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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十六章 究極兵器クロル・アルジン
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ニド、訣別する

 全員に深い疲労の色が窺えた。それでも足を止めようというのはいない。

 通りの左右を埋める家々の白い壁に見守られながら、俺達は先を急いだ。


「そろそろ、ラピ」

「はい」

「クーと合流して、みんなを王宮の前に」


 既にクーにも連絡を入れてある。ここからは迅速に動かなくてはいけない。

 ドゥサラ王子も、命を下した。


「ジーヴィット、できれば夜明けとともに王宮を強襲する。兵を集めよう。私も行く」

「はっ、しかし」

「しかし、なんだ」

「一ヶ所ずつ回っている暇はありません。今いる者達に手分けさせなくては……すると、殿下の守りが薄くなります」


 紅玉蠍軍団の生き残りが潜伏している場所は、あちこちに分散している。

 だが、悠長にはしていられないのだ。モートが倒されれば、火柱も消える。これほどわかりやすい合図はないだろう。デクリオンが最悪の事態を避けるために、クロル・アルジンで王都を攻撃するかもしれない。だからゆっくりやるという選択肢はないのだ。


「俺が守る」


 キースが言った。


「守り切れるかどうかは保証しないがな」

「助かります」

「ふん」


 彼らしくもない、自信のなさそうな台詞だった。表情にも暗い翳が差しているように見える。ただ、眼光からは確かな決意のようなものが滲み出ていた。今は信じるしかない。


 多分、これから状況は大きく動く。急がねばならない。


 クロル・アルジンの覚醒が四日前。その翌日に俺達は王宮の横に居座っていたところを威力偵察した。あの時、俺達は反撃を受けたが、イーグーのおかげで死なずに済んだ。

 その三日後、つまり昨日の昼間に、俺は全力攻撃を試みた。クロル・アルジンはいったんは完全に破壊されたかのように見えたが、すぐ復活した。この後、タウルがバーハルを発見したこともあって王宮に忍び込んだが、そこでモートからはウァールによる襲撃を予告された。

 果たして彼の言う通り、ウァールは俺を殺しにきた。さて、これをどう解釈するべきか?


 問われるべきは、クロル・アルジンに自我があるか、自律的な行動は可能なのか、ということだ。

 恐らくだが、現時点までで得られた手がかりから判断すると、反射的な行動はとれても、やはり自分で意思決定する能力はない。


 俺が剣で先っぽだけ切り落とした時には、まったく反応がなかった。それが、霊樹にぶら下がる房の部分まで傷つけると、急に強烈な魔法で反撃してきた。だが、俺達が死んだかどうかの確認はしなかったし、それでパッシャの誰かが俺達を探しに来たりもしなかった。末端が傷ついた程度の損傷でしかなかったから、クロル・アルジンは半ば反射的に対応しただけだった。それを操作者に通知することもなかったのだろう。

 だが、さすがに肉体の大半を喪失するような大ダメージを受ければ、そうも言っていられない。回復は瞬時だったが、操作者への連絡は行われたはずだ。俺の情報も、なんらかの手段……多分、精神操作魔術を使って伝達した。だからウァールが俺を殺しにきた。


 モートの言う命令権とは、そのまま文字通りのものなのだろう。クロル・アルジンはその命令を忖度したり、曲解したりはしない。機械的に言われたことをこなすだけなのだ。

 となれば、命令権を持つ人間は、全滅させる以外にない。


「タバック殿」

「はっ」

「ザン殿の体面を傷つけ、そなたにも重荷を背負わせてしまった。命があれば後日、償わせてくれ」


 結局、あの後、ザンは縛り上げられ、元の拠点に転がされることになった。

 タバックの判断が誤っているとはいえないが、それでも上官に背いたのだ。帰国後の処罰は覚悟していることだろう。だが、彼は顔色を変えずに、短く答えた。


「お気遣いご無用にございまする」


 ……さて、これまでの展開をパッシャの視点で考えると、どんな風に見えるだろう?


