バンサワンの手紙を囲んで
『バグワン・ギラミーンが毒殺されたとの報告あり、内府の官僚が調査を開始したとのこと』
バンサワンからの手紙には、これだけしか書かれていなかった。雑な走り書き一つ。
俺達は、宿の寝室に囲まれた広間のソファに座って、それを回し読みしていた。
「これしか書いてねぇとか……なんか炙り出しでもあるんじゃねぇの?」
ジョイスが首を傾げながら、そう呟く。
「試してみるかい?」
「やめとくよ」
ディンが軽口を叩くが、ジョイスは肩を竦めるだけ。
手紙の表面にそっと触れながら、クーはじっくりと確かめた。
「紙は上質ですし、濡れたり汚れたりしたようにも見えません。炙り出しはないと思いますが」
「言ってみただけだ」
だが、クーは何か引っかかるらしく、じっと手紙を見つめている。
「とにかく、これでは情報が少なすぎる」
どうしてこんなことになってしまったのか。俺はバグワンに、くれぐれも注意せよと言ったのだが。
「やっぱり、狙われたのはバグワン様だったのかしら」
「その可能性は高まったな」
「でも、しっくりこないけど。毒を盛られるかもしれないことくらい、もうバグワン様だって承知していたはずじゃない? だったら食べるものも、いくつか用意させておいて、前にしたみたいに毒見をさせてから残ったものを食べればよかったのに」
そこだ。本人が警戒しているはずなのに、そうそう毒殺なんかできるものか?
「ちょっと信じられないネ。この国では、代々仕えている召使が、そう何人も裏切るものではないネ」
「ペルィの魔法なら、それくらいはできそうだが」
「ペルィ? なんだネ、それは」
シャルトゥノーマは説明はせず、眉根を寄せて首を振った。
「お前達の世界、人間の社会というのはとんでもないところだな。長年付き合いがある相手でも、毒殺してしまうのか」
「そういうこともある」
「ヤバンなヤツら」
ディエドラも呆れている。
ラピが話に割り込んだ。
「でも、それもおかしいって話じゃない? だって、召使を魔法で操って食べ物に毒を入れても、当のバグワン様が、毒殺されるかもしれないってわかってるんでしょ? 食べる前に警戒してそうなんだけど」
「なんも難しかぁねぇだろ」
どうでもよさげに聞いていたキースが吐き捨てた。
「召使ども全員を操るか、それとも本人を操るかすりゃあいい」
確かに、それで辻褄は合う。
召使を一度に複数操れば、バグワンを無理やり取り押さえて、毒盃を飲ませることができる。またはバグワン本人を操れば、これまた簡単に死に追いやることができる。
「キースさん、それは難しいと思います」
だが、ビルムラールが否定した。
「なんでだよ」
「先代の赤の王衣に聞いたことがあります。精神操作魔術は、本人の健康状態、意識や感情に大きく左右されます。バグワンはまだそこまで歳を取っていませんでしたし、健康でした。しかも毒殺されるかもしれないとわかっていて、張り詰めていたのです。召使達も主人の危機を知っていました。こういう状態の相手を操るのは、相当に難しいはずです。むしろ、魔術にかけられたことに勘付かれる危険もあります」
「んなことくれぇわかってて言ってんだよ。要は、それでもやれちまう奴がいるんだろって話だ」
それもどうかと思うが。
ノーラならこなせるだろうが、今の赤の王衣のメノラック程度では、かなり厳しいだろう。一門の魔術師全員でかかればいけるかもしれないが……
「この、内府の官僚が調査をというのは」
「ああ、それネ」
事情通のワングが答えた。
「貴族や役人の問題は、基本的に内府の担当ネ。実務は外府がやるから、その確認は内府の役目ネ。普通の調査は内府がやって、手が足りない場合は内府の権限で外府の誰かを指名して手伝わせるネ。それから犯人がわかったら、誰がやったかで外府と内府のどちらで裁くかが決まるネ。もちろん、庶民の間の犯罪は、外府が片付けるものネ」
今回は被害者が地方領主だから、内府が動いたということか。
俺達が考えに沈んでいるところ、急にクーが顔をあげた。
「ワング様」
「なにネ」
「バンサワン様の使いの方は?」
「手紙を置いてさっさといなくなったネ」
クーは、何かに気付いたらしく、険しい表情をしていた。
「どうした」
「ご主人様、すみません。もう一つ先に確認させてください。ワング様、バンサワン様が私達を裏切ったり、罠にはめたりする可能性は、どれくらいありますか?」
この質問に、ワングは多少の苛立ちを見せた。
「あり得ないネ。そんなことをしても、何の得にもならないネ」
「本当ですか? 言い切れますか?」
「今までいくら貢いだと思ってるネ」
「どうしてそんなことを確認するんだ」
俺がそう問うと、クーはさっきの手紙を取り上げて示した。
「見てください……差出人の名前がありません」
その意味を飲み込むと、全員が息を詰めた。
「つまり……」
クーは汗を滲ませながら、慎重に言葉を選びながら、説明を続けた。
「まず、仮にバンサワン様が私達を陥れようとしたのだとすれば、ですが。その場合、ファルス様からの先日の手紙で毒の件を知って、これを機会にバグワン様を毒殺するよう手配した。最悪の場合、その罪をファルス様に負わせようと考えていたとしたら、どうでしょうか?」
