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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十六章 恋と醜聞
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別邸通いの許可を得て

すみません、体調を完全に崩してしまったらしく……

しかも極めて多忙なのは変わらないので、ちょっと状況が厳しいです。

不幸祭り、この冬は難しいかもしれません。


一応、飛行機の中でもトランジット中でもとにかく作業は少しでもやろうと思っていますが、それでも間に合わない可能性が高いです。

その際にはご容赦ください。

 秋の夕暮れ時は殊の外美しいが、いかにも儚い。通りの向こうにうっすら浮かぶ赤紫色の残照だけが、取り残されている。既に空気は冷たくなってきている。日中は快適な涼しさだったのが、この時間になると肌寒さが勝ってくる。

 今日はヒメノを校門のところで帰した。代わりに、待ち構えていたポトと合流して乗合馬車に乗り、ついさっき、最寄りの停車駅で降りたところだ。


「そこを左に曲がる」

「はい、旦那様」


 気が咎めないといったら、嘘になる。ヒジリは、お堅いところが目立つとはいえ、過不足のない婚約者であると言える。なのに、婚約者公認彼女という、ちょっと何を言っているかわからなくなるような立場の女性がいる。そしてヒメノは、そんな微妙な身分に文句も言わず、いつも笑みを絶やさず、俺が過ごしやすいようにと傍で気を配ってくれている。

 それなのに、俺は今から、別宅にいる他の女に会いに行く。これも両者の許可は得ているのだが。


「いやぁ、それがしはわかっておりますぞ」


 無言で歩く俺に、いきなりポトが声をかけてきた。


「なに?」

「いや、男とは、そういうものでございます」

「何の話だ」

「これから会う娘のことですよ」


 ノーラが用意してくれた別宅、結局、使っているのは今のところ、ウィーだけだ。何かと忙しく、割と放置してしまっているのだが、今回は用事がある。相談しておかないといけないことがあるから、会わないわけにはいかなかった。


「ポト、変な誤解はやめて欲しい」

「いやいや、誤解などしておりません」

「ならいい」

「ヒジリ様からは傍で見張るようにと命じられましたが、なんの、弁えくらいございますでな。ちゃんと外で立って待っております。気遣いはご無用」


 ああ、誤解している。からかっているのでもなさそうだ。


「ウィーは別に僕の愛人じゃない」

「方便はいいのですよ。ヒジリ様も、口ではああ仰いますが、許さないようには思われません」


 ポトは俺が逢引に行くのだと思っている。


「仕事その他、相談があるから行くんだ。もちろん、世間話もするし、近頃顔を見ていないから、少しはゆっくりすると思うが」

「ええ、ええ、のんびりなさってください」

「だからそうじゃないんだって」

「旦那様」


 彼は横を歩きながら、真顔で、俺の顔を覗き込んで言った。


「気苦労はお察し申し上げる」

「気? 苦労?」

「それがしとてわからぬ道理ではありませんからな。いかに美しいとはいえ、今のところ、指一本触れられぬ奥方。いや、仮に我が物にできるとて、あのような……武人の家の、肩肘張ったところそのままの女人相手では、男の満足など程遠いことでしょう。さりとて、その奥方の宛がった娘など……着物を脱ぎ、褥の上で肌を重ねようとて、それでは常に、背中から奥方の目が突き刺さっているようなもの。それでどうして存分に楽しめましょうや。誰にもとやかく言われぬ場所でなくば、気の晴れようがございません」


 盛大な勘違いなのだが、ポトの言わんとするところは、十分に理解できる。

 あの厳格なヒジリが、いいですよ、と差し出した娘。我が物にしたところで苦情などあり得ない。ただ、そこには無言の圧力がくっついてくる。ヒジリの許可の下、ヒジリの思惑の中で、カエデやヒメノを抱く。手を出したらその分、俺の首輪がきつく締まるのだ。

 そんな事情が背景にあるのに、心ゆくまで女を味わえるなんて、そんなことあるわけがないと、彼はそう言っている。宛がわれた娘達が美人かどうかなど、問題ではない。気兼ねなく楽しめるのでなければ、意味がない。

 だから、ウィーとの関係も見逃すつもりだと言ってくれたのだ。仮にその件でヒジリからお小言をもらったとしても。また、その叱責にしても、本気のものにはなり得ない。なぜなら、ヒジリにとっての最優先課題は、ファルスの逸脱を防止することにあるから。自分の用意したワノノマの娘達と結ばれるのが最も好ましいが、仮にそれがうまくいかなくても、やはり俺が人間の娘と愛し合い、そのうち家庭を築いて落ち着いてくれれば、魔王やその使徒に取り込まれるリスクはぐっと小さくできる。

