暗雲、いよいよ迫る
「南門も手が回っているか」
疲労の色を滲ませながらも、メディアッシはなお気を張っていた。王宮内の植え込みに身を潜め、遠目に門を確認する。
そこにはただ兵士が立たされているだけでなく、簡易的なバリケードまで設置されていた。内外いずれからの通行であっても、なんとしても許さないつもりらしい。
「黒尽くめもいますね」
ビルムラールも小さな声で言う。
ここから見る限りでも、大人より背が低い。まだ成長途中の少年少女だ。ただ、既に神通力には覚醒している。明らかにパッシャの下級戦士だ。そういえば、フォレスティアの内乱の際にも、クローマーがこうした若年の戦士を引き連れていた。
「ベルバードめ、どういうつもりじゃ」
メディアッシは苛立ちを言葉にした。
「仮に今だけ王宮を占拠しようが、先などなかろうに。こうも表立ってパッシャと手を組んだとあれば、世界中が敵に回るに決まっておる。先祖代々の名誉を放り出して、これからどうするつもりなのか」
確かに、疑問ではある。
パッシャの関与はそれだけ重大な意味を持つ。よしんばベルバード一人が欲に駆られて悪に手を染めたにせよ、配下の兵士や部隊長にも、それぞれ考える頭があるはずだ。
この状況が外国に伝わろうものなら、帝都はポロルカ王国に対して討伐命令を発するだろう。その命令そのものに強制力などないが、周辺各国にしてみれば、大義名分のある状況で侵略戦争に乗り出せることになる。そして、そのような国々の背中を他の国が狙い撃つこともできない。
例えば、赤の血盟が帝都の要求に従って出兵したとする。この後背をタンディラールが衝こうとしたなら、ヤノブル王はエスタ=フォレスティア王国に対して、パッシャに援軍を送った国と名指しして攻め込むことができてしまう。
お飾り同然と言われることもある帝都だが、それでもその権威には無視しがたいものがある。
つまり、多少なりとも教育を受けた人間なら、この後に何が起きるかを理解できるはずなのだ。ただの反乱ではなく、パッシャと手を組んだという時点で、全世界の軍隊が攻め寄せてくる可能性がある。わざわざ袋叩きされることが確定する立場になりたいだろうか?
「ファルス、強行突破ではまずいのか」
フィラックにそう言われて、俺は考え込んだ。なぜ逃げ隠れするのか?
最悪のケースというのは、例えばアーウィンのような脅威が俺達を発見して、即座にやってくることだ。だが、彼はもう、ノーラによって消し飛ばされた。なら、もういいんじゃないのか?
「……慎重にした方がいい気がするので」
イーグーを倒したのはアーウィンだろうか? その可能性は高い。だが、もしそれ以外にも強敵がいるとすれば。
何かあるのは間違いない。スーディアで、使徒は俺に狩りをせよと言った。その獲物の中には、アーウィンすら含まれていたのだ。だから、イーグーを派遣したのが使徒だと前提すると、今回、俺が相手取る最大の強敵があの程度なら、ちょっと辻褄が合わないことになる。
「門から出るのは難しいでしょう。ここは目立たない壁を探して、また魔術で坂を拵えて外を目指した方がよさそうです」
「確かに、仲間を呼ばれたら厄介だしな」
あそこにいる程度の兵士が相手なら、俺がやるまでもない。キースがひと暴れすればすぐ全滅だろう。パッシャの少年兵が厄介だが、ノーラはもちろん、ペルジャラナンやシャルトゥノーマもいる。はっきり言って、そこらの一部隊を相手どるくらいなら、過剰戦力だ。
それでも、まだわからないことも多すぎる。臆病なくらいでちょうどいい。
「いったん、宮殿の奥に引き返そう」
「それなら」
思い出したようにメディアッシが言った。
「どうせ戻るのなら、国宝を持ち出しておいた方がよかろうな。まだ奪われておらねばだが」
「国宝といいますと」
「霊槍ホムラと、霊扇バショウセンのことじゃ。王太子殿下が携えていらっしゃるはずの霊剣シロガネの行方はわからぬが……いずれもギシアン・チーレムに由来する至宝ゆえ、万一にもパッシャなどに奪わせてはならん。特にホムラだけは」
