ポロルカ王国秘史
焦げ茶色の土壁を、頼りない松明の光が橙色に染めている。先頭を引き受けたニドの後に続いて、地下通路には俺達の長い影が落ちていた。
全員ではない。いざという時のため、外に別の仕事のための人員を残しているからだ。ここには俺とノーラ、ニド、ジョイス、それにビルムラールとクーがいるだけだ。
「……チッ、クソが」
立ち止まったニドが、悪態をついた。
「これは、完全に埋まっていますね」
ビルムラールも困り顔だ。
「魔術で道を開くことはできますが……」
「多分、ここだと感知されますね」
以前、宮殿から脱出するときに使った抜け道を使って、俺達は内部に忍び込もうとしていた。だが、さすがにパッシャもそこまで間抜けではなかったらしい。無事、クロル・アルジンを我が物にしてからは、再びこまごまとしたことにも注意を払うようになったのだ。かくしてこの抜け道も、埋め立てられてしまった。
「そうなると作戦通り、キースさんに一仕事してもらうしかないですが」
「大丈夫かねぇ」
「警報が鳴る場所で一度、何でもいいから魔法を使ってくれれば済みます」
ビルムラールが土魔術を使えば、大規模な土木工事をせずとも、埋め立てられたこの通路を元通りにできる。ただ、古代の魔術感知装置の存在は、黄の王衣の裏切りゆえに、既にパッシャの知るところだ。彼らが王宮の機能を活用しないはずはないので、迂闊にここでそんな真似をしたら、すぐさま発見されてしまうだろう。
だが、古代の装置はあくまで警報を発するためのものだという。どこで誰がどんな魔法を使ったかを精密に感知するような機能は備えていない。だから、地上かつ装置の感知範囲内で魔法を使う人がいれば、そちらに注目が集まる。
「クー、さっきの場所までひとっ走り戻って、ペルジャラナンに連絡を入れてくれ。あちらからの返事を受け取ったら、すぐ知らせて欲しい。それで仕事は終わりだ。うまく帰って欲しい」
「はい」
ここにはジョイスがいる。透視能力で、王宮の一番外側の壁の真下の地点は確認してある。そしてそこは、警報装置の範囲外であることが確認済みだ。だから、その地点から精神操作魔術で、外にいるラピに連絡する。ペルジャラナンはキースと精神感応で通話状態のまま、待つ。そうしてキースは地上で戦闘を繰り広げつつ、指定された場所で何か魔術を行使する。こうして警報装置を騙してから、俺達は通路を開いて前進する、という作戦だ。
クーが立ち去ってから、俺達はその場でじっと待った。他にできることはなかったから。
その間、胸によぎったのは不安だった。キースは強い。相手が人外のバケモノでもなければ、そうそう不覚を取るなどあり得ない。そうわかってはいるのだが、先日の敗北が目に焼きついている。今回の仕事についても、彼は淡々と引き受けてくれた。
大丈夫、難しいことではない。ちょっと王宮の敷地の内側に入り込んで、一発魔法を放つだけのこと。それが済んだら、すぐ撤退する。少なくとも、今の俺なら朝飯前だ。余程の手練れが出てくるのでもなければ、彼が死ぬなんて、まずないことだ。そうは承知しているのだが、何か言い知れない不安が胸の奥にへばりついていた。
しばらくして、クーが息を切らして戻ってきた。
「キースさんが、魔法を使ったそうです」
「その後は」
「もう逃げ始めたはずです」
「よし」
考えても仕方がない。追っ手はかかるだろうが、彼ならうまく撒いてくれるはずだ。
「では」
ビルムラールが懐から丸薬を取り出し、前方を埋め尽くす土砂に放り投げる。それから呟くような詠唱の声が静まり返った中に響き渡った。急に土砂が軽い地響きを立てながら、左右にずれて口を開けた。
抜け穴を出て、外に出る。既に時刻は夕暮れ時、西の空は橙色に染まっていた。区画を仕切る石の壁が黒いシルエットになっていた。
宮殿の中は思いのほか、閑散としていた。だが、その理由にはすぐ思い至った。そもそも先日の金獅子軍団と銀鷲軍団との戦闘もあったから、大勢がここから避難している。王宮内の人口の大半は宮廷人、王家に仕える宦官と女官だ。パッシャからすれば、彼らを内部に置いておく理由も必要性もないので、殺さないにせよ叩き出すだろう。
