敗者達、それぞれの思い
「で、あそこに今も陣取っているってわけですかい」
イーグーは、元ワングの宿、今はドゥサラ王子の潜伏先を前に、そう言った。
「今回は逃げ切れやしたが、こんなとこじゃあ、すぐバレますぜ」
「そろそろ説明してくれないか」
歩きながら、俺はイーグーに尋ねた。
「まず、その格好は」
「ん? これですかい?」
飾り気のない麻の上下を着ていた彼が、今身に着けているのは、ハンファン風の旅装だった。限りなく黒に近い深い緑色の外套。その裏地と穿いているズボンは黄土色で、腰の帯は薄い水色。外套と同じ色の頭巾に、黒いブーツ。背中にはズボンと同じ色のマントだ。その裏地は暗い緑色なのだが。右手には細かい彫刻を施された、いかにも古そうな焦げ茶色の木の杖がある。その先端は銀色の金属で補強されており、そこに虹色に輝くクリスタルが嵌めこまれていた。
「正装ですぜ」
「説明になってない」
恐らく、この外套は防具の機能も兼ねている。綿でも入れてあるかのような厚みがあるのだが、この蒸し暑い国でこんなもの着込む理由が他にない。手にしている杖も、明らかに魔道具だ。
しかもどういうわけか、彼の後ろには一匹の魔獣……黒いグリフォンが大人しく付き従っている。
とにかく、一つ言えるのは……
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イーグー・ツイホゥ (253)
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク5、男性、253歳)
・アビリティ マナ・コア・火の魔力
(ランク7)
・アビリティ マナ・コア・水の魔力
(ランク7)
・アビリティ マナ・コア・風の魔力
(ランク7)
・アビリティ マナ・コア・土の魔力
(ランク7)
・アビリティ マナ・コア・光の魔力
(ランク6)
・アビリティ マナ・コア・力の魔力
(ランク6)
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク8)
・アビリティ マナ・コア・精神操作の魔力
(ランク8)
・スピリット
・スキル フォレス語 4レベル
・スキル サハリア語 4レベル
・スキル シュライ語 5レベル
・スキル ハンファン語 6レベル
・スキル ワノノマ語 5レベル
・スキル 火魔術 8レベル
・スキル 水魔術 8レベル
・スキル 風魔術 7レベル
・スキル 土魔術 7レベル
・スキル 光魔術 7レベル
・スキル 力魔術 7レベル
・スキル 身体操作魔術 8レベル
・スキル 精神操作魔術 8レベル
・スキル 治癒魔術 6レベル
・スキル 精霊魔術 6レベル
・スキル 魔力操作 6レベル
・スキル 魔獣使役 6レベル
・スキル 水泳 3レベル
・スキル 医術 6レベル
・スキル 薬調合 6レベル
・スキル 裁縫 2レベル
・スキル 木工 2レベル
・スキル 料理 2レベル
空き(--)
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……イーグーが、今度こそ本気を出したらしい、ということだけだ。
能力が一つ、入れ替わっている。レッサースピリット、つまり下位の精霊を体内に備えていたはずが、ただのスピリットに置き換えられている。それに伴って、寿命の表記が消えている。
これは、俺が目指していたところからすると、重大な変化だ。ということは、今のイーグーは、不老不死を得ているのか? だが、それならどうして今までそうしなかったのか。
「それで、何があった? あの夜、ブイープ島で戦っていたのは、お前だな」
「ま、そうです」
「何を知っている」
「いーや、ほとんど何も知りませんぜ。とりあえず、同じことを何度も喋りたくねぇんで、まずは合流しやしょう」
そう言われては黙るしかない。
