いつの間にか注目の的
中庭のテーブルの上に突っ伏しながら、俺は怨嗟の声を漏らし続けていた。
「動きたくない……」
「ファルス、しっかりして」
ノーラが背中をさすってくる。元気づけるためというよりは、次なる責務に駆り立てるためなのだろうが。
「今から予定は変えられない」
「ま、まぁ、今度は俺達もなんとか手助けするからさ」
タウルとフィラックが複雑な表情を浮かべてそう言った。
今日の昼間にキースのやったことを簡単に纏めると。要するに王子様のところに招かれておきながら、棒きれでぶん殴った挙句に勝手に帰るという、途轍もない蛮行になってしまう。さすがに社会的にまずいだろうということで、俺は必死で後始末した。幸い、ドゥサラ王子も事を荒立てたりはせず、キースなりの意思表示ということで、とりあえずは落ち着いた。
しかし、今夜はこれから、ティーン殿下のお誘いに応じなくてはいけない。気疲れが凄まじい。
「どうしちゃったんでしょうか」
クーが理解しかねるという顔で言った。
「僕は詳しくは存じ上げない方ですが、どういう気分なのか……あれから部屋にこもってしまいましたし」
「言われてみれば、少し変な感じはするけど」
「王子様に無礼なことをしたと思って、落ち込んでいるとか」
「それはない」
キースの中に、何か思うところがあるのかもしれないが、その推測は的外れだ。
「前にフォレスティアでも、タンディラール王から渡された名誉貴族の金印を叩き落としてるから。周りには貴族がたくさんいたのに、お構いなしだった。あれ自体はいつも通りだと思う」
「そ、そうですか」
思った以上に破天荒な人物だとわかって、クーは沈黙した。
「ワングさんも寝込んじゃいましたし……」
ラピも遠い目をしている。
せっかく王子様と仲良くなって、御用商人の仲間に入れてもらおうと目論んでいたのに、キースがやらかしてくれたおかげで、全部パァになってしまった。それどころか、自分の立場も悪くなるかもしれない。バンサワン辺りに切り捨てられたりしたら、大損害だ。
「まぁ、今回招かれているのは、僕だから……行きたくない人は、休ませておこう」
「わかったら着替えて」
ノーラが急き立てる。
「私はこれからの会合のほうが、ずっと落ち着かないけど。ティーン殿下って、前に会った時にも、にこりともしなかった人じゃない。何がしたいのか、よくわからないもの」
これは彼女の言う通りだ。
ドゥサラ王子は、会ってみたところ、なんというか、どこか夢見がちなところがある人だった。だからこそキースの逆鱗に触れてしまったのだろうが、ああした事件にもかかわらず、腹を立てる様子も一切なかった。
だが、ティーン王子は違うだろう。先の青竜討伐の祝賀の席でも、重苦しい表情をしたままだった。正直、彼の狙いもわからない。
「でも、先ほどの使者の方は、従者も連れておいでください、とおっしゃっていました」
クーが言う。
「それは、うーん、どうだろう。貴人同士の面会なら、それぞれが従者を連れているのは当然だから……じゃあ、僕とノーラが行くなら、クー、ラピ、悪いけど」
「はい」
「じゃあ、着替えてきまーす」
「ギィ」
こうして俺は、同行者のほとんどを宿に残したまま、一人の同伴者、二人の従者、それに珍しいトカゲを一匹連れて、殿下との夜会に出向くことになった。
ペルジャラナンは本当に好奇心旺盛だ。ただ、俺としても連れていけるのならそれがいいと思っていた。イーク殿下も気に入っていたし、案外ティーン殿下の目的も、この珍獣を思う存分見物することにあるのかもしれない。とするなら、連れていかなければガッカリされてしまう。
早めの夕食を済ませ、急いで着替え、身支度が済んだ頃、馬車が宿の真下に到着した。
向かう先は王宮だが、昼とは違う門をくぐり抜けて、また別の宮殿の前に降り立った。かなりの奥の間らしく、周囲はひっそりとしていて、相当に暗い。曇りガラスの覆いをかけられた照明が点在している他は、視界を得る助けになるものは何もなかった。
見えるのは、巨大な建造物のシルエットばかり。すぐ後ろにも四角い石の壁が聳え立っているし、離れたところには黒ずんだ屋根が見える。そして目の前はというと、幅広の階段の向こうに、朱塗りの立派な木の柱がいくつも並び立っている。
御者は無言でその宮殿に入るように促し、俺達がそれに従うと、なるべく音をたてないように、静かに馬車を引いて去っていった。壇上にまた一人、茶色い服の宮廷人が待っていて、彼も小さな照明を手にしていた。無言のまま、彼に導かれて列柱の間に足を踏み入れる。
