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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十五章 社交の季節
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ヒジリ、ぶっちゃける

「なるほど、それで遅くなった、と」

「済まない」

「いえ、そういう事情であれば、やむを得ません」


 二階の和室で向かい合っての夕食。俺の帰宅が遅くなったせいで、またヒジリを待たせてしまった。

 マホが用意していた馬車に乗らずにやり過ごす、という手もあったのだが、それはそれでまずかっただろうし。

 ただ、逆の発想もありかもしれない。ギル一人を正義党の下部団体の中に放置するより、他の知り合いも送り込んで、孤立させないようにしたほうが……


 しかし、それにしてもわからないことがある。


「ただ、そうなると、彼女の目的がどこにあるのか、ですね」


 ヒジリも考え込んでいる。


「正直、グラーブ殿下に何を言われるかが気になっている」


 勝手に政治活動しやがって、と言われそうで、今から憂鬱だ。


 俺は俺で、可能性を絞り込めないでいる。

 結局、クレイン教授は何をしたかったんだ? 彼女がしたのは、苦学生への仕事の斡旋と、学内の陳情受付、だけだ。


 では、こちらの要求を受け入れる代わりに、逆に俺にもなんらかの義務の履行を要求するとか? いや、それは難しい。俺という個人の望みをゴリ押ししたならそれもありだろうが、受講したい講義を追加してくれという、一学生の立場からの願いを口にしただけなのだ。

 俺を介してタンディラールとのパイプを作りたいとか? でもそれなら、俺としては、王家の側に肩入れする態度を崩さなければ済む。帝都との関係改善が進むならよし、その際に帝都の側が突きつけてきた条件が気に入らないということになれば、俺もそれを追認して殿下にくっついていくだけ。

 逆にタンディラールを追い詰めるため? 俺が正義党の議員と接触したという事実だけ欲しい? そうすれば疑心暗鬼になった彼が俺と疎んじるように……それもない。俺という存在は、彼にとってもっと重いし、厄介なものでもある。お気持ち一つで東部サハリアの戦争の盤面をひっくり返した怪物なのだ。第一、俺が帝都の側に擦り寄る理由もない。仮にタンディラールから冷遇されても、淡々と領地を返上して身内を連れてキトに行くだけだから。


「ヒジリ」

「はい」

「ごまかしとか体裁とか、そういうのは抜きで話をしたい」

「なんなりと」


 俺は無遠慮に言った。


「正直、ワノノマが元公館を用意したのは、僕を監視する目的もあってのことだと思っている」

「はい」

「その辺、帝都とはどう繋がっている? ワノノマは帝都の理念に協力するから魔物と戦っているんだろう?」


 少し俯いて、考えてから彼女は答えた。


「率直に言って、よくわかりません」

「なに?」

「旦那様の件は、帝都に伝わっています。旦那様の仰りようから察するに、恐らく気付いておいでかと思いますが、神仙の山のクル・カディ師からの連絡が、ワノノマにも帝都にも届いています。ですが、私どもがどんな対応をするかについては、別に帝都の指示に従って決めているわけではないですし、帝都の側も同様です」


 俺は耳を疑った。今までそんな雑な対応をしていたのか?


「いや、だが、そんなバカな。だとしても情報の共有くらいはしてないのか。それでは無駄に手間がかかることにはならないか。第一、通学中の僕の見張りはどうなる」

「申し上げるのは難しいことでしたが、もう言ってしまってもいいようですね」


 俯きがちになりながら、ヒジリは視線を床に落とした。


「帝都は機能していません」

「は?」

「旦那様の件で、何か対処があるかと思ったのですが、少なくとも私の知る限り、この件での報告や連絡、相談などが一切ありません」

「嘘だろ!?」


 想定を超えた杜撰な対応に、俺は腰を浮かしかけた。


「どうなってるんだ。あっ、でも、そうか」

「はい」


 ヒジリは頷いた。


「旦那様を見張るということを意識するのならですが、学園側も旦那様を監視していると、そう受け止めてもらっていた方が都合がよかったのです」


 そうすれば、俺が勝手に警戒して、通学中もおかしなことをしなくなるから。具体的には、使徒のような連中と接触して魔王の手下になるような、そういう行動を学内では避けるようになる。もし俺がそうした選択をしようとするなら、学園の外で機会を探し求めなくてはいけない。結果として、ヒジリは俺を監視しやすくなるのだ。


