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ここではありふれた物語  作者: 越智 翔
第三十五章 南海の暗雲
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黒い毒牙と解毒剤

「いけるはずです」

「下手をしたら打ち首……ですね」


 夜の湿った空気。そこに熱を帯びた俺達の吐息が混じる。


 点々と灯された篝火に照らされて、王宮を囲む高い壁が見える。その前には一定間隔で衛兵が槍を手に立っている。

 弱兵揃いのポロルカ王国とはいえ、金獅子軍団の中の選り抜きが、宮殿を守護する任務に当たっているのだ。無論、選抜された兵士がそこまで強いかといえば、そんなことはない。ついこの前まで戦争をしていたサハリア兵よりずっと劣るだろう。ただ、職務への責任感だけはある。だから普通に待っていても居眠りなんかしてくれないし、買収だってできない。魔術によるか、倒してしまうかでなければ、王宮の壁にとりつくなど不可能だ。

 たった今、クーとラピが目の前の兵士の意識を混乱させた。俺達が目の前を素通りしても、何も言ってこない。


「ビビってもしょうがねぇだろ。ほら、縄貸せ」


 ジョイスが前に出た。壁歩きの神通力があるおかげで、こういう場合には便利だ。目の前の壁は隙間なく石を積み上げた代物で、表面はすべすべしている。これに取りついて這い上がるとなったら、相当に大変だったはずだ。

 予めロープには一定間隔で結び目を作ってある。これで体力のないクーやラピも、手を滑らせずに壁を登ることができる。最後尾の俺が壁の上から暗い庭の地面に降り立つと同時に、ロープも巻き取られた。帰りもこの壁を乗り越えていきたい。その時にはノーラがいるから、兵士を眩惑するのもより簡単になるだろう。


 一切がうまくいけば、だが。


「ついてこい。ここからは声を出すな」


 タウルが先頭に立った。腰を落とし、植え込みの間を這うようにして進む。見事なものだ。足下の落ち葉や草を踏んでも、ほとんど音をたてない。周囲の様子を窺うために動きを止めることもある。木々を盾にして通路の方を覗き見るのだが、彼は決して上から頭を出すような間抜けをしなかった。横からそっと向こうを眺めやる。


 王宮の敷地は広い。一晩中、全域を見張り続けるなんてできない。だから、異状がないかを確かめるため、定期的に兵士達が巡回する。

 今、俺達は王宮の南側から侵入した。門を除けばそちら側は緑の木々に覆われているが、少し先に進むと、そこは石畳の広い通路に置き換わる。


 先行するタウルが黙って腕を差し伸べ、下に向ける。俺達は一斉に伏せた。規則正しい足音が迫り来て、また去っていく。

 この石畳から先は、魔法はなるべく使わない。ノーラが王宮を出ようとしたときに兵士が殺到していたのが、この辺だ。統一時代から一度も侵略を受けず、破壊されなかった宮殿だ。その頃、魔法は今よりずっと広く用いられていたし、その費用は安価、技術は高度だった。だから警報装置が作られた。今もそれが生きていて、この王宮を魔術から守っているらしい。この辺は、ビルムラールから聞いた話だという。


 通路に誰もいないことを確かめると、タウルはまっすぐ立ち、堂々と石畳の上を歩いた。意図を悟ると、俺も同じようにまっすぐに立ち、身を縮めるクーやラピの背中を軽く叩いた。

 この暗さだ。一瞬で俺達を見分けられる衛兵など、そうはいないだろう。ごく自然な様子で歩いていれば、下働きの誰かだと思ってもらえるかもしれない。

 これが隠密ということなのだ。ただ隠れればいいのではない。大事なのは、景色の中に溶け込むこと。それをタウルはよく承知していた。


 とはいえ、この先に二つ目の壁がある。あの門を正面突破するのは難しい。今度は魔術にも頼れない。

 あの壁の向こうが、本当の王宮だ。目の前に大きな黒い断崖絶壁が聳えているが、あの上の方にあるのが、前に第二王子ドゥサラと面会した宮殿だ。

 俺達は横に逸れ、城壁が塔のように迫り出しているところを見つけて、その物陰に滑り込んだ。


 他に作戦はない。この壁をもう一度、さっきと同じやり方で乗り越える。但し、行くのはタウルとラピだけ。ラピの服装は、宮殿で働く下級の侍女と同じようなものにしてある。タウルは、同じく下働きの男という顔をしてついていく。ノーラと合流したら、この地点まで戻ってくる。

 そしてそれまでの間、俺とクー、そしてジョイスはこの場に居残る。魔術で身を隠すこともできない状態で。だから、いかに早くノーラと合流するかが問題だ。それならここまで来なければいいということなのだが、そうはいかない。タウルとラピがしくじった場合にカバーが利かなくなるからだ。


