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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十六章 恋と醜聞
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無言の排除命令

下書きが間に合えば、2023/12/24から不幸祭りをします。

が、これを書いている時点で、まったく目処が立っていません。

隙間時間を見つけてなんとか少しでも進められるようにします。

 秋らしい晴れ空の下、あの真っ白なソフトクリームのような、冒険者ギルド支部の塔がくっきりと浮かび上がっていた。今日は雲一つない。風はほとんど感じ取れないほど穏やかで、そよげば涼しく、止めば暖かい。こうして佇んでいるだけで、夢の世界へと迷い込んでしまいそうな昼下がりの一時だった。


 ……そうだ、この世界にはアイスクリームがなかったな、魔法を使えば氷を作ることもできるけど、そういうのなしで氷を作れる技術をなんとか見つけ出したい、そうすれば一般の人々にアイスクリームを味わってもらうことができるんじゃないか……


 前世の料理のレシピこそ頭に叩き込まれているものの、冷蔵庫の作り方などまるでわからない。朧気ながらに覚えているものがあるとすれば、せいぜい気化熱を利用したジーアポットの存在くらいなもので、氷点下を下回る温度を生み出す方法なんて、まったく考えつきそうにない。こんなことになるとわかっていたら、もっと学校でしっかり勉強したのに。

 そんなどうにもならないことをぼんやりと考えながら、俺はギルドの前で突っ立っていた。だが、そう待たないうちに、後ろから足音が近づいてきた。


「お待たせしました」


 振り返ると、そこに立っていたのはコーザだった。


「ああ、お疲れ様です」

「いえいえ、わざわざ学園からこんなところまで」

「それを言ったら、コーザさんのが遠いでしょう?」


 迷宮探索用のパーティーについての手続きをするために、わざわざここで待ち合わせていたのだ。

 パーティーの代表はラーダイで、その他の設立メンバーがギルとコーザ。ただ、それだけでは頭数も足りていないので、俺の能力に絶対の信頼を置くギルから誘われた。そして俺の知人からも人を集めた。だから今日は、俺が自分の分と、他、ニドとウィー、ビルムラールの委任状を手にしてここまでやってきた。


「ええ、けど今日は早上がりできる日なので。終わったら、また箱車でぐるっと戻って、そこから乗合馬車で家まで帰りますよ」


 書類仕事について、ラーダイは面倒になったらしく、コーザに丸投げしたらしい。


「それより、ファルスさんの方が忙しいんじゃないですか?」

「この後、また学園に戻るんですが、それは教授に個人的に用があるだけなので」


 そう話しながら、俺達は建物の入口を潜った。途端にひんやりした空気を感じる。

 言葉少なに受付に書類を提出すると、しばらく待たされた。席を立って事務処理に出かけた受付嬢の席をぼんやり眺めていると、またコーザが話しかけてきた。


「そういえば、ファルスさん、あの、ラーダイって人とか」

「うん?」

「そんなに強いんですか? ギルさんも強いみたいなんですが」

「ああ……ギルは一人前の戦士といっていいと思うけど、どうしてです?」

「いや、だって」


 コーザは肩を揺すった。


「だって、なんか聞いてると、ラーダイさんって、ファルスさんより自分のが強いみたいなことを言ってて。本当かなぁと」

「うーん」


 自分は強い、なんて俺は思っていない。所詮は借り物の力だから、という負い目がある。だから、あいつの勘違いなだけ、なんてあっさり言えないところがある。


「人形の迷宮を終わらせた、あのキースさんの仲間だったってだけで、もう並大抵じゃないと思ってるんですけど、それより上なんてことは」

「正直、あの迷宮にラーダイが送り込まれて、生き延びられるとは、僕も思ってないですよ」

「ですよね!」


 やっと合点がいったとばかり、彼は大きな声で叫んだ。


「それより、こんな手続きまで押し付けられて。ギルは忙しいから仕方ないけど」

「いえいえ、いいんですよ」

「よくないです。ラーダイは学生で、暇もあるんだろうし。コーザさんは働いてるんですから」

「んー、面倒なのはそうなんですけど……でも、ちょっと嬉しいんですよ」


 俺が不思議そうな顔をすると、彼は付け足した。


「こう、なんていうかな、僕も、身の程ってものがわからないわけじゃなくて。ファルスさんとか、キースさんとか、もう雲の上の人じゃないですか。普通だったら関われないような人と、こうやって話せるだけでも凄いことですよ」

