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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十七章 闇路
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真相、選択、別離

 南方大陸の南端にしては穏やかな日差し。午前も遅い時間だから肌を焼くのは変わらないが、それを中和するかのような微風が頬に触れる。青い空に薄い雲がところどころにかかっている。黄土色の崖の下からは、砂浜に打ち寄せる波の音が聞こえてくる。

 旅立ちには、いい日だ。


 ドゥサラの即位から数日後、俺達はついに旅立つことに決めた。本当は西回りで船に乗って移動したかったのだが、とてもではないが、俺達を送り届ける余裕のある船などはない。しばらく待てば、そのうちにちょうどいいのが見つかるとは思うのだが、それで滞在が伸びるのも避けたかった。論功行賞は終わったはずなのに、王家からの勧誘、それから貴族達からの声掛けも止まらなかったからだ。

 そういうわけで、今、俺達は王都の東の外れにやってきている。浄水装置のある上流側の水門に併設された橋でナディー川を渡り、右手にあの貯水池を見ながら、人家のない街道をしばらく進んだ。この東側には小さな関所があるが、そこが都の東の出口だ。

 その関所の手前には休憩所があり、そこには簡素な東屋が設けられている。今、俺の同行者達はそこで休憩している。


 そして俺は……


「せっかくのお休み中なのに、呼び出してすいやせんね」

「いや」

「あっしのせいで、若旦那がでっけぇクソでもしにいったんじゃねぇかって、みんな思ってそうですからね」


 街道を外れた、とある海沿いの崖の上に待ち受けていたイーグーと向き合っていた。

 他の仲間達は休憩所にいる。彼がここにやってきたことには気付いていない。


「ま、黙って消えてもいいんですが、それじゃあお互いスッキリしやせんもんで」

「聞きたいことがいくつかあった」

「へぇ、なんでしょう?」


 彼の姿は、元通りになっていた。ボロい麻の服、腰には鉈が一つ。


「まず、どうでもいいけど、その服は?」

「こいつは若旦那のせいですぜ。チンタラしてたおかげでですね、こっちはありとあらゆる道具を使い切っちまったんでさぁ」

「でも、あの服まで捨てなくても」

「いや、もう使い物にならないくらいにズタズタにされちまったんで、仕立て直しでしてね」


 なかなかサマになっていたのに、もったいない。


「どうしてくれるんですかい? ありゃああっしら砂漠の民の正装なんですぜ」

「悪いことをしたな」

「まぁ、必要経費ではありやすけどね……ちぃっと堪えやした」


 さて、雑談はこの辺にして、核心について尋ねなくてはいけない。


「結局、お前は何のために僕らについてきたんだ」

「まぁ、三つほど都合がありやして。一つは、大森林の探索を手助けするためでさぁ」

「手助け? 何のために」


 彼は肩を竦めた。


「そりゃあ、無駄に死なれたら面倒でしょうが」

「それで思い出したが、あの魔物の暴走は、お前の仕業か?」


 バジャックが俺を殺そうとして牙を剥いてからのことだ。最終的には仲間割れのような形で殺しあっているところに、タイミングよく魔物の大群が押し寄せてきた。


「誓って言わせてもらいやすが、ありゃああっしがやったんじゃありやせん。ただ、やらせた奴には心当たりがありやすけどね」

「それは誰だ」

「言いやすが、お互い、後に回した方がいい話だと思いやす」


 つまり、それが俺とイーグーの対立する点だから、か。

 彼はここで、俺と殺し合いになることも想定しているようだ。


「じゃあ、二つ目の都合は?」

「若旦那が不老の果実を見つけた場合に、もしわかってなかったら、そいつじゃあ不老不死になれねぇってことを教える仕事でさ」

「なら」


 俺は彼をじっと見た。


「どうすれば不老不死になれるのか、やっぱりお前は知ってるんだな」

「わかるといやぁわかりますがね、若旦那が思うようなもんじゃねぇですよ」

「それでも、教えて欲しい」

「ええ、ええ、最後に一応、教えやす」


 どうにも引っかかる。

 彼は一切を知っていて、何もかもを教えるフリをしつつ、やっぱり何かを隠している気がする。


「三つ目は」

「こいつはもうご存じでしょうが。若旦那を、ほれ、あのクロル・アルジンとかいうバケモンの始末に駆り出すことですよ」

「どうして最初からそう言わなかった」

「そいつは、だって、こっちに来たら何が起きるかまでは、知らねぇできたもんで」


 ただ、俺を案内したのはいいが、思い通りの展開にならず、やむなくアーウィンらとブイープ島で対決した。だが、準備の整わない状態の彼では、パッシャの最高幹部達のほとんどすべてを相手に勝利を掴むのは難しかったのだ。