 そうして、俺達はしばらくその場で待った。

 立ち止まって見ると、音もなく静かに空気が流れているのが感じられた。いや、感じてしまうのだ。まるで落ち着けない。俺自身が現場に行けないことが、こんなに心細いとは。

 大丈夫、難しいことはない、ノーラも今夜王宮から出ることは承知している、そのために動き出してもいるはずだ……


「大変です」


 不意にクーが声を出した。ジョイスが反射的に黙らせようとして、すぐ口を噤む。

 ラピからの通信を受け取ったということなのだ。つまり、ノーラ救出の途中でトラブルが起きた。


「何があった」

「ノーラさんが、何者かに襲われました。刃での一撃を首に受けて、大量の血を流していると……」


 震える声で、クーはなんとかそう言った。

 俺とジョイスは目を見合わせた。


「行くぞ」


 ノーラには治癒能力を付与してある。ちょっとやそっとのダメージでは死なないはずだ。だが、最悪の場合も考えられる。

 それより、奇妙なのはその状況だ。ノーラは脱出に際して黒竜のコートを身に着けているはずだし、使徒がくれたあの蝶の髪飾りも手放したりはしていないだろう。つまり、正面から襲いかかったのであれば、たとえそれなりの達人であろうとも、彼女を倒すなどできっこないのだ。つまり、奇襲に成功したということなのだろうが、仮にも宮殿の中で、どうやって?


 ジョイスは壁を駆け上がり、ロープを垂らした。その間に俺は自身の身体強化を済ませ、クーを小脇に抱えた。


「掴まれ」

「は、はい」


 のんびりやっている余裕はない。全力で上まで這い上がると、俺はそのまま、足下へと飛び降りた。ジョイスも続いて、壁を伝って降りてきた。


「どっちだ」

「こっちです」

「ジョイス、悪いけど、クーを運んでくれ。倒すのはこっちでやる」


 ノーラが致命傷を負っていた場合で、かつまだ死んでいなかった場合、どうするか? 種から適当な肉体を取り出して、彼女の肉体と入れ替える。そうすれば、一時的に死を免れることができる。


「教えてくれ」


 走りながら、俺は振り向きもせずに言った。


「ノーラを襲った奴は、どこにいる? まさかまだタウルとラピが相手取ってるなんてことはないだろう」

「は、はい。すぐに宮殿の奥に逃げ去った、ようですが」


 攻撃の意志を見せた時点で、普通は『変性毒』の餌食だ。だから、よっぽど巧妙な奇襲を仕掛けたに違いなく、それができるほどの手練れであれば、タウルやラピも助かるはずがない。だが、そいつは二人を始末せずに、宮殿の奥に向かった。

 奇妙に人通りがなかった。異変に気付いた警備兵も駆けつけてこなかったし、使用人も出歩いていない。真夜中という時間帯を考えれば無理もないのだが、どうにも引っかかった。


「あっ」

「どうした」

「また誰か、別の黒づくめのが来たって」


 新手か。

 気ばかりが急いてくる。


「えっ?」


 クーがラピからの報告を受けて、混乱している。


「細かいこたぁいい、どっちだ!」


 ジョイスが苛立ちながら叫んだ。


「あっ、すみません、このまままっすぐ……ノーラさんが、意識を取り戻したみたいです」


 相当なダメージは負ったが、少しずつ回復しつつある、か。朗報だ。


「そこを右」


 白い壁の向こうにあったのは、半屋外の小部屋だった。宮殿の足場になる岩山と岩山の間を結ぶ渡り廊下に拵えられた、空中の東屋といったところか。冷たい風のよく通る場所だった。部屋の四隅には覆いのかけられた燭台が置かれてあり、そこからオレンジ色の光が漏れていた。

 ここでノーラとタウルは待ち合わせていた。だが、ラピがノーラに駆け寄った瞬間、その背後の影から、急に黒づくめの何者かが飛び出してきた。誰も反応できず、ノーラはまともに一撃を受けてしまった。広い部屋の中、真ん中にテーブルと椅子が置かれているだけで、隠れる場所などなかった。だからタウルもまったく気付けず、どうすることもできなかった。


 ラピが足音に驚いて身を縮め、それから俺とわかると、目元に涙を浮かべた。


「ファルス様……」

「気にするな。それよりノーラは」

「……ファ、ル……」


 かすれ声だ。話すのもつらいらしい。これは、動かしていいのか?

