思いがけない贈り物
窓の下を見下ろすと、東向きの湾内に、一隻の大きな船が停泊しているのが見える。明朝の出航に備えて、今もこの城の下男達が立ち働いている。
立派な軍船だ。あの、チュエンで見たジャンク船にそっくりだが、舳先には衝角が備え付けてある。夕暮れの空の下、その黒々とした船体は、少々物々しすぎる印象を与える。
「結局、ホアは捕まったままだったな」
フィラックがボソッと言う。
「それはだって、客人じゃなくて護送対象だから」
「下品で騒がしいけど、ここまでしなくてもいいのになぁ」
「悪いことをしたから捕まえるんじゃなくて、悪いことをさせないために閉じ込めるって話だから、気の毒といえばそうなんだけど」
そんな護送任務のために、あの軍艦を使うということだが、実のところ、護送対象は一人でなく、二人だ。それと言わないだけで、俺もオウイも承知していること。
「それにしても、やっぱり慣れないな。この箸ってやつは」
無意味にフィラックが喋り続けているのは、沈黙がいたたまれないからだ。俺と彼の間で、ノーラは淡々と食事を続けている。
もともと彼女はどちらかといえば無口だったのだが、今はただ黙っているというだけではない。暗い思いを抱え込んだまま、何も言いだそうとしない。ただ、それはそれで好都合かもしれない。使徒に屈するくらいなら、二人を死なせてでも逆らうつもりだった。だが、俺がユンイの息子であるという可能性によって、ノーラが俺への思慕の念を断ち切れるのなら、俺も心置きなくモゥハに処分されることができる。
「ねぇ」
ポツリとノーラが声を放つと、場の空気が凍りついた。
「ファルス」
「どうした」
「何か隠してない?」
飲み込んだものを吐き戻しそうになるような迫力。なんでここで勘づくのか。
「何かって何を」
「いろいろ引っかかってるのよ」
白刃のような視線がこちらに向けられる。
「まず、私達の待遇」
「何がおかしい? オウイ様は城内に部屋を与えてくださった。十分すぎるし、不満を言うのは失礼だ」
「そうね。広くはないけど、いいお部屋だと思う」
「だろう?」
でも、そういうことではない。
「だけど、どうして明日の朝に出発する予定なのに、見送りの宴がないのかしら」
「そんなの、忙しいんだろうし、こちらからそんなことを言い出すのは厚かましいよ」
「歓迎の席にしても、少し内輪すぎたけど、あれは仕方ないわ。私達がいつ来るかなんて、事前にわかるはずがなかったんだもの。だけど、だからこそ、出発の際には形だけでも挨拶をしようとするものだと思うわ。だってそうでしょ?」
これだからノーラは怖い。じっと黙って考えを煮詰めてくるから。
「ファルスはその辺の一介の騎士じゃない。少なくともポロルカ王国でパッシャと戦って、ドゥサラ陛下から貴族の身分を与えられるところだった。身分からすればオウイ様の方が上だけど、大国の王族とも話のできる大物というのは、魔物討伐隊が帰国した時、こちらにも伝えられているはず」
つまり、お近付きになっておく。ネッキャメルの族長が、ポロルカ王がそうするのに、なぜ小国に過ぎないワノノマの、それも一地方領主に過ぎないオウイがそれをしないのか。
そして、ここまで口にするということは、彼女ももう、オウイの心の中を読み取っているはずだ。だが、そこに詳細はなかった。つまりワノノマ本土からの護送命令……何が何でもファルスも連れてこいと、そう伝えられていることしかわからなかった。
「おかしいことは他にもあるの」
「なんだい」
「どうしてワノノマ本土に行きたがるの?」
「それは最初の会見で言ったじゃないか。姫巫女やモゥハから、直接、不死が存在しないことを確かめるんだって。これは、一応、ケジメだよ。ここまで旅を続けてきたんだし」
だが、ノーラの追及は止まらない。
「よくよく考えると、答えがわかっているのにわざわざ行くというのが、そもそも変じゃないかしら」
「いや、順序をよく考えて欲しい」
俺は必死で理由付けをする。
「もともとは使徒がどこで仕掛けてくるかを考えて、行き先を決めていたんだから。神仙の山から砂漠を越えるのは、最初から決まってたんだ」
「そうね」
「だからチュエンにも寄ったし、どのみちスッケまで出なきゃ、船で帰ることもできない」
「うん」
