魔物討伐隊、その後
城の上層、窓が大きく開かれている短い廊下を通って、俺達は居室の前に立った。
「この先にて、当主がお待ちです」
襖を前にして、案内人がそう言った。
俺達はそれを聞いて、だからどうすればいいのかとポツンと立っていたのだが、俺がまず気付いた。要はここで膝をついて待てばいいのだ。それで他の三人も同じようにした。それを見届けてから、案内人がそっと襖に触れた。それが合図だったのだろう、サッと左右に開かれた。
室内には、さほどの広さはなかった。全面畳敷きで、奥の当主の居場所だけ、一段高かった。
「よくぞいらした」
当主オウイは、既に白髪の老人だった。顎髭も長く、太い眉毛も髪も長かった。まるで年を取った犬のように見えなくもない。ただ、若い頃はそれなりの武人だったに違いなく、肩幅も広ければ体つきもしっかりしていた。背筋も伸びている。
服装は地味だった。茶色の袴に上衣、その上から紺色の羽織を身に着けていた。南方とはいえ冬、老人の体を冷やさないためだろう。
「内へ進まれよ」
襖の開け閉めをする傍仕えの一人が声を発したので、俺は腰を浮かせて、畳の部屋の真ん中に座り直した。他も、何を言われたかわからないながらも、同じようにした。
「楽になされよ……おぉ、供回りの方々は、ワノノマの言葉は解すまい。では、わしがそなたらに通じるように話せばよかろう」
威儀を正して、改めてオウイはフォレス語で話しかけた。
「客人よ、遠方よりようこそいらした」
「ご歓迎いただき、感謝に堪えません」
通り一遍の挨拶の後は、本題だ。
「ヤレルより話は聞いておる。スーディアでは大層な戦働きであったとのこと。大いに助けられたとあっては、恩義に報いぬわけにもいかぬ。して、ファルス殿の望まれることは何であろうか」
それで察した。オウイの顔は笑っているが、目は笑っていない。今までの経験が、そう教えてくれている。
まず、クル・カディが念話で帝都やワノノマの関係者とホアの処遇を話し合った時、彼が俺を『識別眼』で見た結果を伝えなかったはずがない。警戒を要する異常者だという認識はあるはずだ。またそうでなければ、スーディアでシュプンツェ相手の戦いで活躍するなんて、あり得ない。
それに、オウイは後ろ向きな話題を口にしなかった。さすがに一年も経っていれば、俺がポロルカ王国で獣人やリザードマンを連れ歩いていたことも伝わっているはずだ。結果として、パッシャ相手に戦っているので、これもワノノマや魔物討伐隊の目的に沿った行動をとってはいるのだが、ではなぜこちらについて何も言わなかったのか。
「本島に渡りたいと考えています」
「それは何故に」
もう、遠慮する必要もないだろう。
「世界の真実を明らかにするために」
「なんと?」
「姫巫女と、龍神モゥハに面会することを希望しています」
常識的に考えて、あまりに大きな要求だ。オウイはほとんど表情を変えなかったが、その眼差しはますます険しいものになっていく。
では、少し空気を和ませてやろう。
「例えば、オウイ様」
「何か」
「不死を得る術はご存じでしょうか」
この問いに、彼は口を開けて、数秒間、呆けた。
それから不意に笑い出した。
「それをわしに言うかよ!」
不老不死を得られるのなら、まずその恩恵にあやかりたいのは誰か。
「ですが、姫巫女は不老不死を得ているとの噂を、西の彼方におりますとき、耳にしましたもので」
「なるほどのう」
笑いを収め、座り直して背筋を伸ばし、それから彼は答えた。
「姫巫女のことは、我らとて知らぬのよ」
「そうなのですか?」
「モゥハはともかく、何度か姫巫女のところに挨拶に赴いたことはある。じゃが、御簾の向こう側ゆえ、顔もはっきりとは見えなんだ。わしの知る限り、確かに声色からして、若い女のものであったし、別人になったという感じもなかった」