宿に入ると、被害状況を聞き知っていたイーグーはまっすぐキースの病室に向かった。格好の変わったイーグーに驚き、たじろぐビルムラールをやんわりと押しのけると、彼はキースの傷口をはだけさせ、懐から取り出した丸薬をそこに落とすと、詠唱を始めた。と、紫色になっていたひどい打撲が、見る間に消えていく。しばらく休ませるようにとだけ言って、足早に二階の、あの薄暗い船員のための寝室に向かった。
「で、何から言やぁいいんですかね」
「お前は誰だ」
「イーグーでさぁ」
「ふざけてる場合じゃない」
彼は肩を竦め、ざっくりとした説明をした。
「まず……若旦那にゃバレてたと思うんですが、見ての通り、あっしは東方大陸の魔術師ですよ。で、何しに若旦那についてきたかっていえば、ま、結果だけいうと、あのバケモノが目を覚ますらしいんで、そいつを邪魔しにきたってことですかね」
「なら、どうして最初からそう言ってくれなかった」
「知らなかったからでさぁ」
「知らなかったって」
となると、以前に想定した通りの可能性が出てくる。
「じゃあイーグー、お前は誰の指示で」
「おっとそこまでですぜ、若旦那」
だが、彼は手を突き出してそれ以上の質問を遮った。
「変に揉めたくねぇんで。こっちも無理してるんで。今はあれをなんとかするのが先でしょうが。言っときますが、これ以上の助けはきやせんぜ……若旦那は、あっしが何を言いたいか、もうわかってやすよね?」
つまり、イーグーは、俺が最初に予期した通り、使徒によって派遣された人物であると。暗にそう認めたに等しい。
無理をしているというのは、つまり、身元を部分的にでも明かすというのが、彼にとってリスクであるということなのだろう。
俺はあれこれ言いたくなるのを呑み込んで、質問を変えた。
「あの夜、ブイープ島の上空で戦っていたのは、やっぱりお前なのか」
「まぁ、そういうことですよ。あのアーウィンとかいうガキとその取り巻きにやられそうになって、なんとか逃げ切ったんですがね……」
「それで本気を出すことにした、と」
それより、肝心の質問がある。
「じゃあ、あのクロル・アルジンという怪物を倒すには、どうすればいい」
「それがわかりゃあ苦労はありやせんよ」
「知らないのか」
イーグーは首を振った。
「どうにかなるもんじゃありやせん。さっきくたばりかけたのを覚えてるでしょうに。ありゃあ全然本気じゃねぇ、軽く何かやっただけであの威力の魔法が出てくるんですぜ」
「やっぱり助けてくれたのか」
「ただの『風の拳』で、あっしの『魔力障壁』を五枚もブチ抜いてくれやしたね、あのバケモン……ったく、戻ってくるつもりなんざなかったんですがねぇ」
あの一瞬、見えた半透明の六角形の壁。あれはイーグーが俺達を守るために防御魔法を行使したものだったのだ。
「そこらの魔物とはワケが違うってことですよ。あれを相手にするんじゃ、あっしでも時間稼ぎがせいぜいでさぁ」
逆を言えば、時間稼ぎくらいはできる、ということか。それができるのは、俺も含め、この場には他に誰もいない。
「それで、何が欲しい?」
「はぁ?」
「そんな危険に首を突っ込む理由はなんだ?」
「勘弁してくだせぇ。少なくとも、寝首を掻いたりはしやせんぜ」
「大事なのは」
俺は一息ついてから、はっきり言った。
「この件が片付くまで、手を借りられると考えていいのか、ということだけだ」
「そいつは請け合いやす」
「ならいい」
イーグーとしては、正体を明かしたくなかったはずだ。魔術師としての本気を出すとなれば、人目を避けながらというわけにもいかない。だからこそ大森林でも手を抜いていたのだし。この状況は、彼としても妥協、大幅な譲歩に違いない。
だが、こうなってしまってはもう、あれこれ言っていられなくなった。彼としても、クロル・アルジンをなんとかしなければならないのだ。
「けど、作戦のアテはあるんですかねぇ?」
「一応はある。二、三日ほど待ってからやるつもりだが」
「へぇ?」
「準備が整ったら、声をかける」
イーグーが「時間稼ぎはできる」というのなら。俺の中で禁じ手になっていた二つの手段を試せる。