「そういう予定だったから、ホアの受け渡しも引き受けたのであって」
「引き渡しは済んでるわね」
「あー、だから、せっかくだったら、ここまで来たんだし、なんというか」
フィラックが助け舟を出してくれた。
「珍しいものを見てみたいってだけだろ。そんなの、俺だってそうだ。まさかこんなところまで来るなんて、夢にも思わなかったしな」
一応、これで言い訳はできた。だが、ノーラは納得していない。
彼女の目的は、俺を人の世界に連れ戻すこと。だが、その戸口にまで立った俺は、なおもそこを越えられずにいる。その理由を彼女は目撃しているのだ。
モーン・ナーの呪詛をどう始末するつもりなのか。使徒を追い返したから、それでハッピーエンドとはいかない。それは単に、使徒に呪詛を利用させないという意志表明以上のものではない。といって、あれを人の力でどうにかできるわけもなく、とすれば龍神の力を求めるのも自然ではある。が、ノーラは忘れっぽくはないのだ。俺がリント平原のど真ん中でヘミュービに殺されかけた話を無視するとは思えない。
だが、彼女がなおも抗弁しようと口を開きかけたとき、戸口の外から声が聞こえてきた。
「あのう」
女の声だ。
すぐ察する。これはヒメノだろう。俺が目配せすると、フィラックが腰を浮かせて戸を開けた。
「わっ、しっ、失礼しました! お食事中のところ」
「いえ、ほとんどもう食べ終わっていましたし、気になさらないでください」
例によって、ヒメノは布のバッグを抱えてきていた。ちょうど廊下に女中が食器の回収にやってきたところに鉢合わせ、少しの間、彼女らが慌ただしく部屋を出入りし、片付けを済ませていった。
貴族の家という視点で考えると、なんとも連携がとれていないドタバタぶりだが、さすがにこれではまずいと思ったのか、女中は急いで四人分の熱いお茶をお盆に載せてやってきて、そのまますぐ去っていった。
「よくいらしてくださいました」
改めて、俺は挨拶した。座ったまま、軽く頭を下げる。
「いっ、いえいえいえ」
しかし、この引っ込み思案の内気な少女が、何しにここまでやってきたのか。いや、自分の考えではあるまい。
アーノか、それとも帝都への留学経験がありそうなムレル辺りの助言ではなかろうか。年齢的に、ヒメノと俺は、同学年になる可能性が高い。この内気な性格、それにスッケの豪族の娘など田舎者もいいところなのだから、先々を考えて少しでも縁を結んでおくべきだと教えたのかもしれない。
とはいえ……
「あ、う」
会話が続かない。
これがアーノの手引きだという可能性は大きく下がった。彼なら自分でここまでやってくるだろうし。
話下手な人に向かって、いいからコミュニケーションをとってこい、と助言する人は多いが、それでなんとかなるなら、誰も苦労していない。できない人に必要なのは、適切な指導だ。指導は説明とは違う。その人に何が欠けているかをよく調べた上で、取っ掛かりになる手段を指し示すのが、まっとうな指導だ。それは手間暇かかる仕事で、やっつけのアドバイス一つでなんとかなるものではない。
「僕らは明日、本土に渡る予定なんですが、ヒメノ様は行かれたことはおありですか?」
「えっ、い、いえ、様なんてつけないでください、私はそんな」
そんな身分ではない、か。従弟がヒシタギ家を継ぐのだから、自分は分家の娘相当で、兄弟もいない。貴族に分類され得るかどうかも微妙なラインなのだ、と。
「ではヒメノさん」
「あ、はい」
それで、質問されたことを思い出して、彼女は話し始めた。
そう、コミュニケーションが取れない人は、言葉を発すること自体ができないのではない。ましてや相手に対する好意がないのでもない。ただ、何を言えばいいかがわからない。喋らせて、それが聞かれて、受け入れられるということを通して、安心させてやらねばならない。
「もちろん、出向いたことはあります。父と……ああ、もう亡くなっているんですが、一緒に本土の姫巫女様のところに行って、ご挨拶させていただきました」
「やっぱり御簾越しですか」
「はい。でも、私の贈り物は受け取っていただけたんです」
「贈り物?」
「はい。腰巻を差し上げたのですが、お褒めの言葉を賜りました」
「それは凄いですね」
「い、いえいえ、子供の頃のお話で、もう四年も前で」