 俺達が目立った動きをするまでは、ファルス一行は船と一緒に海に沈んだはず。これで大きな脅威は当面、ブイープ島の付近にはない。こういう認識だったのではないか。

 もちろん、俺がデクリオンなら、そんな思い込みだけで調査確認をやめるなんて間抜けはしない。だが、彼自身はクロル・アルジンの傍を離れられないし、アーウィンも基本はそうらしい。デクリオン自身は優れた魔術師だが、できれば一流の戦士に守ってもらいたい。だからウァールは手元に置き、王都の方はモートとマバディに任せきりにした。

 そしてモートは、俺達についての調査をしなかったか、しても報告を握り潰した。三日間の猶予があったのは、そのおかげだ。無論、善意などではなく、俺達をうまく利用して、ウァールやデクリオンを殺害させたかったから。バグワンの屋敷で毒を盛ったのも、そもそもそのためだ。だが、いよいよごまかしようのない出来事が起きてしまった。赤竜に変身した俺が、束縛の魔眼でクロル・アルジンを海底に沈めた件だ。それでモートも覚悟を決めざるを得なくなった。


 一方、ブイープ島に留まっていたデクリオンは、俺がとっておきの切り札を場に出したことで、ついに俺の能力についての仮説を固めるに至ったのだ。

 これは、返す返すも俺が不注意だった。クロル・アルジンの出現が四日前で、全力攻撃がその三日後。なぜ三日もかかったのか? 能力を奪ったり、それを使える状態にするのに、一定のクールタイムがあるのでなければ、こんな待ち時間は発生しない。

 だから彼は、時をおかずにウァールをぶつけるという決断をした。今なら、特殊な手段での戦闘を行うために、俺の普段のスキルセットが崩れていると想定していたから。シュプンツェを葬った謎の力を使えなくなっているから。


 では、現状からデクリオンはどんな判断を下すだろう?

 彼がラージュドゥハーニーの市民を虐殺せず、わざわざウァールを派遣したのは、第二のクロル・アルジンを製造するためだ。しかし、欲張ったせいでファルスという敵にやられてしまったのでは本末転倒だ。

 一つ幸いなのは、まだデクリオンはモートの裏切りを知らないということだ。王都に突き立つこの火柱も、あくまでパッシャの一員としてのモートが、ファルスやその仲間達に対抗するためのものだと認識しているはずだ。だから、彼を巻き添えにするような攻撃は躊躇うかもしれない。だが、そうだとしても、ウァールがブイープ島に戻ってこなければ、どこかで決断を下す。

 つまり、グズグズしていたら、そのうちにこの辺一帯は全部更地になる。俺達は逃げることも隠れることもできず、全員消し炭になる。


 では、誰から倒すべきだろう?

 やはりモートだ。クロル・アルジンの命令権を得たら、即座に俺達を殺そうとするからだ。ブイープ島に渡ってデクリオンを殺したはいいが、そこからこちらに戻ることもできないまま、島ごと焼き尽くされるかもしれない。

 続いて王宮を奪還する。別に王宮が重要なのではない。恐らくそこにマバディがいて、チャール王子を人質にしているからだ。ここまでを迅速に行い、後顧の憂いを断った上で一刻も早くブイープ島に渡らなければいけない。


「モートを倒すのに、そんなに人数はいらない。ジョイス、ペルジャラナン、それとシャルトゥノーマ。これだけでいい。あとはラピと一緒に」

「待てよ」


 ニドが口を挟んだ。


「俺も行く」

「ニド、僕らは今から」

「言うな。頼む」


 俺達はモートを殺すつもりだ。利用され、裏切られ、切り捨てられたとはいえ、ニドにとっては命の恩人なのに。

 だが、彼には彼なりのけじめもあるのだろう。


「では、ここで解散だ」


 火柱がもう間近い。

 これからドゥサラ王子とその手勢は、王宮の周囲に潜伏した部下を北門付近に集結させる。もちろん、この火柱が収まったらだ。

 空を見上げると、いつの間にかもう星の明かりも見えないくらいに分厚く雲が覆い被さっていた。それに、風も少し強くなってきている。この風のせいでますます火災が拡大したりはしないだろうか。或いは大雨が降ってくれればいいのだが。