 その意味で、実はヒジリはまったく弱い立場だったりする。俺が誰を選び、愛したとしても、本気で邪魔をすることはできない。苦々しい思いを抱いたとしても、追認する以外の選択肢がないのだ。

 それどころか、仮にもし俺が強引に迫ったり、押し倒したりしたとしても、ヒジリは本気で抵抗することができない。俺はとげとげしい人間関係を嫌うから、そんなことはしないし、ファフィネ達にも手を出さなかったのだが、俺の性格や行動次第では、旧公館がエロ屋敷になっていても不思議はなかった。そして、そうなる可能性まで織り込んで、一切を覚悟の上で、彼女らは帝都に着任していたのだろう。だから、怖い奥方と尻に敷かれる俺、という関係性は、一種のプロレスだったりする。


「話はわかったが、そういうつもりはない」

「おや、そうでしょうか。まぁ、先々はわかりませんし、あれこれうるさくは申しませんとも」


 意味ありげに、彼は笑みを浮かべてそっぽを向いた。


 玄関の扉を開けたところで、離れた場所から矢の突き立つあの音が聞こえてきた。木製の的を相手に、今日も練習を重ねていたのだろう。だが、来訪者に気付いたのか、すぐその音は止んだ。おかげで居場所がわかる。一階の中庭にいるに違いない。


「ウィー! ファルスだ」


 他の人が鍵を開けて入ってくるはずもないのでわかっているとは思うが、仮に彼女が過剰に警戒していた場合、恐るべき射撃にさらされることになる。名乗っておかない理由がない。

 そのままフォレス風のエントランスの、正面のカーテンをめくって右手に折れ、左側の扉を押し開ける。中庭の一階に出た。


「いらっしゃい」


 中庭に落ちていた矢を拾い上げたところで、ウィーは俺を見上げて、そう言った。それからすぐ、言い直した。


「ううん、おかえりなさい、かな」

「難しいところだね」


 ここは俺の家だが、住人はウィー。そして彼女は家賃を払って居住権を得ているのでもない。居候なのだから。


「練習していたんだ」

「まぁね」


 中庭に落ちていたのは、矢だけではなかった。パラシュートそっくりの何かがいくつかある。ただ、その傘の部分には、不規則に穴が開いていた。


「難しいことを、また」

「大したことないよ」


 多分、上の階に括りつけておいたこれらの標的について、まず矢で撃ち落とす。パラシュートに開けられた穴のせいで、不規則な落ち方をする。今度はそれを狙って、標的の重しの部分を撃ち抜く。そういう練習道具を自作していたのだ。

 落ちる標的を狙うのは難しい。実際の狩猟では、動き回る相手でも一瞬だけ止まったりはするし、そのタイミングを予想して見計らえばうまく当てることもできる。だからいろんな方法で獲物を動かして、都合のいい状況を作り出す。だが、ウィーはといえば、いつでもどこでも、しとめたい時に命中させられるようになっておきたいのだ。


「……忙しい?」

「え?」

「ファルス君は、ここには滅多に顔を出さないから」

「ああ」


 どうしようか、と少し迷ったが、とりあえず尋ねてみた。


「夕食は?」

「まだだけど」

「せっかくだし、日持ちのするものを作るよ」


 ポトを待たせることになるが、事前に伝えてあることだし、ほんの一時間半ほどだ。我慢してもらおう。

 まずは最寄りの市場で手に入れたイワシを手早く開いて骨を落とした。それからすぐ、イワシの身を塩水に浸した。ここまでは急いだが、あとはのんびりだ。家に置いてあった材料でドレッシングを自作し、サラダを洗って切って盛り、パンを輪切りにしてから、フライパンの用意をする。あとはオリーブオイルに浸して弱火で加熱するだけ。


「できたよ」

「随分作ったね」

「一日分じゃないから。しばらくは食べられる」


 オイルサーディンは、固いパンの上にのせて食べてもおいしい。それに、一口ずつ食べるこういう料理なら、俺は一切れで済ませて帰ることができる。屋敷に帰ったらヒジリと夕食を食べなくてはいけないのだし。

