デサ村へ
緩やかなカーブを描く、淡い黄土色の道。馬車がすれ違えるほどの広さがある。だが、そこを歩くのは俺達だけだ。
右手を眺め渡せば、すぐ下にはかなりの段差があり、その下は北に向かってどこまでも続く砂浜になっている。焦げ茶色の岩が時折突き立っていたりもするが、ほとんどは黄金色の砂。そこにどこか黒ずんだ波が打ち寄せて、白い泡を撒き散らす。
左手を見上げると、ちょっとした丘になっており、そこには深い緑が見える。鬱蒼とした原生林で、まるで人の手が入っていないのがわかる。ただ、こちらも左側に大きな段差があり、そこを乗り越えてくる草木はまだいない。
ラージュドゥハーニーを発ってから、もう二十日も過ぎた。
最初のうちは、一日歩けばどこかに街や村があった。貯水池や運河、或いは天然の川があり、それらに潤された土地があった。だから、金貨を差し出せば宿を借りるのは難しくなかった。けれども、ポロルカ王国の東部地域は未開拓領域だ。二週間ほど歩くと、もう王国の実効支配地域を抜けてしまった。
だが、その先にも村落は点在している。これはどういうことか? 一言でいうと、貧しすぎるから。人口密度が低すぎるから。ごく小さな村が点在するだけの地域をわざわざ支配したところで、いちいち徴税したりインフラを整備したりする方が高くつく。
そもそも南方大陸の東部地域は、南部と北東部の間にあって、取り残された領域だ。海に出ても行き着ける先などない上に、青竜も出没する。北東部は、東方大陸と海峡を挟んで向かい合っているから、人と物の交流があり、比較的豊かだが、この東部には纏まった農耕地もなく、特産品もない。
では、今、俺達が歩いているこの幅広の通路は? これは、例によって統一時代に建設された幹線道路の址だ。自由と平等を目指す帝都の理念によるなら、世界のどこに生まれてもチャンスがなければならない。というわけで、経済的価値が低いなら底上げしようと、南部から北東部へのバイパスが建設された。おかげで旅程が捗っている。
もちろん、誰かが整備し続けてくれているわけでもないので、途中のどこかで難渋することもあるだろうが、あと一ヶ月もかからず北東部諸都市の南端に辿り着けるだろう。そうすれば後は船でカークの街に行き、マオ・フーから託された手紙を渡すなどの用事を済ませて……
それから、どうしよう?
実は、まだ考えが纏まっていない。
俺は、不老不死を得る機会を捨てた。イーグーは、あの時点で不老だった。ただ、彼はそれに頓着していなかったが。あれは正しい選択だった気がしている。彼はよく考えろと言った。けれども、俺が先走って彼を世界から消し去っても、その結果は起き得ること、やむを得ないと思っていた節がある。
とはいえ、最大の目的だったはずのものを掴み取らずに、どうしてまだ旅を続けるのか。今はまだ、マオ・フーの手紙がある。王都を逃れたのは、貴族達の接待攻撃がうざったかったからで、これもおかしくはない。だけど、その先は?
恐らく神仙の山に不死はない。姫巫女に至っては龍神と向き合うリスクがある。モゥハは俺を見たら、どうするだろうか?