南の洋上にクロル・アルジンを誘き寄せることさえできれば、腐蝕魔術も束縛の魔眼も使い放題だ。ある意味、ピースが出揃ったともいえる。
そこまで喋った時、後ろの扉が開いた。
「ファルスさん、キースさんがお話したいと」
三階の、狭いが日当たりと風通しのいい部屋。そこが臨時の病室になっていた。
ノックをしても返事はなかったが、俺はそのまま踏み込んだ。
「閉めろ」
こちらを向きもせず、キースは呟くようにして言った。
「お加減はどうですか」
「治ったんじゃねぇか? 念のために夜までは寝とけと言われたけどな」
妙に大人しい。口調も静かで、目にも力がない。まるで透明なガラス玉みたいだ。彼は大きな枕に背中を凭せ掛け、向かいの壁をぼんやりと眺めていた。
その空気に耐えられず、俺は次の言葉を見つけられなかった。
「あーあ」
彼は自分に言い聞かせるように言った。
「負けちまったなぁ」
「え、あ」
彼ほどの自信家が、鼻っ柱をへし折られたのだ。どんな言葉をかければいいのか……
「あ、あれはですね。贖罪の民といって、百年以上生きてるバケモノなんです。普通の人間よりずっと長生きで、その分、経験も豊富なので」
「言い訳なんざいらねぇよ、タコ」
今は悪態が返ってくることさえ好ましい。そう思われるくらいに、俺はキースの中に危ういものを感じていた。
「どんな手ぇ使おうが、強くなったもん勝ちだろが。ありゃあ大した手練れだ。やられちまうのも無理はねぇ」
「え、ま、まぁ」
「別に俺様が負けるのも、これが初めてじゃねぇからな。変に気ィまわすな」
「そうですか」
今、落ち込んでいるだけならいい……いや。
違う。それは戦士の発想ではない。
「変です」
「あ?」
「そうじゃないでしょう? 普段のキースさんなら、そんな考え方はしない。体が治ったら、再戦するなら、どうするか。正面からでは勝てないなら不意討ちはできないか。いっそみんなで取り囲んで殺せばいい。僕の手を借りたっていいはずです。どうしてそういう話をしないんですか」
ちょうどドゥサラ王子に言ったのと同じことではないか。どんな手を使おうが、生き延びたほうが勝ち。
彼は真顔になり、俺の顔を見つめ、それから身を縮めて笑い始めた。
「くくっ……はっはは……」
その笑い声がすぐ絶える。
「要するに、奴の言う通りだったってこったな」
金のために人を殺す。それだけ。
狼のように育ち、豚のような余生を過ごす。それが傭兵の夢だ。だが、キースは夢の実現の最後のところで、受け取りを拒否した。こんなもののために生きてきたのかと。
そうではない。自分だってもう少しまともな、人間らしい生き方ができるはずではないか。だが、結局彼は戦士でしかなかった。しかしそれでは、続きの人生、何をすればいいのか。手癖でしか生き続けられない。それは未来に向かう努力なんかではなく、過去への回想以上の何物にもなり得ないものだった。
「俺は、俺に納得できてなかった。だからあのバカ王子の言うことにもいちいちキレちまってよぉ。情けねぇったらありゃしねぇ」
「それでいいんですか?」
俺は、思わずそう言っていた。
彼が戦いの世界から降りるのなら、それはそれで自由ではないか。だが、なぜかそれも正解ではない気がしたのだ。
「いいも悪いもねぇよ」
「その、こう言ってはなんですが、悔しいみたいな気持ちはないんですか」
「ねぇな」
彼はあっさりしていた。
「昔、ドゥーイのクソにやられてワノノマまで流離った時には、悔しかったな。やり返せるくれぇ強くなってやるって、そう思ってた」
「今は、ないんですか」
「ムカつきはねぇんだ。だいたいは納得してる。ひとーつだけ引っかかってるんだけどよ」
彼は神妙な顔をして、俺に尋ねた。
「大義とやらがあれば、強くなれんのか?」
「えっ」
「あのクソ野郎が言ってただろが」
「あ、ああ」
頓珍漢な質問をされている気がする。
「正義みたいなものは、戦う理由にはなると思いますが……それで勇敢になったりもするとは思いますが、別に強くなったりはしないかと」
