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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十八章 精錬の庭
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旅の終わりの始まり

 よく晴れた日だった。春の終わりが近いのに、それでいて日差しはほどほど、うっすらかかった白い雲が照りつける太陽を和らげてくれていた。頬を撫でる微風も優しげで、およそこれ以上過ごしやすい日は、これまでの人生にも、これから先にも、そう何度も訪れることはないだろう。

 旅立ちには最高の朝だと思う。


 ワン・ケンの道場の庭は、いつも通りだった。淡い黄土色の固い地面、瓦屋根を頭に載せた白い壁。もう見慣れた景色になった。

 そんな中、灰色のカンフースーツを身に着けた門下生達が、壁際に並んで遠巻きにこちらを眺めている。そして、俺の正面には……


「準備できたか? そろそろやるぜ?」


 同じく灰色のカンフースーツを身に着けたジョイスが、身構えていた。

 どうしても俺にもう一度、挑みたいらしい。ただ、今回はお互い、武器はなし。素手での勝負だ。素手とはいえ、ジョイスは既に一人前の武人に育ちつつある。うっかり一発をもらえば、痛い目を見ることになるだろう。

 本堂に近い側には椅子が置かれ、そこにワン・ケンが腰掛けていた。弟子の成長と鍛錬の結果を見極めるためだ。


 この半年間、ジョイスはもとより、ノーラも他のみんなも、ここで修行に明け暮れていた。俺だけ、形ばかり体を動かすだけで、のんびりしていたのだ。

 恐らく、戦う、ということに、俺はあまり価値をおいていないのだ。必要だからするだけ。でも、この先の相手が使徒とか龍神とか、あのクロル・アルジンに匹敵するかそれ以上の強者であるとするなら、ちょっとやそっとの鍛錬には意味がない。

 俺の目標はもう、不老不死ではない。生き延びることですらない。この身に絡みついた因縁にケリをつけることだ。


「ああ」


 今日の昼過ぎに、俺は船に乗る。東方大陸の西岸を辿ってインセリア共和国の領都ミッグを目指す。当初の予定通り、神仙の山を経由して、ワノノマ本島に向かう。姫巫女か、できればモゥハに面会するつもりだ。俺の存在を知り、背景に何があるかを知れば、きっとモゥハも俺を放置はしないだろう。殺されるか、監禁されるか、それとも……

 そして、龍神の介入が予期されるなら、まず間違いなく道中のどこかでまた、使徒が割り込んでくる。俺が女神や龍神の掌中に収まってしまったのでは、都合が悪いはずだ。だから、必ず決着をつけることになる。


 それを承知で行くのだ。死が恐ろしくないわけではない。命が惜しくないのでもない。だが、その上でなお、俺の責任は重い。

 モーン・ナーがなぜか俺の前世に存在していたことは、俺の関知するところではない。また、あの女神の呪詛を受け入れられる魂だったこと……多分、心の中に積み重なった怒りや悲しみが、その器を形作ってしまったのだろうが、それすら俺だけの責任とは言えまい。いかなる苦しみによっても、必ず善を選び続けられるのは、それこそ英雄とか聖人とか、何か特別な資質を備えた人達だけだ。だが、俺がこの世界に呪詛を持ち込んだのは事実で、その呪詛に引きずられて大勢の人を手にかけたのも事実、そしてその呪詛を利用しようとする使徒達の暗躍もまた事実なのだ。

 ただの凡人だった俺には、重すぎる責任だ。それでも、せめて最後まで歩き通す。


「では、構え」


 師範代が開始の合図を出した。


「はじめ!」


 それと同時に、ジョイスは俺に跳びかかった。

 ただ跳躍しただけではない。加速が普通ではない。直感した。これは『壁歩き』の神通力を併用した全力の一撃だ。

 その体が浮き上がる。そして俺に一撃入れようと、空中で身を捻りながら右足を振り切る……


 一歩下がって、左に避けた。

 いくら重力の向きを変えられるといっても、既についた勢いを殺せるわけではない。その蹴りは、そのままなら、こちらに軌道修正はされない。

 だが俺は、目は向けず、背後に意識を集中する。


 暴風のように俺の右横をジョイスが突き抜けていった次の瞬間、俺は身を翻して迎え撃とうとして……横に転がった。

 避けるので精いっぱいだった。


 斜め上から俺の頭を狙った蹴りが飛んできたのだから。


「チッ!」


 門下生達がざわめく。

 無理もない。俺の正面から襲いかかったジョイスが、ほんの一瞬後には、俺の頭上から蹴りを繰り出していた。


 事前情報を得ていなければ、回避は不可能だった。


------------------------------------------------------

 ジョイス・ティック (17)