「あちぃなぁ」
ジョイスがポツリと漏らす。
「お前、肌白いからな」
フィラックが言葉を返す。
「日焼けがきついだろ」
「おー、こっちはなんでこんなに日差しがきっついんだか」
ノーラも今は、さすがに分厚い黒竜のローブなんか着てはいない。動きやすく涼しい麻の服に、こちらの農民が被るような円形の帽子を頭に乗せている。こういう格好でもなければ、とてもではないが、この地域を歩いて旅するなんてできない。
「おマエらはまだマシ」
この暑さで一番へばっているのは、ディエドラだった。全般的に毛深いのもあって、脱げない毛皮を身につけているようなものだからだ。
「ギィギィシュシュ」
「え? なんだって?」
「ココはカゼトオしがイいから、ダイシンリンよりスゴしヤスい、とイった」
確かに、海風が吹き抜けていくのは、一服の清涼剤のようだ。
暑苦しいし、毎日歩き遠しではあるが、このところは平穏そのものだ。
何のための旅だったのか。
ただ、同行者達の望みは、ある程度叶えることができた。ペルジャラナンは祖先の地を踏むことができた。シャルトゥノーマはこの上なく貴重な霊樹の苗を手に故郷に帰れるのだし、ディエドラも外の世界を目にする機会を得た。タウルはあれほど願っていた名誉を与えられたし、クーやラピは、それぞれ生まれた場所で終わるはずだった人生が、外へと広がった。
「今夜も野宿かしら」
「いや」
タウルが短く答えて、ポーチから手早く地図を取り出した。
「今日は村に行き着ける。デサ村。王国を出て、二つ目だ」
それを聞いて、ラピが死んだ目で棒読みした。
「わー、楽しみ」
クーが苦笑する。
「辺境になればなるほど、閉鎖的になりますもんね」
一つ前の村が、本当に居心地の悪い場所だった。王国の支配を受けていない、いわば自治で成り立っている集落だったから、村人か、それ以外かという目でしか見られなかったのだ。魔物を連れているからというのもあるが、とにかく警戒された。金貨を差し出しても、大してありがたがってもくれず、俺達には分宿を要求した。つまり、ノーラやラピは人質という位置付けだった。でなければ、余所者の男達が何をするかわからないと、そういう目で見られていたのだ。
それだけなら、まだ仕方がないで済ませることもできたのだが……
「寝るときには『人払い』しておかなくちゃ」
……若い女を見て、手を出さずにいようと考えるはずもなく。
彼らにとって、法とは村の掟に他ならない。余所者を殺したり犯したりしたところで、普通はポロルカ王国がいちいちケチをつけてくることもない。そして彼らの世界は狭い。騎士の腕輪とか、赤の血盟にとっての要人だとか、そんなものはあまりに縁遠く、通用しないお話なのだ。
「練習がてら、私にやらせてくださいよ」
「僕も、おさらいしておきたいです」
「お前ら、いいよなぁ」
フィラックがぼやいた。
「いつの間にか、ファルスから魔術核もらってたなんて、聞いた時はびっくりしたよ。俺も何か一つくらい、欲しいところだ」
「あ、う、黙って勝手にやって済まなかった」
「いやいや、あれはあれでよかったと思ってる。じゃないと、こいつら死んでただろうし」
みんなの今後だけは、ちゃんと考えてやりたい。
フィラックとタウルについては、やはりティズに頼んで騎士の指輪くらいは授けてもらおう。その上で赤の血盟に戻るか、ピュリスのリンガ商会で引き取るか。タウルについては、前者がいい気がする。平和なところで商売に勤しむようなスキルが育っていないからだ。逆にフィラックは、あと少し鍛えれば、リンガ商会を代表して真珠の首飾りに向かう船を指揮できるようになる。
クーとラピは、これまではセットで扱ってきたが、今後は進路が分かれてくる。ラピはもう十四歳だ。将来の可能性をあれこれ模索するより、もう結婚を意識しだす年齢に差しかかっている。サディスの件も含め、俺が動いて良縁を用意してやらなくてはいけない。逆にクーは、これから職業訓練するべき年齢だ。彼については、ここまで見てきた通り、ズバ抜けて頭がいいことを考えると、やはりそれなりの環境を与えてやる必要がありそうだ。キトに送ってシックティルに鍛えてもらうのがいい気がする。
ディエドラとペルジャラナンは……とにかく一度、ピュリスに送る。マルトゥラターレと会わせてやるべきだ。その上で、なお人間の世界に留まるか、それぞれの故郷に帰るか、考えてもらう。ジョイスはカークの街にいるワン・ケンに会うのが目的だから、その後のことは本人が勝手に決めるだろう。
最後に、ノーラだが……
「ファルス様ぁ」
思考の淵に沈んでいると、ラピが話しかけてきた。
