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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第四十一章 剣、死してより
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ユミとの再会とヒシタギ家の事情

 よく晴れた日の朝、俺は海沿いの堤防の道を歩いていた。今日はフィラックもノーラもいない。俺の前を歩いているのはアーノだ。


 このスッケの居留地、地上の建造物だけを見ると、実にお粗末な代物なのだが、こうしてじっくり観察してみると、そうでもないとわかってくる。この東西を結ぶ道だが、ざっと海抜二十メートルといったところか。大抵の津波なら、これで防ぎ切れる。地形的にも横に広がっているので、遡上もしにくいだろう。

 つまり、この地下の部分がやたらとしっかり作られている。誰が建設させたのだろうか。地上の家々が掘っ立て小屋なのに、地面の下には相当な労力をかけている。こういうメリハリの利いたやり方は、個人的にはなかなか賢いと思っている。


 ずっと下の方に波が打ち寄せてくる。だが、どこか控えめで、耳に優しい感じがする。

 ここから見下ろす海は、不思議なほど透き通っていた。近いところは薄っすらとエメラルドグリーンに染まっていたりもするのだが、少し奥にいくと、途端に青みを帯びていく。だが、海底の石などがくっきり見えるのは変わらない。

 原因は恐らく、この北風だろう。水面の細かなゴミが沖の方に押し流されるからだ。


「気持ちのいい朝だ」

「ええ」

「なんだ、気が抜けておるぞ。どうした」


 トボトボとついてくる俺に、アーノが尋ねた。


「いえ、まぁ、大したことではないです」

「大したことがないなら、しっかりせい。なんだか覇気が感じられんぞ」


 原因は、ノーラだ。チュエンを出てから、ずっと元気がなかった。だが、今朝になって珍しく「のんびり休みたい」と言い出したのだ。

 これまでは、俺の足を引っ張るわけにはいかなかったから、本当は歩く気力もなかったのに、無理やり頑張ってきたのだ。だが、スッケに到着して休憩がとれるとなって、ついに緊張の糸が切れてしまったのだ。

 なら、傍にいてやりたいところだが、俺には俺の都合もある。それで、何かあったらまずいので、フィラックに後を任せて、一人で大陸側に戻ってきたのだ。


「もう何年になる?」

「ええと、そうですね」


 指折り数え始める。

 俺が九歳になる少し前、ユミは捕縛されてスッケに帰ることになった。で、俺は次の誕生日で十四歳だから、ほぼ五年ぶりか。


「五年です」


 アーノは頷いた。


「あやつももう、人妻だ。早いものだな」


 結婚を拒否して出てきて、四年も経って。お咎めなしだったんだろうか。


「もう、二人目の子も産んでおる」

「そうなんですか!」

「なんだかんだでうまくやっておるよ。お主が顔を見せれば、喜ぶだろう」


 あの頃と、今と。自分も随分と変わったが、彼女にも同じだけの時間が流れている。

 ガッシュ達とまた会えるだろうか。次に顔を合わせたら、ユミのことを話して、安心させてやりたい。


 海沿いの屋敷の一つが、彼女の嫁ぎ先の家だった。アーノが挨拶すると、すぐ内側から下男が駆けてきて、門扉を開いた。

 家の中の造りは、庶民のそれとは若干違いがあった。まず、中庭がある。ロの字型の家なのだが、その屋根の下が土間と板間に分かれているのだ。ただ、それもすべてというわけではなく、門の向かい側にある母屋だけは、庭に迫り出す形でしっかり作られている。木戸があり、その正面には縁側のようなものが設えられている。

 中庭には、あらゆるものが乱雑に置かれているように見えた。薪割りをする場所、練武のための木製の人形、作業に使う椅子と机。それと敷地の西側には、何かの果樹らしきものが植えられている。


「アッ、アーッ……」


 母屋の横の暗がりから、子供の声が聞こえた。かと思うと、こちらに向かって突っ込んでくる。


「アーノだ。わかるか?」

「アーッ!」


 三歳ともなれば、言葉は話せるはずだ。この子はわざと相手の名前をちゃんと呼ばず、ふざけている。そうして見知った大人に甘えているのだ。その子は、アーノの陣羽織に縋りつき、やたらと引っ張っている。