「つまり、お前に命令していた奴がいる、ということだな」

「へぇ」


 それはやはり、使徒なのだ。

 とすれば……考えたくはなかったが、イーグーは彼の手下ということになる。


「でも、だとすると」

「はい?」

「僕にあの豆……苦い汁の豆を見せて、寄り道させたのも、そいつの命令なのか」

「そいつはちょっと違うんで」


 頭をポリポリ掻きながら、彼は答えた。


「正直、その辺にはあちらさんは乗り気じゃなくってですね。でも、他にやりようもねぇってんで、あっしが押し通したんで」

「そうだったのか」


 とすれば、コーヒーの発見は、彼のおかげということになる。


「あの苦い汁がお気に入りなんで?」

「ああ、ずっと求めていた」

「そいつはよかった」


 そろそろ核心に切り込むべきところだ。


「で、その、お前の言う、命令している人間というのは、使徒なのか」

「使徒……まぁ、間違っちゃいやせんが、そう、そうなりやすかね」

「じゃあ、お前は使徒の手下なんだな」


 彼は首を振った。


「業腹なことでさぁ」


 やはり彼が黒幕だったのだ。ただ、使徒については俺よりイーグーの方がより詳しいだろうが。使徒、という呼び名がそもそも一般名詞なので、彼にはピンとこないのだろう。


「で、大森林で魔物の暴走を引き起こしたのも」

「確認はしてねぇですよ? 若旦那をいじくろうとして、わざとやったかもってだけで、違うかもしれねぇんで。それに、訊いたって本当のことを言うとも限らねぇですし」

「随分と信用がないんだな」


 すると、残る質問はこれだけだ。


「不老不死になる方法は?」

「説明するとは言いやしたが、必要があるんですかね。若旦那はもう、見当がついてるはずですぜ」

「ケッセンドゥリアンは、神性を帯びれば不死になると言っていた」


 イーグーは頷いた。


「そいつは本当のことですよ。けど、あっしはあんまりお勧めしやせんがね」

「なぜだ」

「言えやせん」

「なに?」


 彼は俺を品定めするかのように見つめた。


「若旦那には、もう見えてるんでしょうが。その気になりゃあ……あっしのすべてを奪えるはずですぜ」


 その通りだ。

 俺は既に、念のためということで前日の段階で、あの原因不明の気持ち悪さを押し殺して、植物の種を取り込んである。あとはそれをイーグーに放り込んで、肉体を奪取するだけで、彼の能力をすべて自分のものにできる。


「あっしをよく見て、しっかり考えてくだせぇ。言えるのは、そんだけでさぁ」


 こともなげに言っているが、俺が肉体を奪ったら、彼は死ぬのだ。

 だが、彼の中にある「スピリット」なる何かを獲得すれば、俺は多分、不老不死を達成できる。彼を殺せば。そう、多分、殺す必要がある。


 そもそも、彼は自分の中のレッサースピリットを除去して、スピリットに置き換えている。或いは強化したのかもしれないが。この短期間にどうやってそれを実現したのか? 恐らく精霊魔術の恩恵だ。ということは、仮に俺が彼からピアシング・ハンドでスピリットを奪取したとしても、奪い返される可能性がないとも言えない。

 似たような事例を、俺は覚えている。魔宮モーの門番、アルジャラードだ。彼から肉体を奪ったはずが、なぜかそれが成立せず、すぐに復活してきてしまった。状況も条件も異なるが、似たような結果にならないとも限らない。

 では、イーグーを殺してスピリットを奪えば、万事解決か?


 それにしては、何かがおかしい気がする。

 イーグーは、これほどの力を持ちながら、なお使徒の下僕でいなくてはいけない。望めばどこの国の王宮にも諸手を挙げて歓迎されるだけの能力があるのに、栄耀栄華を楽しむでもない。

 では、彼は使徒の考えに全面的に同意しているのか? これも実に疑わしい。もしそうなら、どうして大森林の探検途中にクーやラピを庇った? 彼らの死は、使徒にとっては喜ばしいことなのに。


