燃え上がる野望
王宮のすぐ北側に、天まで突き立つ火柱があった。そのすぐ近くに達したところでは、既に家々のほとんどは黒い炭になっていた。温度差ゆえに風が吹き込んできて、真っ黒な視界に赤い火の粉が舞う。
燃え尽きてぺしゃんこになった家々の狭間を、割れた瓦を踏みしめながら押し通ると、そこには燃え上がる火の山があった。その周囲には、逃げ遅れたのか、巻き添えになっただけなのか、或いはわざわざ殺されたのか……背中を丸めて身構えるような格好の焼死体がいくつも転がっていた。
「あっ、お、おい」
ニドが指差した。
「モートじゃねぇか、寝てるの」
燃え盛る火の山の中腹に、さも気持ちよさそうに眠っている巨漢がいた。確かにあれはモートだ。不思議なことに、肉体はもちろんのこと、着衣にも一切火がついていない。
「それにあれは」
メディアッシも息を詰めた。
「山の天辺にあるのは、あれはホムラではないか」
「では、霊槍を使ってこの火災を? なんのために」
ウァールとデクリオンを殺して、クロル・アルジンを止める。そのために手を組んだはずの相手だ。それがどうして今、こうして街を焼き払う暴挙に出ているのか。あの超兵器を止めて世界を救うのではなかったのか。
たまりかねて、ニドは一人、前へと飛び出した。
「モート!」
呼びかけられて、快適なひと時を過ごしていたモートは、もっさりとした仕草で起き上がった。
「どういうことだ! どうしてこんな真似をする?」
俺達もニドに追いついて、可燃物の山の上にいるモートを見上げた。
彼はやっと返事をした。
「手下達から報告は受けた。ウァールをやってくれたようだな」
「そうだ。あとはデクリオンだけだ」
「ご苦労」
それだけ言うと、彼は声高く笑い声をあげた。
「な、なんだ?」
「やっぱり」
ノーラは顔を曇らせた。
「そう、あとはデクリオンだ。やってくれるか」
「やってくれるか、じゃない! どうしてお前は街を焼いているんだ!」
言われて、やっとモートはゆっくりと山から下りてきた。
「余計なことを考えなくていい。デクリオンを殺すのか、殺さないのか、どっちだ」
「よ、余計じゃないだろ!」
言い募るニドに対して、モートは傲然と言い放つ。
「どちらにせよ、デクリオンは世界を滅ぼすつもりだ。あれを始末しなければ、お前らもみんな纏めて死ぬだけだ」
「それとこれと、何の関係があるんだ」
「あるとも。俺は火の力を吸い込むことができる。少しでも自分の力を高めておきたくてな。幸い、手元にはホムラもある。利用しない手はない」
彼は獰猛そうな笑みを浮かべた。
「どうやらマバディにもやりたいことがあるようだしな……もう、誰も縛られなどしていない。デクリオンも島から離れられない。あとは勝った者が総取りだ」
「なっ?」
俺は前に出た。
「モート」
「なんだ」
「デクリオンは俺達でなんとか倒す。火を消してくれ」
「断る」
やっぱり、か。
こいつには、別の思惑があった。世界を救おう、危険な超兵器を廃棄しよう……そんな殊勝な気持ちなど、なかったのだ。
「お前達にできるのは、二つに一つだけだ。このままデクリオンを殺して、俺の下につくか。それとも、俺に逆らって殺されるか」
「強気だな」
「お前らなど、恐れるまでもない」
彼は鼻で笑った。
「ファルス、お前が今、まともに戦えないことくらい、知らないと思っているのか」
「なに?」
同じことをウァールも言っていた。
「ニドも、そこのジョイスとかいうガキも、ウァールに一発食らった後だ。案山子のように立っているのがせいぜいだろうに」
「どいてろ」
やり取りを静観していたキースが、物静かな様子で前に出た。
「あ?」
挑発するように片方の眉を吊り上げたモートだったが、次の瞬間には逆袈裟斬りにされて、横倒しになっていた。
