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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十五章 社交の季節
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都心の変事

 朝というにはやや遅い時間。今日も中庭の上に広がる空は青かった。


 木々の枝や幹に括りつけられた布の天井がなければ、きっと蒸し焼き同然だったろう。今でさえ、この礼服の暑苦しさに気がおかしくなりそうなのだ。分厚い生地で拵えられた、あの燕尾服っぽい長衣だ。冬場に着た方がいいんじゃないかと言いたくなるような、この藍色ベースの服なのだが、俺にはこれ以外の選択肢がなかった。

 脇にちらりと視線を落とすと、アナーニアが薄紅色のドレス姿で立っている。肩が露出していて、スカートもパニエが入っているから、きっと見た目が膨らんでいる割に、涼しいに違いない。そのまた向こうには、ケアーナがもっと簡素な黄土色のドレスを身に着けている。こちらはあんまりふわふわしていない。

 俺にしても彼女にしても、王女より目立つわけにはいかないので、こういう格好に落ち着いたのだ。


 本日は夏の社交の初陣、最初のお客様をお迎えすることになるのだが、ここにいる大半は、俺自身も含め、この手のことでは素人だ。そんな新兵を鍛えるには、咬ませ犬がいた方がいい。というわけで、初日は重要度の低い客を選んで招くことにしてある。

 具体的には、同級生だ。同じ学園の生徒達を招く。ただ、ここでは学園にいる時とは違う顔を見せる。あちらでは制服で通しているが、こちらでは、いかにも貴族らしい姿で出迎える。


 大事なのは『仕分け』だ。ただ仲良くしましょうね、では何の意味もない。そうではなく、共通利益が見込めそうな人を互いに紹介し合う、というところに、この夏の社交の意味がある。

 例えば、帝都で食品の問屋を営んでいる家があったとする。そちらでは、安定して小麦を輸入できる取引先が欲しい。その商家の一人息子が俺の同級生にいたとしよう。彼の同級生の伝手には、そういう要求を満たせるのがいない。でも、例えば別の学級とか学年の誰かが、その条件を満たせるかもしれない。例えば、エキセー地方の領主の下で働く騎士階級の家の息子だったり、とか。

 だから、どんな必要があるか、要望を聞き取った上で、同じエスタ=フォレスティア王国の誰かに話を繋げてあげる。何をすれば、誰と協力すれば共通利益が得られるのか。そういった関係性を少しでも広げていく。そのきっかけ作りこそ、この社交の意味だ。

 その辺の情報交換は、実は普段の活動で、それぞれが個人的に少しずつ進めてはいる。今朝の時点では、その最終確認が行われた。


 要するに、これは末端の学生にとっての正念場でもある。ただ、少しくらいの不作法があっても、相手の身分も低いし、周囲がサポートする余地もあるし、そもそもカジュアルな場であるという意識もある。

 逆にグラーブが気を張る大物との社交は、また違った意味合いがある。そちらのケースでは、大半の学生は黒子にしか過ぎない。もちろん、粗相をすれば大問題ではあるのだが、そもそも偉い人との接点自体がそんなにあるのでもない。


 会場の最終確認を終えたベルノストが、こちらに歩み寄ってきた。その視線はアナーニアに向けられている。


「殿下、今日はそう難しいお付き合いではございません。気楽になさってください」

「別に何の不安もないわ。こんなの、ただのお遊びじゃない」


 返事を聞いて、ベルノストは軽く頷いただけで引き下がった。


 だが、俺もケアーナも知っている。アナーニアには、友人があまりいない。俺もラーダイなどに舐められながらも、それなりに付き合ってきたのだが、彼女にはその程度の交際すらない。

 どだい無理な話なのだ。アナーニアは、タンディラールから期待もされず、よって特に厳しく躾けられもせずに育った箱入り娘なのだから。これがグラーブだと、一応は王太子としての使命感や重圧があるから、下々への目配りもできるようになってきているのだが。アナーニアの場合、そもそもが立場ありきの付き合い方しかできない。父王という上位者、家臣や召使といった下位者、それ以外はほぼ王族で、およそ社会性を伸ばせるような環境になかった。

 だから、アナーニアの交際は、周囲の支援によって成り立っている。これまでのサロンの社交なら、それでなんとかなった。初対面の相手には、私は王女様ですという顔をしていればよかったし、会話の繋ぎはケアーナがしてくれる。求められてから応えることならできるのだ。