 今、彼は微笑んでいる。だが、笑いながら俺を試している。自分の命を懸けて。


「何も、しない」

「へぇ?」

「殺さない」

「いいんですかい? 言っときやすが、生かしておいてもらったからって、あっしはこれ以上、ここで何かを教えるつもりはありやせんぜ?」

「それでも、だ」


 すると、彼は何度も頷いた。


「へぇへぇへぇ、よぉくわかりやしたよ」


 彼は肩の力を抜いて、軽く身震いした。


「そんじゃ、ま、行かせてもらいやすかね。若旦那の気が変わったら大変だ」


 そう軽口を叩く。そうして彼は、俺の横を通って、街道に向かって歩き出した。


「待ってくれ」

「なんですかい」

「せっかくだし、みんなすぐそこにいる。顔を見ていかないのか」


 すると彼は立ち止まり、苦笑いを浮かべた。


「そいつはご勘弁ってとこですかねぇ」

「なぜ」

「いやぁ」


 彼は、じっと遠くにある青空を眺めた。


「あんなんでも、久々に楽しかったんですよ、あっしにはね」

「えっ?」

「大勢でワイワイやりながら旅をする……まるで人間みたいにですぜ? そりゃあ楽しくて……ずっとそこにいたくなっちまう。そいつはダメだ」


 俺はハッとさせられた。

 初めてイーグーの素顔を目にした気がしたのだ。だが、それは触れてはいけない部分だったのかもしれない。彼の人だった頃の、かけがえのない何か。それはきっと、悲しみに彩られているのだ。


「ま、じゃああっしは、若旦那に見逃してもらったってことでいいんですかね」

「ああ」

「そんなら借り一つってとこですかねぇ」


 彼は手を挙げた。


「お互い、生きてたら、またどっかで会いやしょうや」


 それだけで、彼は背を向けて去っていってしまった。


 彼を見送ってから、俺は休憩所に戻った。

 東西南北の方向にそれぞれ四隅のある建物で、さほどの広さもない。屋根はこちらの茶色の瓦でできている。周囲は色濃い緑の木々に囲まれている。地下道を通る形で下りと登りの階段があって、それが中庭に続いている。真ん中には丸い井戸があり、今は蓋が被せてある。壁の内側は、中庭に向かって開け放たれている。ただ、簾を下ろすことはできるが。


「おっ、帰ったか」


 持ち込まれた酒を飲みながら、入口の横にいたジョイスが言った。


「どこ行ってやがったんだ?」

「ああ、ちょっと」


 クーがこちらに気付いて、壺を手に駆けつけてきてくれた。


「ジョイスさん! お酒が足りませんね! もう一杯飲まれますか?」


 イーグーが言った通りの想像をしているんじゃないか、クーは。そういう気遣いはしなくていいのだが。

 井戸の横では、ラピが肉を焼いている。


「日持ちしないからどんどん食べてくださいねー!」


 今日、俺達は別れる。

 キースはあとしばらくこの国に留まる。ヒランから風魔術を教わるためだ。ディンもワングも、自分達が乗れる船を待たなくてはいけない。ビルムラールも、もはやシェフリ家が復権した以上、この国から逃げ出す理由はない。むしろ、今は一家を纏めるために働かなくてはいけない立場だ。

 だから俺と共に北東ルートの陸路でカークを目指すのは、ノーラとジョイス、フィラック、タウル、クー、ラピ、それにペルジャラナンとディエドラだ。


「タウル、飲みすぎだろ」

「これが飲まずにいられるか」

「このところ毎日だ」


 喜びを露わにすることが少なかったタウルだが、最近は本当に幸せそうに見える。


「ストゥルンはうまくやったと思った。でも違った。やっぱり今回も賭けに勝った! 思いもよらない夢が叶った」


 歴史上の偉人だけが名を遺すあの石板に、俺達の記録が残ったことで、タウルは有頂天になっていた。無理もない。死ぬまで達成不可能な夢だと思っていたのが、急に現実になってしまったのだから。

 一方、南方大陸での名声にさほど興味もなく、歴史に名を残したいとも思っていないフィラックは、彼のテンションについていけていない。


「ファルスさん、この度は、本当にありがとうございました」


 そう言いながら、ビルムラールは俺に深々と頭を下げた。


「我が国で起きた問題なのに、お手を煩わせてしまって」

「いや、あれはパッシャが間抜けだったんですよ、多分」


 具体的には、モートが余計なことをしなければよかったのだ。恐らくデクリオンは、俺と敵対するのを避けるために、バグワンを使ったのだから。彼のところで饗応を受け、二週間後に王都に戻って土地の利用権を得たら、俺はすぐさま出国していたはずだ。だが、それではクロル・アルジンへの命令権を奪取できないと考えたモートは、あえてリスクを冒して俺を毒殺して、ノーラを介入させようとした。

 そのために起きた混乱を収拾しようとしたデクリオンは、しかし、モートの裏切りに気付けていなかったのではないか。だから、俺を王都から遠ざけるために、今度は冤罪という手を使った。なぜバグワンの召使が俺を毒殺しようとしたのか、誰が命じたのか……そこを明らかにできていれば、まだやりようもあっただろうに。


