二十年越しの復讐者
熱気の篭る応接室から、やっと這い出た頃にはもう、窓の向こうは暗い橙色に染まっていた。西の空の下、運河に面する家々の真っ黒なシルエットが浮かぶばかりだ。
「ったく、ちっくしょー、こっちだって暇じゃねぇんだぞ」
ギルは早速、愚痴を吐き散らしている。が、すぐ我に返る。
「悪かったな、時間取らせちまって」
「しょうがない。自分達のやったことなんだし」
ギルドに呼び出された理由。それは、先日のフェイムス攻略にあった。
普通の冒険者は、地下十二階までしか行かない。攻略証明としてのスタンプや、札などが設置されているのは、そうした基準となる階層のすぐ下にある安全地帯だ。だから、それらを持ち帰ることで、本当にそこまで行った事実を認めてもらえる。
だが、俺達はその下にまで潜った。地下十七層を突破したという報告は、ギルド側にとっては荒唐無稽なものだった。というのも、攻略証明のための物品を配置する作業を、ギルドは熟練の冒険者の集団を使って定期的に行っている。彼らは人数を恃みになんとか十二層を突破して、スタンプや札を残していく。だが当然、安全地帯のすぐ下も、覗き見くらいはしているのだ。
軍隊でもなければ乗り越えられそうにない、あの十三層から先を、どう攻略したのか。俺達の報告からしばらくは問題にならなかったが、記録に目を通したギルドのお偉いさんの誰かが、クレームをつけたらしい。それで結局、パーティーの発起人の一人と、リーダーの俺が出頭して説明しなければいけなくなってしまった。
そうなると時間がない。あと一週間もしないうちに、領地に向けて旅立たなくてはならないのだ。だから後回しにはできず、すぐ出頭することにした。
言うまでもなく、すべてを焼き払いました、なんて報告で納得してもらえるはずもない。といって、証明のためにギルドの建物を爆破するわけにもいかない。だから、魔物の目を盗んで階段を下りたということにした。
「今からできる雑用とか、あっかな」
「厳しいんじゃないか」
「んー、でも、軽い配達みたいなのがあったら」
そう言いながら、ギルはフラフラと窓口の方に近づいていく。当然ながら、この時間から仕事を請け負う冒険者などはほとんどいないので、そちらはガラガラだ。一方、そのすぐ横には行列ができていた。一日の仕事の報酬を受け取るために、結果報告しにくる人が集まっている。
「はー、こりゃもうすぐ受付窓口も閉じて、こっちの対応になっちまうんだろうな」
「たまには休んだらどうだ。そうだ、うちまで来ないか? ヒジリに言えば、お前の分の夕食くらい、用意させられるし」
「いやー、それはちょっと悪いかなって」
キョロキョロしながら、ギルはそう返事をしたのだが、その視線が急に固定される。
「おー! おっちゃん!」
列に並ぶ一人の男に向かって、ギルは大股に歩み寄った。
「今日はどうだった?」
声をかけられた男は、のっそりと顔をあげた。
ギルより一回り背が低い。いや、大人の男性としては、背丈のないほうだ。しかし、小さいという印象はない。がっしりとしていて肩幅もある。だが、太っているのではない。丸いフォルムに見えるが、全身しっかりと筋肉がついている。元々は焦げ茶色の髪だったのだろうが、年齢のせいか、半分くらいは白く染まってしまっている。その肌も、年相応に薄汚れていた。
彼自身と同じく、彼の装備も、年季が入っていた。使い込まれた盾を背負い、解れを何度も補修した革の鎧を身に着けていた。そんな中で一つだけ真新しいのが腰に手挟んだ剣だが、これは剣が消耗品だからだ。
「どうってことねぇよ」
彼はギルの顔を見上げて、ボソボソと喋った。
「ちょっとした小遣い稼ぎだ。もう大きな仕事もできねぇしな」
「そっか。だったら、今度、俺達とパウペータスに行かねぇか。深く潜れりゃ、そこそこにはなるし」
「悪ぃな」
だが、彼はゆっくりと首を振った。
「そろそろ俺は帝都を出るんだ。多分、二度と戻らねぇ。力になってやれねぇで、済まねぇな」
その眼光は鋭く、強い覚悟のほどが見て取れた。
それにしても、この、まるでカエルを踏み潰したような顔、どこかで見たような……
「そっか。寂しいな」
その時、彼の視線が俺に向けられた。何かを確かめるかのように、まじまじとこちらを見ている。
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ジュサ・トリコロマ (51)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク4、男性、51歳)
