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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十七章 闇路
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早朝の別れ

またもやレビューを戴いてしまいました。

ありがとうございます m(_ _)m


というわけで、新章開始。

不幸祭り後の週刊連載です。

以後は毎週水曜日18時更新です。

 ごく小さな足音で目が覚めた。

 並べられた毛布の上を、トン、トンと揺らす。雑魚寝する俺達の合間を縫って歩くので、どうしても物音を殺しきれない。それでも、この場で眠る俺達のほとんどは、目を覚ますことはなかった。


 昨日の昼に、パッシャとの戦いが済んだ後、昏倒した兵士達を起こしてから、ブイープ島の北側にあった残りの軍船に乗って、俺達はラージュドゥハーニーに引き返した。とりあえず、どこで過ごすかを考えたが、これといった場所がなかったので、港でドゥサラ達と別れて、最初の隠れ家……ワング達が出国停止後に留まった宿に向かった。そこの二階、光の当たらない船員用の相部屋に、俺達は男女問わず転がった。あれこれ配慮している余裕がなかったのもある。全員、疲労困憊の極みで、とにかく早く横になりたかったのだ。

 気持ちの準備がなければ、俺もこの程度の物音で目覚めたりはしなかっただろう。だが、そこはこれまでの旅の経験もあってか、僅かな刺激にも反応できるようになっていた。


 足音の主は、俺の枕元で立ち止まった。それから、俺の頭のすぐ上に置かれた袋に手を伸ばし、中身を検める。これだと見定めると、そそくさと立ち上がり、そっと部屋から出ていこうとする。

 物音が遠ざかり、階段に足をかけたらしいと分かったところで、俺はすぐ起き上がった。そして同じように足音を殺しつつ、急いで追いかけた。


 爪先立ちになって、靴も履かずに階段を急いで降りる。一階の、普段は食堂として用いられている窓際の座席を眺めると、明け方の淡い光が差し込んできているのが見えた。開け放たれたままの窓は、うっすらと灰色の雲がかかった空を切り取っている。それに照らされるテーブルも椅子も身動ぎせず、ただただ静寂の中に佇んでいた。

 そのまま外に走り出ると、やっと彼女に追いつくことができた。悟られたと知って、シャルトゥノーマは息を呑んで振り返る。


「頼む、見逃してくれ」


 こうするだろうことは、見越していた。というより、だからこそ俺は、ノーラとクーに、霊樹の苗の回収を頼んだのだ。もしあのまま放置しておいたらどうなるか? パッシャの残党に持ち去られたら大変なことになりかねないし、だからといって魔物討伐隊に見つけられてしまったら、間違いなく処分の対象になる。

 ではどうすればいいかというと、俺の中でも結論は出せなかった。あのクロル・アルジンの恐ろしさを目の当たりにした以上、同じことが起きる可能性を考えれば、迂闊な真似はできない。だが、この苗があれば、故郷をなくしたアイル村の水の民にとっては救済になる。それに予備の苗があれば、ルーの種族としては、全滅の恐怖をずっと小さくできるのだ。


「引き換えになるのなら、どんなことでもする。これは私の命より重いものなんだ」

「そうだろうな」

「どれほど恐ろしいことが起きたのかは、よくわかっている。でも、これがなければ」


 俺は大きく息を吸い込み、吐き出した。

 こんな、世界の命運に関わるような決断を、俺が下さなくてはならないとは。ザンは、ルーの種族の存在自体が人類にとってのリスクなのだと、だから皆殺しにするべきだと主張した。彼は間違っているだろうか?

 生存を脅かさない限り、多分、シャルトゥノーマもディエドラも、今も大森林に暮らすワリコタやトスゴニも、望んで人間を傷つけることはないだろう。だが、彼らの生存に必須とされるこれが、扱い方一つで致命的な結果をもたらすとしたら?

 悪いけど、持ち出すのは駄目だ……そう言いたくもなる。


「ザンの言うことも、もっともなのかもしれない」


 シャルトゥノーマは、俯いた。


「私達が生きるのに必要なこれは、とても恐ろしいものだった。こんなものを欲しがる連中は、皆殺しにして終わりにしたい。私が逆の立場だったら、そう叫んでいてもおかしくない」


 彼女は深い思索の中に沈んでいた。


「もしかすると、この世の生けとし生けるものはすべて、こういうものなのかもしれない。草花とシカ、シカとオオカミ、男と女、そして人間と私達ルーの種族も……そこにいるだけで相手にとっては害悪になる」


