魔物討伐隊、割れる
漆黒の闇の中で、目に映るのは倒壊した家屋の焼け残りが発する橙色の光ばかりだった。横倒しになった柱が最後まで燃え尽きまいとして崩れた瓦や土壁の下でひっそりと息をしている。その様は、まるで茂みに身を伏せた獣の眼のようでもあった。
喉を詰まらせる煙がそこここに立ち昇る。時折、言葉にしがたいつんとした異臭が伴っていることもある。そのたびに意識させられる。真夜中の火災は、大勢の犠牲者を出したのだと。実行したのはモートでも、それとは知らずに引き金を引いたのは俺達だ。ウァールの死を知ったからこそ、彼はこの暴挙に踏み切ったのだから。
あの火の山が燃え尽きて消えるまで、モートは火の力を吸収し続ける。それからブイープ島に渡ってデクリオンを殺しにいくのだろう。とするなら、多少の犠牲に目をつぶればだが、ゴールは近いということもできる。
いっそこのまま放置して、デクリオンの殺害をモートに任せてしまう。それから俺が、彼をピアシング・ハンドで消し去れば、クロル・アルジンを操る人間はいなくなる。あれ自体は倒せなくても、これ以上、あの兵器によって被害が生じることはなくなるのだから、マバディが命令権を持っていなければ、これで決着としてもいいのではないか。
ただ、気がかりなことが三つある。
一つ目は、アーウィンの始末だ。ピアシング・ハンドは通用しないにしても、今回はイーグーの力を借りることができる。魔法で押し負けずに済みさえすれば、あとは俺やキース、それにペルジャラナンで寄ってたかって打ちかかればいい。ただ、彼には瞬間移動の能力があるから、逃げられてしまうかもしれない。
二つ目は、俺の体の異常だ。人を斬った瞬間、本当に自分で自分を制御できなくなった。何か正体不明の衝動がこみ上げてきて、自分でも何をするかわからない状態だった。あれは何なのだろう? 手にしている剣が関係しているのは、多分、間違いない。なら捨ててしまえばいいのだが、それを意識すると急に頭がぼんやりとしてくる。こんな状態で、俺はアーウィンやその他の強敵と渡り合えるのだろうか?
三つめは、ウァールやデクリオンが、俺の弱点を把握していた可能性だ。確かに、今の俺は大幅に弱体化している。
飛行能力、それを生かすための赤竜の肉体、そして束縛の魔眼。この三つの枠を空けるために、俺は能力を入れ替えた。
だから、俺の正体を知っている人間からすれば、今が絶好の機会だとわかる。見るだけで相手を倒せる必殺の超能力も、今はクールタイム中だ。しかも手間のかかる変身のために能力枠を空きだらけにした。弱体化もしているのだ。
もしモートが、俺の能力の秘密を知っていたとしたら、もう俺の目の前には出てこないだろう。宮殿の奥に閉じこもるかもしれない。構わない。それならそれで、やりようはある。別人の肉体、とりわけモートが好みそうな美女の肉体を奪い取って化けてしまえば……だが、それも万全の作戦とは言えないか。
デクリオンは、俺の魂に巨大な能力がくっついていることを知っている。その情報を共有している場合、モートは俺のなりすましを最も警戒する。デクリオン同様に『識別眼』の神通力を有した部下を使うか、さもなければ精神操作魔術で愛人候補の心を読めばいい。俺は魔術を弾いてしまうから、相手からすれば区別がしやすい。
では、デクリオンはいつ、どうやって俺の秘密に気付いたのか。
愚問だ。彼らはサハリアの戦争に関与していた。かつハビを通じて、俺の介入を把握していた。スーディアでシュプンツェを相手にした時とは比べ物にならないほどの威力の火魔術、これまで経験する機会があったとは思われない馬術、そしてキトに渡航してからごく短期間のうちに習得した弓術。継続して俺を追跡調査していたとすれば、その不自然は明らかだった。
これらの不審な点について考察しつつ、ハリジョン港を封鎖していた艦隊の消滅、それにブスタンに攻め寄せた軍勢が受けた夜間の赤竜の襲撃……これらを足し算した上で、俺のクロル・アルジンへの攻撃を観察すれば、答えはおのずと出てくる。
そうして得られた知見を、上級幹部で共有しているとしたら……
悠長なことはしていられない。
