花は送り返された
「うわぁ、言いました、言っちゃいましたよ」
「ギィ?」
宿の高層階にある寝室に、俺とクーとペルジャラナンが閉じこもっている。そろそろ昼というのもあって、ちょっと蒸し暑い。窓を開けて風通しよくすれば少しは涼しくなるのだが、今はできない。
「最初の妃妾として迎えたいって……子爵相当の貴族にするって言ってます」
つまり、こういうことだ。
ノーラはチャール殿下に招かれて、王宮に向かうことになった。俺は茫然と突っ立っているだけだった。その間にも、ノーラは供にするという名目で、ラピに同行を頼んだ。そうして彼女達が慌ただしく準備を始めたところを、さっきまで中庭にいなかったクーが見咎めた。
勅使はラピを連れていくことを想定していなかったため、彼女の着替えは後回しになっていた。それでクーは、彼女から事情を聞き知る余裕があった。一切を承知したクーは、咄嗟に判断して『精神感応』で通話ラインを維持したまま、ラピに現地に向かってもらうことにしたのだ。
おかげで今、リアルタイムで状況を確認することができている。仮にチャール殿下が強硬手段に出た場合には、こちらから指示を飛ばしてラピに時間稼ぎをしてもらい、俺が救援に駆けつければいい。
今、二人は中庭の東屋にいる。白い大理石でできた立派な石造りの屋根の下、これまたひんやりした石のテーブルに、向かい合って座っている。
石柱の向こうには、明るい色の木々や草花が輝いている。
「どっ、どうしましょうか」
クーは戸惑っているが、この時点で俺が介入する必要はない。
この王子様、さっきまで歯の浮くような陳腐な台詞でノーラを口説こうとしていた。だが、そこはノーラだ。場を弁えない愚か者ではないにせよ、基本、頭がアダマンタイト製なので、その対応は断固たるものだった。「月の顔よ」と称えられれば「陽光に満ちたこの都に相応しいのは、青白い月などではなく、きっと力強い太陽でございましょう」と言って身を引き、「北の国々に咲く、白い桔梗の花のようだ」と褒められれば、畏れ多いと一礼してから庭に視線を向けて「それにしても、この国の花々のなんと美しいことでしょう、赤、青、黄、彩り豊かで目移りしてしまいます」と切り返す。
一向に靡く様子が見えない彼女に痺れを切らした殿下は、ついに一番効き目のない決め技を繰り出した。つまり、我がものとなれば貴族の地位を与えよう、と。
「まだ、どうもしなくていい」
実際、それは可能ではある。チャール殿下が親しくしている上位貴族、できれば侯爵相当の誰かに頼み込んで、ノーラを養女とする。そこから分家という形でノーラを出せば、子爵相当の地位になる。それであれば、王子様の妃妾に相応しい身分にもなる。強引ではあるが。
だが、そもそも殿下の狙いなど、ノーラはとうに承知している。与えられる身分に期待しているなら、もう少し色よい返事をしているはずだ。問題は、彼女が拒絶のやり方を間違った場合で、その時はラピを通して助け舟を出さねばならない。
クーは、ノーラの発言をそのままこちらに伝えた。
「……私はヌガ村の貧農の娘でしかありません、身の丈を超えたお話です」
謙遜して拒絶に繋げる。常識の範囲だ。
「そのようなことは気にせずともよい。既にそなたには、貴婦人たる気品が十分に備わっておる」
チャール殿下の台詞もそのままだ。
「余が先王の末子で、王冠をいただくことがないというのが、そなたの拒絶の理由ではあるまいか。そうに違いない、余が至尊なれば、そうは言わぬであろう……いえ、殿下」
ノーラの台詞を繰り返そうとして、クーが口篭もった。
「どうした」
「うっ……殿下、これは殿下の名誉を傷つけまいとして、あえて申し上げずにおいたことでございますが、私の生い立ちは、それは賤しいものなのでございます。母はただの農婦でありまして、同じく農民の夫がおりました。ところが村に立ち寄った余所者に手篭めにされ、産み落とされたのが私めでございます。一つには農民の身分ということ、もう一つには不義の子であるということが、私を賤しいものとしているのでございます」
言っちゃったよ、という感じしかない。
