忌まわしき供犠の果てに
「まぁ、そんな話はどうでもいい」
キースは、デクリオンの宣言を軽く受け流した。
「正義がどうだの、俺には関係ねぇ。お前らが俺様を殺すってんなら、俺もお前らを殺す。そんだけだ」
「構わないとも。だが、我々の手には、今、イーク王太子がいることを忘れてもらっては困る」
「あー、そうか。じゃ、纏めてぶっ殺して」
「いけません」
ビルムラールが袖に縋りつく。
「それでは名分が」
「アホか。こいつら、世界を滅ぼすっつってんだろが。だから本人も自分に構うなっつってんだ。殺してやるのが親切ってもんだ」
「はははは」
デクリオンは楽しげに笑った。
「あまり意味のある議論だとは思えないね。どちらにせよ、君らは遅すぎた。もう準備は整ってしまったのだよ。それでせっかくだから、我々の長年の夢が叶うところを一緒に見届けてもらってはと思うのだが……歴史的瞬間に立ち会う機会を与えたい。この、親愛の気持ちからの招待を受けてくれるかね?」
俺達は目を見合わせるしかなかった。
「行きましょう」
ビルムラールが低い声で言った。
「賢明だ。それに、他にやりようはないと思うよ。ここで私を殺すことには、もうさほどの価値もない。私が考えるに、君らはここですべてを見届けるべきだ。そうすれば、結果的に犠牲者も少なくなるのではないかと思うね」
それだけ言うと、デクリオンは身を翻した。ウァールはイーク王太子を引っ立てて先行し、彼はその後を悠々と歩いて、階段を登っていった。
「真に受けんな」
キースが小声で言った。
「隙を見てブッ殺せ。俺はそうするぜ」
それももっともだ。敵の言うことを真に受けていては、戦いになるまい。
無言で頷きあって、俺達はデクリオンの後に続いて階段を登った。
登った先は、木々の生えない荒々しい岩場だった。遠くから見た小山の頂上付近らしい。足下には黒ずんだ歪な形の石が転がっている。結構な斜面で、ところどころに人が隠れられそうなほどの大きさの岩も転がっている。
どうも見る限りでは、山頂はクレーターのように陥没しているらしく、それを取り囲む縁のところが最高地点となっているようだ。そこに数人の人影が見えた。そのうち何人かは、見覚えがあった。上半身裸の色黒の巨漢。黒づくめの女はマバディだ。それに今朝、話をしたばかりのハイウェジもいる。その他にも、パッシャの一般兵と思しき黒尽くめの連中が数人立っていた。
「待たせたね、だが」
デクリオンは、ちらりとハイウェジの方を盗み見た。
「仕上げはすぐにでもできます」
マバディが手短に報告した。
すぐにでもできる。つまり、まだできていない。完遂されていない。
キースの言う通りだった。だが、彼らが余裕で待ち構えているこの状況はどう考えるべきか。まだパッシャの計画を妨害できる余地があるのか、それがないから、俺達を迎え入れる余裕があるのか。考えても仕方がない。できることをするだけだ。
「あ、あれは」
ビルムラールが取り乱しながら指差した。
黒尽くめのパッシャの戦士達の後ろに、見覚えのある男がもう一人。黄の王衣、バフーの姿があったのだ。
「は、恥知らずな! バフー様、あなたは王家を裏切ったのか!」
彼にしては珍しく、声を荒げて怒鳴りつけた。だが、バフーの方はというと、ねっとりとした笑みを浮かべたまま、返事もしない。
「ビルムラール!」
ウァールに捕らえられたままのイーク王太子が声を張り上げた。
「そのような些事にこだわるな! 勅命である! 余の命など顧みず、パッシャの脅威を除け!」
「殿下!」
デクリオンは自分の生死など問題ではないと言ったが、俺達としては、いまやどんな手を用いようとパッシャと戦うだけだ。王太子が自ら命を擲つだけの危機が迫っているのだ。
キースは既にタルヒを抜いていたが、俺も黙って剣を抜いた。続いてペルジャラナンも、ジョイスも同じように武器を構えた。シャルトゥノーマも矢を手にした。
問題ない。戦いが始まれば、一分かからずこちらが勝つ。パッシャの一般兵は、最初の数秒間でバタバタと倒れ伏すはずだ。ハイウェジだけは殺しても死なないが、本人の攻撃力など、ここにいる仲間達からすれば、さほどのものでもない。
あとは一斉にとびかかるだけ。
こちらが下にいるのもあって、今は戦機を見計らっている。
その、一瞬の間隙に割り込むものがあった。
「代行、グワァッ!?」
