囚人生活、スタート
バンサワンからの手紙が届いた日の夕方、ものものしく武装した兵士達の集団が『白銀の花』亭の表門の前に殺到していた。この騒ぎに、宿の前に居着いていた露天商は散り散りに逃げ去った。
「来たな」
上階の窓から、フィラックが見下ろしながら呟いた。
「手筈通りに」
「本当にいいのか」
「仕方ない」
短くやり取りを済ませた。
「万一もないとは思うけど」
ノーラも険しい表情だ。
「こんなところで犠牲になるのはなしよ?」
「わかってる。死ぬ気はない」
半日近い時間があった。その間に、できるだけの対策はした。
キースとビルムラールは、既にここにいない。二人は今、ヒランの屋敷に潜んでいる。当たり前の話だが、二人はバグワン毒殺事件には関係ない。巻き添えにならないために立ち去ったのだ。
ワングとフリュミー、船員達は、海に近い宿に移った。状況次第で出国できるようにするためだ。
イーグーにも、そちらに行くように言ってあるが、彼が大人しく従うかどうかはもう、わからない。彼の本音は結局、見抜けなかった。殺すのがノーリスクだが、大森林での彼の動きを思い出すと、利益もまた帳消しになりそうに思われて、決断しきれなかった。
タウルはここにはいない。市中にあって情報収集するためだ。
「こんなことになって済まない」
「人間の世界というのは、本当にろくでもないのだな」
シャルトゥノーマは、嫌悪感を露わにしてそう言った。
問題は人間扱いされない三人だ。保護者としての俺の存在なしでは、どんな扱いを受けてもおかしくはない。だが、ワングは既にマークされているかもしれない。彼と一緒に出国させようとした場合、逆に一網打尽にされかねない。
「そういう面もある。認めるしかない」
「これがすべてじゃない」
フィラックは首を振った。
「素晴らしい信頼と友情の結びつきだってある。一つ、二つの不運をすべてだとは思って欲しくない」
「僕が不運すぎるんだろう。それよりフィラック」
「わかってる。俺の仕事が一番重要だ」
この先の選択は、当局の追及がどこまでのものかによって少しだけ変わってくる。だが、大筋ではもう決まっている。
フィラックの任務は、情勢次第で、クーとラピ、それにジョイスと、人間扱いされない三人を連れてポロルカ王国から脱出すること。だが、それにもう一つ。
「ティズ様に出兵させてはいけない」
最悪の事態が起きないよう、赤の血盟になんとか連絡をつけ、なんとしても武力衝突を回避すること。
俺が当局に捕縛され、不当な扱いを受けたとの知らせがティズに伝えられてしまった場合、彼は立場上、介入せざるを得ない。無論、彼は争いなど望んではいない。だが、面子を守らず及び腰になっていては、あの地域の盟主は務まらない。
言われるまでもなく、ティズは知っている。俺が手加減なしに暴れた場合、世俗の王国などひっくり返ってしまう。ラージュドゥハーニーを人の住む街から、ただの瓦礫の山に変える能力があるのだとわかっている。何もしなくていいし、恐らくはしないほうがいいのだと。だが、俺の明確な意思表示を受け取れない限りは、立場に縛られた行動しか選択できないだろう。
逮捕されるのが俺一人なら、フィラックはこの困難な任務を果たす上で、ノーラの力を借りることができる。だが、ノーラも一緒にバグワンの別邸に向かった以上、こちらも捕縛される可能性がある。その場合、ノーラには自分の生存を優先するべしと伝えてある。既に付与されている魔術の能力を活用すれば、脱獄など難しくもなんともないはずだ。
「心配しなくていい。最悪の場合は、なんとしても脱獄する。数日間、様子を見るために、あえて大人しく捕まるだけのことだ」
宿の使用人が、背後の扉をノックしてきた。
いよいよか。
階下に降りると、既にそこには十数人の兵士が槍を片手に居並んでいた。彼らは皆、頭には白いターバン、革の鎧を身に着けている。
「ファルス・リンガ殿か」
「そうです」
「地方領主バグワン・ギラミーンの毒殺に関与している疑いにより、取り調べのため、連行する。神妙に縛につけ」
「身に覚えがありません」
「黙れ! 我が国の歓待にもかかわらず、罪悪に手を染めた我が身を恥じるがよい」
そう言いながら、彼らは俺を取り囲み、後ろ手に縛りあげた。俺も逆らいはせず、好きにさせておいた。
「それから、ノーラ・ネーク殿」
「はい」
「こちらも本件についての調査のため、ご同行をお願いしたい。よろしいか」