・スキル フォレス語 6レベル
・スキル サハリア語 2レベル
・スキル 商取引 5レベル
・スキル 剣術 5レベル
・スキル 盾術 4レベル
・スキル 料理 2レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 農業 4レベル
空き(43)
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「ジュサ……?」
名前を言い当てられて、彼は僅かに反応した。
「その髪……もしかして、お前」
思い出そうとして、しばらく彼は口篭った。
「ノール……です。まさか、こんなところで」
「ノールだって!?」
さすがに彼も驚いたらしく、今は大きく目を見開いている。
「あ……? 知り合い?」
ギルは、戸惑いながら俺とジュサの顔を見比べていた。
それからおよそ一時間後。急遽、俺は二人を連れて……特に渋るジュサには是非にと強くお願いして、旧公館に引き返した。
急な来客ということで、ヒジリには申し訳ないながらも引き下がってもらい、中庭に面した二階の一室に落ち着いて、三人で夕食を摂った。
「そうか……」
食事をしながら、軽くこれまでの身の上話を済ませた。エンバイオ家に引き取られた後、奴隷身分から解放され、武功をあげて騎士の腕輪を授かったこと。それから修行の旅に出た結果、今では貴族の身分を得たということを、ごく簡単に説明した。
俺の話を、ジュサは黙って聞いていた。ただ、その表情には変化がなかった。まるで荒野の道に取り残された、路傍の岩のように無感動だった。いや、むしろあえて心を開くまいとしているかのように見える。
「いろいろあったけど、帝都には今、ウィストとタマリアがいる。フォレスティアに帰るなら、そっちにはドナとディーもいる。顔を見ていってくれたら」
「随分な話じゃねぇか」
皮肉な笑みを浮かべ、苦々しげにジュサは言った。
「俺はお前らを売り飛ばした側だ。親でもなんでもねぇだろが」
「誰もそんなことは思ってない。だいたい、ミルークさんからして、利益度外視で子供を引き取っていた。そのことはもう、みんな知ってる」
彼は、一見すると人を突き放すような態度をとることがある。だがそれはしばしば、善意や優しさの裏返しだったりする。実は情に脆く、動かされやすい。だからこうやって予防線を張ろうとするのだ。
コップを自分の膳の上に置き、彼は長い溜息をついた。
「そいつは勘弁してほしいな」
「どうしてですか」
俺の問いに、彼がしばらく沈黙した。
「やることがある」
ややあって、ようやく口を開いた。具体的な目的を省いたその表現に、俺は不穏なものを感じ取った。
「それは、命にかかわることなんですね? そうですよね?」
少し前の「黒き色魔」の忘年会。あの場でギルとラーダイが口にしていた、初老の冒険者。鍛錬に重きをおきながら、冒険者としてのランクアップには一切興味を示さなかった。人が戦う力を欲するのなら、その先にあるのは危険に決まっている。
「俺の問題だ」
「そうでしょう。でも、それは人に言えないようなことなんですか。何か悪いことをしでかそうとしているんですか?」
俺の追及に、彼はまた、深い溜息をついた。
「しょうがねぇな」
彼は俺とギルを見比べてから、ようやく重い口を開いた。
「お前には、大昔にちょっと喋ったろ。例の……俺が引退するきっかけになった、あの依頼」
「確か、エキセー地方のどこかの迷宮に潜ったっていう」
「そいつだ」
ジェードの冒険者になったジュサとその仲間達は、とある田舎貴族の依頼を受けた。学園帰りの嫡男が、領内にある遺跡に挑んでしまい、そこで遭難してしまったのだ。
魔物が出る迷宮らしいということで、それで箔がつくと思ったのだろう。或いは帝都の四大迷宮の続きのようなものと考えてしまったのかもしれない。その探索、序盤は順調だったらしい。だが、急に状況が変わってしまった。暗がりの中から恐ろしい魔物が突然現れて、探索隊をズタズタにしてしまったのだ。かろうじて逃げ延びた護衛の一人が地上に駆け戻り、異変を知らせた。
緊急依頼にもかかわらず、この機会を逃すまいとしたジュサ達だったが、その結果は無惨なものだった。確かに、貴族の嫡男を無事に救出できはした。だが、その代償は……
「そんなところに、今から行ってどうするつもりなんですか」
「わからねぇよ」
「わからないって」
「ただ、な」
彼の眼は据わっていた。
