黒き色魔
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ありがとうございます。
窓を開け放つ。外の光が入ってくる。吹き抜ける早朝の風が、この空間に満ちていた腐臭の名残を押し流してくれた。その爽やかさが恨めしい。俺は言葉もなく、その場に立ち尽くしていた。
「これでここはお使いいただけます、旦那様」
いつも口数の少ないミアゴアが、俺を気遣って声をかけた。
「ああ、済まない」
「後ろめたく思うことなどございません」
小さく首を振って、彼はなおも言った。
「旦那様がいつも、どれほど食材を大切になさっておられるか。それを知らない私ではありません。なのに、敢えてあのようになさっておられたのは、それだけの理由があってのこと。どんな料理人も、最初は米を炊き損ねもしますし、魚を捌くのにも骨に余計な肉を残すものです。旦那様には一人前の腕がおありなのに、なおも見習いのようになさっておられる。どうして責められましょうか」
「ありがとう」
せっかくの米を、麹菌の苗床にしようとして次々腐らせてしまった。この厨房の一角は、俺の実験のために閉鎖されていた。だが、どうせそれもすべて失敗してしまったのだし、今日は広い作業スペースを必要とするので、生ゴミになってしまったものを搬出して、廃棄した。
醤油への道は、どうしてこんなに険しいのだろう。どこも悪くない米をダメにしたのを見てしまうと、罪悪感が募る。全部やめてしまおうかと思わないでもない。
「切り替えていこう。今日はどれだけ来るかわからない。忙しくなる」
「承知しております」
「自分のためというよりは友人のためだが、それなりの立場の人間も顔を出すだろう。苦労をかけるが、助けてほしい」
先日、俺達のパーティーは、四大迷宮の一つ、フェイムスの地下十八層に達した。これによって、ギルはトパーズの冒険者証を得た。ついでに、ラーダイとコーザ、それにウィーもアメジストに昇格した。経緯と内容はどうあれ、めでたいことだ。だから、最初は打ち上げをどこかでやろうと、そういう流れになった。
だが、どこかの店で飲み食いするくらいなら、どうせなら俺が腕を振るった方が、と思いついた。それで話が広がってしまったのだ。ニドが、そこまでするならいっそのこと、旧公館の中庭あたりでお披露目会でもやったらどうだ、と言い出したのだ。つまり、優秀な成果を収めた学生冒険者のアピールの場、特にギルを有力者に売り出すきっかけにしようと。
この意見に、ラーダイも強く賛成した。ギルと違って帰国後の椅子も用意されている彼ではあるが、将来、高い地位を得る方々と顔見知りになっておくことには意味がある。それにそんな実利以前に……要するに彼はミーハーだった。アスガルやヒジリに対する態度をみてもわかる通り、偉い人には滅法弱い。
「ふふ」
「どうした」
「いえ」
ミアゴアは控えめに笑みを浮かべていた。
「旦那様のなさりよう、いつも斬新ですから。私の方が年嵩なのに、学べることがあって楽しいのですよ。苦労などと、とんでもない」
彼の感想に納得するところはある。
今回の食事会だが、ニドのリクエストは、簡単なようで難しい。というのも、実は旧公館には、使い勝手のいい社交用のスペースがない。一応、ラギ川寄りのエントランスから二階に上がれば、催事に使える空間はある。だが、若干手狭でもあるし、客が小舟に乗ってやってこなかった場合、敷地の中をぐるりと遠回りさせないと、そこまで行き着けない。恐らく、ワノノマ風の中庭に作り替える前の、昔の商館だった頃には、陸側の中庭からも二階のスペースに接続できていたのだろうが、今はそんな作りにはなっていない。
俺の関係者で足を運んでくれそうな人といえば、まずはアスガル辺りだが、彼は馬車で駆けつけるだろう。その辺を考えると、会場として適しているのは中庭の方だ。だが、そうなると、よくあるパーティーのスタイルで客をもてなすのは難しくなる。夏の社交でもそうだったが、普通は椅子と丸いテーブルを用意して、そこに作り置きの料理をメイドが供するものなのだ。しかし、この公館には屋外用の椅子やテーブルなど、そんなにないし、中庭の地面には起伏もある。何より、こちらもやや手狭なのだ。
これらの問題を解決する手段なら、俺のレパートリーの中に存在する。具体的には、立食パーティーというやり方だ。
「身分に見合った客をもてなすやり方にはならないのに……こんなやり方を知ったところで、他で使いようもないだろう」
「今はそうかもしれません」