「そうでしょうか。いや、キースさんは、うん、本当の英雄だと思いますけどね」


 ピアシング・ハンドがなかったら、俺はただの料理人でしかない。その意味では、俺もコーザと同じだ。冒険者ギルドの建物を見上げながら、ずっとソフトクリームのことを考えていたような人間でしかないのだから。

 モーン・ナーの呪詛は、俺を世界の頂点に立つ人々と引き合わせた。凄腕の戦士ばかりではない。一国を動かす王者や、修行と学問を究めた聖職者、悪の限りを尽くしたテロリストまで。凡人にすぎない身の上で、一流の人々に出会うことができた。だから、少しだけ普通ではなくなった。それだけだ。


 雑談しているうちに受付嬢が戻ってきて、コーザに書類を差し出した。これでパーティーとして迷宮に挑む準備が整った。近々、みんなを集めて作戦会議を開くことになる。


 途中までは帰り道が同じということで、純白の二番橋を渡り、エスタ=フォレスティア王国の公館を左手に見ながら歩いていた。ところが、そこでちょっとした異変に気付いた。道行く人々が、北の通りから速足になってこちらの大通りに駆けてきている。


「どうしたんでしょうねぇ」


 コーザがのんびりした口調でそう言った。


「誰かが暴れているのでしょうか」


 本当は、精神操作魔術で通行人の意識を読み取ったのだが、そうは説明できないので、少し言葉を濁した。


「ええっ、困りますね。僕、そろそろ左に折れないと。箱車に乗りたいのに」

「じゃ、そこまで一緒に行きます。お見送りしますよ」


 騒ぎの震源地に向かって、二人揃って速足で進んだ。すると、まさに箱車の終点近くにある公園の辺りに、人だかりができていた。それと、派手な打撃音も聞こえてくる。人垣を掻き分けて前に出ると……


「うわっ、またですか」


 コーザが呻いた。


 公園の真ん中にいたのは、みすぼらしい風貌の男だった。見るからに浮浪者といった感じで、髪の毛も髭も伸びっぱなし。それも入浴したのもいつが最後かわからない。服も雨風にさらされてきたのか、元の色は落ち切ってしまっている一方、汚れだけはしみついている。

 そんな男が、ひん曲がった錆びだらけの鉄の棒を両手で掴んで、公園に置かれた設備をぶん殴っている。最初に犠牲になったのはベンチらしく、ちょうど真ん中の辺りにあったはずの手摺りがボコボコに凹まされていた。今、彼がぶっ叩いているのは、二本の大きな木の間に立っているマスコットキャラクターだ。既にかなりの打撃が加えられた後らしく、もはやどんな彫刻だったのか、はっきりとはわからないのだが。


「これはひどい」

「もうじき、警察が来ますよ」


 コーザがそう呟いて間もなく、俺達のすぐ後ろの方から、勢いよく人混みを突っ切って、大きな盾と棍棒を手にした帝都防衛隊の職員が前へと躍り出た。彼らは浮浪者を取り囲むと、大声で呼びかけた。


「それ以上の迷惑行為をやめなさい! 今すぐその棒を捨てなさい!」


 その声に、浮浪者は一瞬だけ、硬直したが、またすぐに雄叫びをあげると、目の前のオブジェに鉄の棒を振り下ろした。


「排除します!」


 隊長らしき人物がそう言うが早いか、隊員達は猛然と突っ込んでいく。大きな盾をあちこちから押し付けられると、浮浪者はあっという間に動けなくなった。ついで盾の狭間から別の隊員が手を伸ばし、腕一本、足一本に一人ずつ掴みかかって、あっさり浮浪者を地面に組み伏せた。


