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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十八章 精錬の庭
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カークの街の愚連隊

 縞瑪瑙の月も後半となると、街の雰囲気が変わってくる。

 せっかくここで年を越すのなら、と俺達は市街地を散歩していた。


 元々が異国情緒いっぱいの街並みだ。どちらかというと、俺にとっては微妙に懐かしさを感じさせるものの、よくみれば前世日本とも違った雰囲気だろう。どこか東洋風の土壁はクリーム色で、いずれも瓦葺き。平屋が多い。大通りは細長い石材で舗装されている。路地はというと、代わりに適当に瓦で埋め合わせてあったりもする。廃材の再利用だろうか。


 そんな家々の軒先に、今は装飾が施されている。

 まず、赤い紙が壁や扉に貼り付けられる。これらには、黒いインクで見たこともない文字が描かれている。聖三文字というらしいが、何を意味する言葉かは、今もって知られていない。ハンファン語でもないらしく、誰に尋ねても要領を得なかった。

 それから、家の軒先に赤い提灯がぶら下げられる。東方大陸南東部の正月には欠かせないものらしい。これも何かの意味があったそうなのだが、今では作り方も簡略化されてしまい、由来は忘れ去られてしまったという。


「なんか、屋台の飯がどれもうまそうに見えるな」


 フィラックがそう呟く。

 お祭りの屋台というのは、本当に目の毒だ。一つ一つは大した値段でもないし、分量もたかが知れているのに、いつの間にか満腹してしまう。しかも気付けば結構なお金も減っているし、それでいて他にもまだ味わっていない屋台がいくつも残る。その悔恨ときたら。


「わかりやすい罠だと思うけど」

「ぐっ、まぁ、そうなんだけどな」

「どっちかっていうと、あっち側で商売したい」


 でも、それはできない。この街の飲食業者には横の繋がりがある。俺みたいな余所者がいきなり屋台を引いてやってくるなんて、許されはしないだろう。ワン・ケンに頼み込めばいけるかもしれないが、軋轢は間違いなくある。彼の立場からすれば、そんな面倒事を起こされるよりは、大人しく居候でいて欲しいはずだ。


「でもまぁ、一つくらい、いいだろ。練習がてら、俺がいってみるぜ」


 ジョイスがそう言って、懐の小銭を取り出した。


「オバチャン、マンジュー、ナナツ」

「はいよ、銀貨一枚銅貨四枚」


 ハンファン語の練習だ。こちらにいる間に、ジョイスはシュライ語も習得しなければならない。ただ、どちらにせよしばらく彼はここで修行する予定なので、俺達が出発するとなれば、お別れになる。

 問題は、残りの仲間だ。これから目指す先は、神仙の山と龍神のいるワノノマになる。ザンのような狂信者がいることも考えると、とてもではないが、ペルジャラナンとディエドラを連れて行くわけにはいかない。できればクーも置いていきたいのだが……


「よっし! 今日は買えたぜ」

「上達しましたね」

「くーっ、嫌味に聞こえるなぁ」


 饅頭を受け取りながら、クーはどこかほの暗い笑顔を浮かべた。

 せっかくワン・ケンの道場に来たのだ。今度こそ、ちょっとは強くなろうと思ったのか、クーは頑張って練習に参加した。だが、この街に到着して一ヶ月経った今、どうにもならない才能の問題が顔を出し始めている。

 つまり、クーはめきめきとハンファン語を覚えつつある一方で、武術の方はまるで駄目だった。ジョイスとは正反対だ。見かねたワンも、クーの資質に合った努力を勧める始末だ。この街にある私塾に通って勉強をしたら、とそれとなく言われているらしい。

 今後の道筋を考えるのも、俺の役目だろう。勉強をさせるのなら、あるところで見切りをつけて、やはりキトかハリジョンに送り返すべきだ。ピュリスでもいいが、あちらでは手本になる教師が見つからない気がする。


「ワン先生に言われちゃいました」

「あん?」

「そろそろ神通力を目覚めさせてみるか、って」


 この話に、俺達は硬直した。


 普通に考えれば、これは素晴らしいことだ。正式な門弟でも、こんな話をしてもらえるのは何年も修行を積んできた人だけなのだから。当然、俺やノーラにもそんな提案はしていない。

 神通力を得るとは、新しく手足が生えるようなものだ。魔法と違ってオンオフが利かない。ただ、それを加味しても便利な能力だ。だから普通は、悪用される危険もあるがゆえに、おいそれと目覚めさせたりはしない。

 なのにクーにそれを持ち掛けるということは、つまり、そうした実用性が希薄な能力しか得られないと、多少のプラスにはなるが大きな助けにはならない才能しかないと、そういう見通しが立ってしまっているのだ。そこまで理解していればこそ、俺達は言葉を失った。