ミアゴアは、顔を伏せて答えた。
「けれども、どこかで誰かが、いつか必要とするかもしれません。その時、旦那様のなさったやり方を、誰かがなぞるのです」
確かに、今回のやり方は、この世界で目にした立食パーティーとは一線を画すものだ。料理にも、その場に見合ったやりようというものがある。だが、客はそれに気付かなくともいいのだ。
俺は頷いた。
「始めよう」
昼前に大方の準備は片付いた。今回は俺自身が来客の対応を引き受ける側なので、以降の仕事はミアゴアその他の使用人達に任せるほかない。着替えを済ませたところで、最初の訪問者達がやってきたことを、ファフィネが伝えにきた。
「やぁ、いらっしゃい」
「ど、どどどっど、どうも、お邪魔します」
「なんだか悪いな」
やってきたのは、ギルとコーザ、ラーダイの三人組だった。ニドとウィーは後から顔を出す予定だが、これには理由がある。どちらも身元を詮索されるとまずい立場の人間だからだ。元テロリストで今は色街のナンパ師とか、要人の暗殺未遂で指名手配されていた女とか、改めて言葉にしてみると、やっぱりとんでもない連中なのだ。なので、他のメンバーはいるけど遅刻してくる、ということで、最初のメンバー紹介から外すことが決まっている。影を薄くしたいのだ。なお、ビルムラールは、俺と同じで身分の高い側の人間なので、ギル達を要人のタマゴに紹介する側にまわることになっている。
「ちょっとした後押しをしたかったんだ。それに、久々に腕を振るうことができたし、自分としては楽しめたから」
少々言葉足らずだったかもしれない。腕を振るうというのは、断じて剣のことではない。今回の料理のことなのだが。
「今日は誰が来るんだ?」
ラーダイの問いに、俺は肩をすくめた。
「はっきりとしたことは言えない。掲示板に張り紙しただけだし。ただ、アスガル先輩は必ず顔を出す」
学内の、生徒が自由に利用できる掲示板に、学生パーティーによる迷宮踏破とその打ち上げ会のお知らせを載せただけなのだから。ただ、顔を出したい人は自由参加と明記してある。例によって俺の意を汲んで行動するアスガルは、わざとこの件について喋り散らし、俺は顔を見に行くつもりだ、などと公言してくれている。
回りくどいのだが、俺が自分から、例えばグラーブなどに参加してほしいとお願いするのは難しい。いや、はっきりそう頼まれれば、予定を調整できない場合を別として、彼は来てくれる。俺のことをどう思っていようと関係ない。未来の王者として、目下の者の頼みを断るなど、できはしない。笑顔で後輩の成功を祝福し、称賛してくれるだろう。だが、俺の目的はギルのプロデュースであって、自分の立身出世にはない。一方、グラーブにとっては、ギルなど一山いくらの人材でしかない。どうしてお前の私的な友人のために俺がわざわざ……という話になってしまう。
だから、あくまでどこまでも私的なパーティーという体裁でやるのだ。内輪の打ち上げ会だけど、興味があればどなたでも気軽にどうぞ、招待枠なんかありません、そういう形で済ませる。ただ、アスガルは顔を出すので、そうなると彼のスタンドプレーを許したくない大物が、つられて動いてくれるだろうと、そういう目論見でやっている。
いずれにせよ、グラーブは溜息をつくだろう。余計に気疲れさせやがって、と。ただ、俺の動機がどの辺にあるかを理解すれば、納得もしてもらえるだろう。半ば呆れられながらだろうが。要するに、グラーブやアスガルのような大物は、撒き餌でしかない。それより一段、格落ちする貴族の家、そちらに認知される方が主目的なのだから。
だから、そもそも座席を設けての宴会にはできない。人数は不確定。第一、誰がギルを評価してくれるかわからないので、参加者が不確定である方が望ましい。想定より参加者が多くても、また少なくても、対応できる形式で待ち受けるのが望ましい。
背後に小さなノックの音。返事をすると、ヒジリが自ら扉を開けて、立ち入ってきた。来客に一礼して挨拶する。
「皆様、ようこそお越しくださいました」
狼狽するコーザに、恐縮するラーダイ、表情を引き締めて会釈するギル。
「今日はお世話になります」
「まぁまぁ、お気になさらず。旦那様の大切なご友人ですもの、ここは我が家とお考え下さいませ」
三人を眺め渡しながら、ヒジリは言葉を継いだ。
「それにしても、勇ましいことですね。四大迷宮の最深部までなんて、滅多にあることではございませんから」
ラーダイが、やや上ずった声で応じた。
「な、なんてことはないですよ! でも、何かあった時には、僕らが姫様を守れますんで!」