・マテリアル ヒューマン・フォーム

 (ランク6、男性、17歳)

・マテリアル 神通力・読心術

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・透視

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・幻影

 (ランク5)

・マテリアル 神通力・壁歩き

 (ランク3)

・マテリアル 神通力・瞬間移動

 (ランク3)

・スキル フォレス語   5レベル

・スキル ハンファン語  1レベル

・スキル 棒術      5レベル

・スキル 拳闘術     6レベル

・スキル 投擲術     4レベル

・スキル 軽業      4レベル

・スキル 農業      2レベル

・スキル 料理      2レベル

・スキル 裁縫      2レベル

・スキル 木工      1レベル

・スキル 動物使役    1レベル

・スキル 病原菌耐性   5レベル


 空き(0)

------------------------------------------------------


 こちらに来てから、棒術の練習をいったんやめて、基礎的な体術の練り直しに時間を割いていたことは知っていた。その部分が目に見えて成長している。

 だが、それと神通力との組み合わせがまたいやらしい。今の一撃、『幻影』と絡めて使われたら、大半の人間にはまず防げない。


「ほっほほ、これは」


 ワン・ケンが面白がっている。

 狙った一撃をきれいにかわされては、打つ手がない。


「ハッ!」


 ジョイスは、なおも前のめりだ。

 俺に立ち上がって体勢を立て直す余裕を与えまいと、怒涛の連撃を浴びせてくる。立ち上がる前に踏みつけ、立ち上がったら正拳突き、それをいなしても、相手を渦の中に引きずり込むような猛烈な体当たりだ。最後のは避けきれず、インパクトの瞬間に受け止めながら後ろに跳んだ。

 距離が開いたので、姿勢を整える余裕ができたのはよかった。ダメージはほとんどなかったが、さすがの動きだ。これではこちらの攻め手がない。


 いや? それが狙いか?


 ピンときた俺は、腕をあげて応戦した。

 右、左、右と空気を裂く拳が打ち込まれる。互いの腕が交差し、絡み合う至近距離での打ち合いだ。だが、そこでジョイスは肩を入れて大きな一撃を放った。

 これを受け流した瞬間、直感のままに俺はその場にしゃがみ込み、真後ろの地面を大きく足払いした。


 いつの間にか俺の背後にいたジョイスは、真横から軸足を刈り取られて宙に浮いた。

 仰向けにひっくり返った彼の顔めがけて拳を打ち下ろし……そこで止めた。


「そこまで!」


 師範代の声で、試合が終わった。


「ちっくしょー」


 俺に助け起こされてから、ジョイスは服についた砂を払い落とした。


「見抜かれてんじゃんよ」

「まぁ、ね」


 最初の大技がいけなかった。あれで半分、彼の能力の範囲がわかってしまったのだ。

 ごく短距離の瞬間移動ながら、移動エネルギーの方向も変えられるとは凄まじい。だが、どうもこの瞬間移動、連続しての発動には制限があるようだ。で、ジョイスはそのことを悟られたくなかった。だから、最初の奇襲が失敗しても、手を休めずに猛攻に徹した。あれはクールタイムが終わるまでの時間稼ぎだ。スタミナも何も考えない特攻だったから。そうまでしなければ、技量の差で俺に圧倒されてしまうので、そこの判断は間違ってない。

 二度目の瞬間移動の前に、やや大振りになって隙を見せたのも誘いだ。あれで俺がカウンターを狙った瞬間をついてやろうと、そう考えていたのだ。だが、それに気付いたからこそ、俺は背面を取る彼を想定してしゃがみ込み、足払いをしかけたのだ。


 もしジョイスに勝機があったとすれば、ああいった目に見えた隙は作らずに瞬間移動を使った場合だったのかもしれない。が、それも賭けではある。こちらが瞬間移動後のジョイスの攻撃を避けられないのは、既に別のモーションに入りかけているからだ。カウンター狙いで身を乗り出しているのでなければ、なんとか直撃を避けてしまう。