 しかし、学園のあの学級の中では、今でも「近寄りがたいお姫様」のまま。そのうち、みんなの関心から消えていった。興味を持ち続けているのは、彼女の身分と立場ゆえに関係を持ちたいと考えている、コモみたいな人だけだ。


 横目でケアーナの顔を盗み見る。あ、これはダメだ。自信ないですっていう気持ちがビンビン伝わってくる。


 一階の入口のところでは、今はグラーブが待機している。もちろん、大勢の、あの赤い布の鎧を身に着けた兵士達の立ち並ぶ中で。お客様に歓迎の挨拶を述べてから、先頭切って地上一階から四階までの長い階段を昇ってくるのだ。この辺、城の構造に物申したくはなる。


 召使の一人が、小走りになって階段の上まで駆け上がってきた。声はあげないが、それでわかった。到着だ。

 ややあって、幅広の階段の真ん中に、真っ白な服を身に着けたグラーブが姿を現した。二、三歩ほど進んだところで振り返り、来客に行く手を示す。俺達の手前に待機していた男女の召使達が、一糸乱れぬ動きで身を折った。


 集団の先頭にいるのは……コモ、ラーダイ、それに……

 どうやらアナーニアの学友達ということで、招待客の集団の中でも優先されたらしい。


「帝都は、誰もが友人同士になることを許されている街だ。今の君が私の妹の学友なら、私にとっても大切な客人だ」

「おっ、畏れ多いことです」

「はは、固くならなくていい。さぁ、君の友人達の本来の姿を目にするがいい」


 グラーブは、妹と違って本当に成長している。やや固さのようなものを感じないでもないが、ちゃんと役割に徹しているところは評価しなくてはならない。

 今の言い回しも、彼の立場からすれば最上の対応かもしれない。帝都であれば、誰もが対等な友人同士になれる。これは建前だが、帝都の理念そのもので、誰にも否定できない。だが「今の君が」「本来の姿」といった、ちょっとした表現の中に、実は対等ではない、我々はお前より遥かに尊いのだ、という意思がひっそりと込められている。


 それにしても、先日、アスガルに会った時もそうだったが、ラーダイは相手が大物だと、途端に小者らしさを発揮するんだな……

 とはいえ、今の俺にとっては、それも微笑ましい。人間らしくて大変結構じゃないか。


 彼らの後から遅れて、他の学生も追いついてきた。何事かをグラーブと語り合うコモを追い抜いて、次に這い上がってきたのは……


「はぁっ!?」


 そちらに気付いたグラーブの目が点になる。


「な、なんだ、そい……その方は」

「あ、あー、殿下、失礼しました。ちょっと変わったのがおりまして」


 真っ白なモフモフの犬、の着ぐるみを身に着けたフリッカだった。礼服でも学生服でもなく、それどころか普段着ですらない。そして、ブカブカの服というのがよくなかった。召使達の視線も鋭くなっているし、腰が浮きかけている。一見、にこやかに応対する王子様だが、実のところは、このイベント期間中こそ暗殺のリスクが高いのだ。凶器を隠す余地のある格好というのは、どう考えても好ましくなかった。

 で、当の本人はというと、もうヨレヨレになっていた。当たり前だ。


「アレは大丈夫です。私がちゃんとアナーニア様の席まで連れていきますので」

「そう、か。頼む」

「ではまた、後程」


 コモはそれでグラーブとの会話を切り上げ、へばっているフリッカに声をかけた。


「暑いし、息が切れるし」

「そんな服装で来るからでしょ」


 この変人、熱中症になりたくて仕方がないらしい。


「パーティーだっていうし、ウケるかなって」

「パーティーじゃなくても、いつもそういう服装でしょ、あなたは」


 呆れながらツッコミを入れている。それを横目に、内心では激しく首を縦に振っていた。

 だが、これは都合がいい。固くなりがちな空気をぶち壊してくれる人、こういう状況では貴重だ。


「やぁ」


 二人はアテにならないので、俺が声をかけるしかない。


「おう」


 ラーダイは気安く手を挙げて応じたが、何かを感じて周囲を見回した。そう、ここでは俺も貴族の一人。そして召使達は、来客の身分をもう把握済みなのだ。俺は失礼なことをされてもヘラヘラ笑っているが、使用人達はそうではない。といって、具体的に何か報復するのでもない。ただ、圧力が増すだけだ。