「敵になるんなら殺すだけだ。さっさと火ィ消して次行くぞ」
彼らしく、息を吸って吐くように剣を抜いて、敵を斬った。
そこまでは、なるほど、いつもらしい鮮やかさだった。
「ふん」
背後からまた、鼻で笑うのが聞こえて、キースは驚いて振り返った。
モートは死んでいなかった。それどころか、いつの間にか傷跡すらない。
「これだけの炎を吸い込むとどうなるかと思ったが、考えた通りだ。今の俺に敵はいない」
明らかに致命傷を負ったはずなのに、一瞬で完全に回復してしまっていた。
代わってイーグーが前に出た。
「要するに、火が燃えてる限りは、あんたは死なねぇってことでいいんですかね?」
「そうだ」
答えると同時に、モートの足下から氷の杭が何本も現れて彼を串刺しにした。
「くふっ、痒いわ」
「余裕ぶってられんのも今のうちですぜ」
イーグーは黙って印を組み、念じた。
すぐには何も起きなかったが、遠くから何か、水の流れるような音が聞こえてきた。何が起きたのかと俺達は周囲を見回したが、ついにジョイスが頭上を指差した。
「水が!」
イーグーは、近くを流れる運河の水を呼び出したのだ。それをここまで引っ張ってきて、火の山の天辺から浴びせて一気に消火しようとしていたのだ。
大量の水が、うず高く積まれた火の山に叩きつけられた。だが……
「ぶわっはっはっは!」
いつの間にか氷の杭を叩き割り、モートはまた元通りに立っていた。
「無駄だ。ホムラがある限り、この火は消せん」
言い伝え通りだ。ホムラの火は、本人が望まない限り、勝手に消えることはない。だからモートは好きなだけ炎の力で自分を強化できる。それはわかった。問題は、そうして得た力を何に使うつもりなのか。
となれば、答えは一つしかない。
「それがお前のやり方、というわけか」
「ん?」
「アーウィンに殺される前にデクリオンを殺す。そうすれば、お前はクロル・アルジンを手に入れられる。その力でアーウィンも始末する。そういうつもりなんだな」
俺が指摘すると、モートは猛獣のように牙を覗かせて言った。
「そうだ。今頃気付いたか」
「お前の力はウァールとは相性が悪い。火魔術も神通力もウァールには効きにくい。だから始末させた」
だが、多分、それだけではない。
「今、クロル・アルジンを操っているのはデクリオンだ。でも、デクリオンを殺したらどうなる? 奴は死んでも構わないと言っていた。自分が殺されても、他の誰かがクロル・アルジンを操れるからだ。つまり、ウァールとお前は」
「そう、デクリオンに次ぐ命令権を持っている。これでわかったか」
モートはもはや、おのれの野望を隠そうとはしなかった。
「デクリオンの望むままに世界を滅ぼすか! 新たな世界の王となるこの俺の下で生き延びるか! 二つに一つしかない」
「そんな!」
悲鳴をあげたのはニドだ。
「嘘だろう? 嘘だと言ってくれ! あんたは、理不尽で不公平なこの世界をなんとかしたかったんじゃないのか!」
「ニド」
笑いを収めると、モートは神妙な顔をして言った。
「お前には随分と助けられた」
「モート」
「お前のその、炎の神通力を抑え込む……という口実で、火の力を吸収させてもらえたのは、本当に助かった。おかげで今日まで、生き延びることができた」
そして、冷ややかな一言がニドをどん底に突き落とした。
「使い勝手のいい道具だった。お前に会えて運がよかったよ」
「そんな」
彼はその一言に失望して、その場にへたりこんでしまった。
これで彼が信じていた正義は、ほんの一欠片も残さず粉砕されつくしてしまったのだ。世界を修復するというパッシャは、その手段として全人類の絶滅を計画していた。自分を拾ってくれたモートはというと、その計画に便乗して私欲を満たそうとしていただけだった。