「お見送りが済んだら、私は間もなく北に旅立ちます。ファルス様が赤の血盟に向けて書いてくださったお手紙を届けて、なんとしても和平を掴み取らないといけませんから」

「ティズ様は、無茶な要求でなければ聞き届けてくださる方ですから、心配には及びませんよ」


 ポロルカ王国は、今、攻め込まれたら滅んでしまう。だが、それはしないようにと俺がお願いしている。ティズも、これ以上の勢力拡張が周辺各国を不必要に刺激するだろうことは承知しているだろうし、いずれにせよ、ビルムラールの仕事はさほどの困難もなく終わるはずだ。


「まったく、我が国の貴族達がもうちょっと自重してくれれば……」

「連日連夜、あちこちから声がかかるのは、さすがにしんどかったです」


 そうでなければ、一ヶ月くらいのんびりしてから北を目指してもよかったのだが。


「しんどいのは私の方ネ……」


 思わず背筋がゾクッとするような声が後ろから響いてきて、ビルムラールは反射的に飛び退いた。


「ファルス様のおかげでみんな幸せネ。私以外はだけどネ」

「ワ、ワングさん」

「みんな石碑に名前刻んでもらったネ。でも、私は船もなくして、積荷もパーネ。私の船なのに、誰も何も補償してくれてないネ」


 なお、ワングの名前は石碑に刻まれてはいない。ディンの名前は残ったが。

 これはあれだ、火災から逃げる貧民を見て、ドゥサラやバーハルに食ってかかったことが響いているのだろうか。


「え、えっと、お肉とか召し上がられましたか? お酒の方は」

「食事が喉を通らないネ」

「あ、は、はぁ、そうですか」


 確かに、彼はゲッソリと痩せ細っていた。それでも筋肉のついていない腹部は瓢箪みたいだったが。

 だが、俺も気付いている。ワングはある程度、わざとやっているらしいということに。


 だいたい、俺にもビルムラールにもシュライ語が通じるのに、なぜかフォレス語で喋っている。変な訛りのある、コミカルな喋り方だとわかっていて。

 この前、ブイープ島で船が全損した時もそうだった。こいつは、滑稽な姿を演じながら、なんとか利益を引き出してやろうとしているのだ。


「この上は、ファルス様に助けてもらうしかないネ」

「そんなこと言っても、ワングさんの積荷に僕が責任を持つなんて、そんな話はなかったじゃないですか」

「じゃあ誰に言えばいいネ」

「それはだって、ポロルカ王国を救う戦いなんですから、ドゥサラ国王陛下に」

「門前払いネ!」


 といって、俺に何ができるだろう?

 そう思っていると、ワングは懐から一枚の契約書を取り出した。


「名前書くネ」

「いや、わけわからないモノに署名なんかできませんよ」

「じゃあ読むネ」


 それでは、と目を通すと……


「代理店?」

「そうネ。ファルス様にはリンガ商会があるネ。でも、真珠の首飾りとポロルカ王国の免税権があるのに、使えていないネ。リンガ商会は、南方大陸との伝手もないネ。そこで私に任せるネ」

「うーん、でも、なんか騙されそう」

「騙さないネ! もうポロルカ王国も赤の血盟も味方のファルス様を引っかけたら、私、殺されるネ」


 それもそうか、と納得はした。


「まぁ、四年の有期契約みたいだし、でもなぁ、ちょっとやっぱり」

「今、任せてくれれば、あの、コーヒーとか言ったネ? 木にできる豆畑の管理も、豆の出荷も、キッチリやるネ!」

「そういうことならお願いします」


 俺は彼から契約書を引っ手繰ると、サラサラと署名した。


「大丈夫なの?」


 ノーラが心配そうに尋ねるが、俺は気にしていなかった。


「コーヒー豆さえしっかり管理してくれるなら、多少のことは構わない」

「理解できないけど。あれがそんなにおいしいなんて」

「いつかわかる。きっとわかる。あれで僕は世界を征服するんだ」


 ノーラは片手で顔を覆って天を仰ぐばかりだったが、俺は気にせず最後まで署名を済ませて、ワングに契約書を返した。


「コーヒーに何かまずいことがあったら、ただじゃ置きませんよ」

「わ、わかったネ。大船に乗った気でいるネ」


 この前、俺達が乗っていた大船は、見事に大破したのだが……

 その辺は考えないでおいた。


 それからしばらくの間、俺達は歓談を楽しんだ。

 けれども、昼下がりの蒸し暑さが周囲を圧する頃、頭上に分厚い雲がかかるようになると、名残惜しいながらも、旅立ちの時が来たのだと知った。

 いつものように荷物を背負うと、俺達は東屋を出て、見送る人達に手を振って、街道に向かって歩き出した。

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