「考えすぎネ!」
「とにかく、一つ言えるのは……ここに名前がないというのは、この手紙が誰かに見つかっても、自分に累が及ばないようにするためでしょう。これが意味するところは、いずれにせよ、ファルス様への追及があり得るということではないでしょうか?」
ワングは首を振って否定した。
「内部情報を漏らすのなら、慎重になるのは当然ネ」
「そうでしょうか? それだけの理由なら、私がバンサワン様なら、こうします。詳しいことを手紙に書いてから、最後に焼き捨てるよう一言添えればいいのです。でも、実際にはそうしなかった」
不安に顔を歪ませながら、クーは言った。
「バンサワン様がファルス様を陥れたのではないとしましょう。ですが、もしかすると内部のやり取りで、ファルス様がバグワン様毒殺の犯人として疑われていると、そういう事情を見聞きなさったのかもしれません。でも、それは明記できない」
ラピが疑問を投げかけた。
「どうして? どっちにしたって手紙は焼き捨ててもらえばいいじゃない。それに送り主の名前を書かなきゃ、どうせわからないでしょ?」
「いいえ。まず、名前を書かなくても、手紙には『ファルス様がバグワン様毒殺の犯人として疑われている』なんて書けません。なぜなら、ファルス様が犯人らしいと目星をつけていること、それ自体を知っている人の数が限られているから、です。ワング様とのお付き合いは秘密ではないのでしょう? だとしたら、この手紙が誰かに見つかった場合、バンサワン様が情報を漏らしたことは、ほぼ間違いなく突き止められてしまいます。これが一つ」
人差し指を立ててから、今度は中指を立てた。
「もう一つ。ファルス様が本当に犯人だったら?」
「ナニをイってるかワカラない。ファルスはバグワンとかいうヤツのイエからモドってきた。サイゴにミたトキには、バグワンはイきていた」
「そう、そうですよ。でも、それをそうと確かに知っているのはファルス様、ノーラ様だけです。バンサワン様は、そんなことご存じない」
ジョイスが目を見開きながら、前に出てクーに尋ねた。
「ってことは何か? じゃあ、バンサワンってやつも、ファルスのことを疑ってんのかよ」
「少なくとも、犯人かどうかわからない。そしてもし、ファルス様にやましいところがあった場合、情報を漏らしたこと自体が、自分が脅される理由になります。だから、何もかもを書くわけにはいかなかった」
前から思っていたが、本当にクーの頭は何でできているんだろう?
もうすぐ十歳の少年が、この洞察力だ。どこかぶっ壊れているんじゃなかろうか。
「でも、肝心のところがわからない、か」
「ファルス様、その通りです」
いくら頭がよくても、情報不足では正しい判断などできない。だから、クーも自分の読みが不完全であることは承知している。
「まず、バンサワン様がバグワン殺害に関与しているのか。僕からの手紙を見て便乗したのかどうかは、もうわからない」
「はい……」
「だから、ここは決めてしまおう。多分、関与していない。時間が足りないと思うし、動機もよくわからないから」
バグワンなんか、ティーン殿下の腰巾着の一人でしかない。これが宰相のバーハルとかだったら別だが、あんな正式には貴族とさえいえないような小者を殺したところで、政局が大きく転換するなんてあり得ない。個人的な怨恨とかがあれば、また別だろうが、そこまで考えていてはきりがない。
「次。バンサワン様が僕らに悪意を抱いていないとして。だけど、僕やノーラのことも信用しきれない。本当のところ、僕らがバグワンを殺す理由だってない。多分、バンサワン様は僕らがやったとは思ってないだろう。だけど、僕らがやったことにしたい人達がいて、どこかで強い力が働いた」
そうなると、バンサワンとしては保身を考えざるを得なくなる。
「だから僕らを助けるために手紙を書いた。でも、だからといって、僕らのことを身を張って守るほどの覚悟はない。そんな義理もない。だからこの内容なんだ。でも」
最後のピースが埋められない。
「じゃあ、僕らはどうすればいい? 多分、バンサワン様にも答えられないと思うけど。逃げろと言っているのか、釈明の準備をしろということなのか」
「逃げるのは……」
ビルムラールが険しい顔で言った。
「それこそ犯人だと認めるようなものではないでしょうか」
「逃げましたなんて言わずに、とっとと今すぐ外国行きの船に乗っちまえばいいじゃねぇか」
タウルが首を振る。
「それは逃げたのと同じこと」
フィラックは、同意しつつも異論を述べた。
「逃げていいんじゃないのか。ジャンヌゥボンに入ってしまえばこっちのものだ。赤の血盟がファルスを裏切るとは思えない。ポロルカ王国から問い合わせはくるだろう。でも、実際にファルスはやってないわけだし、そこはティズ様の力も借りて、無罪を勝ち取ればいい」
「でも」
そこまで考えて、俺は途轍もない不安を感じた。まるで底なしの大穴に放り捨てられるような気がしたのだ。
「そうなると、どちらも体面を守る必要が出てくる」
「体面も何も……ファルス、お前に怖いものがあるのか?」
話がこじれて、紛争に発展したら?
