学園に衝撃走る
本日より不幸祭り(集中連載)開催です。
その日の朝、扉を押して教室に入ると、珍しくランディが輪の中心でお喋りをしていた。
「それから調理室は、開放されなくなったっていう……あっ、おはよう」
だが、聞こえてきた単語が不穏すぎて、落ち着かない。調理室がなんだって?
「おっ、ちょうどファルスが来やがった」
ラーダイが、悪乗りしている時の顔で、そう言った。それをアルマが窘める。
「ちょっと、そういう言い方はやめなよ」
「なんでだよ? あいつにピッタリな事件だろ?」
彼が失礼なことを言うのは、いつものこと。でも、そういえば、こういう発言にやんわりとブレーキをかけてくれる人……つまりギルの姿が見えない。どうしたんだろうか?
俺はいちいち問題にせず、ランディに尋ねた。
「何の話?」
「昔の、学園で起きた事件の話だよ」
「調理室で何かあったのか」
「学園一の秀才って言われてた、有望な学生がいたんだけどね……ナーム大学の研究室にも招かれていたんだ。当時の学園にあった、たった一つの推薦枠で送りこまれる予定だったらしくて。どこから見ても素行の問題はなかった男だったらしいんだけど、生真面目過ぎたのが欠点だったそうで」
その帝都生まれの学生は、帝立学園の生徒としては極めて優秀で、卒業後は数年間の研究生活の後に教授になると言われていた。学問以外には目もくれない性格だったらしく、もちろん恋人なんかもいなかったらしい。
ところが、そんな真面目君だったからこそ、溜まりに溜まった欲求不満というものがあったのだとか。
「当時から、ほとんど使われてなかった調理室に、女子学生を呼び出して、襲いかかったらしいんだ」
「えぇっ」
「さすがに、タダで済むってことはなくて。もちろん、研究室の内定も取り消し。卒業資格も剥奪されて、学園から追放ってことになったんだ。で、それから調理室は封鎖されるようになったんだけど……それを復活させたのが」
そんな曰く付きの場所だったとは。
「気をつけろよ、ファルス」
ラーダイがニヤニヤしながら、いらない忠告をしてくれた。
「もし落とせそうだからって、学園の中で変なことをしたら」
そう言いながら、彼は自分の首を掻っ切る仕草をした。
「大丈夫じゃないかなぁ? だって、すっごくモテるんだしー」
フリッカはフリッカで、少しだけズレた意見を口にした。
「わざわざ調理室で襲わなくても、いくらでも自宅に連れ帰ることができるでしょー?」
「いや、あの、そういうことは」
リンガ村以来、実は一度も誰とも性的関係なんてないのだが。事実上の童貞なのに、この言われようは、どういうことなんだろう?
「僕はそういうことは、まずないので」
「つまんねぇなぁ。ま、そういやそうか。そんなことでしくじる程度のスケコマシが、今の身分にまで上り詰められるわけがねぇ。ってことはよ」
相変わらず悪乗りしたまま、ラーダイはランディに振り返った。
「むしろ、お前の方がヤバいんじゃね?」
「ん? どうして僕が?」
「お前、ほら、そこに彼女いんだろ」
「え、ひどーい」
アルマが抗議の声をあげた。
「それじゃ、私がなんか、ランディを訴えるみたいじゃん」
「訴えれば一発でこいつ、人生終わるもんなぁ」
「さすがにしないよ? ってか調理室って、そんなところでそんなこと」
「ファルスに覗かれるもんな」
「覗くって、いや、どうしてそういう話に」
くだらない与太話をしていたところで、背後から足音が近づいてきた。ヒールがコツコツ響いているので、フシャーナだとすぐわかる。今日の一連の講義に先立っての、朝のホームルームの時間になったのだ。
俺達が、いつものように自然と会話を中断して、それぞれの席に着くと、一人、コモが教壇の横に進み出た。この教授はどうせ居眠りするから、伝達事項を代読しなくてはいけない。
ところが、教室に踏み込んできたフシャーナはというと、驚くほど張りつめた表情をしていた。昨日、俺と光復街でお茶をしていた時のような緩い空気など、微塵も残っていなかった。コモが代読のために書類を受け取ろうと手を伸ばすと、彼女は無言で手を振って拒絶し、席に戻るように促した。
