繁華街の色男
夜は安息の時間と誰が決めたのか。
空に浮かぶ月など、ただの背景に過ぎない。それよりもっと眩しい地上の灯が表通りを余さず照らしている。ラメの入った赤い布が、夜の微風に身震いして艶めかしく輝いた。
耳を聾する太鼓の音。かと思えば、空間ごと引き裂くような笛の音も混じる。女達が甲高い声で叫び、男達が通りの向かい側を歩く誰かに呼びかける。
街中が香っているかのようだった。濃厚な香水の匂いの中、時折、言葉にもできないほどの悪臭が混じる。
「兄ちゃん、兄ちゃん、そう、そこの学生服の! いい娘いますよぉ!」
赤い鳥居の向こう側……繁華街は今夜も眠ることを忘れてしまったらしい。
「いやいや、ちょっと待ってって。上玉いますよぉ? なんと、セリパス教の女司祭! どーです!? 背徳的でしょーっ?」
手を振って追い払い、俺は通りから通りへと、現在位置を確認しながら捜し歩く。
先日の合コン事件からしばらく経って、俺も少しはヒジリに信用してもらえたらしい。繁華街にいるはずの知り合いに会いに行きたい、と正直に申し出たところ、一人で出歩く許可が下りた。但し、条件がつけられた。学生服を着用していくこと。
もしかすると、ポト辺りが俺の後をつけているのかもしれない。こんな目立つ格好で歩いていれば、簡単に尾行できるだろうから。
ただ、帝立学園の制服を着用することには、また違ったメリットもある……
「おい兄ちゃん、あんまナメんなよ。人がせっかくいい女ァ宛がってやろうってのに無視たぁよ」
強引に肩を掴まれたが、それも振り払う。だが、この手の客引きはしつこいものだ。俺の前に回り込むと、口で笑って目で睨み、距離を詰めてくる。
「嫁さん探そうってんじゃねぇんだ。サクッと遊んでサッパリして帰れや。なぁ?」
顔を寄せての提案は、ほとんど脅迫だ。
「おっし、来い……ってなんだよ!」
「その辺にしておけ」
だが、自分の肩に手を置いたのが誰かを悟った客引きの男は、そこで顔色を変えた。
誘蛾灯に吸い寄せられる羽虫のように、毎年、繁華街に彷徨い出る学園の生徒は後を絶たない。名門の子弟がそんなところで身を持ち崩したりとか、そればかりか性病でもこさえて帰国でもしようものなら、帝都としては面目がない。もちろん、防ごうとしても防ぎきれるものではないのだが、世間知らずのお坊ちゃんに可能な限りの安全を提供するのは、彼ら帝都防衛隊の役目の一つである。
俺に纏わりついたチンピラの肩に手を置いていたのは、カーキ色の軍服に身を包んだ青年だった。ただ、その顔つきに初々しさはなく、むしろ年齢の割に老け込んで見える。
それにしても、どんな時代から迷い込んだのかと言いたくなるようなデザインだ。剣と魔法のこの世界に、前世の世界大戦にでも登場してそうな服装の軍人とは、なんともミスマッチである。だが、これも例の転生者が基本形を考えたのではなかろうか。
当然、そんな服装は指揮官だけのもので、彼の背後にズラリと並ぶ配下の兵士達は、もっと実用的な格好をしている。金属製の丸いヘルメットにフェイスガード、革の鎧で上半身を包み、体の半分が隠れそうなほどの大きな盾と、暴徒を制圧するための棒を携えている。
呆然としたチンピラは、数秒間、沈黙してから、急に気持ち悪い愛想笑いを始めた。
「へっ、へへっ、やだなぁ旦那。俺はちょっと大人として、こいつに説教してやってただけなんすよ。ガキはこんなところに来るもんじゃねぇって」
「そうだな、そういうことにしておいてやる。次はないぞ」
「いや、ま、そんじゃ、この辺で」
さっきまで俺に絡んでいた男は、すぐさま通りの向こうへと走り去っていった。
「さて、君」
残された俺に、軍服姿の彼は言った。
「ここは君のような若者が来る場所じゃない。一見、楽しそうに見えるかもしれないが、ああいう手合いがゴロゴロしているものだからね」
「ありがとうございます」
俺が一礼すると、彼は続けた。
「家まで送りたいところだが、今は巡回警備中だ。とはいえ放置もできん……やむを得ん、一人か二人つけて」
「お待ちください」
ここまできて手ぶらでは帰れない。
「済みませんが、行かなければいけないところがありますので、お見送りは結構です」