ピアシング・ハンドにばかり頼らず、なるべく早く彼らを倒しきるしかない。
「ギィッ」
すぐ後ろを歩いていたペルジャラナンが奇声を発して、足を止めた。
「どうした?」
彼は落ち着きなく首を振り、ノーラを見た。
それで彼女は急いで小声で詠唱を済ませ、数秒間、立ち止まった。
「大変」
「何があった」
「ラピが助けを求めてる」
クーに連絡が入ったのか。だが、そうとすれば、彼女は少なくとも呪文を詠唱できる状況ということだ。まだ最悪ではない。
「どこだ」
「ここから遠くないみたい、だけど」
彼女は、ちらとドゥサラ王子のいる方に目を向けた。
「連れて行ってもいいのかしら」
「殿下」
俺は手短に伝えた。
「私達の同行者が助けを求めているようです。殿下はどうなさいますか。先にお帰りいただいても構いませんし、一緒にいらしても」
「行こう」
ドゥサラは首を振った。
「さっき、ワングが言った通りだ。今、起きていることは常識では量れない。もし安全なところがあるとすれば、それは君らの近くだ」
それで意気消沈したニドに代わってペルジャラナンが前に立ち、夜の道を歩き出した。たまたまだが、今、この状況では彼が先頭に立つのは合理的だった。なぜなら熱源が見えるからだ。王都の広い範囲が焼かれ、まだあちこちが燻っている。倒壊した建物の下に、まだ熱を蓄えた可燃物があって、それがただ酸素の供給を待っているだけ、という状況もある。うっかりそんな場所を踏み抜いてしまわないよう、安全なところだけを歩くのに、これ以上の適任者はいなかった。
「……今、シャルトゥノーマといるって」
「見つかったのか」
「代わりにディエドラが捕まったみたい」
ちょうど俺達が仮眠から覚める直前くらいのことだ。ナディー川と水門に近い辺りの市街地で、二人のワノノマの武人が夜の街を歩いているのを見かけた。夜目が利くディエドラは、ラピを物陰に隠した。ラピは彼らの意識を読み取った。
二人は周辺の哨戒のために外に出されていた。
「そういえば、魔物討伐隊は何をしていたんだ」
「何もしてなかったのよ。というより、できなかった」
紛争の初期に起きたのは、銀鷲軍団による王宮襲撃だ。実はパッシャによるイーク王太子誘拐も起きていたのだが、それをザン達が知るのは不可能だ。だから彼らは中立を貫こうとした。
それにはやむを得ない事情があった。魔物討伐隊は武力集団である。それが外国に行き、武器を振り回す。ワノノマの紐がついた連中が、だ。なのに他国の政変に介入したら、どんなことになるだろう? だから魔物討伐隊は、現地の政府には逆らえない。当事者間の紛争にも首を突っ込めない。ついうっかりでも、どちらかの勢力と敵対でもしようものなら、大問題になる。
彼らが刀を抜いていいのは、明確に邪悪と判断できる相手にだけだ。魔物や犯罪者、それも後者については、あくまで抵抗中でなければならない。犯罪者と呼ばれていても、本人が無罪を訴えていて実力行使を控えている場合には、暴力で決着をつけるのはご法度だ。その意味で、彼らの立場は、実はかなり弱い。一般市民に侮辱されたくらいでは、殴り返すことさえできないのだ。
そういうわけで、彼らは宿に閉じこもって、外出すら避けた。
その彼らが次に動いたのは、クロル・アルジンが王宮の横に居座ったのを視認したときだ。
さすがに魔物らしいと見えるものに対して無視を決め込むわけにはいかない。俺達とは行き違いになったが、彼らも聳え立つクロル・アルジンを調べに出かけたらしい。だが、一般市民がこの怪物の正体を知るはずもない。わかっているのは、これが二つの軍団の城塞を粉砕したことだけ。
この時点で、ザンをはじめ、魔物討伐隊は相当に困惑したらしい。魔物に見えるが、これは政変の延長線上で起きている事件ではないか? 大量虐殺はまことに遺憾ではあるが、もし政変の当事者の一方が敵対者を倒すために持ち出した武器だとしたら、これを攻撃するのはワノノマ本国の中立性に傷をつけるのでは? しかし、そうした事情など関係ない、ただの暴走した魔物という可能性もある。だとすれば、魔物討伐隊は命を賭して立ち向かうべきでは?
