超兵器の実力
「兄上が……」
運河にほど近いところにある一軒の廃屋。以前、ワングに案内された街の南側、洗濯屋の住まいの近くに、ヒランとドゥサラ、それに護衛の兵士達が潜伏していた。
およそ王族が足を踏み入れる場とも思われない。外観は白塗りの普通の二階建てだが、内装工事が途中で放り出されている。一階と二階を仕分ける天井や床も出来上がっておらず、二階の窓から弱々しい光が差し込んできている。足下の床も捨て張りされた板があるだけで、それを覆う仕上げ材が見られない。工事途中で放置され、その後に誰かが乱暴な使い方をしたせいで、今では床板の一部が割れて、穴が開いている。家具も、脚の折れたテーブルや椅子が散在しているだけだ。その中で一番ましな椅子の上に、ドゥサラはしゃがみ込んでいた。
「申し訳ありませんが、王太子のご遺体は、青玉鮫軍団の詰所に置き去りにして参りました。ここまで持ち運んだのでは目立ってしまいますし、今は緊急事態ですので」
メディアッシの報告に、ドゥサラは反応しなかった。半ば虚脱状態というか、感情が欠落してしまっているというか。
想像もしなかった状況に衝撃を受けていて、何も考えられないのだろう。弟が死んだと思ったら、次は母、今度は兄だ。
「殿下。既にイーク王太子も、ティーン殿下も亡くなっておられる以上、殿下がこの国の未来を担わねばなりません。もしポロルカの王統が途絶えるようなことになれば、世界にとっての一大事でございます」
「どうすればよいのだ」
「さしあたっては、身の安全を図るのが先決でございましょう」
メディアッシは迷いなくそう話しているが、俺の頭の中では、優先順位が違う気もしていた。
クロル・アルジンの恐ろしさはまだ、底が知れない。あれを何とかしない限り、安全も何もない気がする。とはいえ、現時点では攻略法が思い当たらない。特に、アーウィンが『腐蝕』で肉体のすべてを喪失したのにもかかわらず復活した件。それがどうにも引っかかっている。なら、クロル・アルジンにも同様の能力があっても不思議はないのだ。
結局のところ、俺もどうすればいいのかがわかっていない。激昂したシャルトゥノーマは、あのまま俺達から離脱して、どこかに去っていってしまった。彼女を呼び戻せばいいのか、それとも今はそんなことをしている場合ではないのか。
「私としましては、さしあたっては緑玉蛇軍団の城塞に立てこもってはと考えます。金獅子軍団は半壊、銀鷲軍団は賊に与しておりますが、まだ二つの軍団が生き残っておりますから」
「お待ちください、メディアッシ様」
俺は口を差し挟んだ。視線を向けられると、深々と一礼した。
「差し出がましい物言いをお許しください。私見ですが、恐らくそれでは身の安全を保つことはできないかと思われます。ここは海路でジャンヌゥボンに逃れ、赤の血盟の支援を求めてはいかがでしょうか」
「なに」
「或いは、もっと慎重を期すのであれば、バハティーまで陸路で逃れ、そこから対岸に渡るという方法もございます」
パッシャがあれほど自信をもって送り出したクロル・アルジンだ。アーウィン以上の脅威であろうことは、まず間違いない。それを防ぐのに、たかが五千人程度の、それも弱兵がいるだけの城塞に立てこもったところで、どれほどの意味があるのか。
「それは」
メディアッシは、やはりいい顔をしなかった。
「一案ではあるが、最優先とはいかぬな」
「どうしてでしょうか」
「仮にも我が国を守るべき兵士達がいるというのに、王たるものがこれを見捨てて他国に去るなど、道義的に許されるものではあるまい」
政治的な理由から考えれば、これも正論といえる。
自国の兵を用いて最善を尽くした後でもないのに、あっさり他国に身を委ねる王子。そんな腰抜けを、誰が王者と認めるのか。だから道理ではある。ただ、今は王族のスペアがいない。
「では、せめてチャール殿下と合流してからに致しませんか。誰かは安全を確かにしておきませんと」
「すぐに見つかるならよいが、それまでの間、どうするのだ」
そう言われても、言葉が出てこない。
「ファルス殿、ここは折れてはくれぬか」
後ろからヒランが声をかけてきた。
「それに、悪いことだけでもあるまい。キース殿も深手を負っておる。軍団の砦であれば、医薬もある」
そんなことをしている場合ではないのではないか。
だが、ノーラが俺の袖を引いた。
「ねぇ、ファルス、何を話しているの?」
「ああ、つまり、緑玉蛇軍団の城塞に逃げ込もうと言っているんだ。でも、僕はどうかと思うんだけど」
「私は行った方がいいと思う」
