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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十一章 剣、死してより
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死に場所、生き甲斐

 ユミへの近況報告を終えてから、俺はアーノと共に西向きの道を歩いていた。既に昼近い。この四年間の旅についても簡単に話さなくてはいけなかったし、人形の迷宮でガッシュと再会した件も伝える必要があった。


「旅、か……」


 アーノがポツリと呟いた。


「いいかもしれんな」

「遠くに行かれたこと、あんまりないんですか?」

「ないでもないがな」


 彼は首を振った。


「魔物討伐隊の仕事で、この大陸の沿岸をウロチョロしたのと、あとは帝都だな。それ以外では、お主に出会った、あの大森林くらいしかない」

「そうなんですか。それだけの腕があれば、どこでも活躍できるかと思うんですが」


 長い溜息をついてから、彼は静かに言った。


「意味を求めていたのかもしれん」

「意味、ですか?」

「強者と戦いたかったのはなぜだ? 名声など、欲してはおらん。だが」


 歩きながら、彼は思考を整理していた。


「討伐隊が行かぬ大森林の奥で獣人を狩りたいと思ったのも、誰もやらぬ仕事をすることに意味を感じたかったのかもしれんな。とはいえ」


 その顔に薄っすら笑みが浮かぶ。


「単に強者と戦うのが楽しいというのは、ある」

「でしょうね」


 なんだ、結局、元通りじゃないか。

 半ば呆れて肩を落としたが、アーノはこれから訪問する相手の話を始めた。


「そういう意味こそを追い求めた男よ、奴は」


 そうして立ち止まり、指差した。

 その先にあったのは、確かに武人の邸宅だったのだが、そのなんとみすぼらしいことか。元の造りが悪いのではなく、手入れがまるで行き届いていない。茅葺の屋根も劣化して久しいが、一年やそこらでここまでダメになるとも思えない。出入口の扉もガタがきていて、ちゃんと閉まらないらしい。

 アーノは門前に立ち、呼ばわった。


「ザン! 家におるか! 入るぞ!」


 なんと非常識な。家人が扉を開けてくれるのを待たず、入ると宣言するとは。しかし、アーノは彼の事情を知っている。察するに、わざわざ来客のために扉を開けにくる家人などいないのだ。

 そうしてアーノは無造作に扉を押し、中に踏み込んだ。俺もそれに続く。


 ザンは、諸肌脱ぎになっていた。手には木刀がある。額に汗の玉が浮かんでいるところからしても、鍛錬の最中だったのだろう。


「邪魔したな」


 のっそりとこちらに振り返り、俺の姿を認めると、ほんの少しの間だけ硬直していたが、すぐに頭を振り払った。


「しばし待たれよ」


 手拭いをとって汗を拭い、母屋の影に引っ込んだ。それから少しして、母屋の正面の戸が開かれたので、俺とアーノは縁側から靴を脱いで上がり込んだ。

 母屋の中心には囲炉裏があった。その囲炉裏を挟んで、ザンは左手に陣取った。それで俺達は向かいに座ったが、アーノの表情にはどこか不満げなものがあった。


「奥に座ったらどうだ」

「もういい歳だ」


 意味の通じないやり取りだ。だが、俺は察した。


「失礼ながら、ザン様」

「うむ」

「ご家族はおいでではないのですね」


 彼は頷いた。その顔には皮肉な笑いが浮かんでいる。一年前には敵対した俺が、丁寧な言葉遣いで接しているのがおかしいのかもしれない。


「そういうことよ。母屋の奥に座るのが家長ゆえ。わしが身をおいておるのは、嫡男の座」


 所帯を持たず独り身でいるのだから、家長などとはいえない。そして、だからだ。彼の家には下男も下女もいない。養うべきものがいない家に、下働きは必要ない。


「なぜ、そのような」

「なぜ?」


 彼はゆっくりと身を折って、アーノと俺に冷めた茶を差し出した。


「所帯など持ってなんとする」

「では、やはりご自分で選んで独り身でいるんですね」

「混じり者の家の一つや二つ、途切れたところで、誰も痛くも痒くもないわ」

「ザン」


 アーノが咎めるように言った。


「誰もそのようには思ってなどおらん。何百年前の話だ」


 理解できずにいると察したザンが説明した。


「大陸南部のこの地域、ワノノマ人の入植地とは言われておるが、元々はあちこちからの寄り合い所帯であってな。無理もなかろう。対岸には南方大陸もある。船で帝都からも人が来ておった。ハンファン人、ムワ、それに帝都のフォレス人、さまざまよ」