ぬるりと湿った空気だが、この時間になるとむしろ涼しささえ感じる。それは人気のない虚ろな宮殿の中だからだろうか。
足音を殺して歩く宮廷人が、あるところで立ち止まった。そしてまた、無言で一方を指し示す。この暗がりも、案内人の無言も、客人をもてなすための趣向なのだろうか? まるで肝試しだ。
列柱の間を縫って歩くうち、何かの物音が聴こえてきた気がした。いや、これは、弦楽器の音だ。チェロのような低音の、しかし伸びやかな響き。
そちらに招かれているのだろうと考えて、俺達は無言でまっすぐ進んだ。
辿り着いた先は、部屋のような場所だった。
一段低い窪みのようなところがあって、そこに黒と焦げ茶色の服を着た西部シュライ人の女が、やはりチェロに似た楽器を奏でていた。その音色は、なるほど、この夜の静寂に相応しく、いかにも幻想的だった。
位置関係を見直すと、その窪みは、いうなれば舞台で、音を拡散する方向を絞り込むため、扇形に斜面が形作られている。俺達がいるのはその右端にあたる。そこから眺めると、舞台を見下ろす位置に向かい合うようにして席が設けられているのが見えた。だが、そこにティーン王子の姿はない。
音色が止んだ。
向かい側の通路から、数人の人影が現れた。
先頭に立つのはティーン王子、その後ろにも見覚えのある顔が二人。一人は銀鷲軍団のベルバード将軍、もう一人は黄の王衣のバフーだ。更にその後ろに一人、そこそこ身分の高そうな男がいるが、こちらは見覚えがなかった。
「よくいらした。さぁ、こちらへ」
前回とは打って変わって笑顔のティーンが、彼から見て左側に回り込みながら、そう声をかけてきた。
「まずはかけてくれたまえ」
彼が舞台に最も近い側の席の前に立つと、背後にいた従者が椅子を引いた。そうして当然のように座ったので、俺も同じようにした。クーも心得ていて、黙って椅子を引き、俺を座らせた。ノーラも同じようにしたが、ペルジャラナンは従者側に留まることにしたらしい。クーとラピの横に黙って立っていた。
「ファルス殿、一度ゆっくり話してみたいと思っていた」
ティーンはそう言った。
「光栄です」
「理由がわからないといった顔をしているようだが」
「はい、それは」
すると彼は、口角をあげてしたり顔になった。
「なに、不思議な話を聞いたのだ。なんでも君はフォレスティア王タンディラールが認めた騎士だとか」
「はい」
「ピュリスには君の商会もあるという」
「おっしゃる通りです」
彼は頷き、更なる情報を突きつけた。
「つまり、国王陛下のお気に入りというわけだが……わからないのは、その後のことでね」
「と言いますと」
「サハリアの豪族とフォレスティア王の関係は、決してよくはない。なのに君は赤の血盟の客人だったそうじゃないか」
「は、はい」
プノス・ククバンの件まで漏れてはいないと思いたいが……
「元々はティズ様のご兄弟でいらっしゃるミルーク様のお引き立てがあって、エンバイオ家に仕えることになった経緯もありましたので。ティズ様を訪ねてハリジョンを目指したのですが、そこで戦争に巻き込まれてしまいまして。それからはティズ様のご厚意で、ずっと市内に留まらせていただきました」
「なるほど?」
あまり納得していないようだ。
黙って話を聞いていたバフーが割り込んだ。
「失礼、私は王族の補佐をする立場でして……主に外交に携わってきたのですが……ファルス殿、私が聞き知った限りでは、あなたはカリにあるティンプー王国の宮殿に出向かれたそうで」
「え、ええ」
「ティズ・ネッキャメルはカパル王に、客人として厚遇せよと強く要求したそうですが」
弱った。そんなことまで把握されているのか。
しかし、ポロルカ王国も大国で、海峡の交易利権こそサハリア豪族の掌中にあるとはいえ、そうした横の繋がりくらいはあって当然だ。大方、あの場にいたケバケバしい衣装を着た大臣達の一人が、手紙でも書いたのだろう。
「それは事実です」
「どうしてまた、そんなことに?」
「ミルーク様への思いがあってのことでしょう。なにしろミルーク様は実子を持つことなくお亡くなりになられました。そのことに誰より心を痛めておいでなのが、ティズ様でしたから」
兄のゆかりの人物だったから、感傷的になって手助けした、という筋書きだ。
ベルバードが口出しした。
「だが、聞いた限りでは、あの大森林を縦断し、緑竜まで討ったというが。それが本当なら、あの戦争は武勲を立てるいい機会だったのではないのか」
「とんでもありません」
俺の件、知っているはずはない。ないと思いたいが……
「確かに大森林の縦断はしましたし、緑竜も討伐できました。でもそれは、ティズ様がつけてくれた郎党達の力あってのことで、とても独力では」