 そうこうするうち、結局、瞬間移動のクールタイムに気付かれるか、休みのない猛攻でジョイス自身が先に疲弊してしまうか、どちらかだった。


「駆け引きはもう少し学ぶ必要があるな」

「はい、お師匠」

「ファルス、やはり技の冴えは人間離れしておるな。わしはお前と試合などしたくもないよ」

「恐れ入ります」


 さて、試合は終わった。

 決着を見届けたフィラックは、俺達の荷物を運び出し、中庭に積み上げ始めた。


「ファルス、また来いよ!」

「またフェイの飯かぁ」


 門下生達が俺の周りを取り囲み、声をかけてくれた。半年近くも一緒に過ごしたのだ。今では親しくなった人もいる。


「ファルスさん」


 俺達を見送りに来ていたエオが、進み出た。


「僕は一年後輩になりますが、きっと帝都に留学します。その時は、宜しくお願いします」

「また、会おう」


 そうは言ったが、会えないかもしれない。俺は滅ぼされることも覚悟で、龍神と面会するつもりでいる。


「結局、キースからもお前からも一本取れずじまいか」

「悪いな」

「ふん、見てろよ。俺はここで強くなる。次は俺が勝つさ」


 ジョイスは引き続き、このカークの街に留まって修行を続けることになっている。


「ファルス様」

「クー、頼むぞ。まずハリジョンに行くから、間違いはないと思うけど」


 最終目的地がモゥハの居場所である以上、ペルジャラナンとディエドラは、ここでお別れだ。魔物討伐隊の行いを思い起こせば、彼らを連れてワノノマまで行くのがいかに無謀かなど、考えるまでもない。

 既に話は通してある。クーは二人を連れて、明日出発の船でハリジョンに向かい、その後、二人はティズの手でピュリスまで送られる。マルトゥラターレとの面会も果たしてもらう。クー自身は本人の希望次第で、どこかで将来のための勉強を始めることになる。もう十歳になるのだから、五年後には成人だ。こちらでも休まず勉強していたが、本番はあちらに行ってからになる。

 本当は、ティズやシックティルへの報告係はフィラックにお願いしたかったのだが……


「よっし、忘れ物はないと思う」


 ……俺の旅が終わるまでは、なんとしてもついていくと言い張った。

 義理と人情がサハリア人の美徳だ。栄達をちらつかせようが、そんなことで意思を曲げるようでは恥ずかしいと考える。ここまで来たのだし、もう人命第一とは言うまい。命が大切でないとは言わないが、ここまでの危険を目の当たりにしてなおついてくるというのなら、それも彼の生き方だ。それに俺に何かあったとき、ノーラのことを頼めるのがいてくれるのは、素直にありがたい。


「皆さん、とりわけワン・ケン先生、長い間、本当にお世話になりました」


 俺は改めて深々と頭を下げた。


 ここでのひと時は、俺にとって欠かせないものだった。

 この世界に生まれてからずっと何かに急き立てられてきた。いつもどこかから問題が降ってきて、その都度大騒ぎして立ち向かわなくてはいけなかった。でも、それは本当に必要なことだったのか。

 行動は多くを与えてくれる。学ばせてくれる。けれども、それを咀嚼し消化する時間もまた、なくてはならないものなのだ。

 一見すると、俺は能動的だった。だが、実のところ、これ以上に受動的な人生もなかったのではないか。俺は何も選べていなかった。

 ここに辿り着けたからこそ、俺はようやく立ち止まることができたのだ。


 道場の人々は門前で見送りだったが、ジョイスとクー、ペルジャラナンとディエドラは、港までついてきた。

 埠頭に横付けされた帆船の影が色濃く伸びていた。午前も遅い時間になると、だんだんと雲が晴れて日差しが強くなってくる。ここでは春でも、ピュリスでいうなら既に初夏といっていいほどの蒸し暑さだ。


「それじゃあ、みんな、行ってくる」


 桟橋を前に、俺は振り返って最後の挨拶をしていた。


「また二、三年は顔見られそうにねぇかな」


 ジョイスがそう言った。修行が一通り済むまで、短くてもそれくらいはかかる。


 二、三年で済むだろうか。使徒と決着をつけ、龍神に裁かれるための旅なのだ。或いはこれが今生の別れかもしれない。

 それでも、もはや逃げるわけにはいかない。ここまで大勢の人を手にかけてきた。モーン・ナーの呪詛の影響はあったのかもしれないが、だとしても、その呪いをこの世に持ち込んだ張本人として、果たすべき責任がある。