 意外なことに、戦闘狂でしかないように思われたアーノは、子供にされるがままになっていた。それで納得する。これが土地に根付いて生きているということなのだ。


 母屋の扉が開いた。


「ユミ! ファルスを連れてきたぞ!」

「まぁ! わざわざありがとうございます!」


 ワノノマ語だと、こんな話し方になるのか、という軽い驚きがあった。それもそうか。武人の家に生まれておいて、そんな礼儀も作法もない言葉遣いをするはずがない。ピュリスにいた時には、不慣れなフォレス語で喋っていたから、あんな感じだっただけだ。

 彼女は、生まれて一年経つかどうかの我が子を抱きかかえていた。俺に視線を移すと、以前より一層たどたどしくなったフォレス語で、話しかけてきた。


「久しぶり。元気?」

「はい。……ワノノマの言葉でも話せますよ」


 すると彼女は少しびっくりしたようだったが、話しやすい方で話すことにしたらしい。


「また会えるなんて思ってなかった。こんな遠いところまで来るなんて」

「いろいろ思うところがありまして。あれからご無事でしたか?」


 この質問に、彼女は少し困った顔をした。


「お咎めはなしで済んだけど……」


 だとすれば、御の字ではないか。魔道具まで盗み出して、四年も留守にしていたのに。


「結婚は避けられなかったですか」

「当然の義務だから、納得はしているけど」

「女子というのは、難儀なものよの」


 どこか他人事のように、アーノが嘯いた。


「だが、武人として生きるのに、女であることがそこまで足枷になることもないぞ。子供らの世話から手が離れたら、また死ぬほど鍛え直せばよいではないか」


 ユミはそんなアーノに、無言でやや恨めし気な視線を向けた。


「どうせ討伐隊の一員にもなれないし、子供達に刀の持ち方を教えるだけで終わってしまうのに」

「まだ暴れたりんのか。呆れた奴だ」

「アーノさんはいいじゃないですか。好きなところに好きなように行けて。勝手に関門城の向こうにも行ったんでしょう?」


 するとアーノは腕組みして眉根を寄せてみせた。


「初めからハグレ者ゆえの自由よ。子を生し一家を構えるなど、とうに諦めておるゆえ」


 彼の返答に、俺は疑問を感じた。


「ご結婚、できないんですか?」

「身の上については簡単に語ったはずだがな」


 覚えている。アーノの片親はワノノマの人間ではない。フォレス系の女性とのハーフだった。


「元々父が気儘に過ぎた男で、身元もわからぬ女と勝手にくっつき、好き勝手に暮らした結果の子がこの身。それがスッケの本家でなく、わざわざ本土に送られて育ったという時点で、察しがつきそうなものではないか?」

「ええと、まぁ」

「たまたま運に恵まれて刀を極めはしたが、さもなくば居場所などなかった。スッケに根のないこの身と縁を結ぼうという家など、あるまいよ」


 つまり、アーノが諦めているのは、厳密には結婚ではない。彼ほどの腕があれば、それこそ帝都でいくらでも稼げるだろうし、結婚相手も探せるだろう。だが、それで所帯を持っても、どことも繋がりのない核家族ができあがるだけ。本当の意味でイエに属したことにはならない。


「要するに、ないものねだりよ。ユミともどもな」


 血族と地縁の一部となることで自由をなくしたユミと、それらを最初から持たないがゆえに自由なアーノは、正反対の身の上といえるのだろう。


「だが、そう悪いものでもなかろう?」

「子供はかわいいですけどね」

「よいではないか」


 そう言ってから、彼は遠く青空を眺めた。


「それに、魔物討伐隊はもう、ほとんど残らぬ」


 そういえば、オウイがそんなようなことを言っていた気がする。


「戦う敵がおらねば、刀を振るう場所も理由もない。だが、女の営みは変わらず残る。よかったではないか」


 それは、どちらかといえば、アーノのような武人にとってつらい未来になる気がする。武勇があれば認められるという、わかりやすいレールをこれまで彼らは進んできた。それが急にルールが変わって、何か別のことで結果を出さなくてはいけない。