「承知しました」
残念。どうやら彼女も拘束されるらしい。
ただ、ノーラはまだ少女というのもあって、縄に打たれることはなかった。
「では、大人しくついてくるように」
俺とノーラは馬車に乗せられ、運ばれていった。
途中でノーラは降ろされ、連れていかれた。男と女の囚人が同じ場所に収監されるはずはないから、これは驚くことでもない。
「降りろ」
馬車から降りて、俺はなるほどと納得した。
目の前には、厳めしい石の城壁が聳え立っていた。ここは都の郊外にある、あの四つの兵営の一つらしい。王都を守護する四つの兵団が警察も兼ねているので、当然に看守の仕事もするわけだ。
「ここは?」
「黙ってついてこい」
完全に犯人扱いか。やっぱり、何かある。
これはこれで有用な情報だ。してみると、やはりあの夜、毒殺の標的になったのは俺だったのだ。だが、どういうわけか生き延びてしまったので、今度は監獄に閉じ込めよう、あわよくば殺そうといったところか。しかし、こんな遠回しな手を打ってくる、しかも公権力を動かせるとなると、いったい誰が黒幕なのか。
巨人でも潜れそうな大きな門を潜ると、城の中庭に入った。内部は殺風景で、草木一つない。奥にはいくつかの通路があるが、その向こうは見渡せない。
「こっちだ」
恐らく、廊下の向こうから光が微かに見えるので、別の中庭もあるのだろう。だが、俺が案内された通路は、ずっと薄暗かった。昼間なのに、廊下のあちこちに照明が置かれている。
幅広の階段を降りて進んだ先からは、急に鼻をつまみたくなるような異臭が漂ってきた。水に濡れた後、ちゃんと乾かさなかった衣類みたいな、濃縮された体臭だ。わかりやすく言うと、ホームレスの臭いだ。
つまり、ここはもう牢獄なのだ。それにしてもいい度胸をしている。仮にも騎士の腕輪を身に着けた人物を、確たる証拠もなしに牢屋にぶち込むとは。
目が慣れてきた。
半地下のこの監獄、この区画は独房らしい。天井近くに地表があり、そこに小さな窓がある。それが最低限の灯りになっている。部屋の隅には四角い木箱があり、そこに蓋がしてあるのだが、すぐわかった。つまり、あれが便器なのだ。他には毛布もベッドもない。
天井近くの窓は小さく、俺でも通り抜けられそうにない。また、目の前の牢獄は鉄格子でできている。なら腕くらい突き出せそうに思われるのだが、その上から薄い金網がかけられている。当たり前の話だが、囚人が手を伸ばして看守を羽交い絞めにしたり、腰の剣を奪ったりしたら大変なので、対策してあるのだ。なら石の壁で覆ってしまえばいいのだが、そうなると囚人の動きを監視しにくくなる。だからこういう造りになっているのだ。
俺を案内した一人が、腰の鍵束を慌ただしく取り上げ、擦れる音をさせながら一本を選び取り、鉄格子の扉に慌ただしく差し込んだ。扉が開かれると同時に、キィと軋む音がした。それが虚ろな石の廊下に響く。
「ここだ。入れ」
俺は逆らわず中に立ち入った。二人の兵士が俺を挟み込みながら、縄を解き、やっと俺は解放された。
「追って裁きが下される。おとなしくせよ」
「裁きですか? 僕の証言は聞かないんですか?」
「知らん。上の指示だ。それまでここで待て」
それだけ言うと、彼らは牢獄から退出し、しっかりと扉を閉じてから、歩き去っていった。
まずは一息。
いきなり殺される可能性も想定していたので、最悪の状況にならずに済んでよかった。
-----------------------------------------------------
(自分自身) (13)
・アルティメットアビリティ
ピアシング・ハンド
・マテリアル プルシャ・フォーム
(ランク9+、男性、12歳)
・マテリアル 神通力・念話
(ランク3)
・アビリティ マナ・コア・身体操作の魔力
(ランク9)
・アビリティ 超回復
・アビリティ 水中呼吸
・アビリティ 病毒耐性
(ランク7)
・スキル フォレス語 7レベル
・スキル シュライ語 6レベル
・スキル 剣術 9レベル+
・スキル 格闘術 9レベル+
・スキル 身体操作魔術 9レベル+
・スキル 隠密 6レベル
・スキル 料理 6レベル
空き(0)
-----------------------------------------------------
