叙爵
頭上を埋め尽くす細やかな銀細工をぼんやりと見上げながら、この国の美とは、いかにも女性的なのだなと心の中で再確認していた。
玉座の間には、正騎士になって以来、三年ぶりに立ち入った。生クリームのように白い肌のアーチの表面には細かな銀の装飾があり、そこに這い回る蔦のように黄金が散りばめられている。その狭間には時折、小粒の宝石が星屑のように瞬いていた。
これはこれで美しい。ただ、俺がこの世界を巡り歩いて目にした美の数々は、必ずしもこれと似通ったものばかりではなかった。
例えば、アルディニア王国の謁見の間は、ここより広さはあったものの、ずっと地味だった。これといった装飾もない無骨な石柱が立ち並び、足下には暗い緑色のタイル、そして真っ赤なカーテンが重々しく垂れ下がっていた。無骨と言えば、ポロルカ王国の玉座の間もそうだった。サイズは更に大きかったが、ごく簡単な装飾が天井に刻み込まれていただけで、あとは飾りらしいものがなかった。ただ、それらがここより見劣りするかというと、そうとは思えない。
なぜなら、微細な美とは違う何かがあったから。ただ、力強さを感じさせる大きな列柱が立ち並んでいるというだけで、それを眺める人の心に働きかけるものがある。タリフ・オリムのリヴォフラン教会なんか、特にそうだった。扇形の石の階段や、奥に向かって整列する石柱には、その配置にこそある種の洗練はあったが、個別の部品には、これといった工夫はなされていなかった。だが、あれで十分に素晴らしかった。
逆にティンプー王国の宮殿は、あれは今にして思うと、美という言葉では言い表したくない代物だった。特に玉座の間の、あの金のピラミッドについては、ダサいとしか言いようがない。
そういえば、フォレス人から見た外国人についてのイメージは、こんなだったっけ。ルイン人は田舎者で粗野、サハリア人はがめつくて凶暴、シュライ人については野蛮で不潔。そして帝都の人々は狡猾で淫乱、でもそれはフォレス人が周囲の民族から思われていることでもある。
そんなものかもしれない。ことにエスタ=フォレスティア王国の宮廷は、ピュリス王国の奢侈淫佚の風を引き継いでしまっている。あの裏切りの妃、ミーダ以来のことだ。四年半前の内乱の際に、俺はサフィスに従って後宮の内部に踏み込んだが、あれはどうにも好きになれなかった印象がある。美というより、頽廃と呼んだ方がいい代物だった。
ゴーファトは帝都のことを、女の都と吐き捨てた。では、あちらでも俺は、ここと似たものを見出すのだろうか?
裏手にある空間から、控えめな歌声と楽器の音色が聞こえてきた。そろそろ陛下の登場だ。もう上を向いていてはいけない。特に俺は、最前列の左端に立たされている。すぐ顔を伏せた。
いつかのように、タンディラールは軽快な足取りで舞台の上を横切った。ただ、その服装はというと、実に彼らしくはなかった。俺の知る彼は、いつも緑色の服の上から黄緑色のマントを纏うだけで、王冠も実に簡素なものを申し訳程度にかぶっているだけだった。それが今日は、もうこの季節では暑苦しいだろうと言いたくなるような、分厚い真っ赤なマントを背負っている。王冠も、例の伝国の宝冠ではないが、それなりに立派なものになっている。
わかっている。今日は特別だ。異国の特使を迎えるのに、あまりラフな格好ではいられない。
玉座の前でこちらに向き直ると、彼は立ったまま、諸侯に言った。
「いつものことながら、よく集まってくれた。本来なら今日は朝議の日ではなかった。急なことでもあり、卿らには負担となったことだろう。既におおよその事情は聞き知っているものと思うが、東の彼方、ワノノマより我が国に友好を求める使者が訪ねてきた。普段は卿らが客、私が主人として来訪を迎えるのだが、今日に限っては卿らもまた主人の側だ。客人を温かな気持ちで受け入れてもらいたい」
その場に参列した諸侯はそれに、身を折って応じた。
タンディラールはそれを見て、すぐさま右手を掲げた。これだけか? まさしくブリーフィングだが、これで諸侯は混乱しないのか? それとも事前に伝達が済んでいるのか? とにかく、再び舞台裏から添え物程度の歌声が聞こえ始めると、タンディラールはゆっくりと玉座に身を沈めた。
やがて俺の斜め後ろから、軽やかな鈴の音が聞こえてきた。といっても、ごく控えめに。騒々しさは、この空間には相応しくない。