「少しお考え下さい。私の、顔も知らぬ父とはどのような男でございましょうか? 村の女を手篭めにして逃げ去るような乱暴者でございます。そのような不潔な本性が、この私の裡にも宿っていないと、どうして言えましょうか。かつ、そのような悪事に手を染める者はまた、やはりそもそも賤しい者に相違なく、その娘がポロルカの王家の血と交わり、子を生すなど、許されるものでございましょうか?」
とびきり苦いもの……例えばパルトヤスを食わされたような顔で、クーは通信内容を口にする。ノーラ自身は、実は出自などまるで気にしていないのだが、クーの側からすれば、これは勝手に知っていいようなことではないと理解しているからだ。
「盗人の孫が、栄えあるポロルカ王国の王子であってよいものでしょうか? 殿下、事情をご存じなかったのは不運としか言いようがありません。私は本来、この席を汚す資格を持ち合わせていないのです」
ここまで言われては、常識的には諦めるしかない。ノーラが喋ったことが事実かどうかは確認がとれないが、本人の意志としては拒否一択だからだ。
だが、チャール殿下には、その常識が通用しなかった。
「なるほど、そなたとはもう少し時間をかけて話さねばならぬようだ……誰か、この客人のために、客室を用意せよ」
つまり、根負けするまで宮殿から出さないぞと、そういう作戦らしい。
彼はノーラが持つ能力についてはまったく知らないので、閉じ込めれば済むと思っている。もちろんノーラも、余程でなければ無理やり脱出しようとはしないだろうが。フィシズ女王という前例もあるので、まずはことを穏便に済ませる方法を模索しようとするだろう。そのためには俺達への連絡が優先なのだが、そこはもう解決済みだ。
だからここからは俺が作戦を考えないと……
「あっ」
クーが急に声をあげた。
「誰かが中庭に割り込んできました」
それからしばらく、クーは放心していた。だが、ややあって俺にポツリと言った。
「なんか、帰されるみたいです」
それからおよそ一時間後、朝方やってきたのと同じような立派な馬車が、但し今度は供回りなしに宿の前に到着した。
かわいそうなのは宿の使用人達だ。ここ『白銀の花』亭は、確かにそれなりに富裕な商人が使う宿ではあるものの、貴族が頻繁に訪れるような場所ではない。気疲れするばかりだろう。
宿の表の門が開かれる。真ん中には背の高い老人が一人、左右にノーラとラピが立っていた。
その老人……宰相バーハルは、宿の中庭をざっと見渡した。既に駆けつけてきていた俺に目を留めると、こちらに大股に近付いてきた。
俺は身を折って彼を出迎えた。
「お騒がせした」
「お気遣いありがとうございます。お手数をおかけしました」
ビルムラールも少し言及していたし、ドゥサラ王子も言っていたが、このバーハル、ポロルカ王国の上位貴族の中でも、特に保守的という。だからチャール王子の横紙破りも看過しなかった。
イーク王子が正式に国王になっていない今、彼の行動を掣肘する者はいないはずだった。しかし、そこは既に二代に渡って王国に仕えてきた老臣だ。事の次第を知るやいなや、構わず王宮に突っ込んだらしい。基本、外府の貴族が内府に干渉することはないし、また許されてはいないのだが、そこはそれ、まだ十四歳の尻の青い若者と、七十にもなろうというのに矍鑠たる老政治家とでは、勝負にならなかった。
あの時、チャール殿下は「王宮に踏み込む許可など与えられていないはずだ」と金切り声をあげたのだが、それはバーハルに利用されてしまった。
『それはどの国王の命によるものですか!』
王がいないのに、王法が通じるものかという理屈だ。
そして王法を振りかざすなら、その隙間を縫ってノーラに手を出すのもまた、逸脱ではないか、国王の許しを得よと。我が身を罰するのなら、御身も王法に服せと強弁したのだ。
無論、バーハルはノーラを守るためにそうしたのではない。王子の縁談という極めて政治的な決定を、本人の色恋沙汰で判断させてはならないというだけだ。
「近頃は、誰も彼もが道を踏み外すことが多く、実に困ったものですな」
「閣下、これは申し上げておかねばなりませんが、ノーラは今朝、予告もなしにお招きを受けたのです。また、ノーラはシュライ語を解せず、チャール殿下に話しかけたこともありませんでした」