俺達から見て右手の岩山から、橙色の閃光が突き抜けていった。それはデクリオンのすぐ横を、まるで濁流のように押し流した。彼は間一髪助かったが、その横にいたパッシャの一般兵は、いきなりの炎に呑まれて、火だるまになりながら、小山の真ん中のクレーターに転がり落ちていった。
「愚かな」
たった今、死にかけたというのに、デクリオンは一切取り乱していなかった。
「モート、任せた」
一方、最初の一撃を外したその集団は、岩山の奥から姿を見せた。全員が赤い長衣を身に着けている。但し、その下には甲冑を纏っていた。
「許しがたい邪悪、世界の敵、パッシャの者どもよ! ポロルカ王の槍、この赤の王衣のメノラックが討ち果たす!」
なんて間抜けな! 名乗りをあげる暇があったら、次の詠唱をすればいいものを。
これだから実戦を知らない奴は。さっきの一撃は悪くなかったが、それにしてもしっかりと仕留めきるべきだったのに。
「いくぞ!」
だが、本人は詠唱など必要なかったらしい。
彼が手にしていた槍の穂先は、既に赤熱していた。赤い柄も火のイメージなのだろうが、刃の部分は炎を象っているのか、美しい湾曲が見える。メノラックに従う一族の魔術師が不断の詠唱を重ねているおかげで、今も魔法の力で明滅している。
「滅び去れ!」
槍を突き出す仕草をすると、そこからまた、炎熱の奔流が巻き起こった。
だが、今度はもう、モートがいた。彼は無造作にそれを素手で払いのけた。すると見る間に、炎が掻き消えてしまった。
「な、なに?」
驚きのあまり硬直するメノラックに、モートは大股で近づいていった。そのまま、穂先に近いところを握りしめる。
「なっ! は、離せ!」
「話にならんな」
メノラックも小男ではないが、身長も体重もモートとは違い過ぎる。ぐっと引っ張っただけで、メノラックはつんのめった。
「これがポロルカ王国の至宝、ホムラか……まぁ、道具は悪くない。問題は使い手の未熟さか……これがどれほどのものかも知らずに振り回すとは」
力づくで槍を奪い取ると、モートは頭陀袋でも引きずるかのように片手でメノラックを引っ張って、デクリオンのすぐ傍に戻った。
「これさえあれば。使い手などいらん……いや、足しにしようか」
「それがよかろう」
すると、片手でメノラックを引き起こし、そのまま勢いよく山のクレーターに向けて放り投げた。
「メノラック様!」
ビルムラールが慌てて山を駆け上がろうとする。とはいえ、正面はパッシャだ。彼はそれを避けて、赤の王衣のいたのとは逆方向から駆け上がった。彼を無防備にするわけにもいかず、俺達は揃ってそちらに向かった。それをパッシャの連中はまったく妨げようとしなかった。
俺達は、クレーターを見下ろした。そこはまるで、焦げ茶色の蟻地獄だった。目の細かい土砂が切れ目なく下に向かって流れ続けている。そこに放り込まれたメノラックは、赤い長衣を泥だらけにしながら、なんとか上に這い上がろうと手掛かりを探すのだが、どこにも指が引っかからない。そうこうするうち、どんどん下に滑り降りていく。
「メノラック様! 今」
「馬鹿! よせ!」
下へと飛び込もうとしたビルムラールを、ジョイスが後ろから抱き留めた。
「くっ……土を操作すれば……」
触媒をメノラックのいる方に投げつけて、彼は手短に詠唱した。したはずだった。だが、何も起きなかった。
「無駄なことだよ。そんな魔法が、この場所で通用するはずがない」
「なんだって」
「見るがいい。愚か者はこうなる」
デクリオンが指差したかと思うと、いきなりメノラックの吸い込まれる速度が上がった。何かに足を取られでもしたのか、ズルズルと穴の中央にまで引っ張り込まれていく。
「モート!」
俺の横にいたニドが叫んだ。
「あんた、何をしようとしているんだ。どうして俺は」
「今、お前に構っている暇はない」
そのやり取りの間にも、メノラックはクレーターの中央の底なし沼の中に沈んでいった。短い悲鳴の後、彼の姿は完全に視界から消えた。その最期を見届けた沈黙の中で、いきなり甲高い笑い声が響いてきた。誰の声かと思って見回して、わかった。バフーが笑っていたのだ。
「痛快! 痛快ですな、デクリオン殿。長年、家格の差だけで威張り腐っていたメラフの家長が、あっさりくたばるとは」
「喜んでいただけたかな」
「ええ、もう! 最高の気分ですな」
ウァールは、そっとイーク王太子をマバディに預けると、何気ない仕草でそっとバフーに歩み寄り、すっと背中を押した。
「おっ? わっ!」
足払い一つで、バフーはひっくり返った。その倒れ込んだ先は、やはりクレーターの内側。
