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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十六章 究極兵器クロル・アルジン
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血を呪う

 ぬるりとした、どこか生臭い風が吹く。早朝にもかかわらず、そこに爽やかさはまったくない。

 頭上は濃淡のある灰色のまま、変化がない。太陽は今、どこにいるのだろうか?


 王宮の北門。いつか見た、あの英雄の事績の浮彫が施された四角い三つの建物がある場所だ。その向かい側の空間にあった家々は、モートの手によって解体されたか、あの火災に巻き込まれて焼け落ちてしまっていた。

 俺達が駆けつけた時、既に紅玉蠍軍団の兵士達は集結しつつあった。彼らはほとんど声を出さず、静かに点呼してはジーヴィットに報告した。ざっと千名近くが、黒ずんだ地面の上で、班ごとに纏まって立っていた。

 姿の見えない人がいると気付いて、ドゥサラ王子の横に立つディエドラに尋ねた。


「他のみんなは」

「フネのホウにイった」


 準備したところで、使えるかどうかはわからないが……


 いくら急いだところで所詮は帆船。超音速飛行をこなすクロル・アルジンにしてみれば、止まっているのと変わらない。

 昼近くになれば、ピアシング・ハンドの再使用が可能になる。そこで俺が能力に水魔術を組み込めば、なんとか島まで渡りきることはできるだろう。あとはそこで、デクリオンとアーウィン、それに銀鷲軍団の目をかいくぐって、なんとかクロル・アルジンを破壊すればいい。

 非常に難易度が高い気はする。また、この作戦をとる場合、アーウィンを倒せる可能性は更に下がるだろう。だが、他の手立てが見当たらない。みんなには島に渡るために船を用意しようと言ったし、この非常時だから、危険を承知で一人でも多くを戦力にしたくはあるのだが……何の目くらましもないのに、素直に島に近づけば、今度こそみんな纏めてお陀仏だ。


 あちらに向かったのは、ヒランとバーハル、ノーラとクーとラピ、フィラック、タウルもだ。船を動かすので、ディンとワノノマの武人達も。


「では」

「俺が先陣を切る。お前らは隙間を潰せ」


 キースがそう言った。

 やっぱりどこか様子がおかしい。力みがないと言えばいい意味にも聞こえるだろうが、どうもそれだけでは片付けられないというか。生き生きしていない。まるで一気に年を取ってしまったような感じさえする。


 白い陣羽織を、どこか重たげな風に靡かせながら、彼は急ぎもせず淡々とした足取りで先に進んだ。北門には見張りがいなかったからだ。銀鷲軍団の大半は島に送られてしまっていて、ここには僅かな兵が残るのみらしい。まるで警備が行き届いていない。


「ファルス殿、相済みませんが、殿下の護衛は頼みますぞ。わしとジーヴィットは、兵士達を監督して、先行しますでな」

「はい」


 老体に鞭打って、ここが最後の働きどころとメディアッシは前に出た。

 この戦い、彼にしてみれば、チャール王子の生存の可能性もあるとはいえ、やはりドゥサラが殺されれば負けだ。だからなんとしても先に立って、パッシャの少年兵などの敵が潜んでいる場所を潰してしまう必要がある。

 後詰め以外の兵がいなくなったところで、俺達はドゥサラ王子と共に北門を潜った。


 宮殿の敷地内に入ると、離れたところのあちこちでちょっとした騒ぎが起きているのがわかった。防衛に当たっていた銀鷲軍団の兵の他、パッシャの少年兵も居残っていたらしい。だが、リーダーであるはずのモートが指揮をほったらかしにしていたのもあって、組織的抵抗ができずにいた。彼らには神通力はあっても、技量を伸ばすための訓練期間は足りておらず、大勢の兵士に取り囲まれては、さすがに手も足も出なかった。

 こちらが優勢であろうことは、直接に戦闘を目の当たりにしなくても、明らかだった。少し進むごとに黒尽くめの少年兵の遺体が横たわっていたりする。そこに味方の兵士の死体はない。


