたのだから。
再現された空間で、作れてしまったのだから。
私を、シュヘラザードと呼ぶ人がいるのだから。
「確かにカスレの原型は14世紀に作られた田舎料理です。けれど、フランス料理とは、シンプルな食材を、知識と技術で、調理法や調味料に拘って仕上げる“芸術”です」
私はもう、前世の“知識”を、ただの“知識”として扱える。
「つまり、高い技術と知識を持った私が作ったんで、判定フランス料理でOKなんですよ」
ありがとう知識、イェーイ、と、私は両手を高く上げた。
「はい、ヤシュバルさま、ハイタッチ」
「?こうでいいのだろうか」
「OKです」
パァン、と、私はヤシュバルさまが出してくださった手を叩く。
「と、いう事で陛下!!ヨナおじいさん!!私とヤシュバルさまを黙って通さなければ……」
「通さなければ?」
「なんでしょう」
「いろいろもったいないと思います!!」
「いろいろもったいない」
うーん、と陛下が首を傾けた。
「その説得、雑じゃないか?私の問題提示を如何とする」
「それとこれは別に関係のある問題じゃないんです」
「そうかなー」
「よろしいですか、陛下。私は、前世の知識を持っている、ヤシュバルさまに大切に愛された有能幼女。その私の作る料理が食べられないなんて……陛下の人生、損では?」
「おい、ヨナ、なんかこの幼女、急に自己肯定感が爆上がりしたんだが?」
「よろしいのではありませんか?若い方の無謀な自信というものは、踏みにじられるまでが様式美でございますので」
何やら二人にひそひそ話すが、私は大げさに首を振った。
「よくよく考えたら、今世の私、完全に勝ち組!!死を望むうっすら後ろ向きな私とはグッバイ、ノットディスティニー!」
「奴隷の子でおぼれ死ぬところだった幼女が勝ち組……?しかも今魔女裁判中……」
「前向きになることは良いことですよ」
「ノット空元気!私は正気ですよ!!」
びしっと、私は陛下を指差す。
「個人的に、よく考えたら、私、料理が好きなので!知識制限して作るとかよくありませんね!目覚めたら全力で色々作りたい!!カスレ作ったら牛肉の赤ワイン煮込みとかも作りたくなってきました!!具体的には異世界の珍しい牛っぽいお肉で!!カイ・ラシュのお父さんがいつぞややった焼肉パーティーであれこれお肉ありましたもんね!!さぁ陛下!!そこを退いてください!!」
今の私は料理の創作意欲溢れる有能な幼女です。
魔女裁判とか呪いとか毒とか、そういうのもういいんで!
私が無価値!?
前世の“私”はそうだったかもしれませんね!!
でも今の私は違うので!!そう自分で思ってないので!!!!!
グッバイ前世!ハロー今世!