「感心しないね。ここに夢なんかない。夢に見せかけた何かがあるだけだ。きっと何を買っても失望するだけだよ」
「そうではありません。昔の知り合いがこの辺りで働いているので、久しぶりに会いたいだけです」
そう言われて、彼は眉根を寄せた。
「それは、どこの誰だね? 男か、女か」
「男です。アウラ・チェルタミーノという店で働いているそうですが、場所はわかりますか?」
「わかるとも。すぐそこの角を曲がったところにある。だが、あそこは育ちのいい若者が出入りする場所じゃない。酒を飲みながら女を侍らせる場所で、交渉次第で連れ帰ることもできる。だが、ここの女どもには問題が多い……多くを語るのは憚られるが、いいかい? 帝都では、特に女性への性的な接触には厳しいのだよ。お金を払ったから大丈夫、とはいかないんだ。わからないかもしれないが」
仕事熱心な人だ。でも、心配はいらないのだが。
「女性が目当てではありません。雇われの警備員をしている冒険者に会いたいだけです」
「それは誰だ」
「ニドと言います。階級はトパーズの……上級冒険者になったと聞いています」
「あいつか」
彼は溜息をついて、首を振った。
「本当に知り合いらしいから、それなら店の前まで案内しよう。だが、失礼ながら言い添えておくよ。彼もそんなに評判のいい男ではない。できれば悪い付き合いは切って、健全に暮らして欲しいものだ。それと、こんなところには長居しないでくれ」
「御親切にありがとうございます」
「ここから三区画先、まっすぐ行ったところに、我々の詰所がある。困ったことがあったら駆け込んできてくれ。私の名前を出せば通じる」
「はい。あの、お名前は」
頷くと、やっと名乗ってくれた。
「フェン大尉だ。さ、じゃあ、早速そこまで案内するよ」
到着してみると、なかなかの店構えだった。赤いカーペットを挟むようにして、身をくねらせる美女と、堂々たる体躯を見せつける男の石像が立っている。入口の向こうからは橙色の光が溢れてきていた。
門前には呼び込みの男がいたのだが、俺の後ろにフェン大尉やその配下がいるのを見て、いらっしゃいませとも言えずに棒立ちになってしまっていた。
「済みません」
これでは営業妨害同然だ。俺は頭を下げた。
「ニドの知り合いなんですが、彼は今、おりますでしょうか?」
「あ、はい。問い合わせて参ります。あの、お名前は」
「ファルスと言えば、通じるかと思います」
「承知致しました。では、少々お待ちを」
しばらくすると、中から一人の男が姿を現した。
背はそんなに高くないが、細く引き締まった体つき。亜麻色の髪の上からニット帽のようなものをかぶっている。腰のベルトには小ぶりのナイフが二本。上着だが、少々嵩張りそうなデザインになっている。表面に革を張り、小さな鋲も散りばめているのは、ただのファッションではない。
「ニド」
呼びかけられて俺を見つめ、足先から頭の天辺まで見比べる。
「プッ……なんつう格好してんだよ、お前」
「仕方ないだろ。今じゃあ例の学園の生徒だ」
「お前がねぇ」
それから彼の視線は、背後に立つフェン大尉とその部下達に向けられた。
「こりゃあどういう取り合わせだ?」
「別に、なんでもない。一人で歩いていたら、ここまで護送された」
「はっ」
皮肉な笑みを浮かべると、彼は俺をおいて、大尉の方へと歩き出した。
「帰んな」
「問題を起こしてくれるなよ」
「俺に言うセリフじゃねぇよ」
顎で俺を指し示してから、ニドは続けた。
「こいつが無事に帰れねぇってんならな、明日の朝には帝都は焼け野原さ。冗談じゃなくな」
「そう願う。何かあったらお前に話がいくから、後は頼むぞ」
「おう、散れ散れ」
俺に一礼すると、大尉は部下を連れて、巡回任務に戻っていった。
「ケッ、犬どもが」
「知り合いだったのか」
「そりゃーな。俺はここの用心棒みてぇなもんだし。ま、立ち話もなんだ。店ん中入れよ」
煌びやかな店内に入ってみると、衝立で仕切られたいくつかのブースに分かれていて、その向こうで男女が談笑しているらしいのがわかった。
ニドは脇に立っていた案内役の男に声をかけた。
「個室借りるぞ。なんかあったら呼べ」
そのまま、俺達は奥まった一室に向かい合って座った。何か香水の匂いのようなものが染みついている。