 草花にとってシカは憎むべき存在だ。自分達を食い散らかすのだから。けれども、シカが口をつけない草原は、先に丈の高い草が生え揃ってしまうと、あとから新たに発芽する余地がなくなる。そのシカにとって、オオカミは忌むべき存在だ。自分達を追いかけて食い殺すから。でも、森からオオカミがいなくなったら、シカは間引くものがいなくなって、数を増やしすぎて森を裸にしてしまう。そして自分達の頭上を駆けまわるシカとオオカミは、草花にとって迷惑な存在かもしれないが、彼らのフンや死骸が、また新たな種が芽吹くときの助けになってもいる。

 男と女も同じだ。十月十日の妊娠は女にとって大きな負担で、だから潜在的に、男は女にとって略奪者といえるかもしれない。けれども、そんな男達がいなければ、彼女らも次世代を産むことはなく、ただ老いて死んでいくだけだ。

 あるものと、あるものにとっての他者がこの世界に存在する限り、何らかの関係が生じる。それがしばしば、表面的には一方が他方を害する形になる。真理を突き詰めれば、他者は憎み滅ぼすべきものと結論するしかない。


 だが、それではデクリオンの理想とどれだけ違うのだろう?

 彼はある意味、正しかった。世界を滅ぼせば、万人が死に絶えれば、もう憎しみも悲しみもない。でも、そこが俺達のゴールなのだろうか?


「それでも、きっとそれだけじゃない。私が憎んでいたワノノマの武人達が、身を挺して私を船の上に引き上げた。ホムラの火を消す力は、なぜかルーの種族にだけ与えられていた」


 敵は滅ぼし尽くせ。それはイーヴォ・ルーの教えではなかった。

 一つは二つで、二つは一つ。敵は友で、友は敵。矛盾しながら不可分なありようは、一見、理解しがたいようで、実はこの世界にありふれた真実そのものだったのではないか。存在し、また存在し続けるというのは、そのような矛盾を内包し続けるということなのだ。


「もしかすると、私は、何も見ていなかったんじゃないか。この国に来てから、人間の醜さばかりが目についた。怒りばかりが募った。こんなものは嫌いだと、そう思っていた。でも、そうじゃない」


 彼女は、目を輝かせながら、けれども真剣な表情で俺を見つめた。


「好きか嫌いではない。愛せるかどうかじゃない。自分から手を伸ばして、愛せるようになるべきなんだと」


 それは、いつかどこかで先人から教わった知恵に繋がる言葉のように聞こえた。

 どこか腑に落ちるものがあった。


「人の世界に来たのは、無駄ではなかった、か」


 さて、それはそれとして、難しい決断だ。

 だがもう、どうすべきかは決めてしまっていたのかもしれない。


「わかった。見つからないうちに」

「ファルス!」


 彼女は喜びに顔を綻ばせた。


「但し。これだけは絶対に守ること。まず、それらを絶対になくしてはいけない。奪われないよう、どんな手を使っても逃げ切ること。でも、もしなくしたら、一刻も早く僕らに伝えてほしい。僕に連絡できないのなら、ティズでもストゥルンでも誰でもいい」

「もちろんだ」

「しないとは思うけど、悪用は許さない。もしそんなことをしたら、僕も責任を取らなきゃいけない。その場合は、あらゆる手段を使ってルーの種族の里を滅ぼさなくてはいけなくなる」

「わかっている」


 俺は頷いた。


「急いで」


 彼女も頷き、走りだそうとして、立ち止まって振り返った。


「ファルス」


 じっと俺の瞳を覗き込み、見たこともないような表情を浮かべた。静かに微笑んでいるような、けれども、うっすらと緊張もしている。まるでこれでは、恥じらっているかのようだ。


「また、会おう。遠からず。私は……お前と縁を結んだのだから」


 それだけ言うと、彼女は背を向けて、早朝の街中へと走り去っていった。


「終わったか」


 シャルトゥノーマの背中が見えなくなると、後ろから声が飛んできた。


「ニドか」

「ったく、出ていこうにもあんなんじゃ出ていけやしねぇぜ」


 彼も背中に荷物を背負っていた。


「お前も行くのか」

「ったりめぇだろ? 考えてみろよ。結局、俺は組織に出戻りした挙句、途中まではモートに手を貸しちまっていたんだ。どう考えても有罪だろ」

「いや、恩赦くらいは出ると思うけど」


 だが、彼は首を振った。


「それはそれで面倒臭ぇよ。それに、いろいろあったけど、やっぱり今でも王様だなんだっつうのは嫌いだしな」

「じゃあ、これからどうするつもりだ」

「んー」


 戸口に凭れかかりながら、彼は少し考えるそぶりを見せた。


「帝都に行くかな」

「帝都?」

「一応、自由の街っつう話じゃねぇか。ま、どうもあれこれ聞いた限りじゃ、いろいろ嘘臭ぇけどよ。そこでま、冒険者の真似事でもして、ダラダラ生きてくつもりだ。もう、正義だなんだっつうのはこりごりだからな」