血の気の多いザンだが、この時点ではそれなりに理性的な判断を下した。
あれの正体はわからない。ただ、城塞ごと吹っ飛ばすような魔物に、自分達の刀が通じるとは思えない。だからやるべきことは、情報収集である。あれの正体を調べて、それをワノノマ本国に伝えること。その後の方針は、オオキミや姫巫女が考えればいい。
市民からの聞き込みによって、彼らはクロル・アルジン……名前は知らなかったが、あの巨大な魔物がブイープ島から飛来したことは把握できていた。だから彼らは島に渡るため、船を得るために港に出向いた。
「じゃあ、シャルトゥノーマは」
「ディエドラが思った通りで、帰るに帰れなかったみたい」
怒りに任せてファルスの傍からは離れたものの、このまま勝手にルーの種族のいる大森林の集落に帰るのは、任務放棄でしかない。だから少しの間、彼女は途方に暮れていた。
だが、彼女の目的はすぐ設定された。クロル・アルジンについて調べることも重要だが、それよりパッシャが保有している霊樹の苗だ。あれ一つとは考えられないので、残りがあれば奪い取って持ち帰りたい。そういうわけで、なんとかブイープ島に渡航する方法を得ようと、海沿いを探索していた。
この非常時に出歩く女が一人。魔物討伐隊が不審に思わないはずがなかった。そして、疑惑の目にさらされてしまっては、いかに幻術の神通力があろうと、ごまかしきれるものではなかった。
亜人と知れた時点でザンは殺そうとして、あえてやめた。この異常事態に関係しているかもしれない。尋問してから殺そうと考えたのだ。
そうした一連の出来事を知った二人は、当然に俺達に連絡を取ろうとした。だが、その時は既に、俺達は深い眠りについていた。彼女らも、状況に大きな変化が生じない限りは、そのまま事態を静観するつもりだった。
だが……
「あの火柱か」
「着いたわ」
一軒の崩れかけた廃屋が目についた。ナディー川と運河を隔てる水門に近い辺りの、古い建物が立ち並ぶ一角だ。
全員では足の踏み場もなくなってしまいそうだ。俺は後ろに集団を待たせて、ノーラとペルジャラナン、イーグーだけ連れて、中に立ち入った。
淡い外の光が、開いた扉から、ささくれだらけの木の床に差し込む。その光の届かない部屋の奥に、しゃがみ込む二人と、横たわる一人がいた。
真ん中にいたシャルトゥノーマが俺を仰ぎ見て、すぐに顔を伏せてしまう。
「ああ」
これ以上、耐えられずにラピがすすり泣き始めた。
あと一人、横になっているのは……
「クアオさん? どうして」
「私の、せいだ」
やっとシャルトゥノーマが口を開いた。彼女はラピと違って泣き濡れてはいなかったが、その声は震えていた。
クアオの状態はよくなかった。刀の攻撃を腕で受けてしまったのか、籠手で守られていたはずの右腕に切り傷がある。また、頭部にも一撃受けたらしく、顔の半分を斜めに白い布が覆っているが、これも血が滲んでいる。
「クアオさんは、シャルトゥノーマさんの処刑に反対して」
「ちょっとどいてくだせぇ」
イーグーはさっさと懐から粉薬を取り出した。それを腕と頭の傷口に振りかけると、手早く詠唱した。
「ったく、こんなんじゃ触媒が切れちまう」
「済まない。助かってる」
「若旦那、あんたに使うために持ってきたもんですぜ? こりゃあ、あんたの命を削ってるんだ。いい人ぶってる余裕なんざ、そのうちなくなると思っておいてくだせぇよ」