「だよなぁ」
だが、彼はすこぶる真剣だった。
「あいつが言ったことの中で、それだけは間違ってる気がするんだ」
とはいえ、どう間違っているのか……
そもそも人類を根絶しようというデクリオンに共鳴している時点で、そこから既に間違っているというか、狂っているといえば、そうなのだが。
「ま、そんだけだ。邪魔したな」
「は、はい」
「話は聞いてる。なんか、でっかい砦を一発で吹っ飛ばしやがったんだってな。そんなところじゃあ、いくら俺が剣を振り回したところで、どうにもなりゃあしねぇ。今からやれることがどんだけあるんだか、わかったもんじゃねぇけどな……おら、行けよ」
呼びつけたり追い出したり。我儘なところは相変わらずで彼らしいが……
「ゆっくり休んでください」
俺はベッド脇の椅子から立ち上がり、ありきたりな言葉を残すくらいしかできなかった。
「おかえりなさい」
さっきの船員の寝室に戻ると、ラピとディエドラが座って待っていた。ラピは足を揃えての正座、ディエドラは胡坐をかいていた。二人の顔を、揺らめく蝋燭の灯が照らしていた。
「何か?」
「お願いがあるんです」
いつになく真剣な顔で、ラピが言った。
「私達でシャルトゥノーマさんを探してきていいですか?」
「それは」
だが、彼女がどこに行ったかなど、わかりようもないだろうに。
「あてはありません。でも」
「まだミヤコのどこかにイるハズ。レイジュのナエをカッテにツカわれて、ダマっていられるワケがナい」
「大森林に報告に戻ったということは?」
「できないとオモう。ファルスのキョカがナいのにヌけダしたコトは、ワタシがモドればすぐわかる、それに」
ディエドラも、彼女の件で思いつめていたのだろう。
「あいつがそんなにカンタンにセキニンをホウりダすとはオモえない」
「それはわかる。根が真面目なのは」
「キモちはワかる。ワタシはあいつと違って、おマエにイチド、マけている。だからナットクできているだけだとオモう」
そういう論理はあったのかもしれない。ディエドラにとっては、外の世界に出ること自体が目的だった。そのために俺に挑んだ。暴力的な手段で手向かった以上、一度は殺されても仕方のない立場だった。逆説的だが、だからこそ弁えているのだ。一方でシャルトゥノーマには「長老に言われたから手を貸してやっている」という認識が残っているのだろう。
「危険だから……とは思ったけど」
行くな、と言いかけて、俺は思い直した。
「今となっては、どこにいても危ないのは同じか」
安全地帯などない。
それなら、できることをした方がいい。ラピ一人では犬死の危険もあるが、ディエドラがついていれば、そうそう下っ端に不覚を取ることはないだろう。
「ただ、それなら戦いは避けること。パッシャの戦士は、神通力を使ってくることがよくある。無理はせず、逃げに徹すること。それと、ああ、そうだ」
こういうときに役立つものを使わずして、どうするというのか。
俺はバクシアの種に手を触れてから、ポーチの中のなるべく小さな種子を取り出した。それから少し待つように身振りで示して下の階の厨房に降り、種を細かく砕いて粉末にし、コップを水で満たして、また戻ってきた。
「本当に探しにいくのなら、これを」
「なんですか、これは」
「一時的に神通力を得る薬だと聞いている。飲めば『探知』の力が身につくそうだ。ただ、どれだけ効果があるかはわからない」
自分で使ってみたことのない神通力だから、ラピが使いこなせるようになる保証はないが、何も与えないよりはずっといいはずだ。
「わかりました。いただきます」
そうして彼女は粉末を水で飲み下した。
「どう? 何か変なことはない?」
「は、はい。何も……」
「もし何か変な副作用みたいなのがあったら言うんだ。すぐここに戻ること。連絡はクーと取り合って」
「そうします」
それから間もなく二人は宿を出て、シャルトゥノーマの捜索に向かった。




