容疑者続々
「なんか悪ぃな、わざわざ」
「いえいえ、うちとしては問題が起きないのが何よりです」
デモ隊が去った後、ギル達は養老施設の中にやってきた。彼らはコーザが用意していたぬるいお茶をさもおいしそうに飲んだ。今は大半が立ち去っている。
だが、俺がここで待っていたと知ったギルとウィーは、今は管理人室のソファに身を沈めていた。
「帝都、クソ暑ぃんだよな」
「お疲れ様」
空になったコップにお茶を注ごうとすると、ギルは手をかざしてそれを止めた。
「いい。水っ腹になっちまう。飲みすぎてもよくねぇし」
「そうか」
俺とギルを、どこか落ち着かなさそうな顔で見比べていたウィーが、口を開いた。
「それで、ファルス君は何を言いたくてこんなところまで来たの?」
「それなんだけど」
言いかけて、管理人室の出口の方を見る。マツツァは頷くと、廊下に出て左右を見回してから、ドアノブに手をかけて言った。
「わしが見張ります。皆様方はお気遣いなく」
そういって、外に出てから扉を閉じた。
「こ、これ、僕が聞いていい話なん、でしょうか」
コーザが腰を浮かしそうになっているが、別に問題はないだろう。
俺は頷いて、口を開いた。
「急な話なんだけど、ギル、それにウィー。世界融和協会の警備の仕事、やめることはできるか?」
「はぁ?」
「やっぱり」
二人の反応は分かれた。
「紹介するのも気乗りしないって言ってたよね。だから、何かあるんだろうなとは思ってた」
ウィーは呑み込みが早かった。
だが、ギルも考えなしの男ではない。しばらく顎に手をやり、じっと考えてから、俺に尋ねた。
「何かあったのか」
「ネッキャメルの……赤の血盟のアスガル様が教えてくれた。変な噂が流れているらしい」
「それはどんな」
「よりによって、僕が正義党に同調したということになっている。できることなら陛下から賜った領土を、帝都に帰属させたいと言い出したとか」
二人は顔を見合わせた。
「俺達がこの仕事手伝ったからか? けど、尾鰭つきすぎだろ」
「誰が言い出したの?」
「わからない」
俺は首を振った。
「ただ、誰かの陰謀の可能性がある。説明は省くけど、このことを真顔で受け取る人達もいるんだ。だから、少しでも正義党との関係を希薄にしておきたい」
「厄介だな」
「もちろん、その分のお金は出す。頼めるか」
ギルは膝に肘をついたまま、しばらく動かなかった。
「難しいな」
「なぜだ」
「契約書に書いちまった。来月七日まではやるってことになってる。それに」
座り直し、足を組み直して、彼は続けた。
「今日の、見ただろ」
「ああ」
「こんなひどいことになってるってわかったら、途中でやめらんねーよ」
彼らしい責任感が、ここで頭を擡げてきた。
「それは、やっぱり養老施設を守るべきだと思ったのか? 正義党の考え方に納得しているということか?」
「そうじゃねぇよ。もっと目先の話だ。連中の言うことは胡散臭ぇ感じもあるけど、今、ここに年寄りどもが暮らしてるのは現実だろ。タリフ・オリムじゃ、こんな風に年寄りをいじめるなんて、考えられない。帝都の連中の頭の中がどうなってるのか、イカレてるんじゃないかとは思うし、それに」
前のめりになると、彼は更に付け足した。
「俺は、デモ隊の連中のためにも、ああして立ってなきゃいけない。バカでっけぇ剣でビビらせて、近寄らせないようにしないと、あいつらこそ犯罪者になっちまう。誰も得しねぇだろ?」
「そういうことか」
自分の生活費がなんとかなるから、ということで済ませられるような奴じゃなかった。それはそれ、これはこれだ。
「ただ、ギル、もしこちらの件が深刻な争いになったら、暴動程度で収まるものじゃない。もちろん陛下に逆らって戦うつもりなんか毛頭ないし、そんなことになるくらいなら爵位を捨てて逃げるつもりだけど」
「んん、面倒臭ぇなぁ」