俺は眉根を寄せたが、彼女はまったく別の理由からだった。
「考えてみて。アーウィンでさえあれなのよ? なのに、あのアーウィンが、これさえあれば勝ったも同然なんて……で、そんなとんでもない武器を、今度はどこに向けるのかしら?」
言われてみれば、その通りだ。
ノーラは、今いる仲間の中では、最も長く俺と行動を共にしてきている。だからこそ、魔法の脅威を誰よりよく理解している。シュプンツェの暴走、レヴィトゥアの魔法、それにサハリアの戦役では自らが魔術で大勢の敵の命を奪ってきた。
腐蝕魔術でも殺しきれなかったアーウィンが、あたかも自分以上の力を有することを確信しているかのように期待をかけているのがクロル・アルジンなのだ。
「避難目的、か」
俺は振り返り、メディアッシに言った。
「わかりました。急行しましょう。ですが、目的は立てこもることではなく、兵士を逃がすためですが」
彼は首を傾げたが、それ以上、論争しようとはしなかった。
時をおかず、俺達は二手に分かれた。
ビルムラールとキース、タウル、フィラック、クーとラピは、ワングとディンのいる宿に送ることにした。最悪の場合、そこまで撤退するつもりでいる。残りは、ドゥサラ王子を護衛する形で街の北にある城塞目指して歩き出した。
通りには人気がなかった。道端に荷車が置き去りにされている。斜めになった荷台からは、黄色い果実のようなものが大量に零れ落ちているが、片付けられもせずに放置されたまま。横倒しになった馬用の餌桶が横倒しになっている。御者がどれほど慌ててここから逃げ出したのかがよくわかる。
既に昼下がりだが、相変わらず頭上は赤黒かった。分厚い黒雲が空を覆っているのに、不思議と雨が一滴も降ってこない。
「殿下、あと少しです」
先を行くメディアッシは、絶えず言葉をかけてドゥサラを力づけている。俺達からすれば過保護でしかない。むしろ高齢のメディアッシこそ、いたわりが必要なのではないか。相当な速足で先を急いでいるのだから。
「緑玉蛇軍団の詰所は、他より少しだけ近うございます。この通りを抜ければ、見えてくるかと」
果たして彼の言う通り、左手に曲がった通りの先には遮るものもなく、街からそれほど遠くないところに、灰色の巨大な城塞が突き立っているのが見えた。
「あそこまで行けば、一休みできます。我が国の勇士達が殿下をお守り致します。ご安心くださいませ」
ドゥサラは返事もせず、半ば俯いたまま、言われるままに後に続いた。
まるで抜け殻のようだ。こんな調子で大丈夫だろうか。
「ご心配はご無用です、王都を守る四つの城塞は、いずれも一千年以上の」
メディアッシの声が、途中で聞こえなくなった。
どこかから空気を裂くような音が迫ってきて……まるですぐ傍で雷でも落ちたかのような爆音が響いて、他のすべての音を塗り潰してしまったのだ。
「み、耳が」
「なんだ? 今のは」
俺は頭上を見上げたが、何も変化はない。黒雲が蓋をした空があるだけだ。
いや、何もないなんてことはあり得ない。俺は空のどこかに何かの影がないか、見回した。
「ギィ!」
ペルジャラナンが見つけて指差した。それは緑玉蛇軍団の城塞の上空に浮かぶ黒い点だった。
それは徐々に高度を落とし、その歪な花のような姿がなんとか見分けられるくらいの距離にまでやってきた。多分、城塞からだともっとずっと大きく見えている。新種の魔物か何かに見えるのではないか。
「騒ぎになっている、な」
ニドがポツリと呟く。
遠目にしか見えないが、誰かが弓を持ち出したらしい。必死になって矢を射かけている。だが、クロル・アルジンは微動だにせず、空中に留まっていた。城塞の窓から顔を出して、この異変を見物しようとする兵士もいる。その白いターバンが黒い窓から数珠なりになっているから、それとわかるのだ。
しばらくして、クロル・アルジンはすっと浮上を始めた。それがある高度で動きを止めると、いくつかある触手の先端をダラリと触れ合わせた。こうしてみると、黒いクラゲとか、タコのように見えてくる。
「ね、ねぇ」
ノーラが不安げに俺の肩を揺さぶる。メディアッシやヒランも、異変に足を止めていて、もう城塞に行こうとはしていない。
触手の先端から、眩い白い光が輝いていたからだ。
「やめろ!」
思わず叫んでいた。
だが、それが浮遊する怪物の耳に届くはずもなく……
恐るべき熱量を纏った何かが、城塞に投下された。
爆音と震動、それに北の空を真っ白に塗り潰す閃光に、俺達はひれ伏すしかなかった。
路上に放置された荷台は一回転してひっくり返り、中身のない樽はものすごい勢いで転がってどこかに消えた。土砂が巻き上げられ、それが俺達を衣服の上から鋭く打った。
