痛苦の生涯
信じがたい光景だった。
シェフリ家の応接間には、俺とハイウェジの二人きり。ローテーブルの上には紅茶と菓子まで置かれている。重く垂れさがったカーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。それが彼の顔を半分だけ照らすのだが、そのせいで彼の血色の悪さが余計に引き立つばかりなのだ。
「で、何を話したくて、ここまで……」
どう会話すればいいのか、見当がつかない。自然、言葉も尻すぼみになる。
「ファルス」
だが、ハイウェジは迷わなかった。
「そ、組織に加わってくれないか」
「何を言っているんだ」
単刀直入と言おうか。言葉の意味はわかるが、その結論に至るプロセスがわからない。どうして俺が誘われたからってパッシャの一員になると思うのか。
「スーディアで何をしたのかを忘れたのか」
「ファッ、ファルス、スーディアでアーウィンに何を言われたのか、忘れたのか」
なるほど。
確かに俺は、組織に加わるよう勧誘されてはいた。
「何百人もの命を当たり前のように奪うお前達の仲間に、どうして俺がなりたがると思うんだ」
「そ、それならもう、心配いらない」
だが、ハイウェジは軽く首を揺するばかりだった。
「も、もう、お前がひ、人を、殺す必要なんて、ない」
「なに?」
「ほ、本当のこと、言う」
彼の表情は、実に晴れやかだった。もう、何の悩みもないと言わんばかりだ。
「デクリオンは、もうファルスを無理に誘わなくていいと、言った」
「なんだって?」
「これは、お、おれの、独断だ」
ちょっと引っかかる。
アーウィンと同じことを言っているのに、これは独断だという。そういえばアーウィンは、ノーラを襲った人物のことを「たぶんマバディだ」と言っていた。
では、パッシャ内部の動きが統一されていないのだろうか? 或いはみんな、ある程度、今は自由裁量で動いているのか。
なお、言うまでもなく、他の仲間が聞き耳をたてているので、この会話は筒抜けだ。
「で、でも、お前は悪い奴じゃない。助けてやりたい」
「どうして悪い奴じゃないとわかる」
「スーディアで見た。お前は、一人でも多く助けようとしていた。シュプンツェにも立ち向かった」
その、命懸けの活躍というのは、いったい誰のせいで引き起こされたと思っているのか。
「余計な真似をしでかす連中さえいなければ、あんな思いはしないで済んだ」
「何百人も殺した。あれは、ひどいと思っている」
まさかの反省の弁ときた。
パッシャのくせに、殺人を悔いるのか。
「ひどいのなら、どうしてやらかしたんだ」
「ひ、必要だから」
ふん、と小さく鼻で笑った。
結局は組織の論理が優先か。
「でも、もう大丈夫、これからはもう、誰も苦しまない、悲しまない」
「そんな都合のいい話があるか。お前らに殺された連中は、幽冥魔境を彷徨いながら、今も恨んでるだろうな」
俺の、どちらかといえば攻撃的な物言いに、彼は逆らわなかった。
「お、おれは悪いことをしている、それは、知っている」
「だったらなぜやめない? 逆に、パッシャを抜けたいのなら、力になってやる」
「それは、できない」
「どうして」
「世界を、救えなくなる」
世界を救うとは、随分と大きく出たものだ。
「世界を救うために一方的に誰かを犠牲にして、正義の味方面か。身勝手そのものだな」
「そ、それもなんとかすると、デクリオンは言っていた」
「なんとか? 殺しておいて、なんとかなるのか」
「お、おれにはわからないけど、ちゃんとすると言っていた」
わからないのに……
もしかして、それなりの情報が得られるのではないかと思って、俺は大人しく彼のいうように話し合いに応じてみたのだが、案外、収穫は少ないのかもしれない。
「で、でも、ファルス、お前は、組織のことを誤解している」
「誤解なんてしてないだろう。当たり前のように人の命を刈り取っていく。使い捨てる。そういう連中だ」
「違う。お、おれは、組織に救われた。き、聞いてくれ」
それだけ言うと、彼は深呼吸した。
「おれは、セリパシア神聖教国の南の外れに生まれた……」
ハイウェジの人生は、その最初から悲劇的だった。
セリパス教徒の考え方は、今も昔も変わらない。健全な肉体にこそ、健全な魂が宿る。だから出来損ないの肉体で生まれてくるというのは、それ自体、罪深さを証明する材料になる。そして彼は、生まれつき盲目だった。