なんにせよ、人の目につきにくいのはいいことだ。しかも陽動のために動いてくれたキースのおかげで、尚更こちらがお留守になっている。
「こちらです」
内部の道を覚えているビルムラールが先頭に立って、俺達を案内した。
俺達は、以前、ティーン王子に招かれたあの列柱の間に踏み込んだ。茜色の空が黒々とした柱の向こうに切り抜かれて浮かび上がっていた。
ここを抜けて左に折れ、謁見の間がある中央政庁を右斜め前に見ながらまっすぐ進んだ。近くまで来てから、ビルムラールはまた左手に出て、脇にある狭い通路の前で立ち止まった。
「済みません。ここからは一本道ですが、万一のことがあると」
「わかりました。僕が前に」
「では」
大人がすれ違うのも難しい一人用の通路だ。すぐ後ろでビルムラールが魔術の青白い光を灯した。
歩くうち、この通路が政庁の裏手に続いているのがだんだんとわかってきた。なるほど、最も重要な秘密は、目立つもののすぐ後ろに隠しておこうということなのだろう。政庁の奥の壁も、その裏側を塞ぐ壁も高く、谷間を歩いているかのようだった。ビルムラールの手元の光がなければ、ほとんど闇の中にいるような状態だった。
「九十八、九十九……ここです」
すぐ後ろのビルムラールが足を止めた。
政庁の背中に当たる壁の一角。幅一メートル以上もある大きな礎石がいくつも並んでいる。
「これを押せば、地下への階段が見つかるとのことでした」
「見分けつかねぇな」
「滅多に足を踏み入れる場所でもないですから」
それでニドとジョイスが礎石を押したが、ビクともしない。
「おい、本当にここか?」
「は、はい、そのはずですが」
ジョイスが立ち上がり、じっと視線を落とす。
「一つ横じゃねぇか?」
果たしてすぐ左隣の礎石を押すと、初めは抵抗があったが、急に内側に凹み出した。見ると、その下には青白い石の階段が続いている。
「行きましょう」
中に立ち入ると、しばらくは一本道の通路が続いた。青白い壁が微妙に発光している。それは厚みが一センチほどの細長い石のような素材が積み重ねられた造りになっていた。石と石の継ぎ目には、虹色の輝きが微かに見える。
唐突にその廊下が終わると、ドーム状の大きな部屋に出た。ただ、その中央は丸い壁に覆われている。視力検査の円のように、こちら側の一ヶ所だけ、人が通れる幅ほどの隙間があるが。
「あの円の内側が、王だけが立ち入ってよい場所だった、とのことでした」
「それを僕らが見るんですね」
「この際、仕方がありません。まさか殿下を、こんな危険な場所にまで連れてくるわけにもいきませんから」
バーハルも、この円の外側までは来ている。先日もイーク王太子をここまで連れてきたはずだ。
だからだったのかもしれない。イークは自分の命など顧みず、クロル・アルジンを止めろと言っていた。
俺達は全員で、その円の中に立ち入った。
なんらかの魔術の力なのか、円の中の床はやはり青白く発光していた。石碑は、円形の壁の内側に嵌めこまれていた。
「これは、シュライ語と……読めないけど、文字に見覚えはある。ルー語かな」
恐らく同じ内容が二つの言語で石碑に刻まれている。上にルー語、下にシュライ語だ。
「こっから読むんじゃねぇか?」
ニドが、入って左手すぐの石碑を指差した。俺はそこに視線を向ける。
『災禍を重ぬることなきよう、後代のパーディーシャーに伝うべし』
やや古めかしい文体だが、なんとか読めないこともない。
『此を目にせしは罪咎の番人たれ、恩寵施す我らが主に背きしは汝の先人』
少し読みにくい。ビルムラールが頷いた。
「古いシュライ語ですね。私が読み解けます」
そうして彼は石碑に目を走らせたが、表情が見る見るうちに強張っていく。
一通り目を通した彼は、俺達に説明した。
「わかりました。あのクロル・アルジンとは……イーヴォ・ルーの力そのものです、が」
冷や汗を垂らしつつ、袖口から垣間見える彼の腕には鳥肌が立っている。
「なんということ、魔法をもたらしたのは、女神ではなかったのだと」
そんな気はしていた。
一般常識においては、英雄の世界統一後、チーレム島に女神が石板を降らせ、そこに魔術の知識が刻まれていたという。なるほど、女神は石板を降らせはしたが、しかし、魔法の力そのものの出処は、女神ではなかったのだろう。