 二人で食事するには、やや広すぎる空間だった。商館の二階の中庭から見る邸宅内は、半ば無人の家のようで、殺風景に思われた。椅子を引きずる音が、やたらと耳につく。


「なんか」


 向かいに座ってから、俺はこの空虚な場所を体感して、申し訳ない気持ちになった。


「うん? どうしたの?」

「ごめん」

「どうして謝るの?」

「こんなところに一人きりにしておいて」


 ろくに知り合いもいないし、訪ねてくるのもいない。孤独な暮らしをさせてしまっている。


「そんなの、ファルス君の責任じゃないよ」

「そうでもないと思うけど」

「そうだよ。帝都に残るって言ったの、ボクなんだから」


 それはそうなのだが……


「じゃ、いただきます……ん、おいしい」


 固いパンの上にオイルがしみこむと、程よい歯応えになる。もちろん、旨味も滲んでいる。


「なんだか久しぶりな気がする。いつだろ、最後に食べさせてもらったの」

「えーっと……ピュリスにいた頃かな? いつもの酒場で……何を出したっけ」

「うーん、なんだったっけ? トンコツラーメン、じゃなかった気がする」

「あの時は、ウィーは太るからって、嫌がってたよね」


 眉根を寄せつつ笑って、彼女はリクエストした。


「だって……味は気に入ってたから、本当はまた食べたいんだけど、作ってくれる?」

「そうしたいけど、時間かかるからね。少なくとも半日くらい、ずーっと骨を煮込むんだから」

「そんな手間かかってたんだ」


 あれはアイビィが気に入ってくれた一品でもあった。本場のはずのアルディニアではほとんど見かけなかったから、今にして思うと、この手で作って出すことができてよかった。


「なんだか、懐かしいな」


 どんな顔をしたらいいんだろう。ウィーには、帰る場所がない。


「ピュリスは、あれからどうなったんだっけ。前にファルス君を追いかけてた時に一度だけ立ち寄ったけど、迷子になっちゃって、ちゃんと見て回ってないんだよね」

「市内は大改造されてるよ。親父さんの店も、一応残ってはいるけど」

「そうなんだ」

「新しい総督の下で、うちの商会が……その、僕が知らないうちに、僕が街の支配者になってて」

「なにそれ」


 話題を料理に戻す。


「トンコツラーメンは、今でもあの店の名物だったはずだよ。他の店には作り方を教えてないから。でも、真似するところはあるかもだけど」

「いいなぁ」


 そこで言葉が途切れてしまう。ウィーの笑みは、いかにも儚げだった。


「ウィー」

「ううん、わかってる。自業自得だよ。仇討ちに拘って、大事なもの、全部自分で台無しにしたんだから」


 そろそろ、大事な用件を切り出さなければいけない。


「それで、その」

「うん」

「話が二つあるんだけど、いいかな」

「なに?」


 一つ目は、ごく簡単な、遊びみたいなお話だ。


「実は、あの、覚えてる? 夏に一緒に仕事をした、ギルって」

「うんうん、大柄なルイン人の子だね」

「あいつが就職活動を兼ねて、迷宮に潜りたいと言っていて。それと、ポロルカ王国の、まぁ貴公子みたいなものかな、ビルムラールさんっていう知り合い。この人、魔法使いなんだけど、この人も迷宮に興味があるみたいで」

「へぇ」

「でも、ギルは弱くはないけど、その手の経験不足もあると思うし、ビルムラールさんは……経験はあっても、一人ではてんでダメというか、不器用な人だから、腕利きをつけた方がいいかなと思ってて」


 だからニドとウィーをつけたい。二人がいれば、ラーダイやコーザがいても、守り切れないということもない。


「まぁ、いいよ。都合が合えば」

「ありがとう。あと一つの方が重要で、ちょっと秘密のあるお仕事になるんだけど……」


 二つ目は、一見遊びみたいに見えて、実は難しいお仕事だ。例のグラーブのデート。リー家の令嬢を連れてごく個人的な交際を演出する。ただ、だからこそ、護衛をゾロゾロ連れて行くのは避けたい。形の上では、殿下の勝手な振る舞い、自然な自由恋愛の結果ということにしたいからだ。一方で、替えの利かない王子の守りを手薄にもしたくない。その矛盾したリクエストに応えられるのが、俺というバケモノだ。しかし、それも一人きりでは不注意からのミスが起こり得る。だから、仲間を使う。