「な、何を! どうしてこのようなっ」
「組織は復讐を旨としている。協力者バフー・クニン。我々は要請に応じて、お前の敵を葬った。責務は果たし終えたゆえ、あとは自由にさせてもらう……お前は王家を裏切り、既に恨まれる存在だ。世界の修復のためには、こうする他ない」
「そ、そんな!」
ウァールの宣告に、バフーは顔を歪めて絶叫した。それから、なんとかこの泥沼から逃れようと、必死で詠唱を始めた。だが、何ら効き目を発揮したようには見えず、すぐさま何かに足を引っ張られて、クレーターの底に消えた。
「落ちたらおしまいってことか」
キースは単純にそう理解した。
「じゃ、落とせばいいわけだ」
「はっはっは! それもいい考えだね。そうとも、頑張って我々を落とせばいい」
キースは摺り足で、斜面をまた降りていった。低い位置から戦いを挑むのは不利。だが、ここでクレーターに滑り落ちるのは即、死を意味する。となれば、やはり敵を下から追い落とす方がいい。
「た、戦うのか」
ハイウェジは、一歩前に出た。
「ハイウェジ」
「ファルス、おれは言った。そ、組織のために命を懸けていると。誰が相手でも、それは変わらない」
だが……彼は理解しているのか? さっきデクリオンが言った目標を知っているのか?
「わかっているのか。パッシャが何を目指しているのか、知っているのか」
「わ、わからなくてもいい。おれは組織のために生きて死ぬ。せ、世界を平和にするまで、何もかもを捧げる。ま、迷いはない」
だが、さっきデクリオンが言ったことが本当なら。その平和とは、全人類の根絶によってしか達成され得ないのに。
本当にわかっているのか?
「待て、ハイウェジ」
後ろからデクリオンが声をかける。
「な、なんだ」
「お前には他に大事な仕事がある」
横合いからウァールが近付くと、ごく自然な動きで彼をその場から押し出した。弾きだされた先は、クレーターの内側だ。
「なっ!?」
これにはさすがに、俺だけでなく、パッシャのメンバーを除く全員が目を疑った。
「何を! デクリオン! ハイウェジはお前らの仲間じゃなかったのか!」
「仲間だとも。大事な大事な……そう、今日まで大事に育ててきた」
「どうしてこんな」
不死身の肉体を持つハイウェジといえども、その身体能力は常識の範囲内に収まるものでしかない。せいぜいちょっとした怪力が備わっている程度だ。もがこうがあがこうが、やはりこのクレーターの内側を埋め尽くす細かい土砂の中を這い上がることはできそうになかった。
だが、彼はすぐ我に返り、暴れるのをやめた。そして上を向いて、叫んだ。
「な、なぜだ!」
彼の叫びに、デクリオンは静かに応えた。
「どうしても必要なことだったのだよ。済まなかったね」
「そ、そうじゃない!」
だが、彼の憤りは、命を奪われることそのものにはなかった。
「ど、どうしておれに、死んでくれと言ってくれなかった! そ、そうすればおれは……おれは……」
思わず息が詰まった。
使い捨てられても構わない。どんなに苦しんでもいい。命も捧げる。その気持ちには一切曇りがなかった。なのに、それを信じてはもらえなかったのだ。
「お、おれは……組織を、家族、だと」
それ以上、言葉にならなかった。彼の縫い合わされた目からは、赤い血涙がこぼれ落ちていた。
「い、今まで、なんのため、に……」
それを最後に、彼の姿も泥沼の底に消えた。
「何がしてぇんだ、てめぇら」
乾いた声だったが、ジョイスが憤っているのがわかった。仲間すら切り捨てるパッシャのやり方に、心底嫌悪をおぼえているのだ。
「何が? 何がしたいかって?」
「チッ」
キースは察した。機会を窺いながら、それを逸してしまった。
今のハイウェジの転落は、彼にも予想できなかった。だが、まさにこの行為こそが、パッシャの目的達成の最後のピースだったとわかってしまったのだ。
「古代の叡智の結晶を、大いなる神の秘密の力を、現代に甦らせる。それが組織の悲願だった。一千年前、我らはそれを為した。それがゆえに疎まれて、追われ続ける身となったのだ」
もはや恐れるものは何もないと、デクリオンは一人、前に出た。
その時、小さな震動が俺達の足下を揺るがした。
「ついにその時がきた! 今こそ世界を修復する時!」
歓喜に顔を歪ませながら、デクリオンは絶叫した。
「目覚めよ! クロル・アルジン!」
三十五章、ここで終わりです。
が、続けて三十六章が始まります。