さっきの男が気を利かせたのか、別の若い男がやってきて、俺とニドの前に飲み物を置いていった。
「それで?」
周囲に人がいなくなってから、ニドが言った。
「何しにきやがった」
「どうしているのか、顔を見に来ただけだ」
「暇な奴だな。ま、お前があれからどうしてたのか……そうそうくたばるような奴じゃねぇのはわかってたけど、今更学園たぁな」
一口飲んでから、ニドは椅子の背凭れに体を預け、ふんぞり返った。
「タマリアから聞いたのか」
「そうだ。逆にお前はどうやってタマリアと会えたんだ?」
「あ? 難しくねぇよ。こっち来てから食い扶持稼ぐのに、最初は迷宮潜ってたんだ。稼げるのが、南西にあるアエグロータスでよ」
この街で暮らす冒険者にとって、最も実入りがいいのは商船の護衛任務だ。ただ、これは危険度も割合高く、長期に渡る拘束もあるので、大人気とはいかない。
一番好まれるのは、今、ニドがやっているような用心棒、警備員だ。これなら割合安全で、遠くに行かなくてもよく、しかも安定収入が得られる。しかし、その椅子は限られており、特に余所者にとっては、それなりの腕前を示せないと座らせてもらえないポジションだ。
そこで、帝都に来たばかりの移民の冒険者のいくらかは、まず迷宮で稼ぐことになる。
帝都を囲む四大迷宮では、それぞれ獲得できる戦利品が違う。北東のフェイムスでは、主として食材になるものが、北西のパウペータスでは衣類の材料になるものが、南西のアエグロータスでは薬品の材料とか魔法の触媒が、そして南東のルイナスでは、石材や金属の鉱石などが得られやすい。
そして、そうした素材に対応した魔物がそれぞれ出現するという。そうなると、いくら金目のものがあるとしても、ニドの能力では、まずルイナスは対象外だった。なんでも、全身が金属でできた巨人なども出てくるのだとか。
アエグロータスは、毒蜘蛛、毒蛇、毒蛙と、性質の悪い魔物が潜んでいることが多いのだが、打たれ強さでは大したことがない。だから、ニドには向いていた。
「最初のうちは、こっちでガンガン稼いでたからな。一人で、地下十四階まで行ったのが最高かな。それでトパーズになってよ」
「やるなぁ」
「けど、俺、市民権なんかねぇ移民だからな。当然、南部の、あのスラムに近い辺りに住むしかなかったし」
元々住所が近かった、ということか。
「だからまぁ、自然と会うようになったんだが……近頃は、迷宮は行ってねぇ」
「用心棒だって聞いたぞ」
「ああ、タマリアにはそう言ってある」
では、何か違う仕事でも?
「嘘じゃねぇぞ? 一応、ここの警備員の仕事もしてはいる。たまに酔っぱらった奴とか、女に乱暴する奴もいるからな」
「じゃあ、他でも稼いでいるのか? 何をしている?」
するとニドは……
黙って片手を挙げて、小指だけを立ててみせた。
「おい」
「ま、ヒモだな。いや、ヒモっつーか? 俺は特別なことはなんもしてねぇんだが、勝手に女が俺に貢ぐんだよ」
確かにニドは、垢抜けた男になった。まだ十六歳の若さだが、この年齢ゆえの色気というか、妖しい魅力みたいなものがある。
「ぶっちゃけていうと、組織で一通り習うんだ。男は女の、女は男の落とし方ってやつを」
「そういえば、そうだったな」
例えば、あのクローマーがそうだった。
「んな技に頼るつもりもなかったんだけどよ……きっかけはあれだ、ギルドに屯してる女ども? あいつら、普段は個人売春婦みてぇなことばっかやってんだけどよ、オッサンどもと寝てばかりじゃやっぱきちぃんだよな。で、まぁそうなると、どうしてもマシな男と寝たくなるっていうことらしくってなぁ」
ただでさえ甘いマスクを持つ彼が、実力も伴っているとなれば、女達の目に留まらない理由がなかった。
帝都の冒険者の多くは、アメジスト止まりになる。なぜかというと、他の地域での実績がない場合、ジェード以上への昇格が適用されないからだ。
基本的に、海賊退治や商船の護衛といった仕事以外となると、帝都の冒険者の仕事の中心は、日常の雑用、港湾の倉庫の警備、ニドが引き受けているような用心棒など、危険度が比較的低いものばかりだ。そして、そのどれもがランク上昇にはあまり寄与しない。なにしろ治安がよく、海賊も近頃はほとんど見かけず、魔物もまず出没しないので、安全すぎて実績を稼ぐ余地がないのだ。