身体的に欠損がある子供は、教会に引き取られることがある。一般には知られていないが、その一部は神聖教国の暗部として、厳しく鍛えられたりもする。だが、いくらなんでもまったく目の見えない子供を訓練するメリットはなかった。司祭は彼の両親に、自宅での養育を命じた。それは二人を失望させた。無駄飯食らいの足手纏い、生まれながらの罪人を、死ぬまで面倒見なくてはいけないからだ。
だから、物心ついたときから、既にして彼は冷遇されていた。
「よ、四歳で、おれは手探りで雑草を麦と区別して、引っこ抜くのを覚えた」
彼はごく平凡な農家の生まれだ。
だが、農作業といっても、その幼さではできることに限りがある。土を耕す力などないし、農耕用の牛を管理するのも無理。となれば、雑草をとるくらいしかできなかった。彼は最低限の水と食料だけ与えられて、あとは一日中、畑に放り出された。
爪を泥だらけにして休まず働いても、優しい言葉一つ、かけてもらえることもなかった。それどころか、下に弟と妹ができると、ますます両親は彼につらく当たった。それでも、いつか受け入れてもらえる日がくると信じて……いや、そう思うしかなかった。小さな希望、あり得ない夢の火を心の中に灯しながら、苦しい日々をやり過ごすしかなかったのだ。
「で、でも、六歳で……売られた」
両親は、わざわざ遠くの土地まで出かけていった。農作物を売るためだと言って、マルカーズ連合国の北端の街に行き、そこでハイウェジを叩き売ったのだ。
これは、言い訳のできるやり方だった。要するに、外国での商売に息子を連れていったら、そこで生き別れになってしまったのだと、そういう筋書きだった。
悪かったのは、買わされた方が詳細を知らされなかったことだ。まさか全盲の子供を押し付けられるとは思っておらず、それと気付いた時にはもう手遅れだった。怒りに駆られた奴隷商人は、何の非もないハイウェジに暴行を加えだした。
だが、そこに割って入った何者かがいた。
「俺は、その人に買われた」
ハイウェジを買い取ったのは、パッシャの構成員だった。この辺は、クローマーと同じなのだろう。不遇な少年少女を引き取って、組織のために働くよう教育する。そうすることでパッシャは存続してきたのだ。
彼はシャハーマイトから船に乗り、ムスタムを経由して真珠の首飾りを経て……その後、陸路でもどこかに移動したのだろうが、当時の彼にはわからない道筋だった。とにかく、パッシャの本部に連れていかれた。
そこでハイウェジは、これまでの人生で聞いたこともないような優しい言葉をかけられた。
『私達のために働いてくれれば、君は私達の家族になれる』
だが、彼の返事は、真っ黒な絶望に染まっていた。
「お、おれは言った。殺してください、と」
「なぜ?」
彼の返答に俺は驚いて、思わず腰を浮かせてしまった。喜んで組織に加わったのかと思ったのに。
ハイウェジは静かに首を振った。
「おれは目が見えない、何の役にも立てない、役立たずだから家族にも売られた、優しくしてくれてありがとう、迷惑にならないうちに死なせて欲しい、そう言った」
理解できてしまった。
当時の彼は、死ぬことより愛されないことの方がずっとつらくて恐ろしかったのだ。
彼の発言を受けて、当時の組織の幹部達は話し合った。
実のところ、目が見えない件に関しては、パッシャにとっては必ずしも決定的な問題ではなかった。それを補う神通力の知識があったから。よしんば視力を得られないにせよ、別の能力に覚醒してくれれば使いようはある。また、暗殺などに使うにしても、盲人ゆえに標的の油断を誘いやすいという利点もある。
だが、何より魅力的だったのは、彼のその愛への飢えだったのかもしれない。
「その覚悟があるのなら、特別な儀式を受けてはどうか、と言われた」
「儀式?」
「こ、この話は、組織の機密だ。でも、俺も自分に何があったか、どこに行ったかを見てはいない。だから大したことは知らない。それでも、お前は話を聞いてくれたから、特別に話す」
魔王に仕える闇の組織の幹部にしては、なんと純朴な態度だろうか。
ハイウェジは、彼自身説明できない、とある場所に連れていかれた。
そこでただ突っ立っていただけなのだが、ある瞬間、激しい衝撃を覚えて昏倒した。目が覚めたのは、それからしばらくしてからだった。