「この歳になって、心残りがあるとしたら……あいつのことだけなんだ」
……彼の人生における、唯一の奇跡。決して容姿に恵まれたとは言えない彼を、心から愛した女性。それがこの探索で、行方不明になった。いや、恐らくは、犠牲者の一人になってしまった。
「だけど、その迷宮に行ったところで、もうその魔物もいないかもしれない。仇討ちすらできないかもしれないんですよ」
「その時はその時だ。あいつの骨でも拾って、弔ってやるさ」
「それならそれでいいです。でも、魔物の種類によっては、逆にまだ生きてるかもしれない。そうなったら、もしかしたらとんでもない強敵が待ち構えているかも」
「それこそ、願ったりかなったりじゃねぇか」
やはりそうだ。
ジュサは、死にに行こうとしている。そして、言葉で止めたところで、聞き入れはしないだろう。死ぬ前の、たった一つの心残り。もう彼もそう長くは生きられない。五十過ぎともなれば、戦士として活動できる時期もほぼ終わり。そして、故郷の村を飛び出した彼には、帰る場所もない。家族も友人も、何も。
「別に、気に病むことじゃねぇ。俺が、俺のためにやるってだけなんだ。人間、いつかはくたばるもんだ。だったら、できること全部やってからにしてぇじゃねぇか」
「わかりました」
運が良かった。もし今日、たまたまギルドに顔を出していなければ、ジュサと出会うことはなかった。だが、彼の行き先はエキセー地方の片田舎。そして、俺はつい先日、ケアーナの誘いを受けて、ファンディ侯の船を借りて帰郷することになっている。
「だったら、ついていってもいいですか」
「なに」
「ちょうどもうじき、僕もティンティナブリアまで行くんです。そのついでですね」
この提案に、彼は目を剥いた。そして、見る間に口元が固く引き結ばれる。
「馬鹿なことを言うな」
「馬鹿ではないです。その危険な魔物がいなければ、ただの寄り道ですし、いた場合は……手数があった方がいいでしょう」
「だからそれが馬鹿だというんだ。いいか、俺が俺の決めたことのせいでどうにかなっちまったとしても、それはそれだけのことだ。でも、お前は関係ないだろう」
だが、俺は敢えて涼しい顔で言った。
「関係はないですね」
「だったら」
「ただ、余程の相手でもなければ、なんとかできますから。さっき言ってなかったですが、四色の竜、どれも一度は戦ったことがありますし」
「な、なに?」
俺はじっと彼の眼を覗き込んだ。
「要は仇討ちをしたいんでしょう? お金や名声が欲しいのでもない。腕試しでもないはずです。だったら、どんな手を使っても勝てばいい。自分の腰に手挟んだ剣でなくても、敵を貫けるならなんでもいいでしょう。間違っていますか」
動機がどうあれ、彼は戦いに赴こうとしている。戦うのなら、勝たなければいけない。死ぬ覚悟などというものは、別に戦士でなくても、誰もがそれなりにもつものだ。だが戦士は戦いを生業とする。戦うからには、必ず勝たねばならない。
「お前が巻き添えになるかもといっているんだ」
「なら、ジュサさん、訊きますよ」
語気を荒げる彼に、俺も身を乗り出した。
「僕が巻き添えになるのと、仇討ちできずに終わるのと、どっちが嫌ですか」
「なんだと」
「同じことです。僕の命を自分の命と置き換えれば通る理屈です。目の前で知人が無駄に死んでいくのを見過ごせるかと言えば、そんなわけないですよね」
そして、冷たい声色で言い切った。
「命懸けでジュサさんを逃がした人が、結局、自分のせいで犬死にされるのを、どう思うでしょうか」
この指摘に、彼は怒気を浮かべて腰を浮かせかけた。だが、かろうじて自制心が勝ったのか、その場に座り直した。
「な、なぁ、ジュサのおっさん」
これまで横で話を聞いていたギルが初めて口を挟んだ。
「ファルスは、デタラメに強いんだ。俺がすぐ横で見てる。こいつが敵わない相手なんて滅多にいないし、いたらどうせ誰の手にも負えないぜ。騙されたと思って、連れていってもいいと思うんだけどな」
「どうせなら、勝ちたいでしょう」
俺は続きを言った。
「ちょうど運よく、ファンディ侯の船でエキセー地方まで行けるんです。僕を使えば、その船にも乗れます。どうせ一人で安い客船で、雑魚寝しながら海を渡るつもりだったんでしょう? でも、大変な船旅で体調を崩して、どうやって魔物に勝つんですか」
「む」
「断る理由はほとんどないはずです。一つだけ、怖いのは負けることですね。でも、それなら尚更、戦力を増やすしかないんじゃないですか」
降ってわいた話ではある。
だが、見過ごすつもりにはなれなかった。