 しかし、弱々しいながらも朝の光の下で、狭い中庭に横たわる少年兵を見下ろすと、なんともいえず暗い気分になる。パッシャは男も女も戦士にする。目の前の遺体は少女のもので、まだやっと胸が膨らみ始めたくらいの年頃だ。それが腹部に二箇所ほど槍を受け、首に切り傷を負っている。黄土色の壁に追い詰められて串刺しにされ、動けないところでトドメを刺されたのだろう。それが証拠に、壁には赤黒い血痕が残されている。彼女の目は見開かれたまま。虚ろな表情で灰色の空を見上げている。

 パッシャの戦士になるというのは、例えば前世の恵まれた大学生が革命思想に夢中になって過激派集団に身を投じるのとはわけが違う。奴隷のような境遇に生まれ落ち、売り飛ばされたり虐待されたりして流れ着いた末になるものなのだ。彼女は我儘放題をして死んだのではない。それしかない道を歩き通した末に、この結果がある。

 その意味で、デクリオンのいう「世界の修復」が間違っているとは、今の俺には断言できなかった。貧困や暴力にさらされ、けれども世の中からは顧みられず、抗議の声も届かず、やむなく闇の世界に染まるしかなかった少年少女のなれの果てが、ここに転がる遺体なのだ。彼らの末期の望みは何だろう? 平和な世界? 豊かな暮らし? そんなはずがない。

 だが、今は考えない方がいいかもしれない。それで敵を倒すのを躊躇ってしまったのでは、こちらが殺されることになる。


 左手には、最初に王宮に招かれたときに立ち入った中庭があったが、そこには近寄らず、まっすぐ次の門を潜った。

 そこは、政庁からまっすぐ南に伸びる幅広の石畳だった。左に向かって歩き出せば、やがて左手には例の列柱の間が見えてくる。まっすぐ進めば、政庁に立ち入るための階段に至る。ここまで生きた敵には出くわすことはなかった。


「順調ですね」


 言葉とは裏腹に、ビルムラールは顔を強張らせていた。


「こっちにはまだ、マバディがいるはずなんだけどな」


 ニドが低い声で呟いた。


「人の影に入り込む能力か……とんでもねぇな? どんな神通力だ?」

「知らね」


 そこは謎ではある。パッシャの幹部達には、どうもそれぞれ不思議な能力がくっついている。

 ハイウェジは苦痛と引き換えに耐久力を得ていたし、モートも炎の力を吸収することができた。ハビは、実に使いにくそうではあるものの、空間を歪める能力を有していた。あれは魔法でもなければ、神通力でもない。スキルでもないから、練習して得たのでもない。

 手がかりはハイウェジが与えてくれた。秘密の場所で何かの儀式をした結果、彼はあの不死身の体を手に入れたのだ。


「でも、そんなんじゃ、影の中に入られたら手も足も出ねぇってことじゃねぇか。どうすんだ」

「それは問題ありません」


 ビルムラールが言った。


「そのために私がここにいます。マバディが現れたら、教えてください」


 影の中に隠れてしまえば、実質無敵も同然だ。物理的に存在しないも同然なのだから、攻撃しようがない。他の三人の幹部のそれとは違って、判明している限りでは寿命が縮まる以外に変な副作用もなく、実に使い勝手がよさそうだ。

 ただ、だからといって攻略法がないわけでもない。正体さえ知れてしまえば、いくらでも対策できる。


「政庁の前に、兵士が集まっていますが……」


 しかし、中に踏み込んで攻撃を仕掛ける気配はない。兵士達は顔を見合わせて、とにかく取り囲むにとどめている。

 俺達はそちらに向かった。


「何があった」


 ドゥサラ王子が、政庁の入口を塞ぐ兵士達に声をかけた。


「殿下、それがあの中にはチャール殿下がおいでなのですが」

「なに」

「パッシャの戦士と思しき女もおりまして、迂闊に手が出せない状況なのです」


 人質を取られているということか。恐らく、中の女というのはマバディだろう。こちらの侵攻を察知できず、やむなくチャール王子を連れてここに逃げ込んだ、というところか。

 優先順位を考えれば、やはりチャール王子の奪還が第一だ。助命を条件に投降してもらうのが合理的ではあるのだが、なにせ相手はパッシャだ。その辺の道理が通じない可能性が高いのが悩ましい。