ガリガリと頭を掻くギルの横で、ウィーはまた別に、思考の淵に沈んでいた。
「誰が言い出したのかな」
「ん?」
「そういう噂を流して得する人がいるってことだよね」
「まぁ、そうなる」
最悪のケースを考えるなら使徒の暗躍だが、まだ現時点では可能性を絞り切れていない。
「単純に考えるなら、シモール=フォレスティア側の動きって可能性があるかなって。ほら、ファルス君と王様の間でギクシャクするだけで、都合いいじゃない?」
「それはそうだけど」
「心当たりはない?」
ある。
つい先日、マリータ王女が一人きりで、俺とリシュニアに同行した。あれはどちらを待ち構えていたのか。ファルスに異心あり、という実績を作るためであれば、俺狙いということになる。
つまり、俺とタンディラールの関係性が悪化した時に、彼女を通してシモール=フォレスティア側につくという……ヤノブル王が俺の能力を把握しているとは思えないのだが、そういうのを度外視しても、あのイングリッドなら、やりかねない。
「まぁ、話は分かった」
ギルは背筋を伸ばした。
「何かあっても、俺は俺の意志でこの仕事をしているって言うことにする。お前とは関係ねぇってな。それくらいしか、できることねぇよ」
「注意してくれ。何かおかしい気がするんだ。気のせいかもしれないけど」
公館に引き返してから、俺はまっすぐ二階の居室に向かった。俺の言いつけで、マツツァは残りの士分の者達、タオフィとポトを呼びに走った。俺の顔色から何かを悟ったのだろう、ファフィネは慌ただしく立ち回って、簡単に人数分の座布団を畳の上に置き、取り急ぎで湯呑みをお盆の上に載せて真ん中に置くと、早々に立ち去った。
最後にヒジリがやってくると、彼女は自分の手で障子を閉じて、残った座布団の上に正座した。それから、俺は一連の事情を説明した。
「考えすぎ、という可能性もないでもないですが」
彼女はそう前置きしてから、別の可能性を挙げた。
「旦那様の場合、別の可能性についても、考えなくてはなりません」
「隣国以外となると、あとは」
とはいえ、俺から使徒のことを話すわけにはいかない。彼らについて言及しないことが、一応は俺の身近な人達に手を出さないことの条件になっている。憶測でこちらから下手なことは言えない。
「旦那様はお忘れかもしれませんが、もし仮にパッシャの生き残りがいたとすればどうでしょうか」
「そっちか」
「三年以上前に旦那様が戦って以来、どこからも彼らの活動が報告されてきてはおりません。また、だからこそ魔物討伐隊も規模縮小を余儀なくされました。ですが、末端の構成員が居残っていないとも限りません。心当たりはありますでしょうか?」
そう言われてみると、ないでもない。
「ある、かもしれない」
「はい」
「クロル・アルジンの苗をどこから持ってきたのか、という問題が残っていた」
「苗、ですか」
これも言葉を慎重に選ばないと、今度はシャルトゥノーマが持ち帰った苗の在処についての追及に繋がりかねないから、気をつけなくてはいけない。
「僕がスーディアでも連中と戦ったことは、既に報告を受けていると思う。パッシャはその知識を利用して、クロル・アルジンの再現に取り組んだ。これも魔物討伐隊から話は聞いているんじゃないか」
「ええ」
「でも、クロル・アルジンを生み出すには、材料が必要なんだ。で、それは大昔にギシアン・チーレムが手元に集めて、保管していたらしい」
「だとすると、つまり、帝都のどこかに封印されていたものが、持ち出されたと」
それがいつ、盗み出されたのか、或いは売り渡されたのかはわからない。案外、苗自体は数十年前に手に入れていた、なんてことも考えられなくはない。
「といっても、どこの組織がどんな風に保管していたかなんて、知らないだろうな」
「はい。さすがに私もそんなことまでは把握できておりません」
「ただ、いずれにしても」