「では、ザン様のご先祖は」

「しかとはわからぬ。だが、恐らくはムワではなかろうかと思うがな。インセリアからここスッケまで、ハンファン人やワノノマ人でありながら、名前が先、姓が後というのが少なからずおるが、要はそういうことよ」


 確かに、例えばホアにしたってそうだ。見た目はハンファン人だが、家名はそうではなかった。しかも順番も名前が先。ハンファン風なのはファーストネームだけだ。


「少なくとも、この身よりはずっとワノノマの武人であろうに、勝手に捨て鉢になりよって」


 まさにすぐ上の親の代で共同体から逸脱した親を持つアーノからすれば、ずっと昔のご先祖様がワノノマ人でないというだけのザンの、この物言いは納得しがたいものなのだろう。


「それが理由ではないことくらい、知っていように」

「では、どのような事情で」


 俺の問いに、ザンは頷いた。


「以前に語った通りではないか。わしは魔物が許せぬ。だから斬る。我が身が死ぬまで刀を振る。一匹でも多く屠って、それから死んでやろうと心に決めておったゆえ」


 ザンの父も祖父も、武人だった。それが相次いで魔物との戦いで命を落とした。特に父は、彼が若いうちに死んだ。そのために兄弟もいない。ほどなくして母も病で世を去った。以前より家に仕えていた者達の手によって、十五になるまで育てられたが、それからのザンは、ずっと討伐隊の一員として戦い続けてきた。


「家を残そうと思わなかったのですか」

「それをすれば、わしと同じ思いを我が子にさせることになろう」

「でも、それでは本末転倒ではないですか。魔物を討つのは何の、誰のためですか。後に残された人が安心して暮らせるようにとのためではないんですか。なのにザン様には、後に残す人がいないんですよ」

「それは道理」


 彼は頷きつつも、自分を曲げるつもりなどなかった。


「だが、わしは親を奪った魔物が憎くて戦っておったのだ。無論、わしの働きで世の人々が魔物に脅かされることがなくなるのなら、それに越したことはない。だが、恐らくわしが死ぬまで戦おうとも、この世に安寧が訪れることはない。そのことに、わしは安心しておったのよ」

「安心、ですか?」


 普通なら絶望するところだ。いくら頑張っても、世界を平和にするという大事業に終わりなどこないから。だが、逆にザンはそのことに安心していたという。


「犬死するつもりなどはなかったが、力を尽くして戦い続ければ、いつかわしも倒れる時がくる。その日まで、戦に不自由することなどなかろうと思っておった」


 そこで苦々しげに首を振った。


「もう、殿にはお暇を戴くよう、近々お願いに参ろうと思っておる。そうなればスッケには戻らぬ。西の彼方の沼地で魔物を相手に果ててみせようぞ。だが……」


 魔物討伐隊の縮小。それはつまり、ザンの使命がなくなるということでもある。となれば、個人的な活動に身を置くしかない。


「ポロルカ王国では、済まなんだな」

「えっ」

「あの時、確かにわしは誤った。まだ先があると思っておったのよ。素直にパッシャを相手に戦って、斬り死にしておれば……」


 言葉もない。

 今の彼には、自分の気持ちをごまかすための何かもない。これで家族でもいれば違ったのだろうか。ただ、その場合は、それはそれで別の問題を抱え込むことになる。討伐隊の仕事から外れたら、では彼はどこから稼ぎを得たらいいのか。ヒシタギ家からの俸給にしても、大幅な減額は避けられないだろうし。


「ところで、ファルス殿」

「なんでしょうか」

「今日は、あの魔物どもは連れてはおらんのか」


 彼の顔に、悪戯めいた笑みが浮かんでいた。


「連れてくるわけがないじゃないですか。あなたみたいな人がいきなり斬りかかってきたら大変ですから、おいてきましたよ」


 この返事に、ザンは大笑いした。


 ザンの屋敷を後にする頃には、すっかり昼になっていた。

 そろそろ昼食の時間だが、これは訪問する順番を間違えたかもしれない。先にザン、続いてユミの家を訪ねておけば、昼飯くらい、出してもらえたかもしれない。


「やれやれ。城まで戻るしかなさそうだな」

「そうします」


 俺とアーノは連れ立って東側に向かって歩き始めた。

 それからしばらく進んだところで、とある屋敷の門から、一人の女が外に出てくるのが見えた。


 品のいい着物姿。手には布地を抱え込んでいる。他に手提げ袋もぶら下げていた。

 つい先日、お酌をしてもらったばかりだ。言葉は交わしていないが、誰かはすぐわかった。


「これはヒメノ様」


 豪族の娘ということは、貴族の息女に相当する。ワノノマのオオキミが六大国の王に数えられるのだから、その諸侯にあたるヒシタギ家には、それだけの地位がある。だから俺は当然のように頭を下げた。オウイ自身の孫娘ということだから、分家の人間でもないはずだ。