それから、やっと口を開いた。
「重要な連絡があるけど、その前に」
教室内を見渡してから、言葉を継いだ。
「西方大陸史、またはフォレス語上級の講義を取っていた人。挙手して」
いつになく真剣なフシャーナに戸惑いつつも、教室内の数人の生徒が、おずおずと手を挙げた。それを見て、彼女は頷いた。
「その二つの講義を担当していたアルダ・ジノモック教授ですが、今朝未明、死亡が確認されました」
いきなりの訃報に、教室内は一瞬ざわめき、すぐに静まり返った。
「突然のことだったから、代講の用意もないわ。そのうち学生課から連絡がいくと思うけど、求められたら速やかに対応をお願い」
それから、さっき自席に追い返したコモを手招きで呼び寄せた。
「大事なことは以上。あとはこれ、頼むわね」
「結局、僕が読み上げるんですか」
「これからまた職員室に戻って、今回の件の対応にまわらないといけないの。わかるでしょ? じゃ」
そうして、いつものように、残りの連絡事項を任せてしまうと、フシャーナは足早に教室を去っていってしまった。
その日の午前中は、ずっと学園内が騒然としていたような気がする。昼になって、午前中の講義を終えて学食に向かった。
学食は、それ専用の棟に設けられている。食べるスペースは二階で、上から見ると大きな正方形になっている。一階部分が下拵えのための空間になっており、生徒は普通、立ち入ることができない。渡り廊下に繋がる外の階段から、二階の広々とした大食堂に繋げられている。
大食堂は、割と簡素な造りになっている。真ん中に木製のテーブルと椅子が大量に並べられ、その間に支柱が突き立っている。壁には大きな窓があり、昼食の時間には大きく開け放たれている。壁際には一階と接続する階段があり、そちら側に食を提供するブースが設けられている。
その日は、ちょうどタイミングが合ったのだろう。視線を部屋の隅に向けると、そこのテーブルに見覚えのある顔が寄せ集まっていた。トレイに昼食を載せると、俺も足早にそちらに向かった。
「おっ、ファルスも来たのか」
ほとんど食べ終えていたラーダイが振り返る。
「なんかエラいことになってるっぽいな」
「殺害予告が残されていたって……」
コモがぼそりと言った。
「怖いよね? どうしよう」
「大丈夫、落ち着いて。一人で帰らなければいいんだ」
不安そうなアルマに、それを宥めるランディ。
そんな彼らの横で、無言のまま、椅子に沈み込んでいるのがいる。ギルだ。
「それにしても、ビビったぜぇ? 午前中には、お前、いなかったもんだから。何かしでかしたんじゃねぇかって」
そんな風に言われても、ギルの表情は冴えないまま。言い返す余裕もないらしい。
彼の目の前には、コーンポタージュの皿があるばかり。この巨体で、昼にこれだけしか食べない? いや、普段ならそんなことはない。
「どうしたんだ、ギル」
「要は、仕事だったってことだ」
彼は、乾いた声で呟くように言った。
「お前ら、一応部外者だから、あんま言えねぇんだけど、まぁ、そういうことでな。朝一番に叩き起こされて現場行ったら……まさか、顔見知りの教授が、あんなことになってるとは」
歴史の講義を担当していたのだ。ギルが受講していたのも、自然なことだった。
「でも、前から動いていたんだろう? ということは、前の事件と今回の事件と、共通点がある」
「それは言えないんだ。具体的に現場で何を見たかは。だって、お前、今回犠牲になったのはジノモック教授だから、要は俺達学生も薄っすら容疑者になるんだからな」
「それでか」
ランディが苦々しげに言った。
「さっき学生課に呼び出されて、根掘り葉掘り聞かれたのは」
「しょうがない。恨みから殺したって線も捨てきれないから」
「けど」
俺は、ギルの前に置かれた皿に目をやりながら、言った。
「よっぽどだったんだな。その様子からすると」