「特別な力に目覚めた、と教えられた」
それは、彼の能力の秘密そのものだった。
「おれは、痛みを溜め込むことができる」
「痛み?」
「そ、そう。痛みを味わえば味わっただけ、命が増える。どんなに痛めつけられても、傷が治ってしまう。でも、最初はそうじゃなかった」
ハイウェジが得た能力。それは、それまでの人生で味わった苦痛の分だけ、再生能力を発揮できるというものだった。
恐らく、ピアシング・ハンドが表示している『痛苦の生』がそれなのだろう。だが、だとすると、この能力を引っこ抜いても、すぐには機能しない可能性が高い。多分、この能力を移植してから、痛みを蓄積する必要があるからだ。
彼といいハビといい、どうしてこんな、極端で使いにくい能力を身に着けたのか。いや、選べるものではないのかもしれない。儀式によって半自動的に設定されるようなものなのだろう。
「お、おれは、痛みに耐えたいと言った」
最初は、背中を鞭打つところから始まった。自然治癒する程度の痛みから。だが、肉体がそれに耐えられるようになってくると、能力を伸ばすための拷問はエスカレートした。
「おれの目、初めて役に立った」
「えっ?」
「見ろ」
縫い合わされた右目の紐をスッと引いて緩める。そうして見えたものは……
「く、釘!?」
小さな金色の釘がいくつも、彼の眼球に突き刺さっていた。自分にやられたわけでもないのに、見ているだけで痛みを想像してしまって、なんだか気分が悪くなる。
「こ、これだけじゃない」
指で瞼を閉じて、元通り紐を引き締める。
「体のあちこちに、小さな釘が刺さったまま。立っても、座っても、横になっても痛みがある。十年前から、毒以外は、何も飲み食いしていない」
想像を絶する回復力だ。
なるほど、スーディアでアドラットの一撃を受けても平然としていたわけだ。
「三十年、ずっと痛みを積み重ねてきた。今のおれは、首を切り落とされたくらいでは死なない」
とするなら、これはもう『魔導治癒』や『超回復』をも上回る能力なのではないか。ただ、その代償が大きすぎる。
多分、ハイウェジの人生のほとんどは苦痛でできている。朝起きてから夜寝るまで、ずっと体中が痛み続けるのだ。いや、寝る時ですら、熟睡はできない。常に常に苦痛を溜め込み続けなくてはいけないのだから。常人であれば、とっくに気が狂っている。
それは、その他の能力を発揮する際にも障害となるだろう。痛みが常にある状況では、集中力も思考力も妨げられる。戦うために手足を振り回すだけで、あちこちから刺すような痛みが走るのだ。
「な、なくしたものもある。せっかく出してもらったお茶とお菓子、これは食べられない」
「なぜ……いや」
「そう、せっかく十年も断食しているのに、痛みが和らいでしまう、それはできない」
彼の苦行は、何に支えられているのか。
だが、その答えはもう、彼自身が語っている。
「世界を救うため、か」
「そ、そう。おれは、おれみたいな子供が生まれないようにしたい。デクリオンは約束した。だから、おれはなんでもやる。悪いことでも。だけど、世界から悪いものがなくなったら、その時は……死刑になっても構わない」
さすがに、俺も態度を決めかねた。
これをただのポジショントークとか、言葉のトリックとして片付けるには、彼の苦痛は度を越していた。彼は確かに、自分を犠牲にして正義を果たそうとしている。そう見えてしまう。
「おれに大事な仕事を与えてくれた組織は、おれにとって、家族だ。わかるか」
俺には、その気持ちがわかってしまう。
決して満たされないはずの思いが、届いてしまったという奇跡。想像を絶する苦痛を耐え抜けば、そこには確かな絆がある。だとしたら……
「ファルス、悪いことにはならない。組織に加わらないか」
「……済まない。話はわかった。わかったが」
「そうか」
彼は静かに立ち上がった。
「お、お前のことは、嫌ってない。だけど、組織のためなら、おれは」
今がチャンスだ。
こいつは剣でも魔法でも殺しきれない。ピアシング・ハンドでなら殺せるだろう。だが、ついさっきノーラに能力を移植したばかりだ。では、どうすればいい? 俺は内心で悩み続けた。
「お前とも戦わなければいけない」
「それも、わかっている」
だが、どうだろう?