「うわ……あ、あれ、どうなってんだよ」
ジョイスがかすれそうな声でそう呟く。
そこにはもう、灰色の城塞など跡形もなかった。爆発によって打ち砕いたというより、むしろ高熱によって溶かし尽くしたのか。
「何が起きたのじゃ」
メディアッシも狼狽を隠せない。
「……行ってみましょうか」
クロル・アルジンは、城塞を吹き飛ばしたことに満足したのか、そのまま浮上して、今は姿が見えない。
緑玉蛇軍団の城塞に向かって歩き出した俺達は、すぐ声を失った。市街地に割と近い辺りの地面も、黒く焼け焦げている。普段は水気のないしなびた草が生えていたところが、一面炭化していた。
同行者達は息を呑んでいるが、俺はむしろ、あの魔法の爆弾が開けた場所に落ちてくれたのは幸運だったのかもしれないと感じていた。もし、もっと複雑な構造物が乱立する王都の中央に投下されていたら、爆風による被害はこの程度では済まなかったし、可燃物もたくさんあったから、今頃は大火災になっていたはずだ。
城塞のあったはずの場所に到着すると、その惨状がより明らかになった。爆心地には黒ずんだクレーターができており、今も底の方は高熱を放っていて、近付くことができなかった。もっとも、そこから離れたところをみるだけでも、どれほどの威力があったかを想像することはできる。僅かに溶け残った城の礎石が、まるでガラス状になっていた。
もし、俺達の出発がもう少し早かったら、どうなっていただろう?
恐らく、火魔術その他を駆使して防御しても、城塞そのものが粉砕されるのは避けられなかった。城内にいれば間違いなく死んでいたし、近くにいただけでも爆風の被害は避けられなかった。また、熱線にさらされて、全身大火傷を負っていた可能性もある。
「生き残りはいないのか」
「探すだけ無駄でしょう」
これではまるで核攻撃だ。そうでないことを祈るしかない。放射線障害にやられましたなんて、シャレにならない。
「それより、これでは紅玉蠍軍団の城塞も危ないです」
「う、うむ」
「兵士が残っていたら、ひとたまりもありません。避難命令を」
「越権行為だがやむを得まい。聞き入れてもらえるかはわからぬが」
そこまで喋った時、またあの轟音が頭上に響いた。だが、見上げても何も見つからない。
遠く離れたところに黒い点が浮かんでいるのが見えた。それが見る見るうちに俺達の頭上を飛び越えていく。無音だった。だが、俺達の視界を横切っていくある瞬間、何かが激しく破裂するような音が周囲を圧した。
それが何を意味するかを悟って、俺は身震いした。
音がした方に振り向いても、何も見つからないわけだ。なぜならクロル・アルジンは、超音速で飛行しているのだから。
超高威力の爆弾で街や城塞を一撃で粉砕する。人間の身体能力ではどうあがいても追いつけない速度で飛行する。
こんなもの、どうすればいいのか。
この世界に来て、数々の怪物と渡り合ってきた。魔宮モーの地下に君臨するアルジャラードは凄まじい怪力と魔力の持ち主だった。シュプンツェも、一晩で街を破滅に追いやるほどの脅威だった。大森林の魔物の暴走だって、危険極まりなかった。
でも、それらは恐ろしいとはいえ、あくまで俺の想像力の範囲では、なんとかなるものだった。仮に前世の先進国の軍隊をこの世界に呼び寄せたら、どんなことになるだろう? 例えば、完全武装の特殊部隊が強力な火器を手にアルジャラードに遠くから一斉射撃を浴びせたら? シュプンツェの頭上から核兵器を投下したら?
だが、恐らくクロル・アルジンは、前世の軍隊をここに呼び寄せたとしても倒せる相手ではない。そもそもアーウィンと同じ機構を備えた兵器であれば、一度破壊してもまた甦ってくるはずだ。それに加えて、今ではどういうわけか、ハイウェジの能力まで吸収している。彼は俺に首を切り落とされても死ななかったのだ。
つまり、クロル・アルジンは核兵器並みの攻撃力を備えていて、超音速飛行も可能な戦闘機でもある。しかもその上、仮に核兵器の直撃を食らったとしても、そこから自己修復してくる可能性が高い。恐らく燃料切れの問題もない。
メチャクチャだ。パッシャが調子に乗るのも無理はない。こんなもの、この世界のどの国の軍隊だって、どうにもできない。そもそも戦闘が成立しないだろう。
こんな開けた場所に立っていてはいけない。
もし奴が戻ってきて、あの爆弾を俺達に向けてきたら。
そうはわかっていながら、しばらく俺達は動けなかった。
想像を超えた圧倒的な力を前に、どうすればいいかがまるでわからなかったのだ。