だからランクアップの機会は、事実上、迷宮探索にしかない。そして、踏破した階層によって、半自動的にランクが決まる。地下五階でガーネット、八階でアクアマリン、十階でアメジストだ。で、多くの冒険者は、これ以上深い階層には潜らない。潜っても、実績に反映されないからだ。
しかし、帝都の外からやってきたニドは、既に先立って冒険者証を作っており、外部での実績がある状態だった。そのため、更なる深層に潜ることに意味があり、ここでは滅多にお目にかかれない上級冒険者になったのだ。
つまり、その世界の中ではデキる男。輝ける男だった。
「俺ってさ、脱ぐと傷だらけだろ? で、まぁハッタリきかせるとさ、女は喜ぶわけよ」
「いや、パッ……組織に鍛えられて生き延びてきたとか、ハッタリな人生じゃないとは思うけど」
「こんなんになるまで知らなかったんだけどさ。女の性欲、エグいもんがあるぜ? 気持ちいいからいいんだけどさ。ったく、俺が頼みもしねぇのに、勝手に貢いで勝手に下につきたがるんだから」
ということは、今のニドの「仕事」というのは……
「ってことで、まー、今じゃいろんな女が入れ食い状態でさ。適当に口説き落として抱いて、あとはこの店に連れてくるだけだな。片っ端から紹介しちゃ、上前ハネて暮らしてるってわけだ。店側からも謝礼金出るし、女も貢ぐし、ウハウハだよなぁ? ついでにいうと、いまだに俺は移民だから、こんなとこに部屋なんざ借りられねぇけど……わかるよな?」
「女の部屋に転がり込んで、ということか」
「そ。ま、それも三人くらいはいるんだけどな。面白れぇのは、他に女がいるっつっても、誰も文句言わねぇんだわ」
事実上の、あれだ、前世でいうところの「風俗スカウト」「キャッチ」「ホスト」だ。
で、次々と女達を風俗に沈めて……
「だから睨まれてるのか、お前」
「まーな。人妻でも俺に言いよってきやがるから、スパーンとヤッちまうし。俺、主婦売春の原因だからな」
「お前なぁ」
「帝都じゃ男が女を襲ったら後ろに手がまわるんだが、女が夫を裏切っても、ナァナァで済んじまうから。つっても人間、法律だなんだで抑え込んだって、あれこれ思うことはあるから、まぁ面倒な事件になっても困るし、俺も多少は恨まれてるし? 厄介事のタネだと思われてんだろうさ」
もうちょっとまっとうに生きてくれよ。そう言いたくもなる。
「言いてぇことはわかるけどな」
ニドは肩をすくめた。
「これが俺なりの、まともな生き方なんだぜ?」
「どこがだよ」
「あのな、バカみたいに真面目に生きてたから、俺は組織なんかで頑張っちまったんだろが。変にあれこれ溜め込むのがよくねぇんだよ。この俺の神通力を抑えるにゃあ、これくらいだらしないのがちょうどいいんだろうさ……ああ、そうだ。正義だの道徳だの、んなもんクソ食らえってな」
そういうこと、か。
昔からニドは賢かった。要は達観してしまったのだ。人間なんてこんなもん。社会なんてこんなもん。だったら好きに気楽に生きたほうがいい、と。
「んで? お前は今、どうしてるんだ? ま、大方、貴族か何かになったんだろうけどさ」
「まぁな。けど、貴族になったからってお前、俺を殺さないだろうな?」
「殺したくても殺せるようなやつか? バケモンだろ、お前は。ハハッ」
肩の力を抜いて生きていけるのなら、ニドにとってはこれがちょうどいいのかもしれない。
はた迷惑ではあるものの、主婦売春がどうのというのも、彼が何かを強制した結果ではない。少なくとも、その女性自身の自己責任でもある。
「で、実はあんまり自由がないんだ。今夜も、もうすぐ帰らないといけない」
「なんだ? 怖いカカァでもいんのかよ?」
図星だ。こんな店に入って、あんまり長居でもしていたら。変に誤解されるのが怖い。
「似たようなもんだな。婚約者を押し付けられた」
「ブッハハハ! お前、尻に敷かれてんじゃねぇか!」
ニドは立ち上がった。俺も続いて立ち上がると、彼は軽く肩を叩いた。
「そういうことじゃ、しょうがねぇな。んじゃ、俺が昼間に学園の傍まで行きゃいいか。そん時に、ま、お前の身の上話でも聞かせてくれよ」