「私が行かねばなるまいな。王家の名の下に助命を約束してチャールを解放させる」

「危険です」

「だが、私が行かねば、相手を刺激するだけだ。投降を呼びかけても信用されまいからな。そうなればチャールが危険にさらされる。済まないが、よく気をつけて私を守って欲しい」


 それで俺達は階段を登り、薄暗い政庁の入口の前に立った。


「中にいる者! 余はドゥサラ・プラブットゥア・ポロロッカ・チーレム! 聞こえるか!」


 反応はない。


「ジョイス」

「問題ねぇ。入口の左右にも誰も隠れちゃいねぇよ」


 俺は剣を抜いて身構え、王子の前に立った。ナイフを投擲されて一発で殺されて終わり、では洒落にならない。ビルムラールも『矢除け』の術を使ったらしい。これでかなりのところは防げるはずだ。


「大人しく投降せよ! さすれば王家の名において、あらゆる罪状によらず必ず助命することを約束しよう!」


 だが、この呼びかけにも、何の返事もなかった。


「変だぞ」


 ニドが呟いた。


「何が」

「あのガキがチャールだろ? 玉座に座ってやがる。その横にいるのは、ありゃマバディだろうけど、刃物を向けるでもないしな」


 俺達は目を見合わせた。ビルムラールが頷いた。


「行きましょう」


 俺達は全員で政庁の入口を潜った。

 薄暗いながらも、だんだんと目が慣れてくる。


 ニドが言ったように、一番奥の玉座の上には、チャール王子が座っていた。その脇には、まるで陪臣のようにマバディが立っていたのだ。


「チャール? これは、どういうことだ」


 年若い王子は、無言のままだ。無表情を取り繕おうとしているが、そこには若干の戸惑いが滲み出ている。彼は斜め上のマバディの顔を見上げて、また前を向いた。

 それだけで俺は察した。この分だと、ジョイスも内心がある程度見えてしまったはずだ。


「パッシャの協力者になったのですね」


 俺がそっと尋ねると、少しの間を空けてから、彼は色をなして叫んだ。


「仕方ないじゃないか!」


 チャール王子は火がついたようにまくしたてた。


「仕方ないとは」

「僕は第四王子だ。しかも庶子だ。生まれながらにして王位を継承できる見込みがないんだ。先に生まれたというだけで、どうして兄達に資格があるんだ! こんなの不公平だ!」


 この言い分には、この場にいる全員が唖然とさせられた。

 もっと何か深刻な理由でもあるのかと思いきや。なんたる近視眼的な思考だろう。王族であることは前提で、その中で不平等だと言っているのだ。しかし、一般人も含めて平等を考えるなら、チャール王子の生まれは上澄みも上澄み、特権階級の最たるものなのに。


「お、お前、そんな理由で」

「これより大事なことがあるもんか! 第四王子だぞ? 王族といっても一番下。ずっと王宮の片隅に部屋をもらって、兄やその子供の引き継いだ王国の世話ばかりするんだ。子供をもっても、そのうちどうせ庶民落ちする。それなのになんだ、バーハルは……どうせそうなるなら、気に入った庶民の娘と勝手に結婚したっていいじゃないか! なのに邪魔ばかり」


 そうだった。ただ見た目が気に入ったというだけの理由で、彼はノーラを我が物にしようとしたんだった。

 ポロルカ王国という大国の要人が、そんなデタラメな結婚など、できるわけもない。側妾ならいくらでも囲えるだろうが、正妻はしっかりと政治的な文脈に沿って選ばねばならない。高貴な身分に伴う責任は、決して軽くはない。

 だが、彼はその辺の認識が希薄だった。地位が高くなればなるほど自由は制限される。なるほど、彼はまず王太子にはなれない。だが、だからこそ、兄ほどの重い責任も課されない。それでいて恵まれた王族という身分を享受できる。落ち着いて考えれば、非を鳴らすほどのことなど、何もなかったはずなのに。