 ノーラは相変わらず床に横たわったまま。クリーム色の床は、彼女の夥しい出血によって、赤黒い水溜まりになってしまっていた。


「傷は」


 彼女の横にしゃがみ込んで、確かめた。表面上は塞がっている。


「あ、あの」

「なんだ」

「さっきの人が、解毒剤だって」


 ラピはガラス瓶を手にしたまま、棒立ちになっている。

 見知らぬ人物から手渡された薬をノーラに使うなど、できなかったのだろう。


 とすると、こういうことか?

 ラピとタウルがノーラと合流した。その瞬間、謎の黒づくめがいきなり現れて、ノーラを襲った。重傷を負ったノーラは昏倒したが、しばらくして別の黒づくめがやってきて、解毒剤を置いていった。その後、ノーラは意識を取り戻した。『魔導治癒』は負傷からの急速な回復を齎すものの、俺自身がハビにやられた経験からも言えるのだが、毒その他の悪影響があると、著しくその効果が損なわれる。


 だが、奇妙だ。どうしてそう都合よく解毒剤を持った誰かがやってきた? ノーラを助ける理由は?

 今、考えることじゃない。それより、一刻も早くここを離れなくては。


 昨夜、ネズミに化けてから既に丸一日が経過している。

 俺はバクシアの種から『病毒耐性』の能力を取り出して、ノーラに移植した。


「タウル、ノーラを運んで欲しい」

「済まない」

「いい。とにかく脱出しよう」


 ラピの報告からすれば、その謎の暗殺者は、無の空間から突然現れたことになる。それを防げなかったからといって、タウルの失態とするのは無茶だろう。それに、責任追及より先にするべきことがある。

 だが……


「気付かれました」


 クーが青ざめながら言った。


「普通の衛兵くらい、なんとでもなる。ジョイス、後ろからの奇襲だけ防いでくれればいい。あとはみんな、僕についてきてくれ」


 曲がり角の向こうから、槍を手にした兵士が三人、顔を見せた。


「なんだ、こいつらは」

「侵入者だ!」


 口々に叫ぶ。遅い。

 せっかく長い得物を持っているのに。驚いているその時間が無駄だ。


 俺は地面すれすれにまで前傾しながら、前へと飛び出した。たったの一足で手の届く距離になる。体を跳ね上げながら掌を彼らの顎に打ち上げる。残った一人が慌てて槍を振りかぶろうとするが、それより先にその場で跳び上がり、身を翻して放った後ろ回し蹴りが彼の顎先を吹っ飛ばしていた。


「急げ」


 手加減はしている。兵士に罪はない。なるべくなら殺したくない。だが、状況が悪化すればそうも言っていられなくなる。

 もう身を隠す意味もない。俺達はまっすぐ外に向かって走り出た。


 宮殿の廊下を抜けると、そこには二つ目の城壁の前に立つ守衛達がいた。


「ファルス、どうする」

「突っ切る!」


 さっき走りながら用意した黄緑色の鏃……『麻痺』の魔法を、守衛の一人に投擲した。それで彼は昏倒したのだが、残りの兵士が俺達に気付いて振り返った。三人くらい、問題ない。

 そう思って俺が一人突出して駆け寄ったところ、連中の一人が小さな笛を取り出した。


「しまった!」


 ピーッ! と甲高い音が、夜の空に鳴り響く。

 逡巡しても仕方ない。こうなってしまったら、もう。開き直って、俺はそのまま猛然と突っかかり、三人を一瞬で打ちのめした。


「くっ……走れ! 正面から出る!」


 どうしてこうなった?

 いや、理由はだいたい見当がつく。誰かはわからないが、今回の件の黒幕は、俺をバグワンの屋敷に留めたり、牢獄に閉じ込めておいたりしたかった。だが、俺は脱出してしまった。そいつは俺が敵に回る可能性を考えて、攻撃を浴びせることで動きを封じようとしてきた。

 まだ、いくつか推測を埋める部品が足りない気はするが、矛盾はしない。イーグーの単独行動からして、イレギュラーなのだ。彼の思惑通りであれば、俺達はその黒幕と対決する予定だったのではないか? 俺としてはとにかく逃げ出したかっただけなのだが、知らないうちに、そいつらに敵認定されていたのだ。


 そうして俺達は、王宮の南門から強行突破することになった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ノーラみたいにいざってときに切り札を切れる人はかっこいいですよね。 [気になる点] 俺はバクシアの種から『病毒耐性』の能力を取り出して、ノーラに移植した。 ファルサちゃんの枠はいっぱい…
[良い点] やっぱり皆考えるよね、ああういい、とかいう適当に付けられたっぽい名前を
[良い点] うんちを詰め込んだ容器を無数に用意して、赤竜の身体でラーシュカハーニーにうんちの雨を降らしたいです。 こんなくそみたいな国はくそまみれにしてやるのです。 [気になる点] マバディはなぜ、タ…
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