毒殺されそうになっていながら、その後の展開を想定していなかったとすれば、間抜けとしかいいようがない。最悪の可能性に備えて、とりあえずながら、ある程度までは使い慣れた能力に組み直していた。
また毒を盛られる可能性があるので『病毒耐性』はそのまま。青竜退治に使った『水中呼吸』もそのままとした。溺死させられる可能性だってないとは言えないから。
だから、直前で方針を決めた際に組み直したのは、『念話』の神通力だ。精神操作魔術を組み込むには時間が足りなかった。これでなんとかノーラや他の仲間と通信できればいいのだが。
この牢獄、普通の鉄格子だ。
いざとなれば、身体操作魔術を用いて脱獄もできる。だが、それは最後の手段だ。まだ敵の狙いがわかっていない。腕ずくの殴り合いになってしまったら、黒幕はどこかに身を隠すのではないか。
当面の不安はないが、しかし、今の俺はさほどの力を有していないことには留意すべきだ。
俺の怪物のような力の源泉はピアシング・ハンドであり、それを用いて得た数々の能力だ。だが、今は所持品が没収されるのを恐れて、バクシアの種もあの剣も、ルアにもらった魔道具も、手元にない。あるのは、使い捨て用の空っぽの種一つ。つまり、今の俺は能力の組み換えができず、便利な武器もない。強気になりすぎないことが大事だ。
さて、実はさっき宿にいたとき、階下に降りる前から、俺はノーラと精神操作魔術で通話状態のままになっている。そろそろあちらの状況を確かめたいところだが……
《ノーラ、今、いいかな?》
《えっ? うん》
《ひどい目に遭ってない? 僕の方は、いきなり問答無用で牢屋に入れられた》
《そうなのね。そっちこそ平気なの?》
《ちょっと臭いし、薄暗いし、じめじめしてるけど、それくらいだよ。それよりノーラの方は、どんな感じなのかなって》
それから、意識を集中する。『念話』の神通力をどう使えばいいかなんてわからなかったのだが、とにかく今、見えているものを伝えようと思い浮かべた。頭の中のイメージがふと、一枚の写真のように切り取られ、それがどこかに送られたような気がした。
《えっ、そんなところにいるの?》
《牢屋だから、当然だよ。それより『念話』が届いたんだ? ほとんどぶっつけ本番だったから、うまくできるかわからなかったけど、よかった。そっちは?》
《こちらは……》
するとノーラの今いる部屋のイメージが頭の中に再現されるのを感じた。まるで直接目で見ているかのように、くっきりと。
まず目に映ったのは、真っ白な丸いテーブルと、その上に置かれた薄手の陶製のカップだ。そこに琥珀色の液体がなみなみと注がれている。すぐ横の皿には、ドライフルーツや焼き菓子の類が添えられている。
室内も白かった。漆喰の壁の向こうに大きく窓が口を開けており、そこから中庭が見えた。こじんまりとしてはいたが、光り輝く黄緑色の葉っぱや鮮烈な赤い花が、見る者の目を引いた。また部屋の一角には、明らかに鑑賞目的の壺が置かれていた。わざわざ四角い石柱の上に飾り立ててある。部屋の隅には黒い香炉が置かれており、静かに煙を吐き出していた。
《ナニ、コレ……》
今、自分のいる環境との落差に衝撃を受けて、俺はなんと言えばいいかわからなくなった。
《連行される途中で、第四王子の横槍が入ったのよ》
《じゃあ、チャール殿下が今の部屋を?》
《そう……ただ、私も一応、疑われる立場だから、自由に出てはいけないとは言われてるけど、不自由はさせないって》
これはどう受け止めたらいいんだろうか。
バグワン毒殺事件は、第四王子が色香に迷って起こした事件? それでいいのか?
《心の中は》
《無理。目の前で詠唱なんかできないもの》
その通りだ。
そしてこれが魔術の欠点なのだ。それを埋め合わせるのが高性能な魔道具だったり、魔力操作のスキルだったりするのだが……
《わかった。迂闊なことはしないように。ここの王族は魔術師を従えている。魔法で攻撃を受けることを想定している可能性もある。ノーラが魔法を使えるとはまだ知られていない。その優位をやすやすと手放してはいけない》
《うん》
話が終わると、俺は牢獄の床に、ゴロンと転がった。
降って湧いた災難だが、これは偶然なのか、必然なのか。だが、今の時点では、わからないことが多すぎる。悩むより、体力を温存することだ。
やがて牢獄の小さな窓から差し込む光が弱まり、周囲は暗い藍色に染まった。
俺は壁際に身を寄せると、そっと目を閉じた。