「もっと言うと、ワノノマの対応すら一本化などされていなかったのですよ」

「なっ」

「驚くことですか?」

「さすがに驚くことだ、それは」


 彼女は静かに首を振った。


「モゥハは意思表示こそしますが、絶対的な決定者ではありません。それに、人のことは人の世が決める。これもまたモゥハの意思です。旦那様を野放しにしないというところまでは、誰にも異論はありませんでした。ただ、ではどのように扱うかとなると、誰にも決めきれなかったのです。だいたい、方針が確定しているなら、どうして私が旦那様の傍を離れる必要があったでしょうか」

「って、それじゃあ」


 タンディラールに謁見してから、ヒジリは早々にピュリスを離れた。あれは帝都で俺を出迎える準備をするため、という名目だったが、その内実は……


「はい。現場にいるのは私なのに、私より上位の決定権を持った人達が後方に控えていて、ああでもない、こうでもないと議論を繰り返しているのでは。こちらはその都度、方針を掻き回されて、ろくでもないことになります」


 その状況に焦れたヒジリは、まず雑音を掻き消す必要に迫られた。下手な芝居だと思いきや、彼女は彼女で、切実な問題を抱えていた、というのが実情だったのだ。


「だから……全権を委譲してもらうようにと、説得のために私自身が出向くしかなくなってしまったのです」


 ひどい話だが、無理もなかった。

 俺の誕生は、この世界にとって千年に一度の災厄と言っていい。滅んだはずの魔王モーン・ナーが自らの代理人に力の断片を宿らせて、この世に破滅を齎そうとしてきたのだ。それがモゥハとの会見後、たった半日の討論できれいに対応方針を確定せよというのが、まずもって困難極まりなかった。オオキミもウナも、相当に悩まされたに違いない。


「では、帝都は」

「神仙の山との窓口になっているのは、今は女神教の総本部です」


 女神教……正直、いい印象がない。特に帝都の女神教はそうだ。南方大陸で西部シュライ人を移民として送り出す事業に手を染めていた、あの神官バーシュリクのことが頭にちらつく。


「ですが、ワノノマからすると、帝都の窓口は一つではありません。魔物討伐隊の件では、ギルド本部がそうですし」

「なるほど」

「突き詰めれば、皇帝の代理機関が一切の方針を決めているはず、なのですが」


 皇帝の代理機関。どこかで読んだ気がする。多分、収容所にいた頃に目を通した歴史の本に出てきた。だが、うろ覚えではっきりとはわからない。


「かの英雄が地上での一切を終えて天上に昇った後、人々は皇帝不在の世界を生きることになりました。ですが、統一時代のことですから、全世界の未来についての決定を、誰かが下さなければいけませんでした」

「ああ、そういえばどこかで読んだ気がする。なんだったっけな」

「具体的には、帝国行政府の長である首相。領邦院と自由院……今ではそれぞれ上院と下院とされて区別はないに等しいのですが、それぞれの議長。それから公的権力の外側にある、女神教の総主教、冒険者ギルド本部の長。それから全世界の学問の頂点とされた帝立学園の学園長が、一票を持つとされました」


 そうだった。統一間もない時代の話としか認識していなかった。


 領邦院というのは、要は帝国の直轄地でなかった半自立の勢力、つまりフォレスティア王国とかポロルカ王国とか、そうした国々の有力者の投票によって選挙が行われる議院だ。これは当然に必要だったもので、なにしろ全世界に号令する帝都の立法府を構成するのに、意見を吸い上げる先がチーレム島の住民だけというのでは、自然と帝都が六大国を搾取するような構造になってしまうからだ。各国間の融和を目的とする帝都が、逆に公平感を削いでしまい、争いの元になりかねない。だから、利害調整の場としての領邦院が設けられた。

 一方、当時の帝都の人々の投票で決まるのが自由院で、こちらは現在の下院とほぼ同じものだ。

 こうした制度は統一時代の終わりと共に形骸化し、仕組みも作り変えられることになった。領邦院は廃止され、上院に置き換えられた。結局、こちらも帝都の住民による投票で議員を選ぶようになった。というのも、各国に投票権を付与するのが難しくなったからだ。フォレスティア王国だけでも三つに分裂したのに、どこにどれだけの権利を認めたらいいのか。そもそもピュリス王国とかベッセヘム王国といった、六大国に由来しない勢力が幅を利かせてもいたわけで、そんな国々に帝都の議院への影響力を付与することに正当性がなかった。


 皇帝の権威など、とっくに有名無実化した世界だから、そんな代理機関に意味があると思っていなかったのだが、一応、現代の帝都でも存在はしていたということらしい。


「でもそうなると、代理機関の中で話し合いがもたれて、僕の件についても対応しているんじゃないかってことに」

「そのはず、なのですが」


 そのように考えるなら、俺の中では辻褄が合う。

 ザールチェクは不老の魔術師だ。その実力で学園長に上り詰めたものの、生来怠惰だったのか、それとも不老の事実を覆い隠すためなのか、人前に出ることはなかった。だが、俺という異分子が出現したことで、役目を果たさなくてはならなくなり、ああして何食わぬ顔で担任を引き受けた。

 それでいいはずだ。でも、どうしてそのことをワノノマと共有していない? それとも、共有したくてもできていない? 共有できていない事実を認識していないとか?