「何を覚醒させるって?」

「候補は二つです。『学習増進』と『識別眼』、あとは『解読』も可能性はあるようですが、ちょっと難しいかもしれないと」


 まるっきり戦闘力の足しにはなりそうもない能力ばかりだ。こっちの方面では、とことんまで恵まれていないらしい。


「そいつぁ……」

「先生には、体を動かすことは無駄ではない、教えたことはしっかり覚えて練習せよと。でも」

「ワン先生のおっしゃる通りだと思う。武術家になる必要はないけど、体はしっかり鍛えたほうがいい。どんなに頭がよくても、へばっていたらろくに考える余裕もなくなる。最後は体力だから」

「はい」


 とはいえ、落胆は大きいだろう。

 大森林では、他の人に庇われるばかりだった。パッシャとの戦いでは、俺に与えられた精神操作魔術の力で一定の仕事はしたものの、肝心のところでは一線に立てなかった。キースにも他の道を選ぶ方がいいと言われ、ここでも同じ判断を下されてしまった。

 今、役立たずだと言われることには我慢できても、先がないと言われるのは本当につらい。だが、クーは自分の無力を受け入れられるだろう。そして彼自身、受け入れられるとわかっている。とはいえ、だからこそ腹立たしいのだ。

 誰にでも向き不向きはある。俺もピアシング・ハンドで無理やり底上げしているだけで、戦士としての資質はない。ノーラもそうだ。でも、できないことがあるというのは、さほどの問題ではない。やるべきことだけやりきれればいい。


「で、どうすんだ?」

「迷ってます。学習増進のほうは副作用もなさそうですが、識別眼は……事前にあれこれ見えてしまうわけですから、先入観であれこれ判断してしまう癖がつきそうで、怖いなと」

「よく考えてる。それなら、どっちでもいいと思う」

「一度覚醒させたら、やめるのはできませんから、よく考えて決めないとです」


 クーのこともあるし、出発を急ぐ必要もないか。

 それに年明けすぐに船に乗ったとして、ミッグに到着してもまだ冬の終わりだ。神仙の山に至る道筋には、きっと残雪がある。雪解けの季節の山なんて危険だらけだ。できれば歩きたくない。


 クーがいつかキトに向かうことは既定路線として。そうなると、ノーラはもう論外なので好きにさせるしかないとして、あとはフィラックだ。意思確認の上で、そう望むなら、彼にはピュリスに向かってもらう。ペルジャラナンとディエドラをマルトゥラターレに引き合わせた後、あちらで何か仕事をしてもらえばいい。心配しなくても、圧倒的に男手が足りない状況なのは間違いないので、必要とされるのは間違いない。


 饅頭を食べながら大通りを歩いていると、向こう側から大勢の人がやってくるのが見えた。何やら大きな荷車も馬に曳かせている。

 先頭を歩くのは、背の高い女だ。並の男より頭一つ高いくらいだから、相当だ。痩せ気味に見えるが、立ち姿からして体幹がしっかりしているのがわかる。戦いを生業としているらしく、髪の毛は後ろに束ねてあり、化粧っ気もない。だが、顔立ちは美しいといえる部類だろう。ただ、眼差しにはどうにも傲慢さが滲んでいるような気がして、俺はあまりいい印象を受けなかった。黒い皮革の鎧の上に、冬用の防寒着……コートのようなものを身に纏っている。その首回りのところには、仰々しいファーが目立っていた。抜身の剣は肉厚の幅広で、それを肩に添えて街を闊歩していた。まるで山賊の女頭目だ。

 その後ろに従う連中も、似たような装備を身に着けている。みんな男ばかりだったが。そして、その後ろの荷車には、大量の毛皮が積まれていた。あれは見覚えがある。大森林で見かけた、俗に森林オオカミと呼ばれている魔物のものだ。

 カークの街の裏手、西側には森が広がっている。一応、大森林と繋がっているのだ。そこには若干の魔物が出る。彼らはそれを狩っていたのだろう。

 それはいいのだが……


「オラァ、どけどけぇ!」


 やたらとマナーが悪かった。

 大通りの左右には屋台が立ち並んでいる。だったら道の中央を縦に細く歩いて進めばいいものを、彼らは横に広がっていた。毛皮を満載した荷車も、飲食店のすぐ前ギリギリのところを通り過ぎていく。およそ周囲の迷惑を考えているとは思われない。