「お前らはもうちょい早く会えるかもな、クー」

「どうでしょうか」


 クーは、まだ進路を決めていないみたいなことを言っていたが、この分だとピュリスで学び働く選択肢は、あまり考慮していないのかもしれない。

 なお、結局クーは、ワン・ケンの親切な申し出を断った。どうせ低いランクの、実用性の低い神通力にしか目覚められないのなら、自分の努力でできることを頑張った方がいいと決めたらしい。


 旅が順調であれば、あと一年もしないうちにすべてが終わる。これから船に乗ってミッグに向かうが、天候に恵まれなかったとしても、柘榴石の月の初めには到着できる見通しだ。それから神仙の山を目指せば、夏の間に到着できる。見るべきものがあれば立ち止まるかもしれないが、いずれにせよ秋が深まる前に下山する。遅くとも秋から冬にかけて南に向かい、年内にはスッケに辿り着く。あとはそこからワノノマに渡航して、ヒシタギ家の名前を借りて姫巫女への面会を申し込むだけだ。

 その後の運命は、神のみぞ知る。


 だが、ここまで旅をしてなお命があるとすれば、きっと俺は帰国することになるだろう。海路で効率的にワノノマからフォレスティアに向かうとすれば、これまた天候や季節にもよるが、遅くとも来年の今頃にはピュリスに着いている。その場合、ペルジャラナン達には、一年後にまた会える……はずだ。

 本当に、あとひと踏ん張りだ。あと少しで、この長かった旅も終わる。


「その、本当に」


 なんと言ったらいいのだろう。

 何かを言いかけて、続きの言葉がすぐには出てこなかった。


「ここまで一緒に旅をしてくれて、ありがとう」


 一瞬の間の後に、ジョイスが吐き捨てた。


「はー、くっせぇ台詞吐きやがって。縁起でもねぇこと言ってんじゃねぇ。お前、ちゃんと無事に帰って来いよ?」

「ギィ」


 ペルジャラナンもディエドラも、ジョイスの言い分に頷いた。


「おマエにはまだ、シカエしできてナい」

「えっ?」

「ソトのセカイ、まだマナんでるトチュウ。でも、おマエをタオさないと、ソトにデたコトにならない」


 ジョイスが肩を竦めた。


「目標が高くて結構だな」

「おマエにイわれたくない」

「ギィギィ」


 フィラックが促した。


「おい、そろそろ……」

「おっ、そうか」


 ジョイスがノーラに言った。


「頼んだぞ。ファルスをしっかり見てやってくれ」

「もちろん、そのつもり」

「逆じゃないのか、ジョイス」

「いーや、間違っちゃいないね」


 彼らは俺を指差して笑った。

 この笑顔を、また見られる日がやってくるだろうか。


「じゃ」

「おう、じゃあな!」


 彼らに手を振って、桟橋を渡っていく。

 帆船の舷側に手を置いて埠頭を見下ろすと、まだ彼らはいてくれた。船が揺れて動き出す。すると見る見るうちに仲間達の姿も小さな黒い点に、港も、カークの街の外壁も、オモチャみたいに小さくなった。


 目を前方に向けると、見事に雲がなかった。見えるのは群青色に染まった青空と、かすかに緑色を滲ませる大海原だけだった。

 いまや旅を始めた頃の悩みは遠くなった。迷いもない。まるで目の前の大空のように、心は晴れ渡っていた。

三十八章、これで終わりです。

次回からは東方大陸が舞台となります。

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[一言] 章の締めがこんなに清々しかったのは久しぶりというかもしかして初めて? まあ今までは後ろ向きな理由で旅をしてたので仕方ないですね 安全圏まであと一歩だったラピとタウルのことが悔やまれますね …
[気になる点] ファルス君がこんなに晴れ晴れとした気持ちで旅に出たのは初めてじゃないかな。精神的に落ち着いてきてはいるけど、悩み苦しみ這いずり回るファルス君の方が好きだった…。次の不幸楽しみにしてます…
[良い点] 仰向けにひっくり返った彼の顔めがけて拳を打ち下ろし……た。 [気になる点] >素手とはいえ、ジョイスは既に一人前の武人に育ちつつある。 レベル6になってるし、一人前の武人でいいん…
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