以前にヒジリから聞いた話から判断すると、帝都の腐敗はかなりのところまできている。
「女神教か、ギルドか、学園か、政府か……どこかに、おかしな奴が潜んでいても不思議はない。そういう結論になる」
「そうなりますね」
誰かはわからない。だが、その誰かが糸を引いて、俺を再び争いの世界に引き戻そうとしているのではないか。
「だが、こんな時なのに、僕は屋敷に留まれない。バカバカしいけど、もうすぐ保養地に出かけないといけない」
「そちらは是非とも行かれなくてはなりません。グラーブ様に疑念を抱かせるようなことをすれば、もしこれが隣国の陰謀とすればですが、まさに思うつぼです」
「僕もそう思う。で、あちらに行ったら、あまり自由に動き回ることができなくなる」
「それは私どもにお任せください。直接、関わりを持ちやすいところとしては女神教がありますので、まずそちらから、表と裏、両方から当たってみます」
とはいえ、パッシャとの繋がりがあるのがどのレベルの人なのか、しかもそれも想像でしかないから、調査は簡単でもないだろう。
「そうだ。そういえば、パッシャの元関係者が知り合いにいる」
「それは信用できますか」
急にヒジリの顔つきが険しくなった。
「問題ない。というより、あれが今からパッシャの味方をするというのは考えにくい」
「根拠はありますか」
「あちらの幹部、モートを殺したのは、ニドだ」
俺は彼女の目をじっと見ながら続けた。
「シュプンツェ相手に戦うところを、ヤレルも見ている。そこまで組織を裏切っておいて、今からパッシャに協力なんか、できるわけがない」
「そうですか」
彼女には珍しく、腕組みをして、歯噛みまでしている。よっぽど嫌なのだろう。不承不承、といった具合ではあったが、最終的には飲み込んだようだ。
そして、だからこそ、俺としては彼のことを持ち出さないわけにはいかなかった。俺の知らないうちに捜査の途中でニドを発見したら、殺し合いになりかねない。
「では、マツツァ、タオフィ」
「はっ」
「その、元パッシャの構成員だった人物を見極めてきなさい」
「僕が連れていく」
ヒジリは頷き、ポトにも命令を下した。
「私達は女神教の方を調べます。表からは私が、裏からはお前が動きます。いいですね」
「承知致しました」
「旦那様は、その者との橋渡しを済ませたら、もう月末からの保養地での社交の時期が目の前ですから、くれぐれも殿下に疑念を抱かせないようにお気を付けくださいませ。その他、保養地の外で何が起きているかなどについても、なるべく定期的に連絡させるように致します」
「頼んだ」
頷き返してから、俺も言った。
「ちょうど顔を出すつもりだったところがある。シーチェンシ区の……タオフィ、前に行ったところだ。ニドが定期的に顔を見に行ってくれているのに、僕はほったらかしにしている。確か明後日にはニドが寄るはずだから、手土産でも持って挨拶がてら、この件について話をしておこうと思う」
「仰せの通りに」
「これも、深読みのし過ぎかもしれないが」
現時点では、問題の根の深さがわからない。
「ヒジリ、今回はどこも少しずつおかしなところがある。女神教は神仙の山からの報告を受けているはずなのに、僕の件でワノノマと連携する様子もない。学園も、僕のことで動いたのでなければ、なぜ今まで表に出てこなかった学園長が自ら担任を引き受けているのか。正義党やクレイン教授も、今のところ、ただの政治活動の範囲を出ていないが、信用はできない。マリータ王女も、そもそもどうして僕と接点を持とうとする? 何か、どこか歯車が噛み合ってない。わからないことが多すぎる」
「だからこそ、私達がいるのです。旦那様、あまり気に病まれませんように」
いったい何が起きているのか。
背中に不安を抱えたまま、俺は間もなく、公館を後にしなければならなくなったのだ。