 空気が変わったのを察したラーダイは、背中を丸め、そそくさと俺のすぐ近くまでやってきた。


「お前、本当に貴族だったんだな」

「あれこれ騒がれるのが嫌だったから、詳しく話さなかったけど、前に言った通りだ。全部本当だよ」

「ティンティナブリアだろ? 休み明け、えらいことになるぜ」


 そこへ、後ろからコモが追いついてきた。足下の覚束ないフリッカも一緒だ。俺が目配せすると、それに気付いたケアーナが小さく動き、それでやっとアナーニアが察した。


「誰か」

「はい」

「彼女に冷たいお水を」

「畏まりました」


 俺は彼らの後ろに目を向けた。ここに来たのは、ラーダイとコモ、フリッカ、それに……


「都合が合わないのが多くて、結局、前に伝えた通りだよ。あとはドリーとアルマ、ランディだけだ」


 まぁ、こんなものだ。

 ドリーはワディラム王国出身の女子学生で、実家が薬問屋だ。こちらは仕分けの対象だろう。いい取引先に繋げてあげなくてはいけない。その意味ではフリッカも同じはずなのだが、彼女にそういう社交ができるとは思えないし、本人にその意思もなさそうだ。

 残る男女、ランディとアルマは、どちらも帝都出身者で、しかも普通の庶民だったはずだ。彼らはコモに誘われたからついてきただけで、俺とは特に接点がなかった。


 ギルが来られないのは無理もない。彼は今日も働いているはずだ。ゴウキも今日は来ない。来るとすれば、ビルムラールと一緒に、ではなかろうか。

 あとは、マホも来なかった、か。


「な、なんか凄いね」

「う、うん」


 実家の使命を背中に負ってきたドリーを別として、二人は煌びやかな世界に目移りしてしまっているらしい。


「まぁ、座ってください……殿下」

「え、ええ、そうね。まずはお茶でもいかがかしら」


 それから昼まではお茶を飲みながら歓談し、昼食を振舞ってから、行動が分かれた。アナーニアとケアーナは、コモを連れてグラーブと合流した。俺はドリーをベルノストに引き渡すと手が空いた。残る四人の客は、使用人達が城内を案内することになった。王家の宝物を由来含めて詳しく解説しながら見物してもらうのだ。

 あとは夕方近くに彼らが帰る時に、見送りだけすれば今日は終わりだ。同じく手の空いたベルノストと一緒に、中庭の空席に座って、脱力していた。


「先輩」

「なんだ」

「エンバイオ家に仕えていた時も接遇の経験はあるんですが」

「それがどうした」


 俺は溜めを作ってから、吐き出した。


「ほんっとにめんどくさいですね」

「そういうものだ。諦めろ」

「次回から、厨房で仕事していいですか?」

「却下だ。立場を考えろ」


 わかっている。こんなのはただの軽口だ。

 中庭に吹き込む風に、少しだけ涼しさを感じるものが混じってきた。そろそろ、いい時間だろうか?


 そんな時に、メイドが一人、息を切らして駆けつけてきた。


「どうした」

「お客様がお見えに」

「なに?」


 来客の予定は、午前中に迎えた学生達の他にはなかった。つまり、計画外の訪問だ。


「誰だ」

「帝都防衛隊の方、なのですが」

「なら問題ない。殿下は今、ご歓談中だ。私が応対する。通せ」

「ですが、あの……」


 メイドの顔色が悪い。


「彼らは仕事でやってきたのだろう。あまり待たせるな」

「は、はい!」


 それで彼女は駆け戻っていった。

 それからしばらく、階段をゆっくり昇ってくる二人の影が見えた。一人は見覚えのある制服を身に着けている。いかにも憲兵隊っぽい感じの、この世界ではちょっと珍しい外見だ。そして、ピアシング・ハンドが指し示すその名前には、見覚えがあった。


 だが、問題はもう一人だった。真っ赤なマントだが、首元のところで反り返っており、首元をぐるりと覆う形になっている。軽量な革の鎧を身に着け、腰には剣を手挟んでいた。そして靴がブーツではない……