「ファルス」


 ノーラが不安を隠そうともせずに、俺に言った。


「気をつけて。本調子じゃないみたいだから」

「わかってる」


 問題ない。ホムラの力さえ封じてしまえば、あとはペルジャラナン一人でも、モートに勝てる。

 それぞれがそれぞれの目的地に向かって分かれて歩き出したのを見送ると、俺達は闇夜の中、まっすぐ突き立つ火柱へと向かった。


 俺達が焼け落ちた建物の横から出て、まっすぐ火の山に近づいていくと、その頂上にいたモートはすぐ気付いたらしい。遠目に小さく起き上がるのが見えた。

 こちらが手ぶらで返ってきたことを確かめると、彼は山頂に突き立てたホムラを乱暴に取り上げた。天にも届く火柱は収まったが、燃え上がる火が消える気配はない。


「何しに戻ってきやがったぁ!」


 彼は大声でこちらに呼びかけてきた。

 俺は脇に立つシャルトゥノーマに短く尋ねた。


「いけそうか」

「ペルセトゥジュアンは、やれると言っている」


 バショウセンを手に戻ってきたのだ。自分に挑戦するつもりらしいことは、彼も気付いている。


「一人、二人、焼かれなきゃわからんか! ならもう、構わんなぁ!」


 彼が槍を振り上げると、そこに白熱した炎が、まるでドライアイスの煙が噴き出すかのように渦巻いて集中した。

 あれはただの魔法の火ではない。『女神の主権の及ぶ限り』取り消されることのない聖なる炎だ。あれに立ち向かう方法は限られる。一つには招神異境であれば、つまりブイープ島で戦うなら、霊槍の力は失われるだろう。だが、それができないとなれば、あとは……


「やれっ!」


 シャルトゥノーマは真上にバショウセンを構えると、力を込めずにゆっくりと真横に倒した。

 これで動作するはずだが、しばらくは何も起きなかった。


「はっ! また不発か! まずはそこの女ぁ! お前から死ね!」


 モートが槍を振りかぶり、今にも叩きつけようとしたその時。

 闇夜の彼方から、この南国の夜を凍てつかせるような涼風が吹き下ろしてきた。


 思わず我が身を庇ってから、ふと見上げると、火の山のほとんどの炎が一瞬にして消えていた。

 周囲を煌々と照らす火柱が消えたせいもあって、いきなり視界が真っ黒に染まったが、徐々に目が慣れてきた。既に夜は明け始めていて、灰色の雲の下、消し炭の山は黒いシルエットになって浮かび上がっていた。モートはその頂上で、尻餅をついていた。


「くっ」


 シャルトゥノーマは、その場に膝をついた。これだけの力を行使する魔道具なのだ。それなりの負荷がかかったのだろう。

 それにしても、これでまた一つ、証拠が積み重なった。やはりかつての英雄は、ルーの種族を排除するつもりなどなかったのだ。彼は、炎の槍の勇者ナームを偲んで、ポロルカ王国に護国の槍を授けた。だが、それだけでは済ませなかった。その女神の槍の暴走を食い止める力を、ルーの種族だけが使える霊扇に託したのだから。

 そう、二つは一つ、一つは二つ。イーヴォ・ルーの敵対者であったギシアン・チーレムは、同時にまた、その願いを受け継ぐ友でもあった。それは矛盾だが、もしかすると矛盾したまま存在することこそ、イーヴォ・ルーの神としての本質だったのかもしれない。彼が受け入れた結末は、その神としてのありように沿ったものだったのだから。それ自体が、彼を信仰する民へのメッセージたり得た。


「平気か」

「力が抜けただけだ。それより」


 あとはペルジャラナンを差し向ければ……


「うぉおおぉらぁぁあっ!」


 俺が何か言う前に、ジョイスが突出した。一人、猛然と燃え尽きた山の上へと駆け上がっていく。


「何かあったらまずい! 追いかけよう」


 一足先にモートに食らいついたジョイスは、飢えた獣のように遮二無二躍りかかった。火花さえ散るような勢いで棒を振り下ろす。それをモートはホムラで受けたが、どうにも動きが鈍い。技量ではジョイスをやや上回るはずなのに、体格でも一回りは大きいはずなのに、どうも押されているように見える。


「こっ、こんなっ、バカな」

「てめぇだきゃあ、ぶっ飛ばす!」


 猛然と襲いかかるジョイスは、怒りに駆られていた。くだらない野望のために、この街から逃れられなかった人々を大火にさらしたモートを許せなかったのだろう。救われなかった人、救えなかった人がいる。そんな人達のために強くなりたいと願った。だからこそ、この手で。

 その強い思いは、時として勇み足にもなる。だが、モートにはそこに付け込む余裕がなかった。一手受けるごとに後ずさり、抑えきれなかった一撃の余波を受けてはぐらつき、ついには肩口に重い一発をまともに受けてしまった。


「火の力を全部消されちまったせいだな」


 ニドがそっと呟いた。

 それで合点がいった。火の熱量を吸収して自分の力に変換する。それは実に便利に見えるが、当然のように副作用があったわけだ。ハイウェジが苦痛を溜め込むのと同じように、モートも火の力を内部に蓄積していた。だが、それが枯渇すると……恐らくは、通常の状態よりもずっと弱体化してしまうのだろう。