この一言で、やっと理解が追いついた。なぜさっき、家屋の倒壊に巻き込まれた子供を助けるのを渋ったのか。
使徒が何をどう言い含めているのかはわからない。ただ、イーグーは俺を死なせまいとしている。彼の中では明確に優先順位があって、一般人の犠牲はある程度、見過ごすしかないと考えているらしい。だが、薄情とは言うまい。恐らくだが、彼なりになるべく犠牲を増やすまいとしている。大森林でも、正体を隠しつつラピの命を救ったりもしていた。だがそれは、使徒の方針とは噛み合わない態度だ。
クアオに関しては、さっさと喋らせて状況把握を進めたいから治療したのだろう。合理性はある。
「んで、何があったんですかい? 手短に頼みやすぜ」
「う、ああ」
叩き起こされたクアオが、目を白黒させている。だが、すぐシュライ語で喋り出した。
「ファルス殿のところの……獣人が捕まった。今、尋問を受けている」
「尋問って」
「拷問されていてもおかしくない」
となれば、悠長にしている時間はない。
「案内してください」
「待ってくれ!」
クアオは慌てて言った。
「全員が敵じゃない」
「どういうことですか」
「今、討伐隊はバラバラだ」
クアオが起き上がり、俺達を案内しながら説明した。
シャルトゥノーマを捕らえたザンは、亜人がファルス一行に紛れていた件を重く見た。この異変にはファルスが関与しているはずだ、と決めてかかり、厳しく尋問したのだ。だが、シャルトゥノーマは彼を嫌悪しつつも、見たままのことを語った。パッシャという人間の組織がブイープ島で、ルーの種族にとって大切極まりない霊樹の苗を濫用して、あのクロル・アルジンという怪物を生み出したのだと。
これを受けて、討伐隊の中の意見は三つに割れた。
「私はまず、ファルス殿と合流し、事実を確認しようと言いました。亜人だから敵だとも限らない。現にファルス殿はリザードマンも飼い慣らしているのだから、と」
「他は」
「副隊長のタバック殿は、性急な判断をせずに、引き続き調査を進めようと。ですが隊長は」
それが結論がつかず、全員がモヤモヤを抱えていたところで、あの火柱だ。ザンは二人を見回りに出して警戒させつつ、ことを決着させようとした。
これにはさすがにシャルトゥノーマも死を覚悟したに違いない。苗を探して持ち帰るとまでは言わなかった彼女だが、最初に一族の元に帰ると口を滑らせたのは失態だった。一族とはどこにいる? 大森林の奥地のどこかに、亜人の集落がある。するとザンの追及は更に苛烈になった。
「そこに案内せよ、と」
「そんなの、受け入れるわけが」
「私は、ファルス殿の心証も悪くなるし、悪事をした証拠もないのに拷問にまでかけるのは行き過ぎだとして反対したのです。そうしたら」
斬られてしまった。咄嗟に身を庇ったので、命は落とさずに済んだが。しかし、さすがにこれは暴挙に過ぎる。他の隊員も、一部はこれに異を唱えた。
ちょうどそこに、ラピとディエドラが居合わせたのだ。猶予はないとみたディエドラは、魔物討伐隊の潜んでいた宿を強襲した。やむなくラピは慌てて彼女を追いかけ、シャルトゥノーマと一緒に負傷したクアオを引っ張り出した。だが、ザンもやられっぱなしではいなかった。
三人は逃げ切ったが、ディエドラは逆に囚われの身になってしまったのだ。
「あそこです」
クアオは、目の前にある大きな宿屋を指差した。