顔を伏せたまま、横目に覗き見る。先頭に立つヒジリは、ピュリスでそうしたように、今日もやたらと裾の長い、鮮やかな青……それこそ露草色とでも呼べばいいのか、まさしく大洋の彼方の龍神の国からやってきた姫君に相応しい身なりをしていた。
彼女らが足を止めると同時に、鈴の音も、歌声も止んだ。
「弥栄! 平らかなる波の彼方に清明なる大地栄えるはこれ、天にも似たる大君の御稜威の下にあればこそ。拝謁の光栄に浴するはこれに勝る喜びなく、その御威光に恐懼するのみ。ただ役儀負いて参りしゆえに、不肖なる我が身ながら、物申すことをお許しあれ」
なんとも芝居がかった挨拶だ。俺でも舌を噛んでしまう。とはいえ、これには双方、緊張感が走るというものだ。なにしろ今回は、一切が異例尽くしなのだから。
まず、そもそもワノノマからの使者がこの国にやってくるというのが珍しい。百年に一度もないことだ。あまりに遠く、また経済的な結びつきもないので、こちらに来るワノノマの人間など、本当に限られている。俺が見た限りでは、結婚がいやで出奔したユミや、女神神殿の仕事でやってきたザリナ、特命を受けてスーディアを訪れた魔物討伐隊。これくらいしかいない。
そして、特使の代表を務めるのが一国の姫君というのも、普通ではない。帝都ならいざ知らず、他の大陸の国々は、基本的にどこも男社会だ。
「遠方よりの客人を迎えるは我らが喜び。今、この場を措いて、他に康寧の家があろうか。なんであれ、いかなる望みも前もって叶えられていよう」
だが、何よりわけがわからないのは、使者が彼を訪ねる理由だ。
一応、表向きの名目はあるのだが……
「では、申し上げます。陛下におかれましては、人の世の安寧に尽力なさいましたこと、オオキミはことのほかお喜びでございました。長年、世を惑わす邪悪に立ち向かいながら、一向に実りの得られぬところ、陛下の見出された騎士がひとたび腕を振るうや、次々曇天の晴れ行くがごとくでございました」
つまり、こういう理屈だ。
騎士ファルスは、人形の迷宮でもポロルカ王国でも、長年、人類を脅かしてきた脅威を打ち払った。このような快挙に至ったのは、そもそもはタンディラールがファルスを見出し、後援したからだ。これは世界平和に対する大きな貢献であった。だからワノノマのオオキミとしては、感謝の意を示したい。
そんなの上っ面の話だ。真顔で魔王と戦っている国なんて、せいぜいのところ、帝都とワノノマくらいしかない。だから本音は別にある。ワノノマは、その目的からファルスを監視対象にしたい。そのためにヒジリを押し付ける。そのことを黙認せよ。
「オオキミは彼の大功に、この私自身を与えるとの仰せでございました」
この言葉に、貴族達の集団から小さなざわめきが起こった。やっぱりか。年金木っ端貴族の隅々にまで、いちいち情報伝達してやっているとは考えにくかった。そもそもその騎士とは誰か。一国の姫を与えられるとはどういうことか。背景が分からなければ、ヒジリの言うことなど、さっぱり理解できないだろう。
「それも決して不釣り合いなお話ではございません。と申しますのも、彼の表向きの身分は寒村の農民の子に過ぎませんが、実は高貴の出であることが明らかになっております」
「それは余も知らぬことだ。どのような出自であるというのか?」
「では申し上げます。つい先日、不幸にして身罷られた東方大陸の名門、シュウファン家のご当主がかつて西方大陸に訪れた際、実子を残しておいででした。当地では栄枯盛衰が激しく、あえて家を継がせまいとしてそのようにしたのかもわかりません。ですが血は争えないもので、このように頭角を現すに至ったのです」
これはひどい創作だ。あのナンパ野郎のユンイの子であると、だから実は姫の夫に相応しいんですよと、そうアピールしているのだ。
事実に照らせば、本当に彼の子であることがわかっているのはノーラであって、俺ではない。そんなことはとっくに調査済みで承知しているのだろうが、わざと話を歪めているのだ。
そうまでしなければならない理由も、理解はできる。俺の手柄とされるものの中に、エスタ=フォレスティア王国に直接関係するものはない。助けてもらったドゥサラ王本人ならいざ知らず、第三国の姫を娶った上にタンディラールにも褒賞を出させるとなれば、それなりの台本が必要となる。
「シュウファン家は、元をただせばチャナ王の後裔であり、至尊の血脈に連なるものです」