しかし、そこはやはり、彼なりの考えがあった。
「ただ、不老不死であるはずがない。なぜなら、姫巫女候補の皇女を見たことがあるゆえ。死なぬなら、代替わりもなかろう」
スペアを育成しているのだから、そのうち死ぬはずだと。
それもそうだ。以前にヒジリの話をユミから聞いた時点で、答えは出ていたのかもしれない。使徒も、ワノノマに不死などないと言い切っていた。
「じゃが、武功があるとはいえ、一介の騎士がそう簡単に姫巫女や龍神に会えるものかのう?」
「そこは問題ありません」
俺には余裕すらあった。
「むしろあちらから面会を望むのではないかと思っています」
「ほほう?」
「一切をご存じなのでは?」
俺にじっと見つめられると、彼は誤魔化すように笑い出した。
「そんなことはない。ただ、そうじゃな、確かに……」
どうやら面白がっているらしい。初めにあった警戒心は薄らいでいる。
「……ファルス殿を本島にお連れするようにと、オオキミより伝えられてはおるがな」
「それはよかったです」
「将、外にありては君命も奉ぜざるあり、というぞ?」
この言い回しを持ち込んだのもギシアン・チーレムだろうか、と思った。
「確かに、僕が姫巫女やオオキミ、それにモゥハを害するかもしれないのであれば、連れていくわけにはいきませんね」
「なんじゃ、明け透けな物言いをする奴じゃのう」
「腹の探り合いだの、保身だのということには興味がありません」
「ほう!」
ぐっと上半身を折り曲げ、前のめりになりながら、彼は尋ねた。
「ならば遠慮なく問うぞ? なぜお主は魔物を連れ歩いておったのだ」
「ペルジャラナンとディエドラと、シャルトゥノーマのことですか。みんな人間ですよ」
「名前など、誰が誰だかわからぬが、亜人と獣とトカゲではないか」
「だから人だと言ってます。言葉が通じて、襲われない限り人を傷つけないものを、人として扱って何が悪いのですか」
俺は彼の瞳を覗き込みながら尋ねた。
「関門城がルーの種族の領域を守るためのものだということは、ご存じでしたか?」
この問いに、彼は皮肉のこもった笑みを浮かべた。
「聞きはしたとも。だが、証言するのが一人では、どこまで信じてよいのかな」
それで察した。
「では」
「うむ、アーノの奴が帰ってきて、あれこれとな」
「それだけではないでしょう」
「ふん」
顎髭をしごきながら、彼は言った。
「ザンの奴は、こちらで蟄居させておる。あからさまな越権行為ゆえな。で、そのトカゲは連れてきてはおらんのか」
「殺されかねないのに、連れ歩けるわけがないでしょう」
彼は深い溜息をついた。
「正直、困惑しておるのよ」
背中を壁に預けるようにして、オウイは言った。
「これまで魔物とみなし、これを討つべしと教えられ、そのようにしてきたのが、急にそうでないという話になればな」
「関門城以南に立ち入るべきでないという命令は、以前からあったのでは」
「それは無論のこと。ただ、その理由については説明されなかったのでな。第一、獣人にせよ、リザードマンにせよ、出会えば戦いになるのが常であった。そうなると、なぜそこまで説明されなかったのかという話にもなるのだがな」
彼の表情に、苦々しいものが混じる。
その考え方、やり方がいやらしいからだ。消極的排除。そう表現するしかない。
ギシアン・チーレムは、ルーの種族の領域を関門城以南に定めた。それは彼らにとっての保護区だった。だが、よく考えてみればおかしな話ではないか。もし、イーヴォ・ルー亡き後のルーの種族を人と認め、統一された世界の一員に招き入れるつもりがあるのなら、そんな自治領に閉じ込めておく必要があっただろうか?