でなければ、グルービーがソウ大帝が著した魔術書なんか持っているはずもなかったし、魔宮にもサース帝の魔術書が残されていたりはしない。
「もとはと言えば、しかし、これは人の過ちなのです」
南方大陸の南部には、昔も大勢の人々が暮らしていた。その時代は誰もが富み栄え、幸せな日々を送っていたという。だが、人々は更なる幸福を求めた。
海峡の対岸にあるタラフ村より、夜空の月のように美しい娘がやってきた。それが女神の化身であると知って、統領は目の色を変えた。あらゆる望み、願いがこの手に届くとわかったからだ。彼は船を仕立てて、彼女を連れて聖地に向かった。
そこで「幸産み」の儀式を済ませた彼女は、奇跡を起こした。
「夜空にいくつもの流星が現れ、あまねく地上に降り注いだ、と」
祝福に満ちたこの世界に、更なる祝福を。それが統領の願いだった。それは叶えられたはずだった。だから彼らは、彼女のことを招福の女神と呼んだ。
本来、幸産みの儀式の後、女神の化身は人の世から去るはずだった。しかし、彼は儀式の後にも彼女を手放さず、また船に乗って故郷に帰った。その美貌ゆえだろうか。だが、自分達の都の近く、対岸の島に降臨した祝福は、なんとも掴みどころのない存在だった。
「それは形を持たず、動くこともできない何者かでした。ただ風が揺らめくだけで、心の声が届くばかり。それも、何を言っているのかがよくわからない。ポロルカの地に訪れた祝福は、私達とはあまりにかけ離れた存在だったようなのです」
失望した人々は、統領に責任を問うた。統領はあらゆる罪を女神のせいにして、彼女を対岸の村に追い返すことで話を終わらせた。
新たにやってきた祝福……イーヴォ・ルーなるそれは、なんとか意思疎通ができる程度の、無形の存在だった。言ってみれば、何もかもがあべこべ。
イーヴォ・ルーは動けない。だが、あらゆる場所に存在し得る。イーヴォ・ルーには形がない。だが、何かを介してなら力を発揮することができる。イーヴォ・ルーは唯一の存在だ。しかし、一つは二つで、二つは一つなのだ。
この異形の存在を前に、人々は途方に暮れた。困惑したといってもいい。力ある何からしいというのはわかる。だが、とにかくどう扱えばいいのかわからない。
また、イーヴォ・ルーの側にも要求があった。彼が引き連れてきた魂を受け入れて欲しいとのことだった。
「誰からも顧みられることのなかったイーヴォ・ルーは、ですが、北方の山中に置き捨てられた一人の子供に乗り移りました」
「それは、コラ・ケルンというのではないでしょうか」
「名前は書いてありませんが、その子供もまた、異形だったといいます」
生まれながらの異形を忌み嫌われて捨てられたその子供は、両性具有だった。だが、だからこそイーヴォ・ルーの力の受け皿になり得たのだ。
こうしてイーヴォ・ルーは自分がもたらした祝福を、ようやく人々に分かち与えることができるようになった。ポロルカの人々は改めてイーヴォ・ルーを神と認め、これに奉仕することを誓った。神が臨在するラージュドゥハーニーと、啓示の場であったナシュガズとが、二つの都と定められた。そう、国家の中心は二つでなければならない。一つは二つで、二つは一つなのだから。
イーヴォ・ルーの最初の使徒となったその人物は、魔人の始祖となった。新たな種族が生まれるごとに、イーヴォ・ルーの祝福は形をなした。その力は当初、新たな種族だけが用いることのできたものだったが、書き換えられた世界の法則を読み解くことで、普通の人にも扱えるようになった。
「書き換えられた世界の法則?」
「意味はよくわからないのですが……しかし、弊害もあったとあります。それまでの女神の祝福は、不完全なものになってしまったと」
そうして魔法のための言語と文字が生み出された。これは世界中に広まった。
とすると、イーヴォ・ルーこそ魔法の創造者ということになるが、これは留保しなければならない考えだろう。例えば、腐蝕魔術は明らかにモーン・ナーの影響下にあるものだからだ。だが、これも説明の余地はある。つまり、それぞれ異なる世界からやってきた神々の力が、この世界のルールによって規格統一されたものだとすれば?