海峡を押さえたとはいえ、戦後間もなく消耗から立ち直り切れていない赤の血盟。だが、相手どるのは、弱兵だらけの上に、国王も入れ替わったばかりのポロルカ王国だ。俺がいなくても、勝つのは赤の血盟だろう。あちらに使徒みたいな大駒が控えていなければ、だが。
だが、それで勝利したとしよう。俺も参戦すれば、余程のことがなければまず、そうなる。でも、それで話が終わるだろうか?
さすがに、それは世界が許さない。
黒の鉄鎖も、ティンプー王国やクース王国も、六大国の流れを汲む勢力ではなかった。だが、ポロルカ王国は違う。衰えたりとはいえ、三千年の歴史を誇る大国だ。これを赤の血盟が打倒するとしたら。
そもそも東部サハリアの諸豪族は、古くはセリパシア帝国とポロルカ帝国の緩衝地帯に割拠していた部族集団だ。だが、ギシアン・チーレムの世界統一によって、一応、形ばかりワディラム王国に組み込まれた。それが暗黒時代に勝手に独立した結果、今に至っている。つまり、政治的な正統性をもたない集団なのだ。
かの英雄の使命を引き継いだ国に、そのような軍閥が攻め込むという図式は、大変に好ましくない。そうでなくとも、既に赤の血盟の勢力拡大は行き過ぎている。ティンプー王国、クース王国を属国とし、その他の西岸諸都市も事実上の支配下に置いた上で、更に大陸の南部まで制圧したら、それはもう世界最強の超大国だ。その急速な拡大を目にした各国は、赤の血盟が地盤を固めるのを待ってなどいられない。その前に包囲しようと考えるだろう。タンディラールはもとより、ヤノブル王も、ドーミル教皇も、この状況を座視などできない。
そんなことにはならないと思いたいが、なってしまったら取り返しがつかない。
既にティズは危険視されて然るべきなのだ。これ以上の負担を彼にかけるわけには……
「逃げない」
「えっ?」
「バンサワン様は、僕が逮捕される可能性を考えて、こうして連絡してくれた。でも、僕は逃げられない」
だが、最後に確認しなければならない。
「イーグー」
「なっ、なんですかい、若旦那」
「心当たりはないか」
そう言いながら、俺は立ち上がって剣を抜いた。
いきなりのことに、周囲は狼狽えて後ずさった。
「バグワンが死んだ件について、何か知らないかと訊いている」
「知るわけないでしょが」
この状況、彼が作り出した可能性は小さくない。果たして使徒の手下なのかどうか、確たることは言えないのだが、彼ならバグワンを暗殺するのも簡単だ。
「真面目に尋ねている。いいか、今回は仲間の命がかかっている。手加減はないと思え」
俺が真剣なのがわかったらしく、彼も黙って立ち上がった。
「バグワンとかって人が死んだ件について知っているか、でいいんで?」
「そうだ」
「なら、知らねぇですよ。信じねぇなら構わねぇ、その剣でバッサリやってくだせぇ」
彼もまた、まっすぐ俺を見据えて言った。
どうするか。俺の能力の秘密を知らない何人かは、既にわけもわからずオロオロしている。
自分の直観に従うしかない。
「わかった」
俺は剣を鞘に戻した。
イーグーは何かを隠している。でも、この件ではない。あくまでそう感じただけでしかないが。
「多分、間もなく僕は捕らえられる。でも、みんなの無事は確保したい。あまり時間はない。今のうちに対策を考えよう」