もちろん、自分を買い取った貴族も極悪人だった。どちらを向いても悪ばかりとは。
「ふざけんな、てめぇ」
ジョイスが怒りも露わに棒を突き出した。
「じゃあなんだ、てめぇが王様になりたいばっかりに、街を焼いたのかよ。王様になるんだったら、ここはてめぇの街だろが」
「くだらん。人間の代わりなどいくらでもいる。逃げきれずにくたばるような老人や出来損ないなど、いくら死んでも構わん」
「てめぇぇ!」
怒りと共にジョイスが殴りかかる。だが、モートは余裕いっぱいにその一撃を素手で受けると、その巨体からでは想像もつかないほど軽快に相手の鳩尾を蹴り抜いた。
「ジョイス!」
「ふん、物分かりの悪い」
だが、俺はもう冷静になっていた。
「心配ない、今は退こう」
あと半日。
昼になったらまた、ピアシング・ハンドを使えるようになる。そうなったらこいつを消し飛ばしてやればいい。
「王に、なりたいのか」
話を黙って聞いていたドゥサラが言った。
「私のことはわかるな。第二王子ドゥサラだ」
「ふん、若造が何の用だ」
「火を消してくれ。これ以上、民を虐げないでくれ」
鼻で笑うのにも飽きたのか、モートはぞんざいに手を振って追い払った。
「まだ自分を王族だと思っているのか。これだからお坊ちゃんは」
「王侯貴族になりたいのなら、仕える民を虐げるのは、損失ではないか」
それでもドゥサラは真剣だった。
「モートよ。たとえ全世界を我が物にしようとも、おのが住まう宮殿が広くなることはない。一度に食せるご馳走も増えはしない。そんなもののために一国を、ましてや世界のすべてを足蹴にするなど、愚かなことだ。富を求めるなら、私の持つすべてを与えよう。だから民を苦しめないでくれ」
「愚かな……覚えておけ。交渉とはな、お前に差し出せるものがあるときに成り立つものだ。身分だけのお飾り、役立たずが何を吠えようが聞く耳などないわ」
それで覚悟を決めたのだろう。ドゥサラは表情を引き締めた。
「メディアッシ!」
「はっ」
「バショウセンをこれへ」
後ろに続いていた兵士が、メディアッシの手に大きな霊扇を持たせる。柄の長さだけでも剣ほどあるし、それなりの重量がありそうだ。
全体が緑に彩られたそれを、彼は構えた。
「ホムラの火を打ち消せ!」
「なに!」
さすがにモートの顔も驚愕に染まる。
メディアッシは、重々しく扇を打ち振った。
……だが、微風が冷や汗をかいたモートの頬を撫でるだけだった。
「は?」
自分の力の源を掻き消されるのかと、本気で焦った彼が、背後で燃え盛る火の山に振り返って数秒。
「ぶっはははは!」
立っていられなくなるくらいに身をよじらせて大笑いしだした。
「なんだ、なんだ、それは! この火を消すんじゃなかったのか!」
「わ、私に渡せ! 今度こそ!」
結果が出なかったのを見て、ドゥサラは焦った。バショウセンをメディアッシから奪い取ると、次こそはと力を込めて霊扇を振り回した。だが、何をしようと、ただ目の前の空気を掻き回すばかりだった。
「ちょっといいかしら」
ノーラがモートに声をかけた。
「ふん? なんだ?」
笑い過ぎてもはや涙目になっていた彼だが、かろうじて振り返った。
「あなたの本音をデクリオンに伝えたら、どうなると思う?」
「いいんじゃないか?」
だが、彼は平然としていた。
「できるなら、やればいい。クロル・アルジンが飛んできて、俺を殺そうとするだろう。だが、俺が死んだらもう、誰も奴を止められない。だから、二つに一つだ。あとはもう、お前らがデクリオンを殺して、俺に報告するだけ。あまり待ってはやらんぞ」
打つ手をなくした俺達は、とりあえずは俯きながらこの場を去るしかなかった。