「とはいえ、先の青竜の騒ぎのときにも、君は一人で海に潜った。これは水門の上にいた大勢が目撃していたが」
「偵察しようと思って勝手な真似をしました。それだけで、申し訳ないですが、大してお役には立てませんでした。気持ちが先走り過ぎて、却って無用なご心配をおかけしただけで」
「ふうん」
テーブルの上で手を組んで、ティーン王子は言った。
「まぁ、私が興味をもっているのは、君の武勇ではないからね。大事なのは、君のその、曲芸のような人付き合いだ。タンディラール王にもティズにも好かれるとは、多分この世界の誰にも真似できない手品だよ」
「は、ありがとうございます」
「その手品で、我が国とも仲良くしてもらいたいわけだよ、こちらの王族としては。特に、海峡をネッキャメル氏族が独占した今、我が国への圧力も大きくなりそうだからね」
「はい」
率直すぎる物言いだが、これで納得はできた。
ティーン王子の言い分は、至極まっとうなものだ。東部サハリアを統一した赤の血盟は、ポロルカ王国にとっても重大な脅威になり得る。となれば、外交のパイプは一つでも多く確保しておきたい。
「そういう都合で、私達王族は、君を厚遇するのだが。すると、何が起きるかな?」
「殿下、私はもう既に十分に光栄に浴しております。どれほどお役に立てるかはわかりませんが、仮に赤の血盟がポロルカ王国に槍を向けようというのなら、どうか思いとどまっていただけますようにと、手紙の一通でも書き送るくらいはさせていただきます」
「それは頼もしいね」
背凭れに体を預けて、王子は言った。
「でも、その話ではない。つまり、こうして私や他の王子が君らと会いたがる。すると、我が国の他の貴族達も君に興味を持ちだす……自然な流れだろう?」
「はい」
じゃあ、何か?
まさかこれから、こういう会合に繰り返し付き合わされるのか? ラージュドゥハーニーに滞在中、ずっと?
「こちら、一人だけ見覚えがない顔がいるかと思うのだが」
四人いる貴人の最後の一人は、これが初対面だ。
「地方領主の一人で、バグワン・ギラミーンという。早速、ファルス殿に面会したいと頼まれて、ここまで連れてきてしまったのだよ」
「それは……初めまして」
座ったまま、頭を下げた。
「ああ、そうだ。一つ、尋ねておきたいことがあった」
「なんでしょうか?」
「わざわざ我が国にやってきた理由だ。別に、大森林の探検を終えたのなら、そのままアリュノーからまたハリジョンなりピュリスなりに戻ればいいのではないか」
これは別に、困るような質問でもない。むしろ願ったりかなったりだ。
「それは、実はトゥワタリ王国で珍しい豆を見つけまして」
「豆? とな?」
「はい。樹木にできる豆でして、これを栽培してピュリスの商会で取り扱いたいものと……それで土地の利用許可を得たくて、ここまでお願いに参りました」
「そのようなことか」
なんだ、そんなつまらない用事か、と拍子抜けになっているのが顔に出ていた。
「今は兄上の即位の件があるゆえ、しばらく待たねばならんが、そのうちに解決する話であろう。あいわかった。私からも声をかけておくこととしよう」
「ありがとうございます」
よかった。
ドゥサラ王子と違って、こちらは幾分、マシな人かもしれない。最初の印象は、むしろ陰気そうでよくなかったのだが。
「ではここからは歓談の時間としよう……ときにファルス殿、私のお抱えの楽士の腕前はいかがだったかな?」
「はい、大変素晴らしく、聞き入ってしまいました」
「それは重畳……だが、音色が一つではちと物足りない」
物足りない、ではどうしろと?
まさか。
「ファルス殿は、音楽の心得はおありかな」
「それが、まったく」
「なに、主人がすべてを兼ね備える必要などない。足らざるは下僕が埋め合わせるもの」
といっても、ノーラにも音楽なんて経験がないし、クーも……いや、ラピだけは。
そっと後ろを盗み見る。ラピは青白い顔をしていた。これは間抜けなことを。私も心得なんかありません、という顔をしていればよかったのに。王子に気付かれてしまった。
「我々の出会いを祝して、美しい音色を聴かせてもらいたいものだ。よろしいかな、ファルス殿」
「では」
あとでラピには謝っておこうと心に決めて、振り向き目配せした。
事前準備もなしにいきなり歌わされたラピは、素人目にもひどく緊張してぎこちなかったが、ティーン王子はわざとらしく賛辞を述べた。
なお、せっかく連れてきたペルジャラナンには、どういうわけか、誰も興味を示さなかった。
少々気疲れするひと時の後、俺達は宿に引き返したのだった。