これら国宝の保管場所は、一般には知られていない。置かれている場所を把握しているのは王族と、四色の王衣達だけらしい。本来なら俺達を連れていくのもルール違反らしいが、今はそれどころではない。
メディアッシは先頭切って歩きだし、背中合わせの壁の狭間を歩いた。その先には、さっき見た奥の間の古びた住居とそっくりの色合いの、小さな祠のような建物があった。
中に立ち入ると、さして広くもない部屋が一間、あるだけだった。向かいの壁には女神の浮彫が施されているが、それだけだ。個人的に祈りをささげるための場所。そう見える。だが、メディアッシとヒランは、部屋の隅の敷石に指を差し込み、それを引き開けた。そこには空洞が広がっていた。
「この下だ」
「待て、ヒラン」
彼は何かを確かめるように数秒間、その場でじっとしていた。
「何か臭いがしないか」
「言われてみれば、確かに」
「僕が先行します。後ろで空気の浄化と、照明を」
下へと滑り込むと、そこは一本道の通路になっていた。少し進むと、視界に黒い塊が映った。
「これですね」
「なんと、こんなところにも黒尽くめが」
「死んでいるようだが」
無惨な遺体だった。恐らくは十二、三歳くらいの少女で、体はよく鍛えられていた。だが、胸から上の右半身が、炭化するほど焼け焦げている。
「これは、メノラックがやったのか」
赤の王衣なら、火魔術にも熟達しているだろう。あり得ることだった。
「しかし、こんなところにまでパッシャが入り込んでいようとは」
「さっきティーン殿下が殺害されていましたから。ここのことも聞きだした後かもしれません」
ただ、それならこんなところに下級戦士の死体があるというのもおかしい。いや、或いはここを守る王国側の誰かと交戦した結果、遺体を放置して撤退しただけなのかもしれないが……
「もう、お宝は持ち出された後かもな」
キースがボソッと言った。
少し進んだところで、急に部屋が広くなった。
正面には石造りの台が二つ。片方は霊槍のためのものだろう。もう一つは霊扇のためのものらしいが、意外と大きな台座がある。どちらにしても、そこには何も置かれていなかった。
ではもぬけの殻かといえば、そうでもなく。そこには、一人の黒尽くめが立っていた。
「待て!」
俺はまず叫んだ。問答無用の攻撃が始まらないように。
「なぜ止めるのですか」
すぐ後ろにいるビルムラールが尋ねるが、俺は構わず、その黒衣の少年に言った。
「ニドだな」
すると彼は、黙って顔を覆う頭巾を剥ぎ取った。
「久しぶりだ」
「どこかにいるとは思っていた」
だが、これでいろいろと繋がってきた。
「さっきのパッシャの少女は、お前がやったんだな」
「仕方ねぇだろ。どうやら俺は追われてるらしいんだ」
「その話も聞きたいが、ここにあった宝物はどうした」
ニドは両手を広げて肩を竦めた。
「知らねぇよ。赤い服着た野郎が持ち出した後だ」
「なら、お前はどうしてここにいる」
「お前らが来ると思ったからさ」
彼は、皮肉めいた笑みを浮かべて言った。
「逃げ道、探してるんだろ?」
十分後、俺達は金獅子軍団が普段使用しているはずの、簡素な見張り小屋の中にいた。
「この床下だ……ほら」
床板を外した先には、トンネルができていた。そこに降りたヒランは土壁に触れ、奥まで見渡してから、思わず叫んでしまった。
「あり得ない! なぜこんなものがある!」
「あり得ないって言われてもねぇ? ここから王宮の外に出られるのは事実だしなぁ」
同じく下に降りたメディアッシも、狼狽を隠せなかった。
「このような形で王宮に入るのは、本来できぬことなのでな」
「へぇ?」
「敷地の中心部を囲むように、古代の警報装置がある。その範囲内で魔法を使うなどすれば、すぐさまわかるようになっておる。それは地下でも同じことじゃ。このような地下通路を築くのに、ほれ、見よ……通路の左右に石や木で支柱を置いてあるのでもない。ただ、土を硬化させただけじゃ。となれば、ここで魔法を使ったはず……ということは」