 だが、こんな愚かな王子にも使い道はあった。

 ラピを連れてノーラがチャール王子に呼ばれたあの日から、マバディはラピの影に隠れていたのかもしれない。

 もしそうだとしたらだが、俺達の動きは、筒抜けだったことになる。


「どうだ?」


 マバディが初めて話しかけてきた。女としては低い声色だ。


「これが王家の枝だ。こんなもののために、私達は踏み台にされる」


 言いたいことは分かったが、彼女の意図が汲み取れず、俺達は少しの距離をおいたまま、じっと状況を見守るしかなかった。

 確かに、チャールは王族としては、あまりに不出来だった。誰にも頭を押さえられることなく我儘放題に育っただけの少年だったのだ。


「何を言ってるんだ?」

「わからなくても結構です、陛下」

「そんなこと、あるもんか! マバディ、話が違うぞ! お前はこう言ったじゃないか。お望み通り、王族はただ一人を除いて、皆殺しにして差し上げますって」


 その一言に、不吉なものを感じ取らずにはいられない。


「もうすぐお望み通りになります」

「望み通りったって、どうするんだ! お前一人でこいつら全部片づけられるのか? いや、そうか、できるんだよな」

「では、ご起立ください」


 脈絡のない要求に、チャールはへそを曲げた。


「どうして立たなきゃいけないんだ」

「どうしてもです」

「うるさい。僕は王だ。僕は僕のしたいようにするんだ」


 するとマバディは、彼の襟を掴んで力ずくで引き起こした。


「わっ、なっ、なにを」


 俺は彼の命運を察した。だが、今更何ができるだろう? 既にチャールには、人質としての価値もない。

 マバディはチャールを後ろから押さえ込み、首にナイフを突きつけた。


「きっ、貴様! 裏切るのか! 僕を人質にして逃げようったって」

「そんな必要はない」

「やめるんだ」


 ドゥサラが静かに言った。


「それでも、数少ない王族の生き残りだ」

「正気か? ドゥサラ、お前は逆に私に懇願しなければならないぞ。どうかこの不出来な弟を殺してくださいと」

「えっ」


 本当に自分が殺されるのだと、チャールは初めて悟ったようだった。


「考えてもみろ。この後、お前があのクロル・アルジンをなんとかできたとして、無事、ポロルカ王国を立て直したとしよう。だがその時、我々組織……パッシャの介入を望み、協力者になったのが王族だと知れ渡ったら、立場などあったものではない。けじめをつけるには、お前が処刑を命じるしかなくなる」


 それはその通りだ。だが、どうしてマバディは自分にとって不利なことをあえて言葉にするのだろうか? チャールに人質としての価値をもたせるほうが、まだ生き延びる可能性が高まるのに。


「それをしない、したくない場合、お前はこの事実を隠蔽しなくてはいけなくなる。いいだろう。ここにいる連中の口止めはできたとする。だが、チャールは王族だ。十五歳からは成人して国政にも参与できるようになる。だが、まさかこんな前科者に政策決定を任せるわけにはいくまい。第一、普通は帝都に留学する年頃だ。そこをどうごまかす?」


 留学なんかさせたら、一発で亡命されかねない。


「国外に出そうものなら、この考えなしの子供が、あちらで何を言いふらすかわかったものじゃない。それでいて、権力を取り戻そうとして、あれこれ迷惑をかけるだろう。だが、そこは何とかしたとしよう。それでも、後々まで禍根を残すことになるのはわかるはずだ。ドゥサラ、お前が死んだ後、その跡を襲う次代の王が、この出来損ないの王族に悩まされないと思うのか?」