「ああ。思い出したくもねぇ。いったいどんな恨みがあって……いや、恨みじゃねぇとしたら、それはそれで、かなりの気違いだと思うぜ? 人を殺すのが大好きなヤバい奴か、それとも怨恨に見せかけるためにわざと……」
そこで言葉を切り、彼は首を振って、頭の中に浮かんだイメージを追い払おうとした。
「それより、多分、帰りのホームルームでまた連絡事項があると思う」
「あれか、一人で帰らないようにとかいう」
「学園の生徒の中には、かなりの身分の人間がゴロゴロいるからな。貴族、王族、大富豪……」
コモも頷いた。
「今日だけ乗り切れば僕は困らないんだけどね。すぐ護衛を手配してもらえるから。だけど、どちらかというと、留学生の方が」
「サロンの方でも、対策を取るんじゃないかと思う。今までみたいに、リシュニア殿下辺りが一人で歩いて寮に帰るとか、そのままにしておいたら危ないし」
「お前んとこ、大変そうだもんな」
ラーダイが指折り数え始めた。
「リシュニア、アナーニア、あとケアーナ、あとリリアーナと……ははっ、けど、みんなお前が抱えて帰ればいいか」
「行き先が違う。アナーニア様は公館だけど、リシュニア様とケアーナは学園に近い方の高級な寮に入ってるし、お嬢様は南の方の……ヒメノと同じところに入居してるから。多分、リリアーナには、従者のナギアがいるから、しばらくは無理を押してでも迎えに来るんじゃないかと思う」
「従者っつっても、女だろ。マジでヤバい凶悪犯が出たら、どうすんだよ」
ナギアであれば、命を盾にリリアーナを逃がしそうな気がする。とはいえ、それでナギアに死なれたら、トラウマになりそうだ。
「護衛を用立てた方がいいかもしれないな」
「明るいうちなら、そんな心配はないかもよ。白昼堂々、人を襲うような事件でもないみたいだし」
コモがそう引き取ったが、それはそれとして、とラーダイがツッコミを入れてきた。
「そういえば今、リリアーナ嬢のことをお前、お嬢様って呼んでたけど」
「昔、仕えていた家のお嬢様だったからだよ」
「いや、そいつは知ってるんだ。ってか、俺、呼び出されたからな?」
「えっ?」
それは初耳だ。
「な? ギル?」
「あ? ああ」
「なんだ、ギルも?」
陰鬱な殺人事件から別の話題になって、少しほっとしたのか、彼は幾分表情を和らげて、頷きながら言った。
「学校帰りに、少しお時間ありますかって話しかけられたよ」
「いつの間にそんな」
「多分、お前と一緒に帰ってる日以外は、誰かお前の周りの人間にとりついて、情報収集してそうだったぞ、あのお嬢様」
どうしよう。なんだか嫌な予感がする。
ラーダイと繋がったということは、ラーダイを通じて繋がっている俺の関係者とも、間接的にアクセスできるということだ。具体的には、ウィーの存在を知る可能性もある。揉め事にならないよう、早いところ「社会」を構築してしまいたいところなのに、それより先に変なことになったりしなければいいのだが。
「そういえば、ラーダイもギルも、次の休み、暇があるかな」
「お? 俺は暇だが」
「んー……微妙だけど、なんだ?」
「いや、ベルノスト様から頼まれている件があって、まぁ時間がないのに無理にとは言えないんだけど……千年祭に備えて、修行をしたいとか言ってて。よかったら、手合わせの相手になってほしいなと」
知人の縁を早めに繋げるべきだ。もともと考えていたことでもある。
「俺は暇だけど、ギルは?」
「時間が作れたら、行く。でも、どこで?」
「あー、それが……ニドとか、あと、僕の昔の知り合いも呼ぶつもりなんだ。ジョイスっていって、こいつがまた、なかなかやるんだけど……ギル、場所は前に集まった、あのタマリアという」
覚えていたらしい。ただ、昨年の夏以来、関わりはなかった。
「おー、そういえば、ずっと挨拶してなかったっけ。元気してるかな?」
「健康面では問題ないよ。ただ、チュンチェン区辺りで暴動が起きたらしくって、仕事にあぶれがちで困ってるとは言ってたけど」
「そっか」
ギルは頷いて、明るい表情を浮かべて言った。
「じゃ、何か手土産でも持って挨拶すっかな」