ヒランは顔を真っ赤にさせて、小刻みに震えていた。
「誰かが……王衣の一族の誰かが、内通しておったということか」
「ホムラもなかった。ということは、メノラックめが、持ち出したのだろう。もしあやつが王家を裏切るつもりとなれば、由々しき事じゃ。ホムラで火魔術を使われたら、わしらではどうにもならん」
だが、今、解決すべき問題はそれではない。
「それよりニド、この通路は安全なのか」
「知らねぇけど、もう使い道はねぇだろうからな。ちょっと前に見た時には、誰も見張りなんざいなかった。組織としちゃ、ここでやることはもうやりきったんだろ」
「どうしてわかる」
「組織の船が、ブイープ島に向かったらしいからな」
俺が理解できずにいるとわかって、彼は説明を付け加えた。
「あー、要するにな、下っ端には攪乱命令出てんだよ。王宮内で暴れて人ぶっ殺して。狙いがこっちだって思わせろって話」
「追われてるんだろう? どうしてわかった」
「下っ端が全員、俺の顔知ってるわけねぇからよ。ま、そいつがバレたから始末したんだけどな」
つまり、幹部はほとんど島に渡航している。ここにはろくに指揮者がいない状況だ。かつ、王宮内での活動はもう、ほぼ終わっている。
だから、この隠し通路を隠しておく必要もなくなった……
「それは、もう」
なんとなくだが、ノーラは危機が迫っているらしいと悟ったようだった。
あれこれ投げっぱなしで島に向かった。後始末などいらないと言わんばかりではないか。
「とにかく」
ビルムラールが俺達を促した。
「早くここから出てしまいましょう。見つかっては元も子もありません」
長い通路の先にあったのは、古い民家だった。
何の変哲もない、市街地の中の一軒家でしかない。人が暮らしていた形跡はなく、ただ大勢の人が行き交ったらしく、土や泥で床が汚れていただけだった。
「さて、これからどうするか……」
ヒランは顎に手をやり、考え込んでしまった。
どうも後手後手に回っている。パッシャの関与が確定的になったから、その件を王族に伝達するため、俺達は王宮を目指していた。ところがパッシャは既に先を行っていて、攪乱目的で暴動を起こし、銀鷲軍団の協力も取り付けた。だが、彼らの本当の狙いはブイープ島にあるらしく、既にそちらに幹部が集結しているという。
「二手に分かれよう」
メディアッシが提案した。
「パッシャの狙いはわからぬが、殿下を奴らの手に渡してはならん。だが、奴らが禁制地の島で何をしようとしているかも見極めねばなるまい」
だが、島に向かえば、パッシャの幹部を相手に立ち回ることになる。そうなると……
「フィラック、それにクー、ラピ。殿下の傍にいて、守って欲しい」
彼らの力では、残念だが却って足手纏いになる。それに、別のところで活躍してもらえばいい。
「タウル、ワングとフリュミーさんに連絡を。船が動かせるようだったら、最悪の場合、殿下を連れて赤の血盟に助けを求めるように。無理に僕に連絡しようとしなくていい。これはパッシャによる王国転覆だ。ティズ様も助けないということはないはず」
「わかった」
ヒランもすぐ考えを決めた。
「では、ビルムラール。私が殿下の身柄を預かるゆえ、お前はファルス殿に同行せよ。パッシャの目的を確かめてくるように」
「はい」
メディアッシも言い添えた。
「殿下、お疲れのところ申し訳ございませんが、港まではついてきていただく必要がございますぞ。青玉鮫軍団の兵が残っておれば、命を下していただく必要がありますからな」
「……わかっている」
ついさっき、実母が暴徒の手によって転落死させられるところを目にしたばかりなのだ。目は虚ろで、表情はない。
俺達は通りに出た。
時刻はもう昼近いのに、相変わらず人通りはなく、静まり返っていた。家々の門は虚ろに開け放たれているか、さもなければ固く閉じられていた。
空は今にも降り出しそうなくらいに黒雲が犇めいていた。その輪郭は、不吉にも赤く染まって見えた。