 彼は肩をすくめた。


「考えてみりゃ、悪くねぇ。親に売り飛ばされたっつうことは、俺も親のことなんざ考えなくていい。俺を買った貴族もくたばったし、俺を引き取った組織も壊滅だ。天涯孤独、自由の身の上、空に浮かぶ雲みてぇなもんさ。あとはせいぜい、面白おかしく暮らすとするさ」

「ニド」


 彼の言うことも納得はできるが、念のために提案してみた。


「ピュリスに行く気はないか?」

「あん? なんでだよ」

「面倒をみてやれる」

「よせよ」


 彼は手を振って苦笑した。


「これからは、てめぇのケツはてめぇで拭くさ。なるべく……そうだな、なるべく、穏やかな暮らしを心掛けるさ」

「そうした方がよさそうだな」

「だろ?」


 彼は、右手を持ち上げて、じっと見つめた。


「うっかり周りを燃やしちまわないように、もっとしっかりしねぇとよ」

「その神通力だけど、消すつもりはないか」

「なに?」

「ウァールにも抑え込まれただろう? なくしたければ、なくすことだってできる。前にルークに言った話は本当だ」


 まだ昨日の戦いから丸一日過ぎていないので、すぐとはいかないが。


「やめとくぜ」

「どうして」

「今ならちっとはルークの気持ちもわかるな。この神通力ってのはよ、そいつの生き方、生き様なんだ。俺が心から願ったことなんだよ。そいつを、今更不都合になったからハイ捨てます、なんてわけにはいかねぇよ」


 壁から身を起こし、彼は歩き出した。俺の横を通り過ぎたところで、振り返る。


「そういうお前は、これからどうするんだよ」

「そうだな」


 不老不死の探求。その意味や必要性が、かなりのところ失われつつある。俺はいったい、何のために今まで旅をしてきたのだろう?


「まずはカークの街に行く。後のことは、それから考える」

「カーク? なんでだよ」

「ジョイスの師匠が、そこに手紙を届けてくれって言っていたから、一応」

「ふーん?」


 灰色の空を眺めて、彼は少し考えていたが、すぐ思考が追いついた。


「カークっつうと、あれか。この大陸の北東の」

「そう」

「普通だったら船で西の航路で北上して回り込んだほうが早ぇけど、船がほぼなくなってるからなぁ」


 そこが泣き所でもある。


「まあ、歩いていけばいいよ。陸路でも、行けなくはない」

「だな。しばらくはろくな船なんざ捕まらねぇだろうし、俺もアリュノーまでは歩いていくしかねぇだろうし」


 そこで彼は、話を打ち切った。


「ま、行くわ。お前も無事でな。運が良きゃ、また会おうぜ」

「ああ」

「じゃあな!」


 それだけで、ニドは背を向け、手を振って歩き去っていってしまった。


 彼の姿が見えなくなったところで、俺は改めて、今後を考えた。

 これから、どうすればいいのだろう。不死を追求しても、どれほどの意味が……


 そう思い至った瞬間、胸の奥で、また原因不明の疼きがあった。

 ドクンと心臓が跳ねて、何か得体の知れないものが、内側から溢れ出そうになる感じだ。俺は思わずその場にうずくまった。


「おかしい、な……」


 何か大事なことを置き忘れているような。大きな借金の支払日を過ぎてしまったような。そんな不安感が胸に迫ってくる。


「ただの疲れだ。疲れ。もう一度寝よう」


 自分に言い聞かせて、俺は立ち上がった。

 もう、胸の動悸は収まっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「好きか嫌いではない。愛せるかどうかじゃない。自分から手を伸ばして、愛せるようになるべきなんだと」 嫌いな相手は嫌いで関わりたくない。そのことを実感しております。
[一言] シャルトゥノーマとの再会の約束。 次、相見える時こそアンギン村にて彼女が放った「これ以上、料理から学ぶものがない」発言を発端としたファルスとの料理バトルが始まってしまうのだろうか。
[良い点] 遅れましたが不幸祭りお疲れ様でした。毎週楽しみに読んでおりました。 [気になる点] 結局ザンは主人公(読者含む)の不快指数を上げるためだけのキャラだったのでしょうか?何かしらの役割があれば…
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