モートとの交渉
秘密の石碑を嵌めこまれた円形の壁。その外側に、色黒の巨漢、モートが立っていた。
いつものように、上半身は裸で、手には武器を持っていない。
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モート・ムワンバ (36)
・マテリアル ヒューマン・フォーム
(ランク6、男性、36歳)
・スペシャルアビリティ 貪炎養身
・マテリアル 神通力・暗視
(ランク4)
・マテリアル 神通力・高速治癒
(ランク4)
・マテリアル 神通力・断食
(ランク2)
・マテリアル 神通力・疲労回復
(ランク3)
・マテリアル 神通力・真空呼吸
(ランク4)
・マテリアル マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク4)
・マテリアル マナ・コア・火の魔力
(ランク5)
・マテリアル マナ・コア・土の魔力
(ランク2)
・スキル フォレス語 4レベル
・スキル サハリア語 4レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル 格闘術 6レベル
・スキル 槍術 6レベル
・スキル 身体操作魔術 6レベル
・スキル 火魔術 6レベル
・スキル 土魔術 5レベル
・スキル 水泳 3レベル
空き(18)
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俺は迷わず腰を落として、剣に手を添えた。その仕草を見たモートは、慌てずゆっくりと腕を突き出した。
「戦う気はない。交渉に来た」
「何を」
「時間が惜しい。今、この場でなければ話せない」
そうはいっても、こちらは逃げ場のない行き止まりにいるのだ。時間稼ぎをされても困る。それにモートの特殊能力がどんなものかも、まだわかっていないのだ。そしてピアシング・ハンドは、今日の昼にクロル・アルジンに対して束縛の魔眼を使ったせいでクールタイム中だ。
「ファルスさん、言わせるだけ言わせてあげましょう」
そういうビルムラールの表情も険しいが、確かに、何を言いだすかわからないにせよ、それが嘘や策略であったとしても、知っておいて損はない。
「手短に言え。変に誤魔化そうとするな」
「警戒されるのも無理はないがな」
相変わらず、彼の顔にはうっすらとした笑みが浮かんでいる。
もちろん作り笑いだ。だが、それが逆に俺を苛立たせる。
「当然だ。お前には殺されかけた」
バグワンの別荘で、俺に毒を盛るようニドに指示したのはこいつだ。
「あの程度でお前が死ぬのか? だが、そのことも含め、説明する。命の危険というなら、今は俺の方が危ういはずだ。違うか?」
それはその通りだ。今の彼にとって最大の脅威は俺ではなく、ノーラだろう。『変性毒』の魔力を浴びようものなら、きっと彼も数秒以内に息絶えることになる。
「いいだろう。何を言いにきた」
「お前達、このまま世界が滅んでもいいのか」
「なに?」
パッシャの幹部から、斜め上のことを言われて、少し戸惑った。
「デクリオンは、クロル・アルジン……あの化け物を目覚めさせた。あれで世界中を征服するつもりだ」
「そうだろうな」
「まさかあれほどの力があるとは思わなかった。お前達は見たか。二つの城塞が無になるところを」
俺達の沈黙の意味を理解すると、モートは頷いた。
「あれだけの力があれば、もう難しいことは何もない。王都を完全に支配下において、手元に置いたチャール王子を名目上のポロルカ王に据えたら、あとは周辺各国に使者を送るだけだ。伝えるべきはただ一言、服属せよ。もし拒否したら」
ティズが要求を拒んだら、どうなるか。
「例えば、赤の血盟が逆らったら、手始めにジャンヌゥボンかハリジョン辺りを焼き払えばいい。ほんの一瞬で街が廃墟になる。さすがにティズも降伏するしかあるまい」
パッシャの側としては、赤の血盟側の港湾都市を片っ端から攻撃するだけでいい。軍船を失えば、海峡を渡れなくなる。そうなれば反撃の恐れなしに一方的に圧力をかけることができる。そして、パッシャによる攻撃の事実があったとしても、ジャンヌゥボンからハリジョンにそれが伝わるより、クロル・アルジンの移動の方が先になる。物理的な機動力の差だけで、赤の血盟は完全に後手に回ることになるのだ。
「赤の血盟が屈すれば、真珠の首飾りの独立都市、それに北部の三王国はすべて掌握できる。北東部のハンファン系都市国家も、まず相手になるまい。そこから先の詳しい話をする必要などは……なかろうな。そうして全世界を支配下に置いたら、今度は自発的な断種を開始する。穏やかに世界を滅ぼそうと、デクリオンは本気でそう考えている」
「それがお前達の望みなんだろう?」
「一緒にするな」
モートは腕組みして、首を振った。
「確かに俺も、権力を手に好き放題する王侯貴族は憎んでいる。だが、人間を皆殺しにしたのでは、元も子もあるまい」
「ふん?」
「クロル・アルジンはさすがにやりすぎだ。止める必要がある」
まさかそんな常識的な判断をするとは。
いや、真に受けていいのか?