ハイウェジ自身は確かに死なない。だが、死なないという特徴があるだけだ。あとの能力は、たかが知れている。多少の怪力があるだけで、武術の腕もそこそこでしかない。おまけにこのお人よしだ。
殺そうと思えば、次の機会にピアシング・ハンドで片付けてもいいし、なんならそこまでせずとも、何かの手段で拘束してしまえばいい。魔術で眠るかどうかはわからないが、薬剤で眠らせたり、どこかに閉じ込めたりといったやり方で対応できる。俺がいなくても、ハイウェジがそういうものと承知してさえいれば、キース、いや、ジョイスでも対応できるだろう。
ハイウェジは立ち去ろうとして、振り返った。
「おれを片付けようとはしないのか」
それでも。
こいつは敵だ。敵になる。
「……帰っていい。ただ、できれば、僕らがここから立ち去る時間くらいは」
すると、ハイウェジは小さく笑い声を漏らした。
「ファルス、お前はやっぱりいいやつだ。は、話ができて良かった」
そのまま、彼は足音を響かせて、廊下から外へと歩き去っていった。
> この世界の勢力図はどうなっているのか
というご質問をいただいたので、以下、簡単に、本編の現在進行中の出来事に関する部分を中心に簡単に纏めました。
・既存の国家は、基本的に六大国をベースにしている
西方大陸 :セリパシア王国(嫡流は滅亡)、フォレスティア王国、サハリア王国
南方大陸 :ポロルカ王国
東方大陸 :チャナ王国(滅亡)
東方の群島:ワノノマ
チーレム島:帝都パドマ(+旧インセリア王国領)
セリパシア王国は、セリパス教をベースとしたセリパシア帝国を母体とする王国
諸国戦争期に滅亡、一部が東方のアルディニアに逃れて存続
本土は教会が権力を掌握するセリパシア神聖教国に
フォレスティア王国は、世界統一に際して戦勝国側に
セリパシア帝国から現在のマルカーズ連合の領域を割譲される
諸国戦争期に三分され、西からマルカーズ連合、シモール=フォレスティア王国、エスタ=フォレスティア王国に
このうち王家の血筋を残しているのは東の二国
サハリアは世界統一前は、西側はセリパシア帝国領、東側は砂漠を挟んで独立した豪族達の支配地だった
世界統一でワディラム王国が成立
諸国戦争期に東西で分割され、東側は豪族の支配領域に戻る
ごく最近まで、北部の赤の血盟と南部の黒の鉄鎖に分かれて争っていた
ポロルカ帝国は三千年前から南方大陸全域を支配していた
一千年前の世界統一で新たに統一世界秩序の下でポロルカ王国として新生
諸国戦争期に大打撃を受け、独立したサハリア豪族によって西岸地域を侵略され
暗黒時代の中期には海賊王ルアンクーの台頭により、大陸の南部を除く支配地域を喪失
ルアンクーの死後も彼の残した王国が二つ
北部のベッセヘム王国は後に海側のティンプー王国、金山をもつクース王国、大森林付近のウンク王国に分割
南部のトゥワタリ王国はポロルカ王国の属国として存続
北東部はハンファン人の移住した地域で、ポロルカ王国の支配は現在及んでいない
東方大陸は、北西部にフォレス人の集団居住した地域が存在(旧インセリア王国)
ギシアン・チーレムの挙兵に協力したのち、世界統一に伴ってインセリア公国として帝都を支える穀倉地帯に
その他の地域は南東部の大勢力を母体にチャナ王国の支配下に
諸国戦争期に偽帝アルティに大敗し王を失ったことなどが原因で滅亡
以後、暗黒時代を通して軍閥が割拠、今では南東部は共和制に移行
北西部は今も帝都の同盟国(事実上の属国)
ワノノマは龍神モゥハを擁し、魔物討伐隊を派遣している
どの国の政争にも基本、関与しない
但し、魔王を敵視している
帝都は皇帝の遺命を受け継いでいるとしている
世界各地に女神挺身隊を送るなど、魔王に対する戦争を展開している
どっちにせよ、パッシャは魔王イーヴォ・ルーに仕える存在ということで、どこかから公的に承認を受けられるような集団ではありません。
> 人物名と所属団体が記憶にない
こちらはごく簡単に……
<パッシャ>
・デクリオン 「代行者」でパッシャの代表、老魔術師
・アーウィン 優れた能力を持つ謎の人物
・ウァール 体の右半分が刺青、元贖罪の民
・ハビ サハリアの戦役を裏から攪乱した、ファルスに討たれた
・モート 南部シュライ人、巨漢
・マバディ スーディアでゴーファトの影に隠れていた
・ハイウェジ ルイン人、殺されても死なない
・クー・クローマー ファルスが初めて出会ったパッシャの戦士
・ニド(ウィスト) パッシャに加入していたことがあった、元奴隷仲間
<ポロルカ王国>
・イーク王太子 次期国王
・ドゥサラ王子 甘ちゃん王子、キースにぶちのめされた
・ティーン王子 投獄されたファルスにキレた人
・チャール王子 ノーラに求婚した14歳の少年
・メノラック・メラフ 赤の王衣
・メディアッシ・ビルー 青の王衣
・ヒラン・シェフリ 緑の王衣(現在謹慎中)
・ビルムラール・シェフリ ヒランの息子
・バフー・クニン 黄の王衣
・ケマティアン 金獅子軍団の将軍
・ベルバード 銀鷲軍団の将軍
・ヴィデルコ 緑玉蛇軍団の将軍
・ジーヴィット 紅玉蠍軍団の将軍
・バンサワン 貴族
・バグワン 地方領主、毒殺された
<魔物討伐隊>
・ザン 現在、ラージュドゥハーニーにいる魔物討伐隊のリーダー
・タバック 副長
・クアオ ファルスの知人、かつてはヤレルの下で戦った