「カークの街に行ったら、次はどこに行くんですか?」
「あ、まぁ、僕は神仙の山に行こうかなと思っているけど……なんで?」
「そりゃあだって! 私はまだ、南方大陸から出たことないんですよ。話に聞いただけですけど、ピュリスってすっごくきれいな街だっていうじゃないですか。一度見てみたいなーって」
「ああ」
彼女の明るい笑顔を見て、俺はどうにも違和感をおぼえた。ラピがおかしいのではない。俺がおかしいのだ。
みんなまだ若い。タウルはそろそろ身を固めたほうがいい年齢だが、あとはまだまだ先がある。今後の人生を楽しみにしていていい年頃ではないか。なのになぜか俺だけ、途方に暮れている。
もう、俺が背負っているものは、そんなにないはずだ。ルアが言っていた災厄は、パッシャの壊滅と共に終わった。アーウィンの肉体は、あの後、王衣達の手によって厳重に封印された。使徒も、当面のところ、俺に押し付けたい仕事はないだろう。ただ、ピアシング・ハンド……というよりは、世界の欠片を目当てに、まだ何か仕掛けてくるかもしれないが。
問題は、今やそれだ。連中との腐れ縁をなんとかしないと。
無論、不死の探求も、どうでもいいわけではない。イーグーは、あの不老とみられる状態に、何か問題があるかのような含みをもたせていた。確かに、不老を得たところで、使徒の手駒として危険な仕事にかかりきりになるのでは、意味がない。
今となっては、はい終わりと旅をやめるわけにもいかないのだ。なんとか決着をつけなくてはいけない。
だが、それよりなにより……
「ねぇ、ファルス」
「なに? ノーラ」
「大丈夫?」
俺の様子がずっとおかしいことに、彼女は気付いている。
「何にもないよ。疲れがたまっているだけだ」
「そうかしら」
「カークの街についたら、しばらくのんびりするよ。もう青玉の月になるし、年越しくらいまでは遊んで過ごすくらいでいいんじゃないかな」
口先だけではない。本当に、長期休養をとろうとは思っている。
このところ毎晩、いや、他にも何かあるたび……体の内側から、何かが溢れ出そうな気配を感じている。それはきっと恐ろしいものだ。だが、それをなんとか抑え込んでいる。
俺はいったい、どうしてしまったんだろうか?
会話が途切れると、俺達はまた、蒸し暑い中、大昔の街道をひたすら歩いた。
空がうっすらと黄から藍へのグラデーションに彩られる頃、俺達はデサ村に到着した。
海沿いを走る幅広の街道から外れて内陸側に進む砂利道があって、そこをしばらく行くと緑の丘と森を突き抜ける踏み均された道になる。そこを突き抜けていった先に、ぽっかりと盆地のような村落があった。
この位置取りに不思議はない。海にあんまり近いのでは、運が悪いと青竜の標的にもなりかねない。この村を中心に、また丘と丘の狭間を抜ける小道がいくつもあって、それが彼らの農地へと通じているようだった。
村の建物はほとんど平屋の木造で、屋根は草葺きだった。真ん中には集会場と思しき広場があり、その真ん中にはガゼボのような、屋根だけで壁のない建物もあった。
俺達が村の敷地に立ち入ると、あちこちの小屋から男達が険しい表情を浮かべて、静かに歩み出てきた。訪問者が友好的であることを、彼らはまったく期待していない。
タウルが前に進み出た。
「今夜はこの村に泊まりたい。できれば食料も買いたい」
前に出た数人の男達は、顔を見合わせて首を振った。
「しばらく待て」
こんなものだ。ニコリともしない。
それからしばらく経って、村長に問い合わせに走った男が戻ってきた。
「分宿してもらう。それでよければ、今夜は泊める」
「食料は」
「明日、改めて交渉する。今夜、食べるものは用意する」
久しぶりに温かいものを食べられる、かもしれない。ただ、肉とかおいしいものは出てこないだろうが。
「それと、そこの魔物はなんだ」
「こいつらは人間に逆らわない。人間と同じ扱いで問題ない」
「駄目だ。家畜小屋か納屋に入ってもらう」
またこのパターンだ。だが、ペルジャラナンもディエドラも、文句を言ったりはしなかった。
「わかった。ただ、今夜の食事はあそこで食べたい」
タウルは、村の中心のガゼボもどきを指差した。
あそこなら、みんなで鍋を囲んで食べることができる。だが、別にお喋りしたいのではない。この村の連中が悪意を抱いて食べ物に毒を入れる可能性があるからだ。なので、最初の一人が食べて、変化がなければみんな食べるというやり方で対策することにしている。全員分の病毒耐性はないので、こうする他ない。
「わかった」
最後に、男は要求を突きつけた。
「宿泊代は、一人金貨一枚だ」