無論、彼らには霊樹というもう一つの肉体があるので、居住するための中心地が必要なのは確かだ。かつ、霊樹はクロル・アルジンという大量破壊兵器の素材にもなり得る。だが、それだけでは説明しきれない。
例えば風の民や水の民は、霊樹がなくても生殖できないだけだ。しかも彼らの寿命はやたらと長い。では、本当に彼らを世界市民の一員として受け入れるつもりがあったのなら、それこそ帝都に異種族を住まわせる場所を設けるなりして、人間側との交流をもたせることだってできたはずだ。だが、そんなことをしたという話はとんと聞いたことがない。
要するに、異界の神の被造物は、ノイズになる。この世界全体にとって望ましくない結果を齎しかねない。だから排除はしたい。したいが、虐殺は難しいし、人間側にも大きな犠牲が出かねないし、もしかすると女神や龍神にとって、それは実行できない類の行動という可能性もある。
だから、黙って滅ぶに任せようと、そういう意図があったのではないか。その静かな間引きを遂行する道具として、魔物討伐隊の暴走を看過していたとすれば、つまり、彼ら豪族は大義のない戦いのために敵を殺し、また自らも犠牲を払ってきたことになる。
もちろん、そうと決めつけるのも難しい。亜人や獣人は、それまでポロルカ王国以外の人間にとっては、恐怖の対象だったのだ。だから世界統一間もない、まだ人々が恨みを覚えている状況では、すぐさま異種族交流なんて、できようもなかったのかもしれない。
真相は、わからない。
だが、オウイとしては、そのために問題を抱え込むことになってしまった。
「そういうことでな、ファルス殿」
「はい?」
「わしとしては、そなたに感謝すればいいのか、恨めばいいかわからんのよ」
「と言いますと」
腕組みして、深い溜息をつくと、オウイは説明した。
「魔物討伐隊を主催しておるのは、わしらヒシタギ家じゃ」
「はい」
「邪悪な魔物が世に蔓延るのを防ぎ、民草を守るのが役目。だが……」
ジロリと俺をねめつけると、憤懣やるかたなしと言わんばかりの顔で、胸の奥に詰まったものを吐き出した。
「仕事がのうなってしもうた」
「あ」
「人形の迷宮は解放された。大森林には踏み込めぬ。パッシャも壊滅した」
実際には、人形の迷宮とパッシャの討伐は、キースの手柄になっている。だが、それはそれとして、俺もそこに居合わせたのは知っていることだろう。
「まだ世の中に魔物はおるし、ムーアン大沼沢など魔境はいくらでもあるのじゃが、果たしてそれまでわしらが引き受けるべきかという話になってな」
「はい」
「特に、パッシャが滅んだのが大きい。デクリオンが討たれてから、ここ一年ほど、世界のどこからも奴らの動きが報告されておらん」
使い道のなくなった武装集団をそのままにしておくわけにはいかない……
「何百年と続いてきた魔物討伐隊の解散に取り組まねばならん」
ふーっ、と長い溜息をつき、片手で顔を覆いながら、オウイは肘掛けに凭れた。
「まぁ、それはこちらの話かの」
何百年。
オウイが生まれる前から続いてきた慣例であり、組織だ。これを解体するというのが、どれほどの難事か。きっと今も、利権を握った誰かとの駆け引きが続いているのではないか。
気を取り直して、彼は俺達に言った。
「パッシャの討滅は我らの悲願でもあった。その手柄を他所に奪われたのが無念ではあるがな」
「キースはワノノマの人々に許され、認められてタルヒを授かりました。また、あの戦いにはワノノマの武人も加わっていました。皆様方の功業でないと、どうしていえましょうか」
「ふはは、そのような気遣いなどいらぬわ」
彼は手を打ち振って、この話題を終わりにした。
「それより、そなたらの部屋は城内に用意させる。近くの村にはろくな宿もあるまい。誰かの屋敷に送ってもよいのだが、それはそれで気疲れさせることになろう。本土への連絡船は、近々用意するゆえ、しばらく待たれよ」
「ありがとうございます」
「それと、今夜はそなたらを歓迎しての宴としたい。構わぬな」
「願ってもないことです」
オウイは大きく頷いた。
「ヤレルの奴はまだ帰ってきておらぬが、アーノは戻ってきておる。旧交を温めるがよかろう」