「うむ」
「ですが、その前にまず、陛下の功業を讃えずには済まないことでございます。というのも、かの者が見出されたのは、紛れもなく陛下の慧眼あればこそであるがゆえに」
タンディラールは何食わぬ顔で頷いている。昨夜の置手紙からしても、彼の中ではなんらか答えが出されているに違いない。
「我が騎士の働きはその者自身のものである。さりながら泰平きたりしは喜ばしく、これを共にしたいと願わずにはおられぬ。余は善き王の礼を受けるであろう」
「それでは、ワノノマの至宝をぜひ、お受け取りくださいませ」
この至宝という言葉に、また小さなざわめきが起こった。本当に落ち着きのない……さっきのブリーフィングが効いてないようだ。
タンディラールが頷くと、ヒジリも後ろに向けて小さく合図をした。それから静かに身を避けて、通路の中心を空けた。
「恐れながら、貴顕の方々に申し上げます。跪拝なさいますよう」
ここまでくると、誰もが何事、という顔をした。それでも、貴族達は通路側に向き直り、何が運ばれてくるのかを目にしようとした。
俺は遠目にそれがなんであるかを悟って、背中からどっと冷や汗が溢れてきた。それから慌ててその場で膝をつき、顔を伏せた。
なんてモノを持ち込みやがったんだ。
理解が追いつかないながらも、櫛の歯が折れるようにバラバラと貴族達は言われた通りにした。
タンディラールも、何を差し出されるのかまでは知らなかったらしい。やや怪訝そうな顔をしている。二人の女官が捧げ持っているのは、大きな盾ほどの大きさの何かだ。人間の爪そっくりの形をしていて、先端の方が厚みがない。そしてうっすらと藍色に染まっているが、そこには美しいグラデーションがある。
「これは?」
「陛下、こちらは龍神モゥハの鱗でございます」
今度こそ、大きなざわめきが広がった。
タンディラールも、これを聞いては玉座に座ったままではいられない。起き上がり、掲げられた鱗に向かって跪き、深く一礼した。
この鱗、どんな経緯でこんな形になったのか。それを知っているから……心臓に悪い。これ、姫巫女達が魔物を殺戮して、浄化されずに死んだせいで、モゥハが神格を揺るがされて負傷した時のものじゃないのか。それで剥落した肉体の一部をこうして保管して……
だが、そんなことはタンディラールには関係ない。というか、これが本物かどうかもどうでもいい。
龍神モゥハの鱗として持ち込まれたものがある。これが重要だ。タンディラールは、六大国の一つ、フォレスティア王国の正式な後継者と認められたのだと、そう言い張れる材料が増えたのだから。
鱗が伏せられると、タンディラールは立ち上がって説明をした。
「世界を脅かす魔境の一つ、人形の迷宮が滅ぼされた件は、諸卿らもご存じのことと思う。その攻撃命令を下したのは女神挺身隊のキブラ・アシュガイであるが、実際に迷宮の最下層を踏破し、これを打ち破った一隊に、我が騎士が加わっていた」
俺とは向かい側、右端には、見覚えのある顔がある。大柄だから目立つのですぐわかるのだが、あれはエルゲンナームだ。彼はもう、察したらしい。今、視線がこちらに向いた。
「また、一年半前にポロルカ王国を襲った災禍についても伝え聞いているはずだ。魔王に仕えるパッシャが、ついに六大国の柱を突き崩そうとした。その陰謀を打ち破った勇士達の中にも、やはり我が騎士が加わっていた」
いよいよ、呼ばれるらしい。褒められているのは自分なのに、まったく嬉しくない。
「ファルス・リンガよ。参れ」
俺は列から出て、ヒジリの横に立ち、そこで跪いた。
「覚えていようか。四年半前、悪しき者共が我が王国を乱した際に、彼は若年ながら賊に立ち向かった。それから年月が過ぎ去り、更なる功業を挙げたのだ。先に私は、彼の成したことに対して、王家が与えるものはあまりに小さいと述べた。今こそ、その不足を埋め合わせねばならぬ」
そうでなければ、ヒジリとの釣り合いが取れないから。だが、それだけではあるまい。この取引には、彼にとっての利得もあるのだ。
「金印をもて」
袖から宮内官が現れて、大きな金の印璽を差し出した。
「顔をあげよ」
タンディラールは、ここに宣言した。
「そなたに男爵位を授ける。また併せてティンティナブリアの地に封じる。かの地は我が国北東の要衝である。特にそなたを信じて任せるゆえ、心せよ。今後はファルス・リンガ・ティンティナブラムと名乗るがよい」