彼らの神としての力は、既にある世界の法則と混じり合い、これに干渉した。だからこそ、既存の神通力は不完全になる一方で、イーヴォ・ルーやモーン・ナーといった異なる神々の力は同一の技術体系に基づきながら利用可能になったのだ。
人々を庇護の対象としたイーヴォ・ルーの目標は、自らが「連れてきた魂」が「全き姿」で生きることだった。
この意味を理解するには、ルーの種族の真実を知らなくてはおぼつかないだろう。彼らは二つの魂を持っている。だが、その実態はというと、つまり……『イーヴォ・ルーが異世界から連れてきた難民の魂を寄生させている』ということなのだ。
「全き姿の魂のために、イーヴォ・ルーは世界を作り変えようとしたとのことです。それがどのようなものかは、理解できないのですが」
ナシュガズで見かけた、あの金と水の比重を比較する施設を思い出す。
やはりイーヴォ・ルーは、世界を構築する法則そのものに干渉し、これを再構築しようとしていたのだ。だが、だとすれば女神や龍神が敵視するのも当然かもしれない。庇を貸して母屋を取られるようなものだからだ。
要するに、シーラが連れてきたウルンカの民と似た状況だったのだ。ただ、ウルンカと違ってイーヴォ・ルーの元々の「民」は、この世界の物理法則には馴染めなかった。イーヴォ・ルー自身からして、あまりに異質すぎて形をなせなかったくらいなのだから。
「しばらくして、西の大国との争いが激しくなってきました」
世界の法則を書き換えられることに反発するのは、女神や龍神だけではない。モーン・ナーもまた、イーヴォ・ルーの支配など受け付けなかったのだろう。
してみれば、神々が互いに争い合うようになるのは当然の流れだった。
「全き姿を得るまでの間、魂は仮初の体を必要としました。体も二つ、一つはよき精の受け手、もう一つは主の手にある木なのだとか」
ルーの種族と霊樹。この両方が揃うことで、ようやくイーヴォ・ルーの民はこの世界を生きることができた。
「この木は、魂を結びつける力を持っていて、イーヴォ・ルーは望まれるままにいくつでもその苗を生み出し、人々に与えていました。それがなければ欠けたる魂はこの世に留まれないからと。ですが」
当時の魔術師達は、現代にはない知識を持っていた。
魔法が異世界から呼ばれた神々からの贈り物であると知っていた彼らは、それを最大限に活用することを考えた。そしてイーヴォ・ルーはまさにその根源の一つであり、その聖地であれば、無尽蔵の魔力を利用できるとわかっていた。
その上で、彼らは霊樹の使い方を変えることにした。本来、肉体を持たないルーの種族の片割れを収納するための宇宙服のようなものなのに、そこに人間の魂を放り込むことにしたのだ。
「当時のパーディーシャーは、争いに勝つ力を求めて、そうした研究を命じました。それはイーヴォ・ルーの意志に反することだったと言います。なぜならイーヴォ・ルーは属する民すべてを庇護するべしという制約を受けていたからです」
いわゆる神の制約だ。シーラが他者を傷つけることができないのと同じように、イーヴォ・ルーもまた、自らを奉ずる民を鞭打つことができなかった。
パーディーシャーは、大勢の魔術師を育成し、またその他にも大勢の人間を用意して、それをブイープ島に設けた特別な祭壇に連れて行って、人身御供とした。そうして生まれたのが……
「クロル・アルジンは、期待通りの力を発揮しました。王が命じるだけで、そこは荒れ地になりました。力を得たパーディーシャーは傲慢になり、王国は怨嗟の声に満たされました」
これは、俺達が目にした通りだ。
要塞を一撃で消し飛ばし、超音速で飛行する。その力の源は、イーヴォ・ルーの神性と、人身御供にされた人々が培ってきた経験にある。
「これに挑んだギシアン・チーレムも、勝利することはできませんでした」
「じゃあ、どうやってあれを倒したんですか」
「イーヴォ・ルーが自ら、彼を庇護する民のうちに招き入れました。こうして彼は聖域に立ち入ることができ、クロル・アルジンの呪法を打ち砕いたとあります」
つまり、ギシアン・チーレムが魔王イーヴォ・ルーに勝利したのではなく、イーヴォ・ルーの側が滅ぼされることを望まなくてはいけなくなったのだ。
「イーヴォ・ルーは存在する限り、世界を作り変えるのをやめることはできませんでした。それでギシアン・チーレムは、彼を封じました。ポロルカの民は、奉じる神を失ったのです」