「だったらお前がデクリオンに意見でもすればいい」
「まさか」
腕組みを解き、彼は肩を竦めた。
「ここまできて、デクリオンがやめるはずがないだろう。それにウァールもだ」
「だったらどうだというんだ」
「これを言うのには勇気がいる」
深呼吸をしてから、モートは言い切った。
「デクリオンとウァールを殺せ」
「なに」
「特にウァールだ。デクリオンも一流の魔術師だが、不意を突けば俺でもなんとかなる。だがウァールは俺の手には余る。お前らでなんとかしてくれ」
仲間を殺せと。
ただ、これはウァールがハイウェジを突き落としたのとは、話が違う。裏切りではあるものの、そうでもしなければ世界が滅んで自分も子孫を残せず死に絶えるか、仲間に意見して粛清されるか、或いは俺達と戦って殺されるか……究極の選択なのだ。
「ファルス、お前を殺そうとしたのは事実だ。それには二つの目的があった。一つは、お前が組織に合流するのを防ぐため」
「馬鹿な。何をどうしたらパッシャなんかの味方になると思えるんだ」
「だが、現にハイウェジはお前を勧誘しようとしたはずだ。もしお前が説得に応じたら、俺の頭の上に三人も強敵がのしかかることになる」
言われてみればそうなのだが、小さな矛盾を感じないでもない。あの時、ハイウェジは俺に語った。デクリオンは、無理にファルスを勧誘する必要はない、と言っていたと。
「もう一つは、お前を攻撃することで、運よくお前が死ななければお前もだが、お前の仲間が組織に敵対することを期待した。一流の傭兵であるキースにも期待していたが、そこの少女、ノーラとか言ったな。お前が何か、未知の魔法を使いこなすらしいことは、サハリアの戦争の際に組織の人間が把握している」
「俺を殺せば、俺の仲間がパッシャと戦うからと、そういうつもりだったのか」
やり方が乱暴すぎる。人の命をなんだと思っているんだ。
「仕方がない。俺の周りにはいつも組織の戦士達がいる。こっそり使いに出せたのはニドだけだった。こうやって直接交渉できる機会なんて、まずもってないからな。それに、結果だけみれば間違いじゃなかった。もしお前がバグワンの別荘でのんびり過ごしている間にクロル・アルジンが暴れ出したら、お前はどうしていた? 黙ってこの国を去るだけだったんじゃないか? 巻き込むことができたのは、僥倖だった」
「勝手なことを」
だが、一理はある、か。
現状、どうやらモートはウァールやデクリオンには立ち向かえない。だからクロル・アルジンを止めたくても、自分ではどうにもならなかった。といって、表向き助けを求めるわけにもいかなかったのだから。
もちろん、彼の話を信じるなら、だが。
「質問してもいいかしら」
ノーラが口を挟んだ。
「なんだ」
「いくつかあるわ。一つ目。これがうまくいったらクロル・アルジンは止められるのかしら?」
「そうだな」
「あなたに何の利益があるの? むしろ切り札をなくしたパッシャにとっては大損害。あなたも無事ではいられないと思うけど」
モートは肩を竦めた。
「無論、これまでの不法行為についての恩赦くらいは欲しい。世界の滅亡は防いだが俺は死刑、じゃありがたみがないからな」
ノーラは頷き、次の質問に移った。
「二つ目。ウァールを殺せと言ったけど、それだけでなんとかなるのかしら?」
「いや、できればデクリオンも頼む。今、クロル・アルジンを支配しているのはデクリオンだからな」
「それが変なのよ」
彼女はじっとモートの顔を見つめた。
「アーウィンはどうするの?」
明らかにウァールより強い怪物の名前が、なぜか挙げられない。その不自然な点を突いたのだ。
「それについては、俺に秘策がある」
「どんな?」
「勘弁してくれ。こいつは俺にとっての保険だ。用無しになったら、恩赦もナシになりかねん」
ノーラは更に質問を重ねた。
「ウァールを殺せというけど、どうやって? 今、ブイープ島に渡るための船は全部壊されているし、もしあったとしても、のんびり島に渡っている間に後ろからクロル・アルジンが飛んでくる。とてもじゃないけど、あちらに行くなんてできそうにないわ」
「それなら心配するな。そのうちにウァールがこっちに来る」
「どうしてわかるの? 連絡でも?」
モートは溜息をつき、嘆かわしいと言わんばかりに首を振った。
「お前ら、自分が何をしてきたか、自覚がないのか? 島を出たところで、お前達の船はクロル・アルジンに襲撃されて沈没した。この時点では、お前達が死んだかもしれないとみられてはいたが……今日の昼に何か派手な真似をしたそうじゃないか」
イーグーをけしかけてクロル・アルジンを誘き寄せ、腐蝕魔術で溶かし、挙句の果てに石に変えた。そうまでしても倒せなかったが、さすがにあれだけのことをすれば、パッシャも気付くということだ。