「その分、報酬はたっぷり出る。だけど、僕の知り合いにしか頼めない」


 ウィーには、偽装デートの相手を務めてもらう。同じように、ニドにもサポートをお願いする予定になっている。治安のいい帝都、それも郊外にある公園でのデートだから、よほどのことがない限りグラーブの身の上に危険が及ぶなど考えにくいのだが、あくまで念のためだ。


「王子様のお忍びでのお遊びを、こっそり見守るお仕事、か」

「不満かな?」

「いや……いいよ、やる」

「いいの?」

「ボクは別に王家に恨みがあるわけじゃないし。さすがに例の件がバレて捕まるってこともないだろうから、断る理由がないよ」


 あっさり話が決まった。あとはニドにも話を通せば終わりだ。


「ねぇ、ファルス君」


 俺が席を立とうとした時、ウィーが何かを言いかけた。


「なに?」

「あ、いや、いいや」

「どうしたの」

「ううん、そのうちにする」


 彼女らしくもない、煮え切らない態度だった。


「いや、聞いておくよ。どうしたの?」

「大したことじゃないっていうか……その、ファルス君ってさ」

「うん」

「……おじさまに、似てるなって」


 おじさま? クレーヴェのこと?


「えっ? そんな、どこが?」


 自分で自分の顔に触れながら、どこが似ているのかを考え始めた。髪の色も違うし、顔も骨格からして似ていない。体格も。喋り方も全然違う。


「なんとなくだよ」

「なんとなくって」

「こう、ファルス君って、若いのに若者に見えないっていうか……いや、だってさ」


 彼女は周囲を見回してから、また俺の方に向き直った。


「ボクが言うのもなんだけど、ファルス君って、本当に年下?」

「はい?」

「ボクは、ほら、今、一応、十六歳? と言っていいのかもだけど、実際には中身はもっと歳を取っているでしょ。で、それを考えるとファルス君って、中身はどうなってるのかなって思わなくもないっていうか」


 ピアシング・ハンドで年齢のスキップを可能にしている以上、過去の俺もまた、見た目通りの年齢ではなかった可能性がある、と。そこに思い至ってしまったか。多少なりとも俺のことを考えれば、すぐ気付けることだ。


「うーんと、答えにくいというか」

「いいよ。その辺の秘密を暴きたいとかってことじゃないんだ。そうじゃなくて、今となってはボクにとっては、なんか年下の子供とか、そんな風には思えないってだけの話なんだから」


 テーブルに肘をつき、彼女は物憂げな笑みを浮かべた。


「ギル君とか、しっかりしてていい子なのはわかるんだけど、どうしてもね……ああ、若いなぁって思っちゃうから」

「いやいや、ウィーも若いから」

「ボクの若さは見た目だけだよ。若者とは合わないなぁって思っちゃったりするっていうか、その」


 そこでウィーが、口ごもってしまった。


 何をまた、老け込んだことを言いだすのか。

 いや、ウィーの立場で考えれば。彼女の場合、少女時代から成人するまでを復讐のために使い切ってしまった。そこへいくと、少年時代からの延長で今を生きるギルが若すぎるように見えるのも無理はない。

 子供ゆえの親との情緒的な繋がりからの距離ということでいうなら、ギルとウィーでは、かなりの開きがある。一年前にアルディニアを発ったばかりのギルと、物心ついた頃に父を処刑され、十歳になる前に母を失い、浮浪者になったウィーとでは、見えている世界が違う。


「詮索する気はないんだ。ごめん、変なこと言って」


 してみると、こんな暮らしが寂しくないはずはない。周りの若者は、本当にまだ若い。一方、ウィーはそんな世界から離れて久しい。

 年嵩の人間と過ごす方が、彼女にとっては居心地がいいのかもしれない。


「これからは……なるべく顔を出すよ」

「あ、うん、でも大丈夫?」

「平気だよ。もう、ヒジリもそんなに文句を言ったりしないと思うし」

「そっか」


 それだけで、俺は話を終わらせて、その場をあとにした。

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― 新着の感想 ―
何というかこの態度は完全にウィは惹かれてるし、もう将来のハーレム入り確定か。 1章時点でこうなるとは想像もしてなかったなぁ。 でもファルスも3章だと余裕があるから、顔見知り以上の女性には特に優しいし…
[良い点] カクヨムの賞って何か援護できることあるのかなぁ? [気になる点] 結局広告自体は全セキュリティカットすれば何とかなりましたが 何故か広告許可だけでは駄目な模様 移動ボタン位置 左下には…
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