「申し上げにくいのですが、まず、帝都は立場上、六大国の上位にあるものとされるので、こちらからは監督や管理ができません」

「まぁ、そうだろう」

「そして、誰にも見張られない存在がどうなるかというと」


 溜息が漏れてしまった。


「特に、世俗の外の権力が腐敗しやすい、と」

「仰る通りです」


 上院、下院の議長。それに首相は、曲がりなりにも帝都の人々の選挙を通して身分を得ている。だから、大衆に迎合するなどの形で振る舞いが歪なものになる可能性はあるものの、その腐敗にも限度がある。

 だが、女神教の総主教やギルド本部の長、それに学園長は、ひたすら組織内部の論理で身分が決まる。そして、どこからも横槍が入ることはない。宗教といえば内心の自由そのものだし、学園は学の独立を訴えるし、手出ししにくい。


「四十年ほど前までは、学園も相当なものだったと聞いています。当時の学園長は、その独立した権力を利用して私腹を肥やしたことで有名でした。ただ、今は目立った動きはありません。というより学園長が表に出てくること自体、ここ三十年ほどありませんでした。ですので、正直、我々も今のザールチェク学園長については、よく知らないのですが」

「それは、いい意味でも仕事してないという」

「そうです」


 そうだろうな、と内心で納得する。あのフシャーナだ。教室でも居眠りしているが、職員室に戻っても居眠りしているに違いない。


「近年の腐敗でいうと、むしろギルドと女神教の方がひどいそうです」

「心当たりがある。人形の迷宮に魔物討伐隊が送られなくなった件とも関わっていたんじゃないのか」

「女神挺身隊の規模拡張とも、無縁ではないようです」


 ヒジリもこれには溜息だ。


「ギルドの方では、さすがにこれではということで、腐敗撲滅の動きもあるのですが……その過程で」

「最悪だ。じゃあ、何か、魔物討伐隊への予算が削られたのも」

「一つには旦那様の働きがあったことが大きいのですが、つまりは悪質な癒着ではないのかという指摘も以前からあったのです」


 贅肉を削ぎ落としたら、筋肉まで落ちちゃったみたいなお話だ。


「思ったよりひどかった」

「残念ですが」


 彼女は力なく首を振った。


「昨年の末、一足先に帝都に到着して、あちこちに顔を出してみたのですが、今となってはパドマの有力者より、ある意味で監視対象でもあるはずの旦那様の方が、まだ信用できるという体たらくで」

「目も当てられない」

「ええ」


 想像以上にひどい。

 ただ、そうなると逆におかしなことになりはしないか?


 帝都が俺を見張るためにフシャーナを配置したとするなら、それは納得できることだ。だが、帝都が機能していない状況であるのなら、なぜ今まで引きこもって人目を避けてきた学園長が、わざわざ表に出てきたのか。

 何かが食い違っている気がする。では、彼女は誰の、どういう思惑で動いている?


「私がここまで打ち明けてお話したのは」


 ヒジリが居住まいを正して言った。


「重大な何かが起きた場合には、ご報告いただきたいからです。おわかりですね」

「ああ」


 彼女が恐れているのは、使徒のような何者かの介入だろう。腐敗した帝都に、奴の走狗がいないとも限らないのだから。


「用心することにしよう」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 使徒のことに関して話さなくても、それ以外の冒険で見てきたこと話すべきじゃないの? 魔宮モーのこと、ウィーバルのこと、アルマスニンの昔話のこと、レヴィトゥアのこと、ギィが活躍したこと、…
[一言] 帝都ザルだなあ ってよく考えたら霊樹の根なんて危険物をパッシャに盗み出された時点で分かることだった…
[一言] 人形の迷宮の女神挺身隊の時くらいから薄々感じてましたが、やっぱりもう腐りきってますね。 今読み返してきましたがフシャーナが不老の果実に辿り着いたのがファルス達の37年前だから、ほぼ直帰して…
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