 ただ、それにしても彼女の服装はあまりに簡素だった。オウイ自身、決してきらびやかな格好はしていなかったが、それにしても、だ。少し裕福な町娘、くらいの見た目でしかない。


 俺に声をかけられると、しかし、彼女は硬直してしまった。なんだ? 未婚の娘に話しかけるのがタブーとか? いや、そんなことはない気がする。であれば、そもそもアーノが昔のユミと知り合いで、好意的に語っていたことの説明ができない。どうやって関係性を築いたんだということになるから。

 それからややあって、彼女はようやく身を折って俺に頭を下げた。まるで油を注していない機械のように、ぎこちなく。


「また着物か」

「あ、はい」


 どうやら人見知りというだけらしい。アーノが話しかけると、彼女は普通に言葉を返した。その口調からも、内気さが伝わってくる。


「武術の鍛錬はどうした。学問にも励まねばならんぞ」

「はい」


 身を縮める彼女の様子を見て、アーノとの関係の気安さが伝わってきた。というより、アーノはスッケの人間関係においてはそもそも辺縁にいる。何かを期待されにくい立場でありつつ、しかも身分はそこそこあるので、ある意味好き勝手に誰とでも話ができるのだろう。

 彼は遠慮なく説明をしてくれた。


「ファルス殿、このヒメノは、当主オウイのたった一人の孫でな」

「えっ」

「嫡男はおったのだが、早くに亡くなってしまった。ゆえに、次のヒシタギの当主は、ヤレルの嫡男ムレルよ。それで宙に浮いた身分をいいことに、この娘はやりたい放題でな」


 やりたい放題……

 そんな言葉が似あうような娘にはまったく見えないのだが。今もおどおどしているし。外見からして贅沢しているようでもない。およそ我儘を通せるような器用なタイプではなさそうだ。


「ごっ、ごっ、誤解を招くようなことはおっしゃらないでください!」


 やっと絞り出したのが、この一言だ。


「誤解でもなんでもあるまい。刀を振るのもサボり、書を読むのもうっちゃって、一日中、針仕事ばかりに勤しんでおる」

「さ、裁縫は女の仕事ですっ」

「裁縫だけが女の仕事でもなかろうに」

「ううっ」


 しっくりきた。

 つまりヒメノは、裁縫オタクらしい。


「でも、でも! これは譲れません! 私の生き甲斐なんですから!」


 まだ十三の小娘が生き甲斐ときたか。


「でも、アーノさん」

「なにか?」

「それをあなたがいうのもどうかと思うんですが……」


 裁縫オタクと刀オタクだ。どっちもどっちといえるかもしれない。ただ、ピアシング・ハンドで見る限り、それなりの努力の形跡は見えるものの、まだ修業中といった感じだ。カークの街にいたエオのような天才とは違う。

 指摘に、アーノは笑いで応じた。


「はっはっは! それもそうではあるな」


 ただ、刀オタクの未来は暗いが、裁縫オタクの将来は約束されている。この違いはどうして生まれてしまうのか。


「だが、ヒメノに限っては、そうも言ってはおられん。もうじき帝都に留学せねばならんのだからな」

「そうなんですか?」

「そういえばファルス殿も、歳も近いのであったか」

「あの」


 ヒメノはあくまで控えめに、話に割り込んだ。


「ここで立ち話もなんですし、小舟を待たせておりますので」

「おお」


 これ幸いと、彼は手を打った。


「面倒が省けた! 我らも城に戻りたいと思っておったところだ」


 こうして俺達は、近くの砂浜に待機していた小舟に乗って、また城へと引き返すことになった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 裁縫も武術も手に付ける”職”なのが今までのワノノマだしな……魔物討伐隊が警察みたいな公的組織に編入されたりとか無いですかね。豪族直轄の軍もあって需要無さそうだけど あ、いや編入されるとした…
[気になる点] >「単に強者と戦うのが楽しいというのは、ある」 アーノは使徒やチェリオ、クロルアルジンと戦って生き残った後でも、同じ感想を抱くのだろうか
[良い点] 前に感想返ししていただいた話ですね、ハンファン・ワノノマ出身者の姓名の順 [一言] > この違いはどうして生まれてしまうのか。 環境とそれによる需要じゃないですかね結局 ここが西の果てのム…
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