そんな幼い頃から裁縫に夢中だったということか。
「子供だったから、褒めていただけただけだと思うんです。でもいつか、本当に腕をあげて、今度こそ認めていただけたらと」
「目標がおありなんですね」
「あっ、そ、それで、その」
抱きかかえた袋を胸に、もじもじし始めた。
視線がノーラに向けられる。ノーラもそれと気付く。
「ノーラ様というのは」
「私ですよ」
さっきまでの怖さはどこへやら。彼女なりに柔らかな対応を心掛けているのがわかる。
「お加減がずっと悪いということを耳にしたのですが」
「少し旅の疲れが出てしまったかもしれません。ご心配をおかけしました」
「そ、それでですね、あの、その」
そんな袋を抱えているのだから、もう意図するところはわかっている。
「もしかして、その袋は」
「わぁっ、は、はい。こちらは冬でもそんなに寒くなりませんし、分厚い服を着たままでは余計にお疲れになるのかなと思いまして、その」
「まぁ」
割と無理のある理由付けだったが、そんなのはどうでもいい。要は特技を生かして、俺やその関係者とお近付きになっておこうということなのだろう。
もちろん、ノーラもそれがわかっているから、なるべく気安さを演出して微笑んでみせた。
「よろしければ」
「着てみてもよろしいですか?」
「はい、ぜひ!」
二人が出て行った後、俺とフィラックは、長い溜息をついた。
何も言わなかったが、以心伝心、気持ちは同じはずだ。とにかく気疲れする。
ふと、タリフ・オリムのガイの家を思い出した。あそこなら、こういう形の疲労感とは、きっと無縁だろう。
少しして、別の部屋から二人が戻ってきた。
「ど、どうでしょうか」
鮮やかだった。
暗い緑色の着物といえばいいのだろうか。中に白い襦袢を身に着けているので、そう呼ぶのが正しいのかもしれない。その緑色の中に、より暗い色の糸で織り込まれている意匠は、紫雲たなびく中、翼を広げる鶴だ。
これだけでも、ノーラにはよく似合う。陰と陽でいうなら、間違いなく彼女は陰で、喧騒よりは静寂が似合う。これがもし、パステルカラーで花柄の服が出てきたら、違和感いっぱいだったはずだ。
しかし、それだけでは芸がないと思ったのだろう。真っ赤な布で花を象って、それを黒い髪の飾りとしている。その反対側には、俺がチュエンで贈ったブレスレットもどきも着けていた。
「これはすごい」
思わず口からそんな感想が漏れて出てきた。考えてそう言ったのではない。あっけにとられたのだ。
「よかったです! では、お近付きの印に」
「ちょ、ちょっと待ってください、ヒメノさ……さん」
俺は慌てて押しとどめた。
「結構な値打ちものではないでしょうか、これは。そんな簡単にいただくわけには」
「服は似合う方が着るのが一番ですから」
ノーラも、なぜか呆けたような顔をしていたが、さすがに我に返った。
「そうよ。これは、多分、よっぽど上等なものじゃないかしら? 気安くいただくなんて」
「それなのですけど」
服には一家言あるらしい。さっきまでのおどおどした態度は鳴りを潜めた。
「実はその服は、三代目なのです」
「三代目、とは?」
「最初の持ち主の方がお亡くなりになって、それを別の家の方が譲り受けたのですけど、着る機会がなく。そういう使われないものを、私が買い取って手直ししたものなんです」
つまり、現状では未使用品なのだ。再利用を兼ねての贈り物、ということか。
「ノーラさん、ノーラさんは、こういう余所行きの服はお持ちですか?」
「ええと……ピュリスに帰れば……いえ、ないわね」
ないはずだ。
一度だけ、王都に出向くときに礼服らしいものを身に着けていたが、あれしかないだろう。だが、それから二年以上も経っている。多少は背も伸びた。今では着られないはずだ。
「でしたら、ぜひ!」
「え、えっと」
助けを求めるように、俺に視線を向けてきた。
逡巡したが、思い切った。
「では、これは記念の品ということで、いただきます。ありがとうございます」
「まぁ、よかった!」
それからヒメノはノーラの手を引いて、また着替えさせにいった。
俺とフィラックはまた長い溜息をついたが、なぜか、この日の夜のうちには、再びノーラの詰問が始まることはなかった。
はい、クリスマスですので……