「で、出来損ないだと!?」


 首筋に刃先を押し付けられると、彼はすぐ黙った。


「だから、遅かれ早かれ、お前は決断しなければならない。多分、密室で毒殺する破目になるだろうな。そんなに自らの手を汚したいのか?」


 ドゥサラに返す言葉はなかった。


「そうだろう。これはお前のためになる」


 そう言うと、マバディはナイフを握る手に力を込めた。


「あぐっ!」


 首筋に走った痛みに、チャールは思わず悲鳴をあげた。


「そ、そんな」


 信じられないのだろう。自分が殺される。それを現実として受け止めることができない。


「嘘だ、こんな」

「最後にお前は望み通り、この国の王になった。満足だろう」

「い、いやだ! た、助けて……兄上、助けて!」


 思わず身を乗り出そうとするドゥサラを、ニドは黙って抱え込み、下がらせた。


「あ、あがっ! ああ、あぁぁ……」


 マバディのナイフが一気に押し込まれ、鮮血が真横に飛び散った。その激痛の後、チャールは小刻みに震えながら、あらぬところを見上げた。もう何も見えてはいまい。徐々に命の灯が消えていく様子を、俺達はただ見ているしかなかった。

 不意に彼女は手を離す。魂を失ったチャールだったものは、まるで木の板が横倒しになるかのように、無造作に転がされた。マバディは満足げに息をつき、悠々と玉座に腰かけた。


「私は満ち足りた」


 そこには皮肉めいた響きがあった。


「女王マバディ……マバディ・プラブットゥア・ポロロッカ・チーレムの御前であるぞ。控えよ」


 そう言うと、彼女は甲高い声で短く笑った。


「なんだと?」


 だが、この冗談を真顔で受け取ったドゥサラは眉を吊り上げた。


「私に姉や妹はいなかったはずだ」

「知らなかっただけだ。まぁ、案外、従姉妹かもしれないがな」

「どういうことだ」


 ドゥサラの問いに、彼女はしばらく間を持たせてから、怪訝そうに尋ねた。


「本当にわからないのか?」


 返事がないので、やむなく彼女は語りだした。玉座の上で足を組みながら。


「王宮には……内府には、代々王家に奉仕する一族がいたはずだ。それはあの偽帝アルティに敗れた戦の後のこと」


 思い出した。ワングが案内してくれた、都の郊外にある「百族百家閨門交媾図」、あそこで行われた虐殺。王国の滅亡の可能性を考えた宮廷貴族の一部が、王家に反旗を翻した。謀反の計画は事前に露見し、時の王はその一族を捕らえ、処刑した。だが、成人していない男児は去勢され、女達はそのまま宮廷の下働きとされた。以後、数百年に渡って彼らは、男児が生まれれば宦官に、女児は王族の慰み者となった。


「私もその一族、シャバハの家の生まれだ。だから私の父親は、多分、ポロルカ王家の出だろうな」


 王家の闇の部分だ。数百年前の罪業は確かにある。だが、それを子々孫々担わせる正当性はあったのだろうか。ただ、そのような措置がなされたからこそ、彼らは一族の根絶を免れることができた。王家に寄生して今日まで処分をやり過ごしてきたともいえるのだが。


「で、そんな私が、やはり王族の欲望の捌け口にされるわけだ……それもあえて甘受はした。だが、忍耐の末にあったのは、気まぐれな懲罰でしかなかった」


 そこで彼女は自嘲気味に笑った。


「そういう意味では、私の言っていることは、そこのでくの坊と変わらんな。同じような生まれなのに、どうしてこんな扱いをされるのか、と」


 視線を向けられたドゥサラは、俯くばかりだった。


「済まなかった」

「なに?」

「この度のことでよくわかった。王家は王家であらねばならない。だが確かに、やはり改めなくてはいけないところがあった。私は幼稚だった。王族に自由などないのだ。少しでも下々の者達が自由でいられるように、穏やかに暮らせるように……なのに、何もわかっていなかったのだ」