「確保!」


 多勢に無勢、最初から浮浪者に勝ち目などない戦いだった。なんと無謀なことか。

 事件の決着を見て、人々は早々に興味を失ったらしく、公園に背を向けた。そんな群衆をまた掻き分けて、防衛隊の人々もすぐにいなくなる。


「物騒ですね」


 俺は事件を目にして、そう呟いたのだが、コーザは首を振った。


「珍しいと言えば珍しいですけど、割とありますよ、こんなのは」

「一歩間違えば、市民が大怪我していたかもしれないのに。帝都って前からこんなに治安が悪かったんですか?」


 この前の夏の暴動がなくても、こういう事件が頻発するのなら、とてもではないが、安全とは言えまい。ピュリスの方がまだ平和だろう。


「それはないです」

「ないって、物は殴っても人は殴らないって思ってるんですか?」


 俺の問いに、コーザは左右を見回して、人が去りつつあるのを確認した。


「あの人は、この公園に腹を立てていたんですよ」

「公園に? どういうことです」

「じゃ、ご案内します」


 ご案内とは変な言い回しだ。しかし、コーザは至って真面目な顔つきだった。


「そろそろ野次馬がいなくなったみたいなので……まず、トイレに行きましょうか」

「トイレ?」


 用を足したい、のでもないのだろう。


「僕、子供の頃に一度だけ家出したことがあるんです」

「家出、ですか」

「勉強が苦手なのに、母さんがやれ、やれというもんで……わからないことを無理してやるのって、苦痛じゃないですか。勉強しなさいとは言うけど、どうやって勉強したらいいかは教えてくれない人でした」


 脇に逸れた話題を引き戻すようにして、彼は公衆便所の床を指差した。


「どう思います?」

「どうって」


 今日も帝都の公園の公衆便所は、清掃が行き届いていた。悪臭もほとんどない。


「トイレにしては清潔だと思いますが」

「それだけですか」

「他になんといえば」

「ファルスさん、ここで寝られますか」


 いきなり何を、と思ったが、すぐ気付いた。


「あ、そうか、家出」

「はい」

「寝る場所が欲しい。でも」


 俺は改めて足下に目を向けた。清潔なトイレの床は、ブラシで磨き抜かれている。それこそ、横になって寝てもいいくらいに。ただ、その石の床の表面には、細かな突起が刻み込まれている。


「滑り止め、でしょうか」

「公園の地面より高い位置にあるのに、こんなところが雨水で滑ると思うんですか」


 つまり、これは滑り止めではない。滑り止めという名目ではあるとしても、別の目的のためにわざわざ作りこんだものだ。


「次はベンチを見ましょう」


 コーザは先に立って、浮浪者の手によって半壊したベンチを指差した。


「あそこで寝てください」

「なるほど、そういうことですか」

「はい」


 彼が指摘している現実を、俺も受け入れざるを得なくなった。


「ということは、前に見た時にはなかった、あの二本の木の間にある彫像も」

「雨宿りさせないためです」


 帝都は、格差社会だ。しかも、ティンティナブリアのような昔ながらの田舎と違って、地縁がない。よって貧困に陥った個人を救済するのは共同体ではなく、政府の役割だが、それも市民権を持たない移民相当の身分の人間については、ごく手薄いサポートしかない。結果、食べるものにも不足し、寝る場所も確保できない浮浪者同然の人々が吐き出される。

 そのような貧民は、必要なのだ。さもなければ、ラギ川の浚渫作業のような、誰もやりたがらない重労働を低賃金で引き受けてもらうということができなくなる。だが一方で、そうした貧民が市街地を自由に歩き回るのは好ましくない。だったら公権力、つまりは軍や治安機関の手でどこかに押し込めてしまえばいいのだが、帝都の正義、その建前に従うなら、それもまた都合が悪い。奴隷制と変わらないような解決策では、具合が悪いのだ。

 では、どうするか。貧民が出現するのは、あくまで自由な経済活動の結果であり、帝都の正義は傷つけられない。そして、そうした貧民が富裕層の暮らす市街地に居座ろうと思わないのは……あくまで自発的に立ち去っていく限りにおいては、別に問題視するようなことではない。あくまで浮浪者自身の選択という建前を守るために、行政は小さな努力を惜しまない。つまり、トイレの床には突起を、ベンチの真ん中には取り外せない手摺りを、雨宿りできそうな木々の狭間には邪魔くさい彫像を置く。

 寝られる場所を潰すわけだ。出て行きなさい、とは言わない。ただ、どうにもいられないようにする。公園としては、それで問題ない。市民……富裕な人々は、ここを宿代わりにはしないのだから。


「じゃあ、それがわかってしまうから、さっきの人は」

「僕も、他人事じゃなかったですから。どこの大学にも入れなくて、死ぬかもしれないけどどうせならって……思い余って女神挺身隊に参加しようかって悩んでた時には、やっぱりこういうところで寝泊まりすることを真剣に考えてて。だから、わかるんです」


 そして、そんな陰湿な排除に怒りを爆発させた愚か者は、今度こそ治安機関の手によって処分される、と。

 この穏やかな秋の日に、なんとも胸糞の悪いものを目にしてしまった。


「でも、僕は市民権を手にできたから。これからも正義党を支持しますよ。せっかく掴んだんですから、しがみつかないと。他にどうしようもないでしょ?」


 そう言いながら、コーザは苦笑いしつつ首をゆっくりと振った。

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