「まぁ、頼もしい」
白々しい返事に苦笑いしつつ、俺は彼らに廊下の方を指し示した。
「お客が来るまで、部屋で寛いでいてくれ。ある程度、頭数が揃ったところで、みんなを中庭に案内しないといけない。そうなったら、こっちはもてなす側になるんだから」
ここからが煩雑なところになる。どんな人がどれだけ来るかわからない。予想はできても不確定。身分に見合った対応もしなければならない。そして、ある程度の人数が揃うまでは、少し待たせることになる。だから一階の部屋の多くが臨時の待合室とされた。一番上等な客を迎えるための空間には、ヒジリを配置しておかねばならない。というのも、アスガルとグラーブが鉢合わせする可能性が高いからだ。そして、その辺のことはすべて、公館の使用人達に任せるしかない。俺はやきもきしながら、ギル達と一緒に、トエの合図を待つばかりだ。
それほど待たされることもなく、タウラが俺達の部屋にやってきて、来客の案内の準備が整ったことを伝えてきた。
緊張でガチガチになっているコーザと、やや硬い表情をしたギル、見るからにテンションの上がったラーダイを後ろに連れて、俺達は中庭に出た。
さっと周囲を見回した。料理の配置は……これでいい。
決して広いとは言えない中庭。北側にある縁側は、西の端を使用人の出入口に、衝立で仕切られた東側は臨時の座席として使用する。東西の壁際は飲食物を提供するブースを配置。直射日光を避けるために、布製の屋根を設置してある。特に西側は、飲料を供する場所とする。さっき、魔術で大量の氷を作り出しておいた。秋とはいえ、日中は割と気温が高くなるから、冷たいフルーツジュースは喜ばれるだろう。
そして南側。池の手前に設けられたスペースが、いわば俺達のお立ち台。そこには今回の探索の成功を示す横断幕も……
「あぁ?」
そこで俺の足が止まった。
「ん?」
ラーダイが、俺の顔を見て不思議そうな表情を浮かべた。
「どうしたんだ、ファルス」
「これはどういうことだ」
「どういうことって、何かおかしなところがあるか?」
そこにはでかでかと記されていたのだ。
《冒険者ギルド認定パーティー『黒き色魔』四大迷宮フェイムスの地下十八層を制覇!》
そういえば、ギルドが認定するパーティーには、通称が設定されるものだった。俺が人形の迷宮で結成した最初のパーティーは『フライパン』だったし、その後、キースやビルムラールと共に組んだのは『世界最強キース様とその金魚のフンたる下僕ども御一行様』、そしてガッシュが組んでいたパーティーはといえば『青魚食べ放題』だった。
傾いてナンボの冒険者、と言えば、それまでのこと。真面目腐った名前とか、カッコつけてスベった名前より、わかりやすくて笑い飛ばせる名前の方がいい。それは理解できる。しかし、だ。
「おかしいも何も! ラーダイ、これ、名前考えたのはお前か!」
「え? 問題か?」
「黒き色魔って誰のことなんだ」
「そりゃお前以外、あり得ねぇだろ」
目元を抑えて、俺はしばらく衝撃を堪えていたが、すぐ立ち直って畳みかけた。
「なんでこんな名前にしたんだ」
「そりゃだって、発起人は俺と、コーザと、ギルだろ? だけどギルが、リーダーはファルスにしろっていうもんだから」
俺がキッと振り返ると、ギルは曖昧な笑みを浮かべた。
「だって……そうだろ、どう考えてもお前が一番なんだし」
ギルは常識的にそう判断したに過ぎなかったのだろう。
「その後は、ラーダイに丸投げか」
「済まん! ずっと雑用の仕事ばっかりやってて、時間なくて」
生活費を稼ぐのに手いっぱいのギルが、書類仕事にかまけてなどいられないのは、なるほど、道理だ。
「そうそう、お前が一番だろ? 身分だって一番高いんだし、そりゃあまぁ、パーティーの顔だよな」
おかしなところなど何もない、と言わんばかりに、ラーダイはむしろ得意げに続けた。
「だいたい、冒険者パーティーの名前がふざけてるのなんて、当たり前だろ? 目くじら立てるようなことか? それにギルドに書類提出に行ったのは、お前とコーザだろ? 文句があるなら、なんでその時に言わなかったんだよ?」
「それは……! 確認を怠ったのは悪かった! だけど、ここに来るのは身分の高い人達ばかりなんだぞ。それなのにこんな」
「だーいじょうぶ、大丈夫! 怒り出すようなのはまずいないって」
「いや、やっぱりこれは……取り外す!」
「おい、待てよ、ファルス」
その時、非情にも、背中からファフィネの声が突き刺さった。
「お客様をご案内致します」