 マバディは目を見開いたまま、じっと彼の顔を見つめた。それから一息ついて、音もなく玉座から立ち上がった。


「よし、決めた」

「何をだ」

「決着をつける。私は王族を弑した逆賊だろう? 他に何がある」


 いよいよだ。


「ビルムラール」

「わかっています」


 マバディが構えるナイフは、ほとんど真っ黒だ。多分、アダマンタイト製だから『矢除け』の効力は期待できない。彼女が投げるナイフは、俺達が叩き落すしかない。


「取り巻きども、何もさせずに幽冥魔境に送ってやろう」

「させません!」


 その瞬間、ビルムラールは丸薬を俺達の真上の天井に向けて投げつけていた。

 その次の瞬間、青白い光が政庁の中を照らした。


「なに!?」


 ビルムラールは、とっくに頭の中を切り替えていた。

 マバディの特殊能力は、他人の影の中に身を隠すことだ。だが、発動条件がある。自分の影の大半を相手の影の中に重ねること。しかし、今、この状況のように、はっきりした光源が俺達の頭上にある場合、どうなるか? よほどこちらに近接しない限り、その状況は作り出せない。つまり、実質的に能力を封じられた状態になる。


「知られていようとは……!」


 彼女は手にしたナイフを投擲しようと身構えた。それを打ち落とそうと、俺もジョイスも身を乗り出す。

 黒い塊が、彼女の手を離れた。


 と同時に、マバディの胸にナイフが突き刺さっていた。

 彼女の攻撃に合わせて、ニドがナイフを投擲していたのだ。確かに、相手の攻撃の瞬間こそ、こちらにとっても最大の好機になる。

 そして、マバディが投げたナイフはというと、まるで明後日の方向に飛んでいた。ドゥサラの胸に命中するどころか、斜め上の政庁の壁に突き刺さっていたのだ。


「くっ……ふふ、ふはは」


 奇妙な笑い声をあげながら、彼女は崩れ落ち、横倒しになった。


「なぜだ」


 ドゥサラは、信じられないというように声を漏らした。


「答えよ。なぜ外したのだ」


 やはりそうだ。彼女には、本気でドゥサラを殺す気がなかった。俺達に戦いを挑んだのは、殺すためではなく、殺されるためだったのだ。

 ドゥサラは前に出て倒れたマバディの横にしゃがみ込んだ。危険を考えてビルムラールが手を伸ばしかけたが、ジョイスは首を横に振った。


「……難しいことは、何もない」


 息も絶え絶えになりながら、彼女は答えた。


「王族は恨めしいが、根絶やしにすれば、もっと大勢が恨みを抱えることになる。それでは世界の修復は遠ざかる」


 ポロルカ王国の後継者がいなくなれば、確かに、この地域は荒れるに決まっている。三千年も続いた王朝が断絶するのだ。その影響は計り知れない。

 そして、復讐を目的とするパッシャの戦士である彼女が、必要もなしに復讐の原因を生み出すのは、理に適うことではなかった。


「それに……気が済んでしまった」


 彼女の中の怨恨は、もう鎮まっていた。なすべき復讐は終わった。なら、次は自分が罰を受ける番だった。


「何より、よくよく思い出してみれば……ドゥサラ、お前には借りが一つ、あった……」

「借り、だって?」


 思い当たるところがなかったドゥサラだが、マバディはそれに助け舟を出した。


「庇ってくれたのは……お前だけだった」

「あ、ああっ!」


 ずっと昔のこと。

 そうだ、メディアッシが話していたっけ。鞭打たれる侍女を、身をもって庇った幼少期の話だ。


「そんな、どうしてこんな」


 ドゥサラは身を寄せて、マバディを抱き起こそうとした。そんな彼の肩に、彼女はそっと手を置いた。


「あとは、任せた……」


 それ以上は声にならなかった。

 そのまま、彼女は静かに息を引き取ったのだ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 目の前の遺体は少女のもので、まだやっと胸が膨らみ始めたくらいの年頃だ。 リンの胸より膨らんでますか?
[一言] 敵の戦力は圧倒的に今の方が上なのに消えた王冠編の方が絶望感凄かった気がしますね
[良い点] ドゥサラとマバディの禁断のラブストーリーを見てみたい [気になる点] えっち先生は夕食もパンなんですね。お米食べましょう、ファルス君が泣いてます。 [一言] チャールコーザに改名しよう。名…
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