「なんだ、あいつら」


 ジョイスは不快感を露わにした。


「脇に避けよう」


 フィラックがそう言う。

 柄が悪そうな連中だから、といちいち揉めていては身がもたない。余程の何かがない限り、首など突っ込まないに限る。

 だが、そんな俺の考えなど関係なかったらしい。先頭を行く女の横にいた男がこちらを指差すと、行列が立ち止まった。その視線はジョイスに向けられている。


「おい、てめぇら」


 まるで暴走族のレディースだ。その女はこちらに噛みつきそうな様子で詰め寄ってきた。


「どこのクソかもわかんねぇのが誰に断ってこの街に居座ってんだ? おい」


 しかし、スラング交じりの不潔な言い回しをされたのでは、ジョイスにはわからない。俺が割って入った。


「こんにちは。僕達は、ワン先生のお世話になっています」

「てめぇにゃあ聞いてねぇ」


 振り払うようにして、コンパクトな裏拳が俺の顔を打ち払おうとする。

 雑な繰り出し方ではあるが、よく練られている。これでは、心得のない相手ではイチコロだろう。


「あ?」


 だが、俺には彼女の腕を抑える余裕があった。


「ジョイスはシュライ語があまりよくわかりません。ゆっくり喋っていただけますか」

「うぜっ、なんだこのガキ……」


 振り払おうとする手を、強く握りしめる。と同時に、静かに詠唱を始めた。


「野郎! ナメてんのか!」

「どちら様ですか」


 最低限の強化は済ませた。とはいえ、恐らく彼女は、こちらがぶちのめすわけにもいかない相手だ。厄介この上ない。


「この街、仕切ってんのは私だよ」

「僕達は別に、罪を犯したわけではありません」

「んだとぉ?」


 やれやれ。これではワン・ケンが駆けずり回るのも無理はない。

 彼女はラン・カーク。年齢的に、恐らくエオの姉で、マースの妹だろう。引きこもりがちで何にも興味を示さないマースとは対照的に、ランは活発な娘に育ったというわけか。半端に武術の才能に恵まれたのもあって、こんな風になってしまったのだろうか?


「何が悪いかってのは、こっちが決めるんだよ! ガキがいっちょ前に生意気言うな!」


 完全にチンピラと化している。

 ただ、それはこちらの立場から見た物言いで、社会としてみれば、余所者を排除する機能があることは、必ずしもマイナスではない。ないのだが……近くにいる屋台の店主達は、顔を見合わせている。止めに入った方がいいんじゃないかというのが表情に出ている。残念。街を守るチンピラじゃなくて、ただの愚連隊だったか。


 だが、そこに小さな足音が聞こえた。息を切らして駆けてくるのがいる。


「姉さん!」


 エオだ。

 タイミングがよすぎると思ったが、この姉だ。街に帰ってきたとなれば、トラブルは不可避。それで屋敷から急いで走ってやってきたのだろう。ダメな兄、粗暴な姉と、苦労が絶えない身の上か。なるほど、これではワン・ケンも優しくするというものだ。


「お客さんに何をしてるんだよ」

「何もしてねぇよ」

「何かあったら大変なことになるんだよ! その人は、フォレスティア王から金の腕輪をもらってるんだ。おかしな真似をしたら、またワン師匠に迷惑が」

「チッ」


 彼女は俺から手を引いた。


「それだけじゃない。なんなの、その荷物は」

「おぉ、これか? 一ヶ月かけて狩りまくったんだ。見てみろ、大猟だぜ!」

「昔から、裏の森のオオカミは狩りすぎちゃダメだって言われてるじゃないか」

「はー、説教臭ぇな」


 興が削がれたのか、ランはすっかり白けてしまったらしい。


「いくぞ、お前ら」


 それだけで、彼女らは去っていった。

 エオは俺に深々と頭を下げたが、なるほど……気の毒に。


「大変、失礼致しました」


 なんでもランは、元々はワンの門下生で、それなりに優秀だったらしい。親交のあったジオの孫娘というのもあって、ワン・ケンも甘やかしていて、神通力にも目覚めさせている。だが、なんといっても気性が激しく、やがて力を恃みに暴れるようになった。といっても、人にたかったりするのではなく、手下どもを連れて冒険者の真似事をして、一応はまっとうに稼いでいる。森林オオカミの毛皮を大量に獲得したのも、仕事をしないマースの代わりに家を支えるためだというから、ああ見えて責任感はあるようだ。


「ちゃんと言って聞かせますので、もう皆さんにご迷惑をおかけすることはないかと思います」

「気にしてません、ありがとう」


 頑張れ。

 あと三年ちょっとで帝都に留学だ。そうなったら、実家の面倒からも一時的には解放される。


 心の中でお疲れ様、と声をかけながら、俺は立ち去る彼の背中を見送った。

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[気になる点] ファルス君はピアシング・ハンドの扱いをこれからはどうするのだろうな。心情的にはもう使いたくもない感じかもだけど現実的にはこれからは『スーパーファルス君』でいないと割とあっさり死にそうな…
[良い点] >クーのこともあるし、出発を急ぐ必要もないか 能力入れ替えタイムですね。ランク9とランク8の魔術核を宿したスーパーファルスが誕生する [気になる点] ノーラに魔力操作と棒術7レベルを付与…
[良い点] > 昔から、裏の森のオオカミは狩りすぎちゃダメだって 頂点捕食者を駆除すると下位の動物が増加して生態系が崩れていく、みたいな話かな 日本でも鹿の食害が問題になっていますよね [一言] マー…
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