 装備から判断する限り、彼は海兵、それも指揮官だろう。首元のところで反り返っているマントは、要はメガホンと同じ。命令する際の声を遠くまではっきり届かせるため。ブーツを履いていないのは、運悪く海に投げ出された際に、溺れないようにするため。丈のあるしっかりしたブーツはバケツ同様に水を掴んでしまい、犠牲者を水の底に引きずり込むからだ。

 その顔立ちは、狼を連想させた。まだ若いといえる年齢だが、短い顎髭が隙間なく生え揃っている。日焼けした顔。刃物のような眼差し。だが、同時に知性を感じさせる上品さがある。


「責任者のベルノスト様でよろしいでしょうか」

「いかにも」


 先に軍服姿の男が名乗った。


「私は帝都防衛隊の第二臨時警邏隊、隊長のフェン大尉です」

「わざわざご苦労様です。それで、そちらは」


 不敵な笑みを浮かべたままのその男は、小さく頭を下げた。視線を切ることなく。


「同じく、西部海軍提督代理……ペイン将軍です。お見知り置きを」


 その名前を聞いて、ベルノストの表情も強張った。


 シモール=フォレスティア王国の将軍で、長きに渡って西方大陸の内海を狭しと暴れまわった男。タンディラールも警戒せよといちいち俺に告げたほどの人物だ。

 以前、ユーシスも言っていた。彼もルアール=スーディアで海竜兵団を率いていたことがあるから、ペイン将軍の脅威は知っている。表向きは戦争をしていなくても、海上での小競り合いはしばしば起きていた。数年間に渡ってエスタ=フォレスティア王国の海軍が苦杯を喫してきたのは、ひとえに彼の存在があればこそだった。


「お役目ご苦労」


 あえて平静を装い、ベルノストは挨拶に応えた。


「それで、本日はどのような」

「はい」


 ずっと年下の青年に対して、ペイン将軍はあくまで丁寧に説明をし始めた。


「実は本日の昼頃、帝都の市街地で暴動が起こりました」

「なんと」

「とはいっても、それ自体は小規模で、すぐ収まりました。元々はデモ隊が旧帝都の政庁前に集結していたところ、何かのきっかけで一部が暴徒化し、政庁に雪崩れ込んだとのことです」


 その説明を、フェン大尉が引き継いだ。


「すぐさま付近にいた防衛隊が鎮圧しまして、デモ隊も解散しました。ただ、デモ隊の主張の中に、保養地の問題も含まれておりまして、注意喚起の必要があるという判断になりました。それで急ぎ、ペイン提督代理に船を出していただき、それぞれに事件の報告をさせていただくことになりました」

「なるほど。保養地の問題とは」

「首相や有力議員の訪問が、問題視されたようでして」


 ペイン将軍が付け加えた。


「大尉は言いにくいでしょうから、自分が。立国党のデモの一部が暴走したのですよ。要は家を追われた元市民の方々が、自分達の生活再建の前に夏の社交で海外の富裕層に接待を受けるのが許せないと、そういう主張のようです。移民を住まわせるより、自分達の生活をなんとかしろと……ただ、移民は移民で同じように困窮していますから、こちらの怒りも、どこに向かうかわかりません」


 それからペイン将軍は周囲を見回した。


「こちらはまた……随分と立派な……別荘というより要塞ですが、人手は足りていますか。もし不安があるということなら、隊員を派遣して守らせるように致しますが」

「当面は結構です。お気遣いありがとうございます」

「左様ですか」


 微妙な気まずさの中、フェン大尉が話を締めくくった。


「では、何かお困りのこと、気がかりな点などありましたら、防衛隊か、提督代理の方までご連絡いただきますよう。それでは失礼致します」


 大尉が頭を下げると、ペイン将軍も身を翻した。

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― 新着の感想 ―
[一言] ……まさかとは思いますが 帝都の理念として移民を受け付けないだとか 明らかな差別のようなことは出来ない なら暴徒として処理をする その為にあえて……なんてことは……あったら怖いですね
[一言] アナーニアあんまり気質悪いし期待されてないんだろうなとは思ってたけど本当に放置だったんだ 心機一転の機会がないまま見放されたマリータみたいな状況かな
[一言] 第二十五章 花と新緑の季節 密命、下る 「まだ先の話だが、ペイン将軍には気をつけろ。いずれお前の敵になるかもしれん」 気をつけるべきはファルスだったというオチ
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