「うらぁっ!」


 ジョイスが身を捻り、頭を狙うかのようにみせて、逆に鋭くモートの膝を打ち据えた。これに耐えられず、ついにモートは槍を取り落としてその場に倒れた。

 ちょうどそこに、俺達も追いついた。


「く、くそっ、なんで、こんな」

「観念しろ、この悪党め」

「ニ、ニド! 助けてくれ! お前の炎さえあれば、俺はまだ……ぐあっ!」


 ジョイスの一撃を肩に受けて、地面に突っ伏してしまった。


「お前が傷つけた人達に謝れ!」

「なに?」


 そろそろと身を起こしつつ、モートは尋ねた。


「謝って何になる? どうせ殺すんだろうに」


 そう言われて、ジョイスはピタリと手を止めた。

 そうだ。ジョイスは今まで、まだ一度も人を殺したことがない。悪人を取り押さえたことはあっても、人命を奪ったことがない。


 モートはそれを敏感に察すると、急に甲高い声で笑い出した。


「ひゃぁっはっはっは! そうか、そうか! とんだ甘ちゃんだ! 殺せないのか!」


 尻餅をついたままの格好で、モートは俺達を嘲笑いだした。


「だが、それが正解だ。いいことを教えてやろう。俺とデクリオンを殺したらどうなるか。いいか? クロル・アルジンは止まらない! 誰も命令する人間がいなくなったらな、無差別に世界中を焼き払うようになってるんだ! 嘘じゃないぞ!」


 あり得るとは思っていた。でなければ、デクリオンが自分の生き死にを気にかけなくていいなどと言うわけがなかったから。

 パッシャのメンバーが生きていれば穏やかな絶滅、全滅した場合でも苛烈な虐殺が起きるだけ。どっちにせよ、望みは叶うのだ。


「だから、どうせ俺は殺せないんだ。それともデクリオンを説得するか? はっはは」


 そこでニドが彼に歩み寄った。


「おぉニド、お前は昔から物分かりがいいな。そうだ、俺を生かすしかない……」


 だが、ニドは黙ってナイフを引き抜いた。

 モートの笑顔が凍りついた。


「あんたがいなきゃ、俺は今、生きてない」


 喉の奥から絞り出すような声。


「あんたが拾ってくれなきゃ、俺は自分の力に焼き殺されてた。他の誰でも駄目だった。制御できない怒りの炎が噴き出るたび、あんたが掻き消してくれたから。自分の力を操れるようになるまで、傍にいてもらえたから、俺は今、死なずに済んでいる」

「そ、そうだ! そうだぞニド! お前は俺が拾ったんだ! 感謝しろ」

「感謝している」


 ナイフを握る手に、力がこもる。


「実の親にも売り飛ばされた。身柄を引き受けた貴族にも痛めつけられた。この世界で俺を受け入れてくれたのは、守ってくれたのは、あんただけだった」

「そ、そうだ、そうだとも」

「でも、モート、あんた、言ったよな。俺に。この世界の理不尽に立ち向かうんだって。強欲な権力者を打ち倒して、貧しい人々を救うんだって、すべてはそのためだって」


 モートには、返す言葉がなかった。


「俺は死んでもよかったんだ。俺みたいな子供が一人でも減らせるなら、使い捨てられたって構わなかった! でも、あんた」


 ニドは、燃え尽きた山の上から、淡い朝の光を浴びた市街地を見渡した。

 そこには焼け焦げ、或いは火災によって倒壊した家屋がずっと向こうまで広がっていた。目を転じて南を眺めると、そこには傷一つない王宮があった。


「あんたが焼いたのは庶民の家で、王宮じゃなかった」

「ま、待て!」

「結局、それが答えだったんだ」


 ニドはモートの肩に手を置いた。


「や、やめてくれ! 俺はお前の命の恩人だぞ!」

「ああ。いつか幽冥魔境で会おう」


 そして彼は、一息にナイフを首に押し込んだ。


「ありがとよ」


 ニドがナイフを引き抜くと、モートは目の光を失って後ろ向きに倒れた。黒ずんだ地面に暗い色の血が浸み込んで、混ざり合っていく。


「ニド」

「急ぐんだろ? 行こうぜ」


 彼は背を向けたまま、俺にそう言った。

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