「顔を知っているウァールが、お前らを狩りだしにいくのは、当然のことだ。俺には王宮を守備する役目があるからな。もうすぐ組織の戦士達も大勢やってくる。この機会を逃すな」
ジョイスが割り込んだ。
「どうして俺らがお前の言いなりになること前提で喋ってんだよ」
「他に選択肢があるのか? クロル・アルジンを止めたいんじゃないのか」
「いいご身分だな。じゃあてめぇ、俺らにも甘いこと言って、組織を抜けもしねぇなら、どっちが勝っても困らねぇんじゃねぇか」
「そんなことはない。お前らとこうして喋っていること自体が、俺にとっては危険だからな。お前らにも殺されかねないし、組織を裏切ってでもクロル・アルジンを止めようとしていたなんてバレたら、さすがに俺も殺される」
会話が途切れたところで、モートが付け加えた。
「役立つかわからんが、情報を与えておこう。組織で一番の古株は、一部の例外を除けば、ウァールだ。あれは元贖罪の民だから、並の人間より長生きできる。それから、奴に毒は効かないぞ」
「なんだって」
「それと、奴の体の半分を覆う刺青は、魔法を弾くための鎧のようなものだ。昔、組織の古老達が施したものでな。あれがあるから、魔法が効きにくい。棒術の腕前も人並み外れている。俺では仕留められん」
彼は身内の情報を惜しげもなく俺達に差し出した。
「ウァールは、第二位階を占めているが、代行者になることはない。まぁ、そもそも代行者は俺達実行部隊じゃなくて、長老会から選出されるのが普通なんだがな……あくまで下についているのは、奴なりのけじめでもあるんだろう。元々は組織に敵対する立場だったのだからな。だからデクリオンの前の代から、奴は代行者を補佐する立場を守ってきた。組織に対する忠誠心が揺らぐことはないだろう」
時間を気にするように、モートは一瞬、後ろを振り返った。
だが、また他の情報を喋り出した。
「第三位階を占めていたのはハビだが、ファルス、お前が始末したらしいな。今は空席になっている。俺のすぐ下の第五位階を占めているのがマバディだ。奴はハビに似た能力を身につけている。お前もスーディアで見たはずだ。ゴーファトの影から出てくるのを」
「ああ」
「あれは本当に強力だ。いったん影の中に隠れると、何日でも潜んでいられる。食事も睡眠もいらなくなるらしい。ただ、影の中からでは何もできないし、何かするなら外に出なきゃいけない。出てからすぐには、また影に潜るのは無理だ。どれくらい待てばいいかは、知らんがな。あと、本人から聞いたが、あんまり長く篭っていると、少しずつ寿命が縮まるそうだ」
特にデメリットはない、か。
ハビの使いにくい能力と比べると、かなりわかりやすくて便利に思われる。
「あれだけ見ると、対策のしようがないほど強力な能力に見えるが、意外とそうでもない。人間の影にしか入り込めないし、他人の影の中に身を潜めるためには、自分の影の半分以上を相手の影の内側に重ねる必要がある。だから自分と同じか、それより大きい相手でなければ、入り込みにくい。出てくる時も、影の中からしか出られないから、それとわかっていれば、迎え撃つことができるはずだ」
俺達にとっては都合がいい情報提供だが、正直、いい気分はしない。
それで自分の免罪だけは勝ち取ろうというのだから。
「ハイウェジが死んだから第六位階は空席。第七位階も空席だ。王都に来ている上級幹部の情報は、これだけだ。何か質問はあるか?」
「お前の能力のことも話せ」
「きついことを言ってくれるな」
だが、モートは余裕の笑みを浮かべて言った。
「ニドが知っているはずだ。俺に炎は通用しない。お前達も見ただろう。俺に火魔術を向けても、掻き消される。燃えるのも、火薬で爆発するのも同じだ。火災の煙に巻かれて死ぬこともない」
それはピアシング・ハンドを見れば想像がつく範囲の話だった。
「もう一つ」
「なんだ」
「なぜアーウィンは来ない」
「奴は持ち場を離れられない」
仕方ない、というように溜息をつきながらモートは言った。
「余程のことがなければ、洞窟から出てくることはない」
「洞窟?」
「お前達が見た、あの小山の麓に洞窟がある。お前達が登ってくるときに通った道の、左側の下り階段から行ける。奴はそこを守っている」
これは有力な手がかりだ。だが、モートは首を振った。
「だが、そこを攻撃するまでもない。それにアーウィンを倒したところで、どうせあれは壊せん……それよりウァールとデクリオンを倒せば、すべて解決だ」
果たして信用していいのかどうか。
戸惑いを抑え込む俺を他所に、モートは背を向けた。
「というわけだ。ニド、頼んだぞ」