 刀の腕が評価されない世界で、刀しか取り柄のない男が、いったいどんな思いをするだろうか。妻から穀潰しの宿六と罵られる武人の姿が目に浮かぶ。


「苦労しそうですね」

「だから昨日のようなことも起きる」

「昨日?」

「乾杯を邪魔した粗忽者を忘れたか」


 そうだ。

 金棒を持ったまま、宴席に乗り込んできたのがいた。


「あれはどなたですか」

「ゲリーノだ。叔父上にあたる」

「では、ヒシタギ家の方なんですね。どうしてあんなことを?」


 アーノは肩を竦めた。


「金がないからよ」

「金? お金ですか?」

「魔物討伐隊の仕事も、実はタダではない、ということだ」


 アーノも、魔物討伐隊なるものがいつ頃正式に発足したのかは、よく知らない。ただ、暗黒時代のどこかの段階で自然発生的に生まれたらしいということはわかっている。統一期には女神神殿が主催する神官戦士団が世界中を見回っていたが、偽帝に始まる一連の戦乱が世界を混乱に陥れると、それが機能しなくなっていった。

 最初は自衛のため、続いて魔物や海賊の増加に対処し、人が安全に居住できる領域を広げるために、ワノノマの武人達は積極的に東方大陸南部に広がっていった。ただ、この時、ワノノマ本土の方針として、どこの王国とも敵対しないということが条件になった。あくまで統一された世界秩序の維持のために戦うのであって、どこかの国に与する一方で別の国と干戈を交えるとなれば、それこそ無数にある軍閥と違いがなくなってしまう。

 ただ、ワノノマは小国で、資金力も限られていた。それが他国の肥沃な領土を奪わずに活動を継続するとなれば、どうしても行き詰まってしまう。だから、復興し始めた帝都と手を結んで資金援助を受けるのは、必然の流れだった。

 これがまた、魔物討伐隊の活動を制限した。他国の支配地にはこれ以上、食い込まない。どこの国の内紛にも介入しない。そして帝都と、主として世界の東側を繋ぐための航路の安全を確保する。女神挺身隊の活動にも協力する。

 こうして今日まで、魔物討伐隊の活動は続けられてきた。東方大陸南部の豪族にとっては、武人を輩出することが使命であると共に、重要なビジネスでもあった。さして広いともいえない土地で生きていくには、帝都の経済力を借りるのが最も手っ取り早かった。それにまた、それは世界の秩序を保つための正義の活動という、素晴らしい名目を伴っていた。


「じゃあ、あのゲリーノという方は、討伐隊の解散に反対するために?」

「そういうことよ。規模を小さくされたのでは、食い扶持に困ろうからな」

「では、オウイ様も困っていらっしゃる」

「そのようだな。どうせ元々、近頃は帝都からも予算を絞られておったらしい。そこへきて、人形の迷宮もなくなり、パッシャも滅ぼされたとなれば、金を引っ張る算段もつかぬというもの。ない袖は振れぬ」


 彼は首を振った。


「それに、ザンのように規約に違反する者まで出しては、ますます立場も悪くなるからな」

「規約……大森林の奥地を目指した人がいえることじゃないですけどね」

「別に討伐隊の名前で何かしたわけではない。だがザンの奴は、ドゥサラ王子の要請を撥ねつけたそうではないか」

「それは、まぁ」


 アーノは肘で俺をつついた。


「妬ましいのう」

「はい?」

「やはり途中で帰るのではなかったわ! お主についていけば、この上ない戦に巡り合えたであろうに」


 確かに、パッシャと戦う時にアーノがいてくれれば……いや、それはそれで、協調性がないから、困ったことになっていたかもしれない。


「ザン様は、今は蟄居しておいでとか」

「ふむ」


 顎に手を当て、アーノは少し考えこんだ。


「気になるか?」

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