「承知しておりますとも」
こちらに非はない、という言い訳だ。
それはバーハルも理解しているらしく、鷹揚に頷いた。
「誰がどのような気持ちを抱こうとも、それについてはわしも何も申さぬ。だが、役割は役割であろう。国法の檻の隙間をすり抜けて、好き勝手をされてはかなわぬ」
それから、彼はじろりと横に視線を向けた。
「この件もそうだが、とかく最近は……のう、ビルムラールよ」
間抜けにも、彼も騒ぎを聞きつけて、中庭に降りてきてしまっていたのだ。ただ、バーハルがいることに気付いて、すぐフードを被った。それでも体格は誤魔化せず、すぐさま見抜かれてしまった。
「シェフリ家と下水工事の件、あれは確かに理不尽ではあった。だが、たとえそうであろうとも、嫡男を国外に出して済ませようなどと……ヒランの奴にも、一度説教が必要じゃ」
息が詰まる。だが、そこはバーハルも承知はしている。
なんでもかんでも処罰、というほど頭は固くない。
「とりあえずは、わしの胸にしまっておこう。だが、イーク殿下が正式に即位なさったら、留学から帰った旨を明らかにせよ。きっと殿下も悪いようにはなされぬ」
それから溜息をついた。
「上は国王から下々はゴミ拾いまで、それぞれが理不尽を飲み込んでこその王国よ。まったく……」
踵を返そうとして立ち止まり、最後に彼は挨拶した。
「大変に失礼をした。お詫び申し上げる。では、これで失礼させていただく」
「いえ、ありがとうございました」
バーハルが去った後、俺達はようやく大きく息をついた。
「なんか疲れた」
「はい……」
クーはというと、物理的に疲れている。長時間にわたって魔術を行使したせいだ。
「せっかくだし、みんなで何か、ご馳走を食べに行こう。ビルムラールさんも、どうせもうバーハル様にバレてるんだし、隠れてても仕方ないでしょう。ワングさんに頼んで、どこかでおいしいものを食べましょうよ」
「そ、そうですね」
それで俺は中庭を見回した。
ふと、いつも剣を振り回しているキースがいないことに気付いた。
「部屋かな? 呼んできます」
俺達の寝室は、中央に居間があり、それを囲む形で設置されている。で、キースには中庭よりの個室が割り当てられている。つまり、街道沿いの喧騒からは遠く、一人で過ごせるので他人に気を遣わずに済むという、一番快適な部屋だ。こうなるのは必然で、そもそも俺様体質な彼に、これ以外の対応があり得るはずもなかった。
「キースさん、いますか?」
扉をノックしても返事がない。
「開けますよ」
寝ているのかと思って中に入ると、彼は起きて、椅子に座っていた。小さな机の上に魔術書らしきものを広げて、読んでいたのだ。
彼の足下では、二羽の怪鳥……サリックとコォクが、小皿の中の豆をつついていた。
「あっ、お邪魔しました」
彼は鍛錬を大切にしている。集中しているときに割り込まれるのをひどく嫌う。
「……いや、いい」
今日に限ってはそうでもなかったらしい。
だが、それにしては不機嫌そうだ。とはいえ、俺が邪魔したから腹を立てたのでもなさそうだが。
「どうかしたんですか?」
思えば、少し前から変だった。
キースは粗暴だが、馬鹿ではない。ドゥサラ王子が世間知らずで、権力者が好きではないからといって、あんな立ち去り方をするほどイカレてはいないはずなのだ。
「なんでもねぇよ。読んでてもどうせ頭に入んねぇしな。ったく」
少し不安を覚えた。
彼らしくない、というか。
「で? 何しにきやがった」
「そろそろお昼ですし、閉じこもっていても気が塞ぐので、みんなで食事に行こうかと」
「おー、わかった。じゃ、行くか」
浮かない顔のまま、彼は言われるままに立ち上がった。
階下に降りてみると、また新たな訪問者がやってきていた。
今朝ほどではないが、やはり上等な衣服を着た使者だ。
「ああ、ファルス君」
俺がいない間に対応していたディンが言った。
「こちら、地方領主のバグワン・ギラミーンという方からの使者だそうだ。なんでもファルス君を都の郊外の別荘で歓待したいとのことだよ」
またか。
溜息が出そうになるのをこらえて、俺は無理やり微笑んでみせた。
「お招きありがとうございます」