つまり、人々は二度にわたって神を利用し、踏み躙ったのだ。
最初は女神だ。祝福を求めて幸産みの儀式をしたものの、思うような結果にならなかったからと放り出した。次はイーヴォ・ルー。これも得られる力に溺れて好き放題した結果、神の側が、人の行き過ぎた振る舞いを制限するために、あえて自ら滅ぼされることを選ばなくてはいけなくなった。
その中心にいたのが、ポロルカ王家だった。
「ですが、クロル・アルジンの力を求める王族の一部が、王国を去って行方をくらましたと。邪法が繰り返されることになれば、その惨禍は想像を絶するものになる。だからポロルカ王は、これを食い止める責任を負うのだと」
その邪法を持ち出したのがパッシャだった。
だからこそ、帝都も女神教も、執拗に彼らを追った。クロル・アルジンが復活するようなことになれば、この世界はすぐに滅茶苦茶になってしまう。一方で霊樹の苗を回収し、保管した。これも万一の事態を避けるため。亜人の自治区を南北の城壁で区切ったのも、或いは霊樹の苗の持ち出しを防ぐためだったのだろう。
ブイープ島が禁制地になったのも、儀式の最後の条件を満たせないようにするため。恐らく、本来なら女神の力による封印が施されていたはずだ。だからこそ、それを打破する方法をデクリオン達は求めていた。その手段を試す場が、スーディアだったのだ。
「……あとは、この国に残された霊槍、霊扇の話が書いてありますが、この件とは関係がないようです」
「一応、それも説明を」
「ああ、これはでも、ポロルカ王国の人間なら誰でも知っていることです」
炎の槍の勇者ナームが暴虐の魔王との戦いで散った後、ポロルカ王国の人々は大いに悲しんだ。彼の死を惜しんだギシアン・チーレムは、また王国の人々の不安を除くため、女神より授かった霊槍ホムラを与えた。
この槍を通じて用いられた火の魔術は、女神の主権の及ぶ限り、他者の手によって消し止められることはない。ゆえに王国を守護する槍として、代々伝えられてきた。
ただ、実戦で用いられたことは一度しかない。暗黒時代にルアンクーの先遣隊がラージュドゥハーニーを襲った時、陸上から火の魔法を用いて敵の軍船を焼いた。あくまで伝説でしかないが、完全に焼け落ちた船が海底に沈んでも、なお燃え続けたという。
なお、これと対になる霊扇がバショウセンだが、こちらが用いられたという記録はない。
「でも、肝心なことが書いてないわ」
ノーラが難しい顔をして言う。
「どうすれば倒せるの? 止められるの?」
「それは書いてありません……が」
ビルムラールもまた険しい表情だ。
「ギシアン・チーレムは、ブイープ島に渡ってクロル・アルジンを滅ぼしたとあります。となれば」
「そうだ」
ニドも頷いた。
「だいたい、島にいたとき、俺達が逃げても追ってこなかったろ。けど、あの怪物がいりゃ、俺達は手も足も出ない。一方的に勝てるのに、なんで船に乗るまで待ってやがったのか。俺達が逃げるのを諦めて、破れかぶれで向かってくるのを嫌がったからじゃねぇのか」
ということは、あの海峡を渡って島に行けば、或いはクロル・アルジンの弱点を狙い撃つことができるかもしれない。そう考えると、銀鷲軍団の兵を島に連れて行った理由もわかる。クロル・アルジンは最強の武器だが、守られるべき弱点も抱えているのだ。
だが、どうやって? ノコノコと船で渡ろうものなら、気付かれ次第、一発で消されてしまうだろう。赤竜に化けて飛んでも、すぐ見咎められてしまう。一番可能性があるのは、鳥に化けることだ。しかしその場合、武器になるようなものは持ち運べず、しかも俺一人で行くしかない。その状態で、クロル・アルジンの弱点を防衛しているであろうアーウィンに勝てるだろうか? 青竜に化けても、大差ないだろう。体が大きい分、発見されやすいのは変わらないし、パッシャには神通力を習得した戦士が数多くいる。海中にいるからって、見つけられないと高を括るわけにはいかない。
「とにかく、やるべきことは」
「楽しそうな話だな」
夢中になって話し込んでいたために、気配に気付けなかった。俺達は驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、薄っすらと笑みを浮かべる